同盟領内に在るアスターテ星系からイゼルローン要塞を経由して帝都オーディンまでは、1ヶ月以上の時間的距離が存在する。
その時間の間にオーディンでは、論功行賞のための会議と事務が進行していた。
オーディンの中心市街には、ローエングラム伯爵家が断絶する以前からの邸宅が、当然の様に存在した。
伯爵家相続と同時に、世間体からもミューゼル時代の下宿からは引っ越して来ていたが、おそらく「リップシュタット」までの短い間ながら姉を迎えて同居していたのは、この伯爵邸では無かったか?
現状での同居人はキルヒアイス。
他にも邸宅の管理だけでも最低限の使用人は雇わざるを得ない。
これは平民階級の雇用問題でもある。
其の中に混じって、下宿時代の家主姉妹が通勤して来ていた。
伯爵邸を相続して具体的に利益と成った事は、伯爵令嬢が正々堂々と出入り出来る様に成った事だ。
今も訪問して来たヒルダを応接しているラインハルトとキルヒアイス、そして末座に控えた俺の議題は、つい先日に訪問して来た使者の件だった。
つい先日、ラインハルトがアスターテから戻るのを待っていた様に宮内省からの使者が「恐れ多い内意」を伝えに伯爵邸を訪問した。
その使者には邸宅に付いてきた骨董品を適当に渡して帰らせたが、重要だったのは「内意」の内容の方だった。
「ローエングラム上級大将を帝国元帥に任ずる。同時に宇宙艦隊副司令長官に任ずる」
元帥府の開設のみならず、宇宙艦隊18個艦隊中の9個艦隊の人事権を取得出来るのだ。
当然の様に、この場での話題は、誰と誰を艦隊司令官にするかの議論に成っていた。
先ず1個艦隊はラインハルト直属。次に1個艦隊はキルヒアイスに任せたい。
だが普通、艦隊司令は中将以上を当てるのだが、キルヒアイスは未だ正式には大佐であり、今回の論功で准将を飛び越えて少将に昇進する予定だっだ。これも帝国元帥と成るラインハルトの引きである。
「手ごろな地方叛乱でも起きてくれないかな」
ラインハルトが物騒な事を言い出した。
ラインハルトは「能力的にもキルヒアイスは自分の代理人に相応しい実力を持っている」と信頼していた。
そのキルヒアイスならば、地方貴族の叛乱程度は少将相応の兵数規模で鎮圧出来るだろう。
そして鎮圧して凱旋すれば、その功績で中将に昇進させて艦隊を与えられる。
「その機会までは、何のかんのと理由を付けて1個艦隊を空けて置こう」
キルヒアイスは恐縮し、ヒルダは「何のかんの」の理由に属する提案をいくつか提出した。
残りは7個艦隊。
2人は当然ながら、すでに中将に昇進していた双璧だ。
さらに残る5個艦隊には、現状では少将クラスに甘んじているが以前からラインハルトが目を付けていた、下級貴族や平民出身の少壮士官たちを抜擢する方針だった。
アウグスト・ザムエル・ワーレン…エルネスト・メックリンガー…カール・グスタフ・ケンプ…コルネリアス・ルッツ…フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト……
そこまでの名簿が作られた時点で、ラインハルトは何かに気付いた様にヒルダに向かい直して何かをわびた。
「フロイライン、決して私たちは貴女を忘れていた訳では無い。
それどころか貴女を元帥府に欲しい」
「私は1人の兵士を指揮した経験も御座いませんが?」
「指揮官は揃(そろ)った。しかし参謀が欲しい。
いや、軍事的な参謀ならば私自身とキルヒアイスで十分だ。
目に見える敵に対しては私たちが陣頭に立ち、武力を持って攻勢に出るだろう。
だが、その足下や背中を別の種類の敵から防御するための相談役が必要だ。
そうした意味でも貴女のセンスと知謀は、1個艦隊の武力に勝る」
「過分の評価を頂きます」
そう言って軽く礼をとった後に続けた。
「しかし其れは、武力とは別の意味で手を汚す場合も在り得る役目かと。
しょせん私は名門の箱入り娘に過ぎません。
むしろ例えば憲兵本部の中などに、能力的にも人格的にも信頼出来る協力者をつくるべきでは」
むしろラインハルトは好機嫌だった。
「貴女は私に助言してくれれば其れで好い。今も適切な助言をしてくれた」
それから真面目な態度で続ける。
「やはり非公式な相談役では無く、例え文官待遇でも貴女を元帥府に出仕させたい」
そうなると元帥府独自の人事権に加えて、ラインハルトが伯爵である事、ヒルダが伯爵令嬢である事が「この程度のワガママ」を通す役に立ちそうだった。
それが帝国の現体制だった。
目的のために手段は選択するものだ。
続いての話題は、ヒルダが助言した「協力者」に移った。
確かにラインハルトがヒルダに求めているのは、直属の相談役である。
やはり実務に当たる実行者が、別に必要だった。
その方面の実務に優秀でラインハルトが信頼出来る誰かを、いったん元帥府に所属させた上で憲兵本部に出向させる。
そうなれば、ラインハルトにも候補者の心当たりは在った。
「かつて私は、ウルリッヒ・ケスラーと約束した。
3年を待たずして約束を果たせるだけの地位を手に入れた」
「しかしラインハルト様。
3年と言うのはケスラー提督(もう大佐からは昇進しているだろう)の任期の意味ですが」
「お前が反乱を1つ潰(つぶ)した位では欲張り過ぎかな?
フロイラインの人事も在るしな。2つ3つ程度は潰す必要が在るかな」
ますます物騒な事を言い出した。
「ところでザルツ大佐」
末席で拝聴していた処へ、急に話題を振られた。
「卿は度々(たびたび)有益な情報を提供してくれた。
その実績からしても、卿もケスラーと協力して情報面で活躍して欲しいものだが」
笑顔なんだが口に獲物をくわえたライオンの笑い方にも見える。
「どうかな?ザルツ准将」
確かに、俺を准将に昇進させる程度の権限は元帥府にでもあるだろう。
「ケスラー提督とともに憲兵本部へ出向しろ、との御命令であれば粉骨砕身の努力をさせて頂きます。
しかし准将の件につきましては、ケスラー提督の下で准将相応の実績を上げた時とさせて頂きたい、と愚考いたします」
……後年の憲兵本部特命室長ハンス・ゲオルグ・ザルツ中将。当時のザルツ大佐としては、こう返答するしか無かった……
視点:後世の歴史家
数日後、ローエングラム伯爵に正式に元帥杖を授(さず)ける儀式が執り行われた。
そしてイゼルローン要塞の陥落後、ローエングラム元帥府。
現時点では、ヒルダは未だ正式には元帥府に出仕してはいない。
したがって、今日の場合もラインハルトとヒルダの私的な友人関係による訪問、と言う形式である。
それでも、お互いの地位が「ワガママ」を通させていた。
だが話題は色気の有るものなどでは断じて無かった。
「フロイライン。言う処の我が帝国軍3長官は辞任するだろうか?」
「形式的にも辞表は提出せざるを得ないでしょう。それだけの事態です」
ラインハルトにしても、その程度の質問だけをする積もりも無い。
「私としては好機だろうか?」
現状の帝国軍の序列では、3長官とラインハルトの間に存在するのは幕僚総監クラーゼン元帥1人だけだ。
「今回の閣下は、むしろ3長官が現職に留まれる様に弁護なさるべきです」
「理由は?」
「今回の事態は、閣下であっても思いがけない突発事でしょう。
そんな望まなかった機会に飛び付かなくとも、これから堂々と武勲を上げて自らの手を届かせる積もりで居られたのでは。
むしろ、現状では閣下の上位者である3長官に、ここは恩義を感じさせて置くべきでしょう」
ラインハルトは満足した。
「その通りだ。フロイラインとケスラーの人事の事も在る。その取引材料ならば、むしろ安い…どちらにせよ、今の間だけだ」
それから軽く笑って付け加えた。
「1人分、余るな」
そして、ラインハルトがヒルダと対談している間は脇に控えていたキルヒアイスとも笑い合った。
……ところがヒルダを送った後、別な来訪者が押しかけて来た。
「……覇業を成就されるには、さまざまな異なるタイプの人材が必要でしょう。AにはAに向いた話、BにはBにふさわしい任務、というものがあると思いますが」
………。
「結構、キルヒアイス提督だけを腹心と頼んで、あなたの狭い道をお征きなさい」
………。
「……光には影がしたがう……しかしお若いローエングラム伯爵にはまだご理解いただけぬか」
「オーベルシュタイン大佐。
私にはキルヒアイス以外の協力者も居る。
卿が私に売り込んで来た様な分野の事でも恐らくは好い相談相手であり、その知謀は1個艦隊に勝る」
「ほう?
それでも手駒には不足しませぬかな。貴方が手に入れようとしている物は恐らく大きい。
駒はより多くおそろえになったほうがよろしいかと存じます。たとえ汚れた駒でも……」
「誤解して欲しくは無いな。大佐。
私は私の望むものを盗みたいのではない。奪いたいのだ」
……結局の処、オーベルシュタイン大佐の売込をラインハルトは黙殺した。
しかし、このまま見捨てるのも後味が好くも無い。
「死んだ猪や囚(とら)われの身に成った間抜けの身代わりに罰を受ける程、大佐も罪深くは無いだろう。
それに猪は彼の忠告を無視した結果だったらしいしな。
幸か不幸か、3長官との取引材料は後1人分だけ残っている」
キルヒアイスとヒルダも、ラインハルトに言われて微妙な態度ながらも同意した。
視点:とある転生者
「ザルツ大佐。卿の得てくる情報は興味深いな」
結局の処、とりあえずの俺の役目は元帥府の事務局に所属して、憲兵本部に出向するケスラー少将との連絡役を兼ねる事に成った。
そのため、気心を知るために飲みに来ていたのだが。
「情報源は秘密が原則である事は、私も承知だ。だから詮索はしない。だが例えば……」
ケスラーが例えたのは「カストロプ動乱」だった。
俺はヒルダがラインハルトを訪問して来た時、機会を捕らえて警告した事が在った。
「お父上は、カストロプ公爵家の相続に関係して奔走していらっしゃるそうですが……」
ヒルダが頷(うなず)くのを確認してから続ける。
「公爵領へ御自身で赴(おもむ)かれるのは危険です。人質にされる危険が在ります。
向こう側は既(すで)に其の積もりで準備を始めている可能性が在ります。
おそらくは、キルヒアイス少将に任せる事態に成るでしょう」
だが誠実なるマリーンドルフ伯爵は愛娘の忠告には感謝しながら「これは私の役目だよ」と言い残して出立して行った。
こう成ると、と言うよりヒルダがローエングラム伯爵邸や元帥府に出入りしていた時点で、キルヒアイスの任務には「マリーンドルフ伯爵を生かして連れて帰る」と言う任務が加わる。
逆説的ながら、それだけキルヒアイスをカストロプに対して出征させる名目は立て易かった。
当然ながら、俺は戦術的にはキルヒアイスに干渉していない。
そんな余計なジャマをしない方が好い筈だった。
「実に的確な情報だった」
その晩の酒の味は、表現し難(かた)かった。
「そんなに焦(あせ)る必要は無い。
それだけ的確な情報源を秘す卿が、明らかにローエングラム元帥の利益に沿って行動している。
卿の情報は、元帥閣下のために貴重だ」