摩耶、制服に着替える
◇◆ 摩耶、鎮守府の門をくぐる ◆◇
朝の風が、頬に優しく触れる。
鎮守府の正門前――
大きく開かれた鉄の門は、クラシカルな意匠に包まれている。
重厚な黒の鉄枠、古びた真鍮のエンブレム。
そして、奥に見えるレトロな近代建築の本部。
全てが古びて見えるが、その内側に張り巡らされているのは――妖精さんの謎技術によって、高度に情報化された最新鋭の設備。
妖精さんたちが開発・設計・運営・管理をおこなう、艦娘たちの根拠地。
摩耶が帰る場所であり、戦いに向かう場所でもある。
「……よし」
少しだけ息を吸って、摩耶は正門前に足を止める。
左手の小指に嵌められた、小さな蒼い宝石の光る銀のピンキーリング。
――正式名称「七六式指環型通信機C型改四」。
通称《指環》。
摩耶はその宝石に、指先で軽く触れる。
シュン――。
目の前の空間に立体ホログラムの認証UIが浮かび上がり、プラカードを掲げる妖精さんが片隅に小さく浮かび上がる。
「確認します♪」
ホログラムに表示されているのは、摩耶の識別コード、艤装適合ID、所属部隊、艤装メンテナンス予定、当日の行動予定……
まるで魔法みたいな風景。
けれど摩耶にとっては、当たり前の、出勤のルーティン。
ピッ。
指環が淡く光り、認証完了のプラカードを掲げる妖精さんがホログラムに浮かぶ。
妖精さんは、プラカードをパタリとひっくり返す。
「いってらっしゃい♪」
妖精さんに、摩耶は小さく頷いて門をくぐる。
◇◆ 摩耶、準備を始める ◆◇
鎮守府の廊下を抜けると、重巡専用のロッカールームに向かう。
旧帝国海軍を思わせるレトロな内装とは裏腹に、ドアは非接触型の生体認証。
摩耶の《指環》を確認し、重厚なドアが静かに開く。
中は、まるでMLBのロッカールームのように広々としていて、各艦娘に専用のネーム入りブースが割り当てられている。
妖精さんが管理してくれている清潔な空間。
木目のロッカー上部には、「摩耶」のネームプレート。小さな妖精さんのぬいぐるみがお守りのように引っ掛けられている。
摩耶は一度、鏡の前に立つ。
(……ふぅ)
白いブラウスとネイビーのパンツ、そしてナチュラルなメイク――
出勤用の私服姿の自分を、最後に鏡に映す。
(アタシ、これから……“重巡 摩耶”になる)
表情がほんの少しだけ引き締まる。
◇◆ 摩耶、私服を脱ぐ ◆◇
制服がハンガーにかかっている。
整備済みの艦娘用制服。妖精繊維による伸縮と保温調整、そして耐熱・耐衝撃性を備えた、謎素材。
その横には、制服専用のインナーや、陸上勤務用のシューズ、グローブもきちんと並んでいる。
摩耶はまず、ショルダーバッグを備え付けのフックに掛ける。
その中から私用スマホを取り出して、ロッカーのシェルフに置く。
鎮守府内では、私用スマホは妖精さんネットワークに自動接続される仕組みになっている。
セキュリティーは完璧で、外部との通信についても、エリア毎に自動的に管理されている。
(さて……着替えるか)
まずはアイボリーのブラウスを丁寧に脱ぎ、ハンガーにかける。
次にネイビーのスリムパンツを下ろし、こちらも丁寧にハンガーに。
ストッキングをくるくると脚元から滑らせ、畳んで仕舞う。
ブラ、そしてパンツ。
摩耶の身体が、完全に素の姿になる。
(……ふう)
身につけているのは、右手の小指に嵌められたピンキーリング《指環》。
そして……提督との絆である左薬指のリングと提督にもらったネックレス。妖精さんと明石に強化してもらったネックレスには、宝飾された提督の頭文字“R”が小さく揺れている。
(アタシは、艦娘だけど……)
(アイツにとっての“嫁”でもあるんだ)
鏡に映る自分の全裸姿を確認。
(……見慣れてるけど……改めて見ると……鍛えてるわりに女っぽいって言われるのも、まぁ、分かる気がする……)
ロッカールーム内では、全ての艦娘が全裸になるが、そんなことは誰も気にしない。
ここからが艦娘モードの本番。
◇◆ 摩耶、制服に着替える ◆◇
制服用のセパレートインナーを手に取る。まずはインナーショーツ。
裏返し、後内側の上部に貼り付けられている薄く柔らかいシートに視線を落とす。
(リンク部……異常なし)
摩耶はショーツに足を通し、引き上げる。
そして、手を後ろに回し、リンク部の位置をしっかりと調整する。
ピッ
《指環》から、確認音、そして、どこからともなく現れた妖精さんが、プラカードを掲げる。
《生体リンク 確立しました◎》
尾骶骨から腰までの背骨のラインが――淡く、静かに光る。
まるで、摩耶が“艦娘”として起動したかのように。
(……よし)
次はインナーブラ。
ブラの内側にはバイタルをモニターする薄く柔らかいシート.
着け心地の違和感はゼロ。
胸に合わせ、左右のカップを軽く調整しながら装着。
自然と「寄せて上げて」しまっている自分に、摩耶は内心こっそりツッコミを入れる。
(無意識かよ、アタシ……でも、胸元OKだぜ……)
黒のチョーカー。
外見はシンプルな装飾品だが、
内側にはインナーブラと連携する柔らかな生体センサーが組み込まれている。
心拍や血中酸素など、より正確なバイタルをリアルタイムで妖精さんネットワークに送る、専用の“ネックユニット”。
首元に回し、後ろでカチッと留める。
肌に触れた瞬間、微かな振動と共にセンサーが起動する。
(これで……バイタルもフルモニター)
鏡に映るチョーカー姿の自分を、そっと見つめる。
(……うん)
その表情に、静かに芯が通っていく。
続いて、ハイソックス。
つま先からぐいっと引き上げ、ふくらはぎにぴたりと馴染ませる。
左右の高さをしっかり揃えて――
(OK)
次に、制服スカート。
プリーツ入りで、戦闘行動でも動きやすい、妖精繊維の軽量素材。
両足を通し、腰まで引き上げ―― 背中に手を回して、後ろ側のファスナーをスッと上げる。 そのまま、ウエスト部分のホックをカチッと留めて、固定完了。
摩耶は軽く腰をひねって、スカートの収まりを確認する。
(うん……動きやすさ、問題なし)
そして、制服の上着。
ノースリーブのセーラー服型。胸元は深くカットされていて、胸布はない。胸元には前合わせのボタンがふたつ。
下側はへそ上で自然に広がるデザイン。可動域も十分。
摩耶は腕を通し、肩を軽く回してフィット感を確かめる。
ボタンを一つ、二つと留めたあと、手を背中に回してセーラーカラーを軽く引き下ろす。
ぴん、と背筋が伸びた。
(……さて、問題はここから……)
摩耶は、スカーフを手に取る。
(……あたし、これ苦手なんだよなぁ……)
スカーフの装着。
左右の長さを揃えたり、襟元のバランスを取ったりするのが、実はいつも上手くいかない。
(鳥海は、一発で綺麗にキメてくるんだよなぁ……)
ひとつ、深呼吸。
(……ま、なんとかなる)
指先で丁寧にスカーフを整えながら、重厚な艦首の意匠を模した小ぶりなスカーフ止めに通し、リボンをキュッと整える――
(……よし! たぶん、OK!)
最後に、ロッカーの棚から陸上勤務専用のシューズを取り出し、足を入れる。
サイズはぴったり。立ち上がった瞬間、自然と背筋が伸びる。
そして――帽子。
艦娘としての最終装備。
鏡を見ながら、前髪とのバランスをとるように、そっと頭に乗せる。
カチッ。
完璧な位置と角度で帽子が決まったとき――
鏡に映っていた「私服の新妻 摩耶」は、もうどこにもいない。
そこにいるのは――
重巡洋艦 摩耶。
(……行くか……)
摩耶はグローブとスマホを手に髪に軽く手ぐしを通しながら、扉へと向かう。