蝶は羽ばたいた(銀河英雄伝説)   作:高島智明

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第55章 引越し前の大掃除

「遷都令」の翌日早々、皇帝は大本営に直属する提督たちを招集した。

「私人が住み家を引っ越す前でも、時と場合には引越し先の大掃除をするものだ」

 

『原作』では別な人物が別な意味を込めて言った、などとはザルツしか知らない。

まして聞いた側の受けた感慨(かんがい)は、まるで異なっていた。

 

そして専門家である憲兵総監の指示と助言に従うよう、皇帝から各提督たちに命令された。

もっともケスラーは、直接に各提督たちや指揮下の艦隊を指揮する積もりは無い。

提督たちに任された任務は、彼ら本来の宇宙艦隊としての任務である。

 

かくて惑星フェザーンの地表上から大気圏外へ、帝国軍の各艦隊は発進した。

 

ミッターマイヤー艦隊を本隊として、アイゼナッハ艦隊、ビッテンフェルト艦隊そしてミュラー上級大将はエル・ファシルに高等弁務官として残留したが、専用旗艦以下の少数を除いた指揮下の艦隊は副司令官らに預(あず)けられて皇帝本軍と帰還していた其のミュラー留守艦隊が、惑星フェザーンよりも新領土側の回廊を封鎖していた。

同様にロイエンタール艦隊を本隊として、シュタインメッツ艦隊、ファーレンハイト艦隊そして今度こそ再編成された、ただし「5月の戦い」の後に“両元帥”艦隊の生き残りや修理した艦を引き抜いて来ていて、艦隊フォーメーションも再訓練中だったルッツ艦隊が、帝国本土側の回廊を封鎖していた。

 

とある独立商人の事務長は何時か「フェザーン回廊の封鎖など物理的に不可能」みたいな事を言ったが、どうやら撤回した方が好いかも知れない。

 

続いて、惑星フェザーンの地表上と地下では、ケスラー上級大将が直接に指揮する憲兵隊と首都防衛に当たる陸戦隊が、一斉検挙を開始した。

明らかに其れは、あらかじめ検挙すべき場所を特定していた計画的行動だった。

「旧」フェザーン自治領主府と地球教団の関係を完璧に熟知していない限り不可能な。

 

……憲兵本部の外部から遮断された屋内では「この」隠されて来た関係を知っていた1人の人物が、暗い笑いの発作をガマンし切れずに居た。

 

しばらく前まではフェザーン代理総督、そして更に以前は自治領主補佐官だった。

その補佐官だった当時に知っていた。フェザーンの影と闇を。

そのボルテックが突然、惑星フェザーンに赴任して早々の憲兵総監に拘束されたのは、身に覚えの無い密告が切っ掛けだった。

自分を爆弾テロの黒幕として告発する、と言う。

だが、その密告を理由に今居る場所に連れて来たザルツ特命室長とか言う中将は、自分が無実である事など承知していた。

その上で協力を求めて来たのである。

いや、強制した。

少なくとも無実を盾に勿体(もったい)をつけようとした瞬間、ボルテックが隠して来た秘密を突き付けて来た。

 

確かに「キュンメル事件」なんぞか起こって、地球教団が帝国の公然たる敵に成った時点で暴露しているべきだった。

それが皇帝ラインハルトに忠誠を申し出た以上は当然だったろう。

ついつい「旧」自治領主府時代に培(つちか)った策謀家を気取って秘密を抱(かか)え込んでいた処へ何処から入手したのか、それこそ地球の教団本部にでもしか存在しなかった筈の秘密資料を突き付けられて交渉の主導権を取られていた。

後は、知っている限りの情報を提供させられた上で、ルビンスキーたちを油断させるために憲兵本部の中に軟禁されていた。

 

……惑星フェザーンのみが一斉検挙の対象でも無かった。

 

無論、新帝都でもあり帝国本土と新領土を連結する中心でもあり、同時に「旧」自治領主府の本拠地でもあったのだ。

フェザーンに対して最も力点が置かれる事は必然であり、そのためケスラー総監をワザワザ呼び寄せていたのである。

 

だが資料が暴いた策謀家たちは、経済国家だった当時のフェザーン利権と地球教の精神面からの影響力と、時にはサイオキシンへの依存か密売組織の線からの共犯関係まで用いて、当時の同盟と帝国双方の国家組織に浸透を続けていた。

帝国側で取り込まれた人脈の大部分はローエングラム改革によって失脚していたが、改革者は直接に「リップシュタット盟約」に参加した敵対者以外に対して、失脚以上の復讐を加えていない。

まして同盟に対しては「バーラトの和約」と「冬バラ園の勅令」で国家そのものは追い詰めながら、個人に対する復讐者とは成らなかった。

 

基本的には皇帝ラインハルトを評価すべき処だが、今回だけは改めて検挙すべき対象が旧帝都オーディンにも「旧」同盟首都ハイネセンにも居た事に成る。

当然ながらケスラー総監は惑星ハイネセンの副総監にも、旧帝都での任務を委任して置いた部下にも検挙リストと命令を発した。

しかし超光速通信などは論外である。

もっともらしい出張理由をつけた部下を派遣して命令文書を手渡しさせなければ成らなかった。

7月1日に主君である皇帝から命令を受け、直接に資料を解析した実務者から報告を受けながら、7月30日まで準備を置いた理由の1つである。

 

その1ヶ月近い間の秘密保持も密かに関係者を疲労させていた。

特に地球の教団本部が壊滅した約1年前の時点での“最新”資料を入手していた事を、絶対に検挙対象に知られては成らなかった………。

 

……。

 

…とは言え、フェザーンが最重要対象だった事も事実である。

 

そのフェザーンでは続々と検挙者が憲兵本部に連行されていた。

だが其の中に、人名としての最重要対象が居ない。

星外への脱出は在り得ない。そのために宇宙艦隊ほぼ総動員の協力体制を取り付けたのだ。

駆逐艦かワルキューレの哨戒に何度か引っかからない限り、帝国本土側へも新領土側へも其れこそ物理的に脱出不能だろう。

「辺境回廊」ほど狭(せま)くは無くとも、回廊の外側の恒星間空間ほどフェザーン回廊は広くも無かった。

 

……ザルツの脳内考察でも逃げられている可能性は少ない。

 

『原作』でフェザーンの地下から行方をくらませたルビンスキーが惑星ハイネセンに出現出来たのも「新領土の叛乱」のドサクサまぎれだったからだ。

“現”に回廊を封鎖している宇宙艦隊が、回廊を出て新領土へと留守にしていて、それも敵味方に分かれて戦っていたのである。

しかも戦った結果、解体された側の軍が名称からも「新領土“治安”軍」だったのだ。

そのドサクサまぎれに回廊を出て、新領土の惑星ハイネセンに潜伏していたのだろうが、同じ真似(?)は出来ない筈だった。

 

だが、ルビンスキーは惑星フェザーンの何処に居るのだ?………。

 

……。

 

…さらに旧帝都から超光速通信が皇帝への接続を要求して来た。

民政尚書から皇帝への抗議の申し入れである。

 

オイゲン・リヒターとカール・ブラッケの思想は、ゴールデンバウム王朝が確信犯的に模倣して来た時代に、彼らと似た様な立場に居た者たちが主張していた啓蒙思想に近い。

だがリヒターが自らの理想を実現する目的のためならば、半歩ずつでの前進と言う手段も選択する事に比較すると、ブラッケは到達すべき理想に到達してこそ、前進と考えがちだった。

そんな相棒をリヒターは「1歩でも半歩でも、前進は前進だ」と諭(さと)すのが常だったが。

そんなブラッケからの抗議申し入れに対して皇帝は、財務尚書との立会いの上での通信接続を認めた。

異存は無かった。

むしろリヒターはブラッケが余分な事を言い出さないためにも喜んで立ち会った。

 

皇帝執務室の画面の中に、新帝都への移転準備で忙殺されている筈の民政尚書と財務尚書が呼び出されると、皇帝は尚書に発言を許す前に、用意しておいた資料を通信回線に連結させた。

ユリアン・ミンツが提供しザルツ中将が解析していた資料の中から、ヨブ・トリューニヒトの名が出た部分を集積した結果である。

その内容は啓蒙思想家であるブラッケやリヒターに民主共和主義の理想を語り、帝国を立憲体制に移行する遠大な構想を説いていた雄弁家の正体を、残酷なまでに暴露していた。

 

資料の再生が終わると画面の向こう側では、ブラッケが用意していた抗議の言葉を消失し、そんな相棒をリヒターが宥(なだ)めていた。

民政尚書に代わって取り成す財務尚書に対して皇帝は、無かったことにした。

しておく必要が無くも無かった。

あの妖怪的な保身名人は「旧」敵国に連れて来られて1年と少しで、どうやって潜伏先を用意したのか、むしろ感心すらしそうな見事さで、惑星オーディンの地表上から何処かに行方不明に成っていた。

 

それでも、かつては権力者だった「旧」同盟領なら兎も角(ともかく)「旧」敵国だった帝国本土で高額の懸賞金まで設定されては、潜伏も其れだけ困難な筈だ。

何時かは「旧」同盟領かフェザーンへと逃亡するか、あるいは共犯者たちの地下組織に合流するか、するだろう。

最悪なのは「旧」同盟領、それも今は「外国」とハッキリ承認しているエル・ファシルに逃げ込まれる事だ。

特にフェザーン回廊に比較すれば、どうしてもケスラー憲兵総監の目も行き届き難い「辺境回廊」を通り抜けられたら、距離的にも近道だったりする。

旧帝都から「両元帥の基地」まで道沿いの各駐留部隊に対して、トリューニヒトが指名手配されていた………。

 

……。

 

…ウルリッヒ・ケスラー上級大将はローエングラム王朝に仕える憲兵総監であり、民主共和国家の人権運動家では無い。

 

テロとの戦い、と言う目的のためならば自白剤と言う手段でも選択する。

ただし、対象のテロリストが狂信者でもある場合、拷問とかは殉教させてやるだけで欲しい情報は得られないだけだった。

今回、その対象は幾らでも存在した。

そうして得られた情報を元に、次なる弾圧を用意するのである。

 

ザルツ中将は転生者だと言う秘密を公言してもいないが、拷問の証拠価値は低く見積もっていた。

そのザルツにしても、自白剤ならば理論上は拷問と異なって、薬が効けば其れだけ本当の事しか喋(しゃべ)れなく成るとも考えていた。

何せ「前世」にすらニュースには成っていた“カルト”などと言う代物が、現状での敵なのだから………。

 

……。

 

…そうした状況をある程度までは予測出来るのだろう。

 

「黒狐」は其れこそ童話が擬人化した狐の悪知恵で慎重に潜伏していた。

そんな潜伏先でも快適と快楽を確保しているのは黒狐らしいが。

しかし今回だけは、策に溺れたことを認めざるを得なかった。

代理総督を名指しで罪をなすり付けようとした密告が、ウラのウラを読まれていた。

それでもギャンブルを降りる積もりなど、さらさら無かったが。

 

そんな父親を見詰める息子と嫁の態度は、以前よりも変化していた。

帝国軍の「大掃除」以前ならば“ヤン・ウェンリーの息子”がフェザーン回廊どころか地球まで帝国軍の臨検をかい潜って往復出来たのだから「神々の黄昏」当時に惑星ハイネセンに居た筈の黒狐の息子が、惑星フェザーンまでの片道潜行を出来ない事も無かっただろうが、その息子の目に映る父親は、かつて息子が奪い取ろうとしたものを未だ持っているだろうか。

可能ならば証明して欲しかった………。

 

……。

 

…摘発当日から1週間ほどで「引越し前の大掃除」の、とりあえず最初の大騒動は静かに成った。

 

脱出しようとするテロリストの発見も途切れた宇宙艦隊を惑星フェザーンの地表上に戻して、さて帝国軍と言うよりも帝国政府は、旧帝都からの移転と新帝都の建設と言う大仕事を再開していた。

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