◇◆ 静かな朝、静かな来訪 ◆◇
朝の光が、鎮守府の医務室に静かに差し込んでいる。
白いシーツの上にゆらゆらと揺れる、カーテン越しに透ける柔らかな陽光。
摩耶は、うっすらと目を開ける。
ベッドに寝たまま、呼吸は落ち着いている。
意識はまだ完全ではないが、少しずつ日常の輪郭を取り戻しつつある。
(……朝か……)
視線を横に向けると、明石が黙々と点滴の調整をしている。
妖精さんたちも静かに手を動かし、医務室に音を立てる者はいなかった。
「おはよ!」
明石が気づいて声をかけてくれる。
摩耶は、ほんの少しだけ微笑みを返した。
「……明石、また朝だな」
「うん、今朝もちゃんと起きてくれて嬉しいよ。バイタルも安定してる」
「そうか……よかった……」
摩耶の声はまだかすれていたが、意識はしっかりしていた。
「栄養はまだ点滴中心だけど、来週には口から食べられるようになる予定だからね」
「楽しみにしてる……何が食えるんだ?」
「うふふ、それは元気になってからのお楽しみってことで」
明石が冗談めかして微笑むと、摩耶もわずかに肩を揺らした。
その時、ドアが静かにノックされた。
◇◆ 愛宕の訪問 ◆◇
「失礼しまーす。摩耶、起きてるかな?」
明るく、少し控えめな声がして、愛宕がそっと病室に顔を覗かせた。
「……愛宕姉」
摩耶は、嬉しそうに小さく手を振った。
「よかったぁ、起きてた。ちょっとだけ顔を見に来たの」
「来てくれて……ありがと」
愛宕はベッドのそばまで近づき、椅子に腰かける。
その表情は明るく、けれど瞳の奥にはまだどこか心配の影が残っていた。
「今日はね……小さなお客様を連れてきたのよ」
愛宕がドアの方に目配せする。
すると――三つの小さな影が、扉の向こうから顔をのぞかせた。
「……っ!」
摩耶の目が、ぱっと見開かれる。
◇◆ 小さな来訪者たち ◆◇
「摩耶さん……!」
最初に飛び込んできたのは日振だった。
うるんだ瞳で、ベッドのそばまで駆け寄る。
「ほんっとに……ほんとによかったぁ……!」
そのすぐ後ろから、大東が少し照れくさそうに言った。
「摩耶の姉御が命懸けで護ってくれたから……あたいら、無事で帰れたんだよ……!」
最後に、昭南が小さく、でもしっかりした声で続けた。
「……本当に……ありがとう、摩耶さん」
摩耶は、ぼんやりと三人の姿を見つめながら――
ゆっくりと手を伸ばした。
「……みんな……無事でよかった……それが……」
その言葉に、日振は目を潤ませながら笑う。
大東もぐっと唇を噛みしめ、昭南は黙ってうなずいた。
「……それでね、摩耶さん」
日振が、おずおずと口を開く。
「覚えてる? 摩耶さん、わたしたちをお家に呼んでくれるって……」
「無事に帰ったら、って……」
大東が頷く。
昭南も、そっと目を伏せながら言葉を添えた。
「だから……楽しみなの」
摩耶は、少しだけ眉を寄せた。
「……アタシの、家……?」
三人はそろってうなずいた。
「うん! 摩耶さんが楽しそうに話してくれた、あの新しい家!」
日振が無邪気に笑う。
「だから……ちゃんと片付いたら、呼んでくれるって――」
摩耶は、ぽかんとしたまま、呟いた。
「……アタシの家って……アタシの部屋は重巡寮の……」
その瞬間――
部屋の空気が、ふっと変わった。
愛宕が、一瞬だけ動きを止める。
日振と大東は、顔を見合わせ、昭南は息を呑むように視線を落とした。
「摩耶……?」
愛宕の声が、かすかに震えていた。
「……え? な、なに……?」
摩耶は、みんなの反応に戸惑ったように目を細める。
そのとき、明石が静かに近づいてきた。
「少し……休もっか」
その声は穏やかで、でもどこか切実な響きを持っていた。
「え? アタシ……大丈夫だけど……」
「うん、でも……今はちょっと、身体に無理がかかってそうだから」
明石がそう言って、摩耶の点滴にそっと何かを追加する。
「え……?」
「大丈夫、ただの鎮静剤。疲れた脳をちょっと休ませるだけ」
摩耶は、急に視界がゆらぎ始めるのを感じた。
「……な、んで……みんな、そんな顔……して……」
「大丈夫。今は、考えなくていいよ」
明石の声が、遠くなる。
視界の中で、愛宕が唇を噛み締めながら摩耶を見つめていた。
日振たちも、悲しそうにうつむいている。
(……なんで……そんな……)
摩耶の思考は、そこで途切れた。
まぶたが静かに閉じられる。
再び、深い眠りの中へ――。
◇◆ 確信の瞬間 ◆◇
部屋の中には、沈黙が落ちていた。
誰も、すぐには言葉を発せなかった。
明石が、そっと摩耶の髪を撫でながら、小さく呟く。
「……やっぱり、提督との記憶だけが……抜け落ちてる」
愛宕が、わずかにうなずく。
「……日振たちとの約束も……」
大東と昭南も、言葉を失ったまま、ただ摩耶の寝顔を見つめていた。
「でも、一時的なそういうこと、時々あるみたいだから……」
不安を隠すようにな、明石の明るい声。
愛宕が、そっと日振たちの背に手を置く。
「……帰ろっか……。今日は、ここまでにしときましょ」
三人は、黙ってうなずいた。
そして、そっと静かに、病室を後にした。
◇◆ 摩耶、眠りの中で ◆◇
静かな鼓動の音が、病室に満ちていた。
摩耶のまぶたは閉じられたまま。
でも――
ほんのわずかに、指先が、微かに震えていた。
誰にも気づかれないほど微かに。
(……大切なひとが……待っていてくれる……)
深い眠りの中でも、その想いは、確かにそこにある。