蝶は羽ばたいた(銀河英雄伝説)   作:高島智明

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第9章 新ティアマト星域会戦(その1)

戦国日本の島津軍は「釣り野伏」と名付けた戦術を多用した。

しかし、これに類似した戦術は古代から近代までの西方から東方までの様々(さまざま)な軍隊が試し、その幾(いく)つかは成功した。

 

いわゆるヤン艦隊も「うちの艦隊は逃げる演技ばかりうまくなって」と言うくらいの常套手段だったが、帝国軍それもラインハルト陣営が「釣り野伏」を使わなかった訳でも無い。

『原作』でも双璧が、ガイエスブルグ撃滅後の撤退戦で、ヤンの部下の筈だった相手に対して成功している。

 

今回「釣り」の役目を引き受けたのはキルヒアイス艦隊だった。

何と言っても、敵と同数の8個艦隊を「野伏」に当てるのが前提であり、1個艦隊で敵8個艦隊を決戦場となる星系まで誘導しなければ成らない。

そして「野伏」8個艦隊と敵8個艦隊が同時衝突した後は、今度は敵にトドメを指す予備戦力と成る。

成功すれば最大の功績が期待出来るが其れだけ難度も高く重要な任務を、ラインハルトは能力的にも最大の信頼を向ける親友に割り振り、自分は8人の敵の中で自分だけが勝利出来るであろう「奇蹟の魔術師」に立ち向かう予定だった。

 

……この星系が符丁で処理されて来た理由は、簡単と言えば簡単だ。

 

恒星だけの孤独な星系であり、直ぐ後方に在る地方貴族の私領とは言え、有人惑星を持った星系の様に命名する価値は無かった。

 

その恒星を、予想される同盟艦隊の進行方向に対して盾にする位置で、総旗艦ブリュンヒルト以下8個艦隊が待機していた………。

 

……。

 

…俺、ザルツ大佐は例によってラインハルトの玉座の後ろに立っている。

 

「キルヒアイス艦隊旗艦バルバロッサより入電!」

オペレーターからの報告が上がって来た。

9個艦隊中もっとも通信能力が高いのはブリュンヒルトそして姉妹艦のバルバロッサだ。

本来の建造コンセプトからすれば大将以上の専用艦である筈のバルバロッサに、中将に成ったばかりのキルヒアイスを乗せているのはローエングラム元帥である。

しかし現実に役立っていた。

ブリュンヒルトのスクリーンに窓が開き、バルバロッサからデータリンクされて来た情報が投影される。

同盟軍8個艦隊が次々と、この星系に接近して来つつあった。

 

だが各艦隊が縦に並んでいても、1匹の「俊敏なる蛇」の様な1つの陣形にまでは成っていない。

当然だ。そのためなら「蛇の頭」に位置しなければ成らない総司令部はイゼルローン要塞に引っ込んでいる。

そして各艦隊旗艦の艦型も識別された。敵第2陣に戦艦ヒューベリオンが確認出来た。

 

……ラインハルトの命令が下る。

 

「全艦出撃!!」

敵視点から見れば、恒星の周囲に8条の光芒が見えただろう。

だが其れは、頭上に蛇を持つ顔を刻まれた伝説の盾から8匹の蛇が放たれた様に、同盟軍8個艦隊へと同時に襲い掛かった。

 

……ラインハルトの読みは当たった。

 

敵は連携が好くない。

ズルズルと8対8では無く、8組の1対1へと落ち込んでいた。

 

俺はラインハルトの後ろに立っていながら、俺なりの軍人教育と実戦経験を動員して戦意を保とうとしていた。

「敵はアスターテの敗残者どもだ!」ラインハルトは獅子の吼え声を上げる。

その通り「アスターテ会戦」でラインハルトに撃滅された3個艦隊の生存者と残存戦力を再編成したのが「ヤン艦隊」なのだが現状、指揮しているのは「奇蹟の魔術師」だ。

ヤンに「汚染」された兵士たちは、もう士気の観点からも敗残兵などでは無い。

逆に、この旗艦がブリュンヒルトだと気付いたら「アスターテの仕返しだ!」とばかり戦意を高ぶらせかねない。

しかし、キルヒアイスも居ないラインハルトの後ろで、こんな足を引っ張る様な発言を表に出したら逆鱗に触れるだろう。

 

大体、俺ごときに分かる事に「戦争の天才」が気付かない筈が無い。

そして、この「天才少年」には凄(すさ)まじいまでの感性と「目的のために手段を選ぶ」戦略家が混在している。

ともすれば戦意過剰に成りそうな自分をコントロールしつつ、この会戦の目的のために時間を稼ごうとしていた。

自分の抜擢した艦隊司令官たちが其々(それぞれ)に手柄を立てる時間、そして「釣り」の任務を果たした後は、今度は自分が恒星の向こう側を迂回して来ながら予備戦力として待機しているキルヒアイスが敵にトドメを指して最大の手柄を立てる時間を、である。

 

だが、相手はヤンである。

時間稼ぎだけでもラインハルトですら全能力稼動を必要としていた。

ブリュンヒルトの旗艦能力の高さで、情報だけはリアルタイムで入って来ているが、部下たちに命令する余裕は、ラインハルトでも簡単には手に入らない。

目前のヤンへの対応で手一杯に成りがちだった。

 

……ブリュンヒルトのコンピューターが解析したヤン艦隊の陣型が、半月型に変わり始めた。

 

「わが艦隊の右から攻撃を集中する積もりだ。こちらも右を守れ」

ラインハルトが先手を取った。

 

すると今度は左へとシフトして行く。

「左を防御」

 

再び右へシフト。

「また右だ。遅れるな」

ケンプには悪いが、ラインハルト相手では同じ戦術でも通用しない様だ。いくらヤンであっても。

 

……そのラインハルトの後ろに立っていながら、俺ことザルツ大佐は、ヤンの姿を想像するばかりだった。

 

後の特命室長ザルツ中将ならば、この時の戦艦ヒューベリオンの「円卓」で記録された資料も入手可能だったが。

 

「流石にローエングラム伯爵は「戦争の天才」だ。付け込む隙も逃げ出す隙もない」

「逃げるのですか?」あえて常識論を提出するのが役目と心得ている。

「この場での勝敗は無意味だ。周りの味方が負けたら敵中に孤立する。

そしてローエングラム伯爵の狙いも、そこなんだ。

私が彼の目の前から逃げ出して、他の味方を助けに行かせない積もりだ。

私ごときを過剰評価してくれるのは光栄だがね」

「成程」

「こうなったら、これしかない。もっとも、敵がこれに乗ってくれればだが……」

 

……ヤン艦隊副司令官フィッシャーの艦隊フォーメーションは成程、名人芸だった。

 

半月陣から左右にシフトし続けていた陣型が、何時の間にか三日月型に変化していて、さらにU字型に再編されながら後退して行く。

「あの中に誘い込んで3方から攻撃、私が怯(ひる)んだ隙に味方を援護に行くか……」

残念ながら、相手がラインハルトだった。

 

やっぱり、ザルツ大佐ごときが手も口も出せる勝負じゃ無い。

俺は、他の敵味方の状況確認に仕事をシフトした。

 

ミッターマイヤー艦隊は疾風に相応しい速攻で、同盟第9艦隊を振り回している。

ちなみに「疾風」は「第6次イゼルローン戦」時点でラインハルトから命名済みだ。

これに対して双璧の相棒は、今のところ互角なのは敵がビュコックだからだろう。

百戦錬磨に防御を固められては流石のロイエンタールでも閉口するらしい。

だが、第9艦隊を手一杯に追い込んだ疾風が、その疾風らしい素早い転進でビュコックの死角を突付いて相棒に突破口を開かせる。

すると、老将が立ち直るまでの間だけ余裕を持ったロイエンタールが今度はミッターマイヤーを援護し、その間に再び疾風が第9艦隊を振り回す。

 

双璧でも片方だけなら、百戦錬磨は互角近くに戦える様だが、2対2に持ち込まれたら連携度が違い過ぎた。

『原作』知識を持っている俺でも、双璧相手のタッグマッチで戦えそうなペアと成ったら、ラインハルトとキルヒアイスくらいしか思い付かない。

後はビュコックの相方がヤンだった場合か。

今のビュコックも、せめて隣がウランフかボロディンでいて欲しかったろうが、星域侵入時の第1陣だったウランフはビッテンフェルトと「前世」言う処のガチバトル状態。

最後尾の第8陣だったボロディンは、味方の端でルッツと戦っている。

 

同盟側で互角に戦えているのは、この辺りまでで、残りは帝国側が押していた。

ラインハルトが期待して元帥府に招いただけの実力を示し始めていた………。

 

……。

 

…8組の1対1、と言うべき今回の基本方針からは、ラインハルトが天才でも余りに細かい命令までは事前に下し切れない。

 

そして戦闘が始まってからは、ラインハルトでさえヤンとの戦いに集中せざるを得なかった。

だが、ラインハルトが抜擢した提督たちならば、以下程度の基本方針で必要にして十分だった。

「敵を恒星の方向へ押し込め」

今や、ヤン艦隊を除いた同盟軍7個艦隊は、ジリジリと恒星の方向へ押し込まれ始めた。

そこには、トドメの一撃を期待されるキルヒアイスが待っている。

 

ラインハルトはブリュンヒルトのスクリーン正面に見えるヤン艦隊から、開いている窓の戦況図に瞬間だけ注意を向けた。

「キルヒアイスはまだ来ないか?」

 

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