蝶は羽ばたいた(銀河英雄伝説)   作:高島智明

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第66章 それぞれの思い

新帝国暦3年6月も半ばを過ぎた新帝都フェザーンの大本営。

その内部に在る部屋の1つで、帝国軍の双璧は軍務に勤(いそ)しんでいた。

 

帝国軍の最高司令官たる皇帝ラインハルトが不予と成り、軍務尚書の筈のキルヒアイス元帥は付きっ切りだ。

それでも公私混同などと誹謗中傷する様なローエングラム王朝の臣下は居ない。

結局、残る2人の元帥で留守の間の軍務を回していく事を、当の双璧は当然に受け入れていた。

実の処、1年前の「5月の戦い」の時も「今」と同様に、総旗艦ブリュンヒルトに自分の旗艦から移っていた。

今回も同じ筈だ。その積もりで居たかった。

 

幸いにして「5月の戦い」を最後に帝国軍の正規部隊を出征させる様な敵は居なくなった。

現状では最大の敵である地球教団との戦いは憲兵総監ケスラーが主役であり、宇宙艦隊レベルでの主な敵は海賊とかの類に成っている。

実の処、星間国家の治安能力が弱体化したと成れば、手っ取り早い稼(かせ)ぎを狙う不心得者は常に存在した。

それこそ、健康人でも体力が落ちれば風邪くらいは引く様なものだ。

今の状況では不謹慎な例えかも知れないが。

フェザーン回廊を結節として帝国本土と新領土を結ぶ航路は最も稼ぎ甲斐も在りそうだが、帝国軍の戦力も集中していた。

片や、現状で帝国軍が海賊その他に対する治安維持の責任を持つ宙域は「旧」同盟領=新領土と「旧」帝国領=帝国本土の全土に拡がっている。

この現状に対応した戦力の再配置は今も進行中であり、自らの不予を理由とした怠慢(たいまん)など、むしろ主君は嫌うだろう。

 

政務の方も同様である。

国務尚書マリーンドルフ伯爵は誠実でもあり、実務の視点でも無能では無いが、それでも皇帝ラインハルトの様な政策の判断と決定でも天才であり、政務にも勤勉な君主の下での「首相」の資質である事は、本人が当然の様に自覚していた。

その上、実の娘でもあるカイザーリンを精神的にも支えなければ成らず、この事も「公私の私」に限っていなかった。

こう成ってしまうと前年の爆弾テロの際、工部尚書シルヴァーベルヒと言う「創業と建設の時代での異才な実務官僚」の暗殺が失敗していた事は幸いだった。

 

この日も大本営では、国務・工部尚書と両元帥の4者での打ち合わせが予定されていて、それまでの時間に双璧は、顔を突き合わせて軍務上の書類を片付けていた。

 

こうした4者会談の席では伯爵も、もっぱら疾風の方に顔を向けてだが、愚痴(ぐち)らしきものをもらしたりした。

新王朝の初代国務尚書にして皇帝の義理の父、間もなく即位するであろう幼帝の祖父にして、実権者たる摂政の実父。

そんな立場を欲(ほっ)したり野心をいだいたりした、との少なくとも「正史」上の証拠は後世に残していない。

マリーンドルフ伯爵家は「カイザーリンと成った娘以外に実子が居ない」と言う理由だけで、そのまま彼の代で断絶している。

恐らくは断絶を覚悟むしろ予定した上で1人娘をカイザーリンに差し出していたのだ。

そんな伯爵にしてみれば、肩と心の重荷に愚痴くらいは言いたかっただろう。

もらす相手に、疾風の様な誠実なる漢を選んでいた処からしても、決して愚者でも無かったのだが。

国家体制が民主政治であろうと帝政であろうと、普通の軍隊では士官は定期的に転勤するが、下士官や兵は同じ部隊に留まる場合が多い。

宇宙艦隊の各艦でも、艦長や各部門の長などの士官は着任しては別の艦に着任していくが、下士官や兵は普通は何らかの事情、例えば艦そのものが撃沈されるか損傷してドック入りしたものの死に損なったか、負傷して入院するか、あるいは新造艦に引き抜かれるか、逆に戦死者や入院その他の退艦者を補充するかとかしない限り、同じ艦に乗り続けたまま退役を待つ場合が少なくない。

士官でも例えば機関長などは、同じエンジンの世話をし続ける場合が専門職として在り得たりした。

 

かつて旧姓ミューゼル時代のラインハルトが航海長や艦長として着任した駆逐艦や巡航艦でも、原則的には例外で無い。

そうした艦の当時からの古参兵たちは、近年「酒場の英雄」で在り続けていた。

しかし、そんな彼らも、最近は酒が苦(にが)かった。

ザルツ中将は『原作』を知っていた。その中でカイザーリンが考察していた。

オーベルシュタインの存在価値は、ラインハルト陣営の中に在って異種の思考法を持つ者が不可欠な事だと。

だが同時に、ヤン・ウェンリーの様な人物に、その役割をはたしてもらいたかったとも。

 

そのヤンは現状ではラインハルトが相談(?)したければ可能な距離に居る。

現に新帝都に帰還して以来、何度もラインハルトとヤンは会談していた。

片や、オーベルシュタインは何処かに行ってしまった。

この現状は、ラインハルトが倒れた今に成って、どんな影響をもたらすのだろう。

どうしても、その事をザルツは考えていた。

そのヤンは迷っていた。

 

皇帝ラインハルトが退院してから見舞いに行ってない訳では無い。

だが招待もされていないのに、何度も押しかける訳にも行かなかった。

皇帝と言う立場ならば、それこそ押しかける見舞いの類は具合が悪くなるほど居るだろう。

その殆(ほとんど)が門前払いの筈だった。

皇帝の臣下でも無いヤンがノコノコ出かけるのも考え物だった。

それでもラインハルトはヤンの訪問を喜んだだろうか?

 

ラインハルトが入院するまでにヤンは何度もラインハルトと会って話した。

様々(さまざま)な種類の話題に関係して言葉を交していた。

 

民主主義の理念に関係しても、かつて「旧」同盟末期の惨状を冷笑した様には断定せず、ヤンの口からは真剣に聞いた。

だが、帝国の立憲君主政化に対して言質を与えたりもしない。

「何時か、帝国が名君ならざる様に成った時のために民主主義を温存する」

と言うヤンの理念に対しては、皇帝当人よりも忠誠心の過剰な誰かが過剰反応しそうだったが、その皇帝当人が諌(いさ)めていた。

むしろ「その程度の緊張感が在ってしかるべきだろう。ルドルフは其れをおこたった」との理解を示してくれた。

それでも「後の世代の事は其の世代の責任、卿と予で其処まで面倒を見るのは過保護だ」とも結論づけていた。

 

ヤンは素直に感謝していた。

そんな皇帝ラインハルトが「敵」だったからこそ、ヤンの戦いは成功したのだから。

だが、その巨星が落ちようとしている。

歴史の目撃者に成りたかったからこそ、ヤンは戦慄していた。

皇子の誕生と、皇帝の意識回復に臣下や部下たちは歓喜したが、皇帝を診断した医師たちと、医師たちから「病名」を告知された者たちは愕然(がくぜん)としていた。

 

不治以前に未知。

この銀河時代の医学それも皇帝であれば最高水準での治療も診断も期待できる筈なのに、それでも正確な病因すら確定出来ない奇病。

当然に治療法も研究をすすめないことには…と言うシロモノだった。

この診断を聞いた時、皇帝の忠臣の誰かが医師たちに怒りを向けかけたが当の皇帝自身は

「医師にかかって必ず助かるものなら、病気で死ぬ者はおるまい」

などと他人事の様に発言したと伝えられる。

実の処、ラインハルトには其れ以上の関心事が在った。

「あとどれくらいの間、予は生きていられるのだ」

この問いに答えが得られなかった時だけ、皇帝は悪意を発したが、しかし医師たちに対しては其処(そこ)までだった。

そして妻子とともに退院する選択をしたのである。

 

確かに完治して退院する予定が立てられない以上、彼1人が入院を続けた処で、誰に対しても負担に成るばかりだろう。

こうして皇帝はヴェルゼーデ地区の仮皇宮に帰宅し、仮皇宮3階の病室で兎に角(とにかく)も家族と親友の看病を受ける日を送る事に成った………。

 

……。

 

…とある日。ふと目覚めたラインハルトが枕元の友人に話しかけた。

 

「考えてみれば、ホンの何年かしか経(た)っていない。あの頃は、お前と2人だけだった。

そしてカイザーリンが加わって……

………。

…それからも、おれたち3人の他には、あのザルツくらいしか居ない時も暫(しばら)く在ったな。

あの頃だったかな。

ザルツが生意気にも、お前とおれの仲の好さをうらやんだのか、妙な事を言い出した事が在った筈だ」

 

それは地球時代の事。とある東方の島国に居た、とある文豪のエピソードだった。

この文豪が残した遺言状は、特に民主共和主義が持てはやされた時代には持てはやされたものだった。

私人としては文豪の名を残しながら、方や公人として軍医総監までは立身しており、彼が仕えた国家は其のころ帝国を名乗っていた。

そうでありながら、公人である事を拒絶するとも読める遺言を共和主義者たちは持てはやしたのだが、むしろザルツは本文よりも前書に別な意味を読んでいた。

どうあれ、この文豪個人の人生決算は幸福と出ただろうと。

 

その前書は、こんな風に書き出していた。

「少年ノ時ヨリ老死ニ至ルマデ一切秘密無ク交際シタル友」を名指しで紹介した上で、その友人の「一筆ヲ煩ハス」と前置してから本文に続いていた。

さらには共和主義者の持てはやした本文の終わりは、文豪が口述し友人が筆記した意味の署名で結んでいた。

そして立会人の署名蘭には、被遺言者である息子の名と並んで友人総代の名目の副署名。

こんな遺言を書かせる様な友人に看取(みと)られて終わった生涯は其れだけでも、やはり決算は成り立っていただろう。

 

「キルヒアイス。あわてるな。

仮にも皇帝である以上、内乱を放置して死んだフリードリヒの様な愚かな皇帝には、おれは成らない。

皇帝としての遺言は、臣下を集めてキチンと残す。

だが、お前だけに言いたかった…有り難う…」

 

「…ラインハルト様…」

「どんな遺言を遺(のこ)した処で、おれが無責任な皇帝だ、と言う事は変わらんな」

例え病床でもラインハルトは、キルヒアイス以外にはカイザーリンにでも見せない自分を見せた。

「アレクは幼い。

エルウィン・ヨーゼフやカザリン・ケートヘンと比べても余りにも…あんな赤子に銀河を任せるまでも無い。

この帝国を繁栄させる力を持ったものが皇帝に成れば好い」

「…ラインハルト様…」

キルヒアイスはハッキリと宣言した。

「私は、ジークフリード・キルヒアイスはラインハルト様と同様、皇帝アレクサンデル・ジークフリード陛下にも忠誠を誓約いたします」

「無用だ。キルヒアイス。おれはもう、何もお前に要求する資格は無い。

アレクに対しても父親が友人だった、だけで好い。

お前の自由だ」

「好きにさせて頂きます。マイン・フロイント」

その場には、友人たち2人しか居なかった。

旧帝都オーディンでは、旧王朝の生き残りと其の残り少ない取り巻きが驚愕していた。

「あと5年…いや4年だけ…」

そんな繰言を言うランズベルク伯爵をシューマッハが諭(さと)していた。

今さら繰言を言うよりも、情緒不安定な最近では「食育」の必要性さえ出て来た幼い少年を何とか成長させる事が優先だった。

アッシニボイヤ渓谷に残して来た部下たちも其々(それぞれ)の我が家や家族の元に帰還しており「この」少年の事だけが残る責任だった。

幸いにしてペクニッツ公爵家と言う身の寄せ先がローエングラム王朝の名で保障されていた………。

 

……。

 

…それぞれの思いを綴(つづ)りながら、銀河の歴史の1つの章が、残り少ないページを進めようとしていた。

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