蝶は羽ばたいた(銀河英雄伝説)   作:高島智明

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第50章 両元帥の基地

戦略レベルでは、敵よりも大兵力を完璧に戦力化する事が正解である。

ただし、戦術レベルでは条件次第で敵に付け込まれる弱点にも成り得る。

「5月の戦い」における帝国軍は其の好い例にされかけていた。

 

いかに帝国軍が大艦隊でもフォーメーションを展開させる空間は、イゼルローン要塞を頂点としヤン艦隊のシルエットを断面の1つとする錐(すい)形の内側か「雷神の鎚」の有効射程外にしか無かった。

無論、エル・ファシル星域は、かつてのイゼルローン回廊の様に「雷神の鎚」で封鎖されてしまう様な狭い戦場では無い。

だが現状の帝国軍は、自らの大軍の利益と戦場本来の広さを活用し切っていなかった。

戦場が狭い回廊では無い代わりに、今のイゼルローンは動くのである。

フォーメーションを組んだ艦隊よりも速く。

そのため、帝国軍にとっての艦隊フォーメーション可能な空間そのものが変化し続けていた。

当然ながら、この条件を活用するためには高度の戦術能力が要求されるだろう。

だが、イゼルローン側の指揮官はヤンである。

そして、これまでの戦いでヤンは、移動要塞のワープを利用した戦略のみならず、通常航行を応用した戦術の経験値までシッカリと身に付けていた様だった。

ヤン個人に限らず艦隊フォーメーションを実現化するフィッシャー、要塞を管理するキャゼルヌと戦闘面で預(あず)かるシェーンコップ以下「ヤン不正規隊」全体としても。

 

そう成ると帝国軍の側は、ヤン艦隊とイゼルローンの両方に注意していなければ「雷神の鎚」の火線上でヤン艦隊の居ない処に飛び出しかねない。

これではフォーメーションに苦労する。大軍であれば尚更。

帝国軍は自らの大軍を持て余していた。

そしてヤンは、帝国軍がフォーメーションに不自由している処へ得意の1点集中砲火を撃ち込んでは、局所的に優位をつくり続けていた………。

 

……。

 

…5月10日に最初の「撃て!」の命令が下ってから12日まで、この繰り返しである。

 

「戦争の天才」以下、名将ぞろいの筈の帝国軍も、なまじ大軍であるほど持て余していた。

 

……そして標準時間で5月13日に日付が変わって早々、今度はヤンが仕掛けた。

 

ヤン本隊とメルカッツとアッテンボローの波状攻撃で突破口を開き、マリノ部隊を突入させた。

「バーミリオン」で「鉄壁ミュラー」の返り討ちに合ったグエン・バン・ヒューに代わって、ヤン艦隊の「切り込み」役をになうマリノは、その期待に答えるべく猛進する。

この時のヤンがマリノに狙わせたのは、フォーメーションに何かが起きていると見抜いた、とある艦隊だった。

そのレンネンカンプ艦隊に所属するクナップシュタインは「うたがいの心が見えない幽霊を生む」心理を捨てられなかった。

相棒の筈のグリルパルツァーが提案したニセの筈の内応理由が、生真面目なクナップシュタインには尤(もっと)もらし過ぎたのである。

そのためレンネンカンプの命令には何時も通りに従えても、グリルパルツァーとの連携には半歩おくれていた。

 

その半歩のスキマに突入させたマリノ部隊を錐(きり)の先端とし、追走するヤン艦隊全軍を錐の柄(え)とするように揉(も)み込んで、レンネンカンプ艦隊の後方へと突破しようとした。

その突破した出足へ皇帝ラインハルトの本軍が、ヤンの得意技をうばった様なピン・ポイント砲撃を、ダイヤモンドに打ち込むタガネの様に撃ち込んで来た。

ならばと、勢いを止めないまま帝国軍の視点での天底方向へと急降下し、今度は地球時代のジェット・コースターの様に皇帝本軍の床下をすり抜けて、帝国軍そのものを振り切ろうとするかに見えた。

 

当然、ラインハルト以下の帝国軍に逃がす積もりなど無い。

全艦隊が殺到しようとする中で、ヤンの前に立ち塞(ふさ)がったのはケンプ艦隊だった。

軍務尚書からは戦意過剰を心配されていたケンプだったが、その戦意の高さは少なくとも、ジェット・コースターまがいの高速運動を続けるヤン艦隊を受け止める事は出来た。

そのまま元撃墜王らしくワルキューレ戦闘艇まで繰り出しての接近戦で、味方が殺到して来るまでヤンを押し留めようとする。

これに対してはヤンも、ポプラン戦闘隊を発進させての接近戦で対抗するしか無かった。

 

この時もユリアンはカリンとの2機編隊で出撃、前回の戦果がマグレでは無い事を証明していた。

 

そうして接近戦を続けていたヤンは突然、スパルタニアン戦闘艇まで含めた全艦隊を急速後退させた。

確かに後方からは帝国軍の大艦隊が殺到しかけている時、正面のケンプ艦隊からも一方的に撃たれかねない後退など非常識だったろう。

ただし、それはヤン艦隊だけを見ていた場合だ。

イゼルローン要塞が艦隊フォーメーションよりも早く動き回っていた事を、やはり戦意過剰に陥(おちい)ったか、瞬間だけケンプは失念していたかも知れない。

 

次の瞬間、見落としようも無い白光が宇宙の夜を引き裂いた。

 

「ケンプ艦隊旗艦ヨーツンハイム…識別不能!状況不明!!」

悲鳴そのものと化した報告を、ラインハルトですら怒(いか)れなかった。

 

白光が引き裂いた後の空白へと前進再開したヤン艦隊は、今度こそ帝国軍を振り切ろうとする。

急速前進しながらスパルタニアンを着艦させると言う、ウラワザまがいまで使いながらの急進だった。

その後ろから殺到する帝国軍の各艦隊の中でも猛進していたのは、レンネンカンプ艦隊だった。

艦隊司令官のみならずクナップシュタインやグリルパルツァーまでが”先刻までの汚名の上塗り”を返上せんとばかりに猛進していた。

そして、イゼルローンへと逃げ込もうとするヤン艦隊の艦列尾部に喰い付いた。

 

これに対してヤンは、尾部に喰い付く敵レンネンカンプ艦隊の更に尾部に喰い付く様に艦隊を旋回させた。

かつて「アスターテ星域会戦」でも実現した「互いの尾を呑み合う2匹の蛇が輪に成った」陣形の再現である。

しかし「アスターテ」の時は、すでにヤンとラインハルトの1対1の対戦に成っていたから成立した陣形では無かったか?

現に帝国軍の各艦隊はレンネンカンプに続いて殺到しようとしていた。

だが「2匹の蛇の輪」が回転して、レンネンカンプ側の半円が先程までのヤンの進行方向に向いた瞬間、流体装甲の表面に浮かび上がった浮遊砲台が撃ち上げて来た。

かつてレンネンカンプが救援し損ねたシュタインメッツ艦隊が落ち込んだ時と同様のトラップに、レンネンカンプも誘い込まれたのだ。

 

実戦例としても、帝国軍にも3度目のワナである。

脱出方法の考案ぐらいはされていた。

ただし、ギャンブルも好い処なのだが。

 

地球時代の太陽系探査機が使用したスイング・バイの様に、イゼルローン要塞ギリギリを振り切って脱出する。

当然ながらヤン得意の1点集中砲火、それも艦砲のみならず要塞砲までが集中してくる砲火に自分から飛び込む事を意味した。

だがこれが、まだ生還の可能性が在るギャンブルだったのだ。

 

ここでレンネンカンプやクナップシュタイン、グリルパルツァーはラインハルトの抜擢に応えるだけの艦隊司令官だった事を証明した。

先頭に立って1点集中砲火を潜り抜けながら突破口を開いて全艦隊を誘導したグリルパルツァー、中央に在って艦列を維持したクナップシュタインは、レンネンカンプからの命令を達成し、少なからぬ味方を脱出させた。

だが其の艦隊司令官は、これが指揮官陣頭として当然の様に、殿(しんがり)に在って部下の脱出を援護していたものの、味方の脱出に比例する1点集中砲火の密度に直面していた。

 

「レンネンカンプ艦隊旗艦ガルガ・ファルムル…通信途絶」

総旗艦ブリュンヒルトに、この日2つ目の凶報が届いた………。

 

……。

 

…この日5月13日は、皇帝ラインハルト1世の華麗なる戦歴においても、記録に残されるべき日とされている。

 

ローエングラム元帥府が開設されて以来、ラインハルト直属に抜擢された艦隊司令官の中から、ついにヴァルハラの住民が出たのだ。

それも標準時間1日の間に2名も。

 

……皇帝ラインハルトは「5月の戦い」の後、戦場からは直近のヴァンフリート4=2基地に衛星そのものの記号とは別の固有名を与えた。

 

以後、同基地は「両元帥の基地」と呼ばれている………。

 

……。

 

…だが其れも後日の事である。戦いは未だ終わっていない。

 

少なくともヤン艦隊がイゼルローン要塞に逃げ込む前に、帝国軍の残りの艦隊が殺到する時間だけは稼(かせ)がれていた。

 

今度は「鉄壁ミュラー」に喰い付かれてイゼルローンに逃げ込むチャンスを失ったヤン艦隊に帝国軍は、文字通りに入れ替わり立ち替わりの波状攻撃を仕掛けて来た。

ついに「鉄壁ミュラー」が後退すると、入れ替わりに帝国軍の双璧みずからが往復ビンタの様に襲いかかり、完全にヤンはイゼルローンに逃げ込むチャンスを失った。

そして双璧の後からも、入れ替わり立ち替わり各艦隊が波状攻撃をかけて来る。

 

ヤンが恐れていたのは「これ」だった。

元々、数の上では比較のしようも無い。絶対数なら同等で消耗していっても……。

いや消耗に対する回復力ならば、とりあえず当面ならばヤン艦隊が有利だ。

直近の拠点でヴァンフリート4=2、もっとも後方支援が充実している拠点はフェザーンの帝国軍と異なり、直ぐ後ろにイゼルローンと言う後方支援の拠点を丸ごと持って来ている。

武器や消耗品を消耗した艦は補給を受け、損傷艦はドックで修理されて復帰して来る。

それどころか何とか不時着だけは出来た艦の乗員を、別の修復可能な艦から入院させた負傷者と交代に乗せて復帰させる事まで、ヤンとキャゼルヌは実行して見せた。

 

しかし其れでも尚、ヤン艦隊が消失した後の帝国軍には、残存兵数が存在しているだろう。

それがヤンには分かっている。

たが、それでも尚ヤンは簡単には敗れず、絶対数ではヤン艦隊以上の消耗を帝国軍に強制し続けていた。

 

……常勝のラインハルトと不敗のヤンの戦いは、5月15日を過ぎても終わらない。

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