才能に恵まれすぎたドMが魔法界で百合逆ハーレムを目指す話   作:ひさなぽぴー

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44.嵐前の静けさ

 さてそんな感じで、クリスマス休暇明けのホグワーツは相変わらず平和だ。

 平和ということはつまりわたしたちの生活を脅かすものは何もないと言うことで、授業も学校行事も、すべてが問題なく進められ、終わっていく。

 

 ……いやあの、本当に何もないんですよ。相変わらず、シリウスの姿は影も形も見えない。

 

 学校の姿としてはこうあるべきなんだろうけど……ここはハリポタの世界で、今は子世代の真っただ中なんですよ。イベントが目白押しのはずなんですけど?

 にもかかわらず特に何も起きないし、そんな中で唯一起きたイベントらしいイベントは、ダンブルドア先生に訪れた。なんでさ。

 

「うぅむ、まさかこの杖を所有していて良かったと、そう思う日が来るとは……露ほども思っておらなんだ」

 

 ハッフルパフVSレイブンクローのクィディッチが終わって、1月も終わりが見えてきたある日の夜。長期休暇明け二回目の、そして今年度もはや恒例になってる、ダンブルドア先生との守護霊の呪文研究の会にて。

 

 先生はそうつぶやきながら、杖を振っていた。その視線の先には、不死鳥の姿をした守護霊がディメンターを吹き飛ばす光景。

 そしてその攻撃を食らったディメンターは、ぐったりと地面に横たわったまま動かない。

 

 ……うん、お察しの通りですね。遂にダンブルドア先生は、ディメンターを文字通り撃破するとっかかりをつかんだのです。

 要するに、ダンブルドア先生強化イベント。いやほんと、なんでさ。

 

 とは言いつつ、なんでこうなったのかはわかってるんだけど。クレカの引き落とし額が大きすぎて不正利用を疑うも、内訳を見たら全部心当たりしかない。そんな心境です。

 

 順を追って説明しよう。まず、わたしが放つ守護霊ことイザナミ様がディメンターを撃破してしまえるのは、彼女が持つ神としての権能の顕れだ。少なくとも、わたしはそう解釈してる。

 そしてその力の発露を、わたしは魔眼によって捉えることができる。一見するだけですべて理解できるほど簡単なものじゃないけれど、それでも回を重ねれば解析はそれなりにすることができた。

 

 あとはその理論を再現すれば、誰でもお手軽にディメンターを撃破できる……なんてのは、言うは易しのお手本みたいな、クソ難易度の理論なわけだけど。

 

 その前提を覆すものが、この世界にはあった。それがまさに今、ダンブルドア先生が振っている杖だ。

 あの杖の名前は、ニワトコの杖。その昔、ペベレルという一家の長男が死より授けられた最強の杖であり、ファンタジーお約束の伝説のアイテムの一つだ。この世界においてそれは、「死の秘宝」って呼ばれてる。

 

 そう、ニワトコの杖は死の秘宝なんだよね。「死」そのものによって授けられた、死という概念を持つ杖なわけ。

 

 理解した? オーケー。

 それじゃ、一つ確認しよう。イザナミ様とは、どんな神様でしょう?

 

 死の女神。冥府の女神。あの世を統べる女神。

 それがあの世でわたしが謁見した、イザナミ様という神格だ。彼女はある意味で、死そのものなんだよねぇ。

 

 ……そう、イザナミ様は死なんですよ。終わりをつかさどる女神、って言い換えてもいい。

 命のない存在であっても、彼女から逃れることはできない。この世界に存在するものに永遠はなく、必ず終わりがある。

 この世は無常で満ちていて、それはこの世界そのものも例外じゃない。であればこそ、ただのディメンターごときがその「終わり」に抗えるはずもない。

 

 そんな彼女の力を借りる、わたしの守護霊は。それを構築している魔法理論には、特有の仕組みがはっきりと組み込まれている。

 おまけにわたし、この構造に見覚えがありましてね。見覚えあるっていうか、普通に使ってるっていうか。

 

 実はですね、こないだ開発が完了した透明化の魔法……ウェラーレ・アモルテにも、この理論が組み込まれてるんですよね。

 なんだろうな、例えるなら基礎になる部分が共通のシステム、みたいな?

 

 これも当然っちゃ当然。だってウェラーレ・アモルテは、ハリーが持っている真の透明マントを参考にして作った魔法。あのマントもまた、死からもたらされた死の秘宝だからね。

 これに気づいてからは、マジで早かった。透明マントからウェラーレ・アモルテを作ったときと、同じことをやればよかったから。

 

 おまけに、ダンブルドア先生自身も死の秘宝の持ち主だ。しかもそれを、約半世紀に渡って使い続けている。

 だからなのか、ダンブルドア先生は実にやすやすとこの理論を理解して、実践するに至った。彼が元々魔法使いとして規格外ってことを加味しても、明らかに早すぎる。

 

 いや、死の秘宝が才能を与えたとかそういうんじゃなくってね? それもあると思うけど、どっちかっていうとメインはディメンターに対して不快感を覚える方面の話なのよ。

 イザナミ様の似姿であるわたしが、連中に対して強い不快感が持つのは前にも言った通り。死を侮辱されたように感じるっていうか、あるべき命の終わり方を穢す不逞の輩って認識なんだよね。

 

 ニワトコの杖を長年使ってきたダンブルドア先生も、わたしほどじゃないにしてもそういう感覚があるらしい。原作でもディメンターに対して思うところありまくりな感じだったけど、その振る舞いは彼本人の思想だけじゃなくって、ここからも来てると思われる。

 

 つまり、ディメンターを滅する守護霊を生み出すために必要なのは幸福な記憶ではなく、そうした死を穢す不逞の輩に対する正しき怒りなのだ。

 ディメンターがもたらす恐怖を乗り越えて、その怒りを胸に杖を取ったものだけが、魔を断つ力を行使するためのスタートラインに立てるってわけ。

 

 ダンブルドア先生がニワトコの杖を入手する過程は色々とあって、彼にとっては複雑な感情を伴う記憶だろうけど……それでも、魔法界の闇の一つへの明確な対策を身に着けられるのであれば、それだけのことをしたかいがあった。先の先生のセリフは、そういう意味だろう。

 

 ここまでの考察は、まずもって正しいはずだ。だってわたしの隣で、守護霊ことイザナミ様もそうだそうだと言っています(言葉にはしてないけどすごく頷いてる)。やっぱイザナミ様、わたしの守護霊直接操作してるでしょ?

 

 とはいえ、この考察の根拠は話せない。それをするには、わたしが神の似姿であることから話さないといけないわけだからね……。

 

「……ハリーも習得できますかね、これ?」

「してほしいところじゃのう。今はまだ有体の守護霊は出せぬようじゃが……ふむ。だとすると、いずれはルーピン先生から授業を引き継ぐことも、あるやもしれんのう」

 

 そんなことを言うダンブルドア先生は、さて今何を考えていることやら。言葉通りのことはもちろん考えてるんだけど、それ以外にも色々と考えてそうだなぁ。

 

 実際、守護霊の呪文を強化するのは悪い話じゃない。原作だと、お辞儀はディメンターを配下にするからね。もちろんそこには打算しかないわけだけど、結果は一緒だから事情はどうでもいい。

 だからこそ、ディメンターを文字通り終わらせられるこの呪文を使えることは、力になる。わたしも、ハリーはこれを身に着けておいたほうがいいって思うし。

 

「協力できることがあれば、いつでも仰ってください」

「うむ……君の献身にはまったく頭が下がる思いじゃよ。ありがとう」

 

 ダンブルドア先生はそう言うと、にこりと微笑んだ。彼のその横顔をちらりと一瞬見てから、わたしは前方に視線を戻す。

 

 そこには、夜空を切り裂いて羽ばたく不死鳥の守護霊が。そこに並んで、いつの間にか飛び出したイザナミ様がディメンターの周りを高速で動き回りつつ、無数の殴打と蹴撃を繰り返している。

 どちらも同じ、半透明の銀色の姿は両者が守護霊であることを示してる。だけどその身体には、死の気配が満ちていた。

 

 最後の拳が突進と共に叩き込まれ、また一体ディメンターが倒れる。その様子を大した感慨もなく見下ろすわたしは、そんなことよりも別のことに意識が向いていた。

 

 旋牙連山拳(格ゲーじゃない)……だと……!?

 

 いや違う、そうじゃない。それも思ってたけど、そこではなくて。

 はい、テイクツー入ります。

 

 ……そんなことよりも、別のことに意識が向いていた。

 

 この魔法を、普通に生きてる存在にぶつけたら果たしてどうなるんだろう……と。

 

 もちろん、この効果がディメンター相手だからこそ発揮できてる面はあるんだけど。たぶん感情というか、意識をうまく向けてピントを合わせられれば、疑似的なアバダとして使えそうな気がするんだよな……。

 ダンブルドア先生がこのことに気づいてないとは思えないけど、彼は何も言わない。それなら、わたしも下手に触れないほうがいいんだろうな。

 

 そういう意味でも、試すつもりはない。触らぬ神に何とやらだ。今回はマジで文字通りの神の御業だしね。

 

 何度も至った結論に今夜も至ったわたしに、イザナミ様が振り向く。一瞬だけ、それでいいと言わんばかりに不穏にきらめいた目と視線がかち合う。

 

 ……こわぁ。やっぱわたしのこと見てるよイザナミ様。

 同じ顔の身体でえっちなことしまくってても許してくれる寛容な神様だけど、権能を侵すことはマジに地雷なんだろうな。たぶん、だからディメンターにもブチギレてる。

 

 うん、下手なことはしないのが一番ですね! これからもえっちなことはしますけど、それ以上のことはしませんから! 本当ですから!

 

***

 

 年が明けてからのマグル学は、主にマグルの芸術文化が扱われている。中でも映像文化は、テレビや映画といったものを持つマグル界特有のもので、年が明けてからはそれが中心だ。

 

 もちろんいきなり小難しいものを持ち込まれたって、10代の若者にウケるわけがない。みんなも学生の頃、大して興味もないものを見せられて白けたことあるんじゃない? これは誰だって持ちうる感覚だと思う。

 

 ということでクィレル先生がマグル学に持ち込んだのは、なんとトムとジェリーだった。イギリスのものではないけど、英語圏で製作されたアニメーションだ。比較的理解されやすいって踏んだんだろう。

 マグル生まれの子なら知ってる子もいるだろうし、そうでなくてもジャンルはコメディで物語も明快だ。それに、猫もネズミも魔法界にいるからね。

 

 で、これが魔法族の子供たちにウケた。めっちゃウケた。

 

 元々、クィディッチで棍棒を振り回し、子供同士のいたずらで物騒な魔法が飛び交う魔法族だ。あの手この手で盛大に天敵をやり込めるジェリーのえげつないやり口が、そりゃもうウケましてね。やっぱりなって感じですね。

 だからなのか最近、ホグワーツのあちこちでトムの声マネ(主にア゛ア゛ァ゛ァ゛ーーッッて悲鳴)が聞けるんだよ。

 

 まあこの流行り方は、生徒に意地悪をする管理人フィルチのペットが猫、ってことも助長してる気がする。

 彼にしてみれば因果関係が逆だろうけど。彼の猫、ミセス・ノリスの密告によって罰則を食らう羽目になった生徒は、一定数いるからね。

 

 結果として今、ホグワーツではにわかにネズミ人気が出てる。最初からペットとしてネズミを持ち込んでるロンは、突然始まったネズミブームに困惑してた。ニコ殿下やアストリアですら、じーっとスキャバーズを見てるんだからまあなかなかのムーブメントですよ。

 

 そのスキャバーズもこのブームに困惑してるのは、ちょっと面白い光景ではある。ジェリーみたいなことを期待されてもな……って雰囲気を醸し出した立ち姿が、彼の正体を知ってると実にそれっぽく見える。

 ただ、それでも周囲からの無茶ぶりに応えるように愛想を振りまいてかわいいポーズ取ったりしてるのは、その、身体張ってんなって感想が浮かぶ。

 

 なんていうか、人間と同等の知能があることを隠さなくなったよね最近のスキャバーズ。何か心境の変化でもあったんだろうか。

 

 なおロンは困惑しつつも、自分のペットがちやほやされるのは悪い気分じゃなさそう。なんで最初からそうしなかったんだって疑問を抱いてない辺り、ロンだなって感じもするけど。

 

 どっちにしても、真実が明らかになる日が原作より怖いですね。ロンにはどうにかして耐えきってほしい。

 

 話を戻そう。

 

 トムとジェリーはもちろんアニメで、これを見るにはモニターとビデオデッキ一式が必要だ(ビデオデッキがわからない世代の子はググろうね!)。

 だけど城内に施された魔法の影響で、ホグワーツでは電子機器が使えない。持ち込むだけで故障する。

 だからこの上映会は、わざわざホグズミードまで出張って行われている。空き家を借りて、そこでやってるんだよね。

 

 トムジェリは確かにウケてるけど、マグルのアニメをバカにする生徒もいる。これはやっぱりスリザリン所属だったり、純血の生徒にその傾向がある。

 だけどそんな生徒でも、平日に堂々とホグズミードに行ける今の授業はわりと好意的に見てる。クィレル先生も、生徒がちょっとくらい羽目を外しても大目に見てるしね。

 

「こ、こういうごら、娯楽作品はね、み、みんなで、おか、お菓子でもつつまみながらみ、見る、くらいがちょうどい、いいと、思うんです」

 

 ハーミーをはじめとした真面目な生徒からの指摘に、クィレル先生はそう言って笑っていた。ワイトもそう思います。

 

 まあそのままバックレようとした場合、クィレル先生の手によって即刻バレて連れ戻される羽目になるし、減点も食らうことになるんですけどね。

 今の三年生以上は普段の、そして以前のクィレル先生をそれなり以上に知ってるから、簡単に出し抜けると思ったんだろうけど、甘い。糖蜜パイよりうんと甘い。

 

 クィレル先生はうまく詠唱できないだけで、別に魔法は下手じゃない。むしろ吃音という性質上、普段から無言呪文を強いられてる彼の腕前はホグワーツ教授陣でも上のほうに来る。

 

「み、見つけましたよ。……はい、お、おかえりなさい。さ、さあ、授業に戻りましょう」

 

 だからこうやって、普段と変わらない吃音で穏やかに言いながらも無言で杖を振るい、バックレた生徒を遠隔で捕まえて連れ戻すなんて芸当も、できるわけです。

 これにはクィレル先生をナメてた生徒たちもびっくり。その後ろで、わたしは腕を組んで後方理解者面をしてた。

 

 そんなこんなもあって、授業にかこつけて娯楽作品が見れるし、ホグズミードにも行ける。おまけにマグル学以外のことも、聞けば大抵のことはきちんと教えてくれる上に、わからないことでもあとでちゃんと調べて答えを見つけてくれるクィレル先生のマグル学は、大いに評判を上げた。

 なんなら、マグル学を取らなかった生徒たちから嫉妬されるくらいには人気の授業になった。

 

 もちろんただ見るだけじゃなくって、映像の中から読み解けるマグルの生活習慣であるとか、道具であるとかの解説もあるんだけど。そこはまあ、大多数の魔法族にとってはオマケだろう。

 でもこういうところから興味を持ってくれたなら元マグルとしては嬉しいし、クィレル先生が再評価されてるのも素直に嬉しいものです。

 

 いやあ……原案を出した身としては、なかなかに喜ばしい事態ですな。

 うんそう、わざわざホグズミードで娯楽作品を上映するって授業を提案したのはわたしだ。まずはマグル学って授業に一定以上の関心を持ってもらわないと、マグル軽視の風潮は変わらないだろうってことでね。

 

 ただ、上映するものをトムジェリに決めたのはクィレル先生だ。クリスマス休暇中、色々と調べてこれだってなったらしい。いいセンスだ。

 

「さ、最近、まマグル界のしつ、質問が増えたんです。い、いい傾向、だと思うんです。ら、来年度はもう、少しじゅ、受講者が増えると、嬉しいですね」

 

 クィレル先生はそう言うと、少し照れたように微笑んだ。

 

 これに対して、わたしとハーミーがうんうんと大きく頷いたのは言うまでもない。

 




ここに来てまさかのダンブルドア強化。「死」の秘宝なんてものがあるところに、死の女神の似姿が来るんだから、そりゃあ関係してくるよねって。

あとトムジェリに関しては、存在知ったらお辞儀がバチクソキレ散らかすと思う。
マグルの娯楽作品ってことでもダメだろうけど、やられ役の名前が自分と同じ猫ってことで、そりゃもうド派手に暴れてくれるんじゃないだろうか。
ざまぁ。

それから最後に

>何か心境の変化でもあったんだろうか。
本日最大のツッコミポイント。
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