◇◆ 摩耶を呼ぶ声 ◆◇
遠くから、誰かの声が聞こえる――。
「……や……ぁ」
「摩……」
(……誰かが……アタシを呼んでる……?)
意識はまだ深い霧の中。
音も光も、すべてが遠くて曖昧だった。
でも、その声がどこかへ行ってしまいそうで。
摩耶は無意識に、まぶたを持ち上げようとする。
――ゆっくりと、まぶたが開く。
明るい光が、視界を包み込んむ。
天井の照明。見慣れた、鎮守府の医務室の天井。
(……アタシ……)
身体は重くて動かない。
けれど、ベッドに寝かされていることだけははっきりと感じる。
息を整え、かすかに指を動かす。
わずかな動作でも、鈍い痛みが全身を走る。
だが――意識は、確かに戻ってきていた。
その瞬間、胸を打つような記憶が――
「――っ!」
(そうだ、アタシは……!)
(海防艦たちと出撃して……敵の艦爆が急降下してきて……爆弾が――)
そこまでの記憶は、鮮明にある。
だが、その先が霞の向こうに消えていた。
(その後……何が起きたんだっけ……?)
(どうやって……ここに……)
(それより……日振たちは――)
摩耶は、重たいまぶたをもう一度開き、視線をゆっくりと横に向ける。
◇◆ 明石の声 ◆◇
すぐ隣で、明石が点滴の交換をしている。
横髪をお下げ風に結んだいつもの明石が、白衣の袖をまくって作業している。
ふと見れば、口元が動いている。
かすかに鼻歌のようなものが混じっている気もする。
普段と変わらぬ調子――けれど、その表情には、どこか心配の色が浮かんでいる。
摩耶は、喉の奥を震わせ、乾いた声をしぼり出す。
「……なぁ……明石……」
その声に、明石は驚いたように手を止め、ぱっと摩耶の方を振り返った。
「……あ、摩耶さん! 目、覚めたんですね!」
表情がぱっと明るくなる。
すぐに瞳の奥に、ほんのわずかな涙のきらめきが浮かぶ。
「いやぁ、もう……本当に心配したんですよ。意識戻らないし、バイタルも不安定だし……」
「……日振型のチビどもは……無事に帰ったのか……?」
摩耶は、ゆっくりと、言葉を選ぶようにして聞いた。
声は掠れていて、まだ完全ではない。
だが、その一言には、心からの祈りが込められている。
明石は微笑んで、小さくうなずく。
「……ええ。全員、無傷で帰港しましたよ。日振も、大東も、昭南も」
「――っ……!」
摩耶の胸に、熱いものが込み上がってくる。
ぐっと奥歯を噛みしめる。
胸の奥に張りつめていた糸が、音もなくふっと解けていく。
「……そっか……それなら……よかった……」
その言葉とともに、全身の力が抜けた。
まぶたが、静かに降りていく。
◇◆ 摩耶、再び目覚める ◆◇
時間が、どれくらい流れたのかは分からない。
まどろみの中で、摩耶はゆっくりと意識を取り戻す。
(……静かだな……)
(明石と話したの……夢じゃなかったよな……)
(日振たちが無事だったって……)
(……それで、安心して……)
「……摩耶……」
小さな声が、そっと名を呼ぶ。
再び、まぶたがゆっくりと開いた。
◇◆ 姉たちの顔 ◆◇
視界に映ったのは――
高雄、愛宕、鳥海。
三人がベッドの周囲に寄り添うように座って、摩耶を見つめている。
まるで、祈るように。
そして、やっとその願いが届いたかのように。
「……っ……摩耶……目が覚めたのね……?」
最初に声を上げたのは鳥海。
落ち着いた表情のまま、瞳の端には小さな雫。
「よかった……ほんとうに……」
高雄は胸に手を当て、深く息をついた。
その声には、微かに震えがあった。
「もう……心配かけすぎなんだから……」
愛宕は微笑みながらも、目には涙があふれそうになっている。
(……みんな……)
(……こんなに……心配してくれてたんだ……)
摩耶は、かすかに眉をひそめ、ぽつりとつぶやいた。
「……なんで……そんな顔してんだよ……」
かすれた声。
愛宕は、くすっと笑った。
「だってぇ……摩耶が運ばれてきた時、もう……」
そこで言葉が詰まる。
高雄がそっとその背に手を置いた。
「直撃されて……ずっと意識が戻らなかったのよ。もう、一週間以上……」
「……まじ……?」
思わず呟く摩耶。
自分が眠っていた時間の長さに、実感が追いつかない。
「本当に……心配で……でも、今こうして……」
高雄はそっと摩耶の手を取る。
そのぬくもりが、指先にじんわりと沁み込む。
「……バカね、摩耶。心配かけすぎよ」
鳥海の声も、優しく震えていた。
摩耶は、その言葉に、うまく返せない。
ただ、胸の奥に、ぎゅっと何かが詰まるような感覚。
(……ごめん……)
言葉にはならなかったけれど。
その思いだけは、確かに心の奥で響いていた。
「アタシは……日振たち、無事だったんだろ……それで……」
そう言って、少しだけ笑ってみせる摩耶。
それは、まだかすかな笑みだったけれど――確かに、摩耶らしい。
愛宕が、ふふっと笑い返す。
「……本当に、摩耶らしいわぁ」
高雄は、静かに摩耶の髪を撫でながら、微笑む。
「よく頑張ったわね、摩耶。おかえりなさい」
「……おかえり」
鳥海の声が、小さく、やさしく響いた。
「……おかえり、摩耶」
愛宕も、涙を拭いながら微笑んで言う。
摩耶の胸の奥が、じんわりと熱くなる。
(アタシは……)
(……帰ってきたんだ……)