◇◆ 許された摩耶 ◆◇
しばしの静寂。
鳥海は、コーヒーカップをくるりと回しながら、ぽつりとつぶやいた。
「昨日のこと、正直に話してくれたみたいだから……許してあげる」
摩耶は、まるで氷が溶けたように、ふにゃりと肩の力を抜いた。
「……マジで? ほんとに?」
「ええ」
次の瞬間、摩耶はテーブルに顔を伏せる勢いで突っ伏す。
「ちょー感謝ってか……アタシ、別に悪いことしてなかった……よね?」
「最初から正直に話せば、すぐに済んだのに」
「ぐぅ……」
声にならない呻きとともに、顔の半分をテーブルに押しつける摩耶。耳まで真っ赤。
◇◆ 静かなひととき ◆◇
摩耶は冷えかけた焼き魚定食の残りを黙々と口に運び、鳥海はパスタの最後の一口を品よく片付けた。
テーブルには、あたたかなお茶の湯呑みと、香ばしい香りを漂わせるコーヒーカップ。
外は穏やかな晴天。昼下がりの光が、窓越しにやさしく差し込んでいる。
摩耶はお茶をすすりながら、すっかり安心して椅子に背を預けた。
(鳥海の尋問、切り抜けた……)
ふと、背後から小さな可愛らしい声が届く。
「……カツカレー、辛口だったらどうしようって心配してたけど……足柄さん、甘口にしてくれておいしかったですー!」
「わかりますー! 足柄さん、盛りつけも綺麗で、にんじんの星形カットまで入ってて……!」
摩耶がそっと後ろを振り返ると、そこにはふーふとみと。小さなテーブルには、ピカピカに完食されたカレー皿。口の端にルーをつけたままの、幸せそうなみとがにっこり。
そして、ふたりそろって――
「「ごちそうさまでしたっ!」」
(……可愛いじゃん……)
思わず、頬がほころぶ摩耶。
◇◆ 鳥海、最後の矢を放つ ◆◇
――その直後だった。
「そういえば……摩耶、今朝寝坊?」
ピシィッ!
空気が一瞬にして凍りつく。
摩耶の手が止まり、湯呑みを握る指がピクリと震える。
(……な、なんだと……?)
「……え、えっと、な、なんの話……?」
やたら甲高い声。目線は宙を泳ぎ、耳まで赤い。
鳥海はにこやかに、コーヒーをひとくち。
「今朝の演習、中止だったでしょう?」
「う、うん。中止だったな、うん。だからさ、今日はゆっくりでさ?」
「そう。私も演習予定だったの。先方の都合でキャンセルになったって、昨日の夜、《指環》に連絡があったでしょ」
「うっ……」
摩耶の視線が右手の小指に落ちる。装着された銀のピンキーリング――《七六式指環型通信機C型改四》、通称《指環》。
鳥海が淡々と続ける。
「摩耶の《指環》にも、来てたよね?」
(やっっっばい……)
心臓がバクバクと跳ねる。
「で、その連絡……摩耶が確認したの、今朝のマルキュウマルマル過ぎだったでしょ?」
「っ……!」
摩耶の脳裏に、通知確認のログがフラッシュバック。
演習参加艦娘の既読タイミングは、一覧で同期表示される――
妖精さんが開発した脅威の「情報共有システム」。
摩耶は、震える手で湯呑みを置いた。
視線はテーブル、声はかすれ気味。
「……寝坊……した……かも?」
「やっぱりね」
鳥海のコーヒーカップの縁に、ほんの少しだけ笑みが浮かんだ。
その余裕に満ちた微笑みは、どこか慈しむようで――やっぱり怖い。
摩耶は再びテーブルに突っ伏す。
「……ちょっとぉぉぉ……許してくれたと思ったのにぃぃぃ……」
(このあと、アタシ、どうなっちゃうんだよぉぉ……!)
◇◆ 鳥海、最後の最後まで ◆◇
テーブルに突っ伏した摩耶は、もはや溶けかけている状態。
「……もう……ほんとにダメかも……」
鳥海は、涼しい顔でコーヒーをひとくち。
「寝坊してるって、最初から分かってたわよ……」
「っ……えっ?」
「演習リストに“未確認”って表示されてたから」
「だから訊いたの」
「…………」
摩耶、撃沈。
(……つまり最初から見抜かれてたってことかよ……
完全に……手のひらコロコロじゃん、アタシ……)
鳥海は、最後のコーヒーを飲み干し、ふぅと小さく息を吐いた。
「ほんと、手がかかるんだから」
その口調は、呆れたようでいて、どこか優しさがにじんでいる。
摩耶は、ちらりと鳥海を見上げた。
(くっそ……美人で、頭よくて、しっかりしてて……なのにアタシのこと大好きみたいで……)
鳥海は、トレイをまとめながら、ふと微笑んだ。
「……ま、今日の寝坊については……」
「……っ!?」
「今度の一緒のお休みに、イタリアン連れてってくれたら――」
「許してあげる」
「っ……!」
摩耶は、びっくりして顔を上げた。
その目に映るのは、いたずらっぽく笑う鳥海。
(な、なんだよその笑顔……ずるいだろ……)
「……わ、わかったよっ。イタリアンでもイタメシでもピザでも、なんでも行くよっ!」
「楽しみにしてる」
すっと背を向けて歩き出す鳥海。
その背中に向かって、摩耶は思わず呟いた。
「……ほんと敵わない……鳥海には」
そして、ふと――胸の奥で小さくつぶやいた。
(寝坊した理由も……見抜かれてるのかな……)
頬がまた、ほんのりと赤く染まっていく。
穏やかな昼下がり。