鍵をなくした男
◇◆ 鍵が見つからない ◆◇
日が暮れてから少し経った夕食時。
摩耶は、自宅のドアの前でピンポンを押す。
――少しの間。
やがて、扉の奥から聞こえる足音。
開いたドアの向こうには、いつもよりちょっと焦った様子の提督。
「ごめん、待たせちゃった?」
「うんう、……なんか、あった?」
摩耶が首を傾げると、提督は少しバツが悪そうに頭をかいた。
「ゴミ袋持って玄関出たらさ……鍵が見つかんなくて……」
「鍵? でも提督、中にいたじゃん。散歩から帰ってきたとき、鍵開けたんだろ」
「うん、鍵は……開けた」
「じゃあ……部屋に入ってから、一回も外出てない?」
「出てない……」
「んで、ゴミ捨てに出ようとして――鍵がなくて焦ったわけか」
「……うん」
摩耶は、ひとつだけ深く息を吸った。
「ったく……大騒ぎしやがって。部屋の中にあるに決まってんだろ」
その言い方はぶっきらぼうだったけれど、その声には、優しさがにじんでいる。
「後で一緒に探してやるからさ、ねっ、もう一緒にご飯食べよっ」
そして、摩耶は提督に一歩近づいて、いつもの“ただいま”のキス。
◇◆ 晩ごはん ◆◇
リビングに入ると、テーブルの上には温かい夕飯が並んでいる。
鶏と根菜の煮物、湯気の立つ味噌汁、香ばしい焼き魚。
提督の得意な“ちゃんとした和定食”。
リビングには、開きかけの引き出しや出しっぱなしの小物類――
鍵を探して部屋中を探し回った“形跡”が、静かに残っている。
摩耶は、ショルダーバッグをソファーにおく。そして、愛用の白いネックポーチは、キッチンカウンター脇のフックへ。
今日の夕食は、並んで座る配膳だったので、何も言わずに提督のとなりに座る。
提督が摩耶の近くに座ってご飯を食べたいときに、無意識にする配膳。
「……いただきます」
二人の声は、相も変わらずピタリと合う。
ゆっくりと箸を取る。
提督は伏し目がちにとなりに座ったけれど、その目は何度もチラチラとリビングを確認している。
「……気にしてんのかよ……」
「明日の朝、対空番長の摩耶様が一緒に探してやるからさ。」
「今日はもう心配すんなって。食えって」
「うん……」
提督は、ほんの少しだけ目を細めて笑った。
摩耶はその横顔を見つめながら、胸の奥が温かくなる。
昔とは違う今の提督。
けれど、摩耶にとって、これまでも、今も、そしてこれからも、一番大切なひと。
◇◆ ネックポーチ ◆◇
夕飯のあと、提督はふと思い出したように寝室へ向かう。
そして、しばらくして戻ってくると――
手にぶら下げた白いネックポーチが、小さく揺れている。
満面の笑み。
「……あった!」
嬉しそうにそう言って、ポーチのファスナーを開ける。
中には、摩耶とお揃いのキーホルダーにつけられた家の鍵。
「いつも首から下げてるソイツの中に、最初からあったんじゃん……」
「うん……多分、最初から入ってた……」
穏やかな笑みを浮かべながら、肩をすくめる摩耶。
「そんなの良くあることだから、気にすんなって」
「でもさ……」
提督は、白いネックポーチを手にとって、ゆっくりと眺める。
「これ、摩耶のプレゼントだから……キャッシュレスのカードとか、IDとか、スーパーのポイントカードとか、大事なの入れとけって……」
「忘れっぽい提督が困らねぇように、ってな……家の鍵も入れてたんだ……」
ネックポーチを眺める提督。
「うん……そう。あと……」
提督は少し照れくさそうに笑った。
「これ、摩耶とお揃いだし……出かけるとき、首から下げてると、なんか一緒にいるみたいで……」
摩耶は、台所のカウンター脇を見る。
そこには、フックにぶら下がっている、摩耶の白いネックポーチ。
「……当たり前だろ。アタシ、お前の嫁だぜ?」
提督は、照れたように笑って、ポーチを握りしめた。
◇◆ 静かな備え ◆◇
提督のポーチには、摩耶が作ったカードが入っている。
ラミネート加工されたそのカードには、
摩耶の名前、摩耶のスマホ番号、提督の名前、そして自宅の住所が書かれている。
見やすい大きめの、丁寧に書かれた摩耶の手書き文字。
それは摩耶が提督に持たせている、“もしものため”のカード。
いつか、どこかで、提督が一人迷ったとき。
誰かが、摩耶に連絡をくれるように。
「そんなの入れとかなくても大丈夫だよ」って苦笑いしながら提督は言っていたけれど、でも摩耶は――
「それ入れてたら、落としたときに戻ってくるかもじゃん……それに……」
「アタシが安心なの!」
二人の“時間の流れ”の差は、確実に広がってきている。
摩耶は、そのことを受け止めている。
だからこそ、昔と変わらぬ口調で呟く。
「ったく、慌てんなっての……」
そして、今日も――
ふたりの時間は、静かに流れていく。