蝶は羽ばたいた(銀河英雄伝説)   作:高島智明

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第54章 遷都令

新帝国暦2年7月29日。

新帝都フェザーンが勅令をもって公式に布告された。

 

当然ながら、旧帝都オーディンに残留していた官僚システムが丸ごと、新帝都へと移転させられるのだ。

この移転をハードウェアとソフトウェア、そしてインフラの全てで実現化し充実させるべく、今や公式に首都建設長官を兼任する工部尚書は活躍し続けていた。

 

……ところが一時的にしろ、移転が待機させられる事態が、早くも勅令の翌日に起こっていた。

 

正し、待機であって中断でも中止でも無い。

そして翌日だった事は、偶然では無く確信犯的な陽動作戦だった。

言わば、引越し前に引越し先を大掃除する様な事であり、そのため憲兵総監を先に呼んで置いたのである………。

 

……。

 

…その大掃除騒ぎが、とりあえずにしても落ち着いて、新帝都建設と旧帝都からの人的移動も再開されていた頃。

 

8月半ばの某日。工部尚書シルヴァーベルヒが皇帝に上申していた。

当然ながら建設するのが「帝都」である以上、中心と成るのは皇宮である。

その皇宮「獅子の泉」の建設計画についての報告だった。

しかし皇帝は、首都建設長官ほど熱心でも無さそうだった。

そんな主君に工部尚書は報告の仕方を変えてみた。

 

「御恐れながら皇帝陛下には、帝国臣民に対して、贅沢を禁止なされる御積もりは御座いませんでしょう」

皇帝は心外以前に、言われるとも思っていなかった事を言われた様な態度と顔をした。

「当然だ」

「それでしたら、節度ある贅沢をなされて、見本をお示しに成れれば好いと愚考いたしますが」

「考えて置こう」

その答え自体、この「天才少年」が“こう”言った事には疎(うと)いと言う事だった。

 

「だが工部尚書。卿は意外な面でも柔軟で見識ある人物の様だな」

お返しの様な皇帝の言葉には、また別な答えが返った。

「この件で誰かをお褒(ほ)めに成られるのでしたら、グルック次官にして頂けませんか」

「成程。グルックだったか」

工部尚書シルヴァーベルヒは、その任に必要とされる資質3つのうち2つに自信を持っていると公言していたが、では残る1つは何であったか。

当時は次官として尚書を補佐していたグルックの実績から想像するに、それは官僚システムの管理運営の能力だったろう。

実の処、皇帝ラインハルトも工部省の強大な権限とシルヴァーベルヒの異才は創業と建設の時代が要求するものであり、守成とメンテナンスの時代にはグルックの管理運営能力が適合するだろう、とも予測していた。

 

話を現状に戻せば、当時のラインハルトは「神々の黄昏」作戦時点で接収したホテルに其のまま大本営、つまりは皇帝の執務室と私室を置き続けており、この時も其のホテル内の執務室での出来事だった。

ではなぜ今まで「そのまま」だったか?と言えば「神々の黄昏」作戦当時では、直ぐにも当時の同盟領へと侵攻する積もりであり、むしろ求められていたのは拙速でもあった。

そして、フェザーン大本営への移転後も同じホテルを使い続けていたのは、もしかすると単に変更が面倒だったからかも知れない。

実の姉からして、後に義理の妹と笑い話をして曰く「光年以下の単位のできごとには興味がない」ラインハルトだった。

 

ともあれ即決する時には即決するラインハルトは、大本営を「旧」自治領主府の迎賓館に移転する事とし、9月1日に移動する事とした。

 

工部尚書を帰した後、皇帝の側に控えていた幕僚総監が口を添えた。

この機会に聞いてみる事を思い付いたのである。

「姉君を、新帝都に御招きに成られますか?」

自身がホテル住まいでは姉を呼び寄せ、まして永住を希望するには不都合だったろう。

 

……ザルツだけが知っている『原作』で、弟が結婚するまで姉弟が離れていた理由が“今”の姉弟には存在していなかった。

 

「そうだな。姉上と御話してみよう」

 

弟としてラインハルトは、姉アンネローゼに超光速通信を入れた………。

 

……。

 

…皇帝ラインハルトがフェザーン大本営へと飛び立って以来の事である。

 

旧帝都の広すぎる皇宮では、皇姉アンネローゼが使用人以外には1人の家族も居ない生活を続けていた。

姉を新帝都に招く事を考えてみれば、その1人くらしをさせていた事にすら罪悪感を覚えるラインハルトだった。

 

その旧帝都の皇宮でラインハルトと側に控えるキルヒアイスからの通信を受けたアンネローゼは、新帝都への移住そのものは了承した。

ただし条件を付けた。

「温めた料理が冷めない程度の距離を保ちましょう」

弟の母代わりとして、精神的な「子離れ」をすべき時期である事を考慮していたのである。

それでも新帝都への移住そのものは拒否しなかった。

 

ラインハルトは姉の答えに困惑していた。

姉の言い分を言い換えれば、近日に引っ越す予定の大本営の他にも、アンネローゼの住まいを用意することに成るだろう。

困惑したのは、何処へと姉に住んでもらうか、と言う事だった。

この皇帝は自分が贅沢をする事になど全く関心も無いくせに、姉にだけは幾ら贅沢をさせても自己満足すら出来そうに無かったのである。

そのくせ、やはり自分が関心の無い事であるためか、どうにも「こうした」分野の事は苦手だった。

 

困惑しつつも、ラインハルトは姉が自分を見捨てたのでは無い事だけは理解していた。

少なくとも、友人と恋人(?)に説得されて納得した。

そして困惑しつつも、姉を迎える邸宅を公務の合間に選定する事にした。

皇帝が姉のために選んだのは、旧王朝時代に帝国が駐在させていた高等弁務官の公邸だった。

当時の事であるから爵位持ちの貴族であり、同時に帝国の「面子」も作用していただろう。

少なくとも旧王朝時代を基準としても、姉の生活水準を落とす心配は無い筈だった。

自己満足である事を自覚しながらも、姉を迎える弟も満足した。

安堵(あんど)したラインハルトは、ささやかな公私混同をする事にした。

 

惑星オーディンから惑星フェザーンへと、彼女としては生涯で初めてと成る恒星間の旅に、当然ながらワープ能力を持った艦船が使用される。

そのために宇宙戦艦ブリュンヒルトを派遣する事にしたのだ。

 

ヤン・ウェンリーとも和解した現状、惑星フェザーンと惑星オーディンを往復する時間的距離程度の間に、皇帝ラインハルトが陣頭に立つ様な武力発動は無い筈だった。

いささか強弁ながら、平和の到来を意味する政治的意味も存在しただろうか。

 

艦の側からしても、ラインハルトを乗せない初めての任務である。

そして極ささやかな小艦隊が同行していたが、その中に姉妹艦のバルバロッサが居た。

実の処、これは更なる公私混同である。

姉を迎える栄誉を友にも分けてやりたい感傷から出発していた。どう理由を付けたとして。

その理由を付けるためかどうか、ささやかな無理押しが付け加えられていた。

 

元々、アンネローゼは家庭的な人である。

自分の世話に他者の手を借りる必要は無く、後宮の人だった当時も、むしろ彼女と同じ立場の他の女性たちが日常生活を使用人に世話させていた様な、そんな生活とは遠かった。

 

しかし、今のアンネローゼは皇帝の姉である。

子爵夫人や男爵夫人を女官の名目で身辺に置いても可笑(おか)しくない。

少なくとも旧王朝であれば、むしろ其れが当然だったろう。

ローエングラム王朝と言うより皇帝ラインハルトには、そうした旧王朝の大ゲサな部分を冷笑する傾向すら公然のものだったが、しかし、こと姉1人に関係する事だと、基準を変えてしまう事が在り得た。

 

ラインハルトは姉の数少ない友人であるシャフハウゼン子爵夫人とヴェストパーレ男爵夫人を、女官の名目で新帝都に同行する事を勧めてみた。

特にマグダレーナ・フォン・ヴェストパーレと言う才女は、このまま衰退する旧帝都の「旧」貴族社会に埋もれるには惜しいとも思ったのである。

こうして皇姉の御座船として航行するブリュンヒルトを追走しているバルバロッサには、子爵夫妻と男爵夫人が乗せられていた。

 

……マグダレーナ・フォン・ヴェストパーレと言う貴婦人は、誤解をされている。

 

マグダレーナが言わば“逆ハーレム”まして貞操観念の無い女の様な誹謗中傷には、当時の貴族社会の悪意ある想像や行動力ある才女への妬(ねた)みが混じっていただろう。

実態としては、男爵夫人は「パトロン」だった。

当時の不公正な社会で、彼女の認識としてはムダ使いにすら成っている若い才能に、本来ならば相応しいチャンスを与えたいだけであり、彼女の視点からなら、そうした若い才能たちは「クライアント」だった。

そして現状でのマグダレーナは「クライアント」たちに新帝都行きを勧めたかった。

 

未来ある彼らに旧帝都の「旧」支配階級と運命を共にする義理など無く、これから尚も繁栄していくだろう新帝都に相応しい未来が在る筈だった。

そんな時に友人であるアンネローゼと其の弟から誘われた事は「クライアント」たちに新帝都行きを勧める理由が1つ増える事でも在った。

かくして「引越し前の大掃除」が落ち着いて民間航路が再開された頃のフェザーン行き定期客船に、7人の芸術家が乗り合わせていた………。

 

……。

 

…皇姉一行がフェザーン市街地のヴェルゼーデ地区に用意された邸宅に到着した時、すでに惑星フェザーン中心地域の季節は秋も深くなっていた。

 

「引越し前の大掃除」の関係上、安全に成ってから皇帝は姉を呼んだ積もりだったのである。

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