摩耶の鎮守府日記   作:ワタナベ提督の鎮守府

66 / 96
摩耶、整う

◇◆ 提督の執務室 ◆◇

執務室の窓越しに、朝の光が差し込んでいる。

 

鎮守府を一望できる大きな窓を背に、据えられた重厚な机。

その机の手前には、深い色味の革張り椅子と重厚な木製テーブルが並ぶ、来客用の一角が静かに広がっている。

 

波音は聞こえない。

けれど、確かに、海はそこにある。

 

落ち着いた空気の中、六つの椅子には――

長門、陸奥、大淀、明石、高雄、そして提督が座っている。

 

◇◆ 状況報告 ◆◇

長門が、端的に切り出す。

 

「……明石。摩耶の状態について、報告を」

 

その声は、真っ直ぐで力強い。

 

膝の上で指を組み直す明石が、深く息を吸って応じる。

 

「はい。昨日までに、すべてのチェックを終えました」

 

その声には、迷いも曇りもない。

 

「フィジカルについては問題ありません。

身体機能は良好ですし、艤装との生体リンクも、脊髄下部経由で正しく再構築されています」

 

窓際の席に座る提督は、表情を変えず、ただ静かに前を見ている。

その視線の先は、誰にも見えない場所――

きっと、海のさらに向こうにある何かを、見つめている。

 

◇◆ 一部の記憶 ◆◇

陸奥が、椅子から少しだけ身を乗り出す。

 

「……メンタルと認知機能は?」

 

明石は、わずかにうなずき、はっきりと答える。

 

「メンタルも問題ありません……艦娘としての機能――知覚、判断、戦術応答など――いずれも正常範囲です。

妖精さんたちとも複数回確認しましたが、異常所見はありません」

 

その場にいた全員が、少しだけ息をつく。

 

だが――明石は、ふと視線を落とす。

 

「……ただ、一点だけ」

 

沈黙が落ちる。

言葉を探しているのではなく、言葉を正しく降ろすための時間。

 

「……一部、記憶の断絶が見られます」

 

声は淡々としているのに、心には重く響く。

 

「提督との日々――その記憶が、まるごと抜け落ちています」

 

驚きの声はない。

すでに、この場にいる者たちは皆、その事実を知っている。

 

けれど、それでも――言葉にされることで、その重さが改めて胸を打つ。

 

◇◆ 心の一番奥に ◆◇

長門が、腕を組んだまま、低く問う。

 

「……轟沈寸前までいった艦娘の一時的な記憶障害。聞いたことはあるが……摩耶の場合は?」

 

明石がうなずく。

 

「はい。外傷による脳の高次機能へのダメージや、極度のストレスによる障害は、これまでに何例か確認されています。

でも……今回のように、特定の記憶だけが、切り取ったように欠落している事例は……」

 

彼女は一度、静かに息を吐き、首を横に振った。

 

「……事例はありません……」

 

大淀が、手帳をそっと閉じながら言う。

 

「明石……ある種の、防衛機制……なの?」

 

明石は、ゆっくりとうなずく。

 

「そう捉えるのが自然ですが……ただ、一般に知られる防衛機制とは、異なると思われます」

 

陸奥が、つらそうに呟く。

 

「違うって……?」

 

明石は、ことばを丁寧に紡ぐ。

 

「通常の防衛機制は、“受け入れたくないもの”を見えなくして、自分を守るものです。

でも、摩耶さんの場合――」

 

少し言葉を切り、明石は、優しく続けた。

 

「……あの極限状態の中で、自分にとって一番大切なものを、

“壊れないように”……いや、“消えないように”――無意識のうちに、一番安全なところ

……心の一番奥へとしまい込んだように思えます」

 

「まるで、それだけには絶対に、誰にも壊されないように……」

 

静かな沈黙のなか、高雄の瞳が、ほんのりと潤む。

 

「……摩耶……」

 

◇◆ 静かな決意 ◆◇

提督は、まっすぐに前を見ている。

 

何も言わないけれど、そこに込められた想いは――

 

高雄が、かすかに声を震わせながら言う。

 

「……提督、摩耶の復帰は……」

 

その続きを言う前に、提督は、ゆっくりと目を閉じ――

 

すぐに大淀が、その意図を受け取る。

 

「南方哨戒海域で、深海棲艦の機動部隊との接触が確認されています。

緊張状態が続いています」

 

大淀の声は凛としてるけれど、どこか辛そうで……

 

「前線への復帰は、当面見送る方針です。

ただし、艤装の再装着と演習への段階的な復帰は、今週末以降にて準備可能です」

 

明石が、やわらかく微笑んだ。

 

「身体的には問題ありません。

ただ……無理はさせないでください。

摩耶さん自身が、“取り戻そう”としているように、私には感じられます」

 

◇◆ 重なる沈黙 ◆◇

言葉は、もう、必要ない。

 

執務室に満ちた沈黙が――

彼らの決意と、やさしさと、絆を物語っている。

 

それは、指揮官として。

仲間として。

姉妹として。

そして、誰よりも大切な人を思う者として――

 

この部屋にいるすべての者の想いが、重なる。

 

その静けさの中に、

この鎮守府の強さと温かさが、確かに息づいている。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。