ヒルダは決断するしか無かった。
主君でもあり上官でもある相手に何時かは知らせるべき事であり、当人の実姉に見破られた以上、隠蔽可能な秘密にも成らないだろう。
その日、大本営の執務室では無く皇帝の私室を訪問したヒルダは幕僚総監としての軍服姿などでは無く、何よりアンネローゼに付き添われていた。
しかし、なかなか用件は本題に入らない。
ヒルダは本題に入る事をためらっている様でもあり、ラインハルトと当然に立ち会っているキルヒアイスもアンネローゼの様子をうかがっていた。
そのアンネローゼが何回目かに微笑んだ時、ついにヒルダは決定的な語句を口から出した………。
……。
…本質的に統制出来る情報でも無かった。
数日の間には新帝都から自治共和国までも、文字通りに超光速で伝わっていた。
イゼルローン要塞で最も忙(いそが)しいのはキャゼルヌだろう。
攻めて来る「敵」が居なくなっても、それは変わらない。
そのキャゼルヌが忙しい中で時間を作り会議室に集めたのは「5月の戦い」以来、流石に年令も助長してリハビリが長引いていたものの復帰したフィッシャー、年長者なのは同様ながら、家族と同居し始めてから明白に以前よりも若々しげなメルカッツと席の後ろに立っているシュナイダー、そしてムライにパトリチェフ、スーン・スールや防御指揮官“代理”の「薔薇の騎士」連隊長などである。
いわゆる「ヤン不正規隊」のうち、現状では新帝都フェザーンに駐在中の者を除けば、こんなものだった。
「フェザーンのヤンから情報が届いた」
キャゼルヌは本題に入った。
「当然だが高等弁務官の職務として、自治共和国政府にも公式報告は提出されている。
結論から言うと、皇帝ラインハルトの恋人が妊娠した」
流石に、何の反応もしない者は居ない。それぞれに其々(それぞれ)の反応をした。
「記憶しているだろうが「バーミリオン・キャンペーン」に先立って、ヤンは断言した。
「ローエングラム公爵(当時)は独身だ。そこがこの際はねらいさ」
その理由を逆説的だが、こうも言っている。
「公爵が死んで、彼に妻子、とくに後継者となる男児がいた場合、部下たちはその子をもりたててローエングラム王朝をつづけていくことが可能…」
そして今、当時のIFが現実に成り始めている」
「1人の女性の妊娠が、これほどの衝撃を宇宙に与える事もあるのですな」
何時の会議でも常識論はムライの役目だ。
「その通りだ」
ひと呼吸を入れてから、キャゼルヌは続けた。
「ヤンが注意を勧告しているのは、IFが現実に成る事を喜ばない者がいる事だ。
ハッキリ言えば、ヤンがカイザーと和解しかけた時、ヤンを暗殺してでも残された我々とカイザーが敵対し続ける事を期待した、テロリストたちだ。
彼らにしてみれば、例えカイザーの暗殺に成功してもローエングラム王朝による新秩序建設は妨害出来ない事に成る。
したがって、カイザーの子供が出産をむかえる以前にテロを強行する危険が大きい」
「成程」
「しかし、それならばテロが起きる場所はフェザーンの筈でしょう。
ここはエル・ファシルですが」
常識論ならば、そうだろう。
「ヤンだって、そこまで突拍子も無い事ばかり考えてもいない。
ここエル・ファシルで何か起こるとしたら、陽動か撹乱(かくらん)だろう、とヤンも言って来ている。
だが油断も禁物、だとも言っている。テロリストに常識を期待は出来ないからな」
「確かに「それ」が常識ですな」
「それで?ヤン提督は具体的には何と」
防御指揮官代理に対して、要塞司令官代理の返答は以下の様である。
「今の段階で、それもフェザーンから細かい命令が出来る、と考えるほどヤンも非常識じゃ無い。
結局「用心しろ。油断するな」と言う事だな。
むしろ問題は、自治共和国の“現”政権が何処まで危機感を持つか、の方だな」
「良くも悪くも、今の自治共和国は落ち着いていますからな」
「落ち着いてくれなければ、我々は何のために生命を賭けたか、と言う事にも成るだろうさ」
Dr.ロムスキーが「8月の新政府」発足の時に宣言した通り、それから間もなく選挙が行われて「正式」の政府が選出されている。
そしてDr.は立候補せず、現状では医師の本業に戻っていた。
民主共和主義の理念からすれば、むしろ首尾一貫しているだろう。
かくて現状の自治共和国政府は、まったくの「平時」政権と化しつつあった。
無論、その「平時」を勝ち取るために「ヤン不正規隊」は戦った積もりなのだが。
……会議の結論として、日常的な警戒態勢を気をゆるめる事無くチェックとメンテナンスだけは万全に、と言う常識的な線で決着した。
幸いにして、すでに7月30日と8月末日とで2回の弾圧を受けたテロリストたちには「本命」から遠く離れた「辺境」で陽動を起こすだけの余力も残っては無かったらしい。
だが、それは「本命」に対するテロまで断念する事、あるいはテロを警戒する側が期待出来る事を意味しても無かった………。
……。
…ローエングラム王朝が建設しつつある新秩序に期待しない者たち。
彼らの暗い希望からは当然に、伯爵令嬢の体内で育ち始めた新しい生命が誕生する前の抹殺を希望していた。
……片や「その」暗い希望に対して、職務として対策を実施する者も居た。
憲兵総監ケスラー上級大将は、自分の考えを整理するためだけでも特命室長ザルツ中将と対話してみていた。
「当然、警護体勢は根幹から見直さざるを得ない」
現状ではケスラーのみならずザルツ程度でも、それ位は常識だ。
先ず確認するのは現状だ。
皇帝ラインハルトの身辺は、ケスラー指揮下の武装憲兵や帝都防衛の陸戦隊の内側で更に、親衛隊長キスリング准将の指揮する皇帝親衛隊にも護られている。
その上、軍務尚書キルヒアイス元帥は当然の様に、現状での大本営が「旧」自治領主府の迎賓館だった当時の館長官舎を使用していて、主君の身辺に眼を行き届かせていた。
こうした重複が、異なる複数からの指揮、と言う弊害(へいがい)の原因に成る可能性が無いとも思えないが、現状では皇帝の身辺を護る、という目的の合致が其の害を防いでいた。
「結局、問題なのは」ザルツにも確認出来た事である。
「これから皇帝陛下、と言うよりも皇帝ご一家に何処に御住まいに成って頂くか、と言う事でしょう」
その通りである。
これから結婚する。
それも下俗に言う「出来た結婚」である以上、現状の様に大本営の中に私室を、と言う訳にもいかないだろう。
警護する側としては、正直に現状の方が都合は好いのだが。
ここでザルツが、面白い(と言ったら不敬か不謹慎かも知れない)事を言い出した。
「姉君の御世話に成る、と言うのは可笑(おか)しいでしょうか?」
ケスラーは頭ごなしに怒鳴ったりせず、とりあえず続けさせた。
「恐れ多くも大公妃殿下が新帝都にいらっしゃりながら皇帝陛下と御同居なされていない理由は、母代わりの御方として精神的な「子離れ」をご考慮なされたから、だそうですが、弟君が御結婚なされる、それも其れこそ恐れ多い事ながら下俗に言う処の「出来た結婚」である以上、これを機会に、出産育児の何処かの段階までは姉君の元に身を御寄せに成られると言う事は、ごく普通に行われている事です。
少なくとも「皇帝である」と言う理由で、こうした場合に普通であっては成らない、と言う考え方とは遠い御方たちでしょう」
ケスラーは考えてみた。
成程“皇帝”を前提にしたら突拍子も無い事の様で、しかし考えてみれば、辻褄(つじつま)が合って無くも無さそうだ。
市井の、とまでいかなくてもローエングラム元帥府を開設した頃のローエングラム伯爵だったら、あの当時だって伯爵としては庶民的な私生活だったが、そして姉の方の伯爵夫人が「後宮」から解放された当時は弟の邸宅に身を寄せていた
あの当時の姉弟ならば、むしろ“普通”の話だ。
逆に、そう言った場合に“皇帝”を理由に普通あつかいされない事の方が、むしろ我が皇帝は御嫌いだろう。
当然ながら、憲兵総監としての目的は場所としての警護対象を限定する事だった。
この提案が受け入れられた場合、対象は2ヶ所、皇帝が執務を終えて帰宅した後では1ヶ所まで限定可能に成るのだ。
……ラインハルトはケスラーを通じての提案を受け入れた。
公人として憲兵総監の思惑を考慮(こうりょ)してみた、と言う事も当然だが、やはり私人として素直に喜びたかった。
むしろ問題は、その後にも存在した。
当事者が皇帝当人の他にも居たのである。
花嫁、花婿の姉、花嫁の父。
そしてやはり、こうした私事に類する様な問題で皇帝の権力を振り回す事の嫌いな皇帝でも在った。