お片付け大作戦
◇◆ お片付け大作戦 ◆◇
◇◆ 鳥海の夜 ◆◇
摩耶が、修復カプセルから病棟のベッドへと移された数日後。
鎮守府の夜は、いつもより静かだった。
鳥海はベッドの上で、天井を見つめていた。
うとうとしては目を覚ます、その繰り返し。
(……摩耶……)
愛宕が見舞いの帰りに話してくれた内容が、胸の中で波紋のように広がっていく。
日振型の三人が摩耶に会いに行って――摩耶が言った、あの一言。
「……アタシの家って、この鎮守府のことだろ?」
(新居の記憶がない……やっぱり、提督との大切な記憶だけが……)
胸が、きゅっと締めつけられる。
悲しい。苦しい。
けれどそれ以上に――どうしようもない無力感が、押し寄せてくる。
(私まで暗い顔をしていたら、摩耶に気を遣わせちゃう)
(……だから、私は、しっかりしなくちゃ)
そのとき。
「ぴろりんっ♪」
軽やかな通知音が響く。
スマホを開くと、高雄からのLINE。
宛先は――愛宕と鳥海。
高雄:
お片付け大作戦
高雄:
明日、朝食後0900時に私の部屋に集合よ
即座に、愛宕からスタンプ付きの返信。
愛宕:
ラジャー♡
(はや……)
鳥海は少しだけ遅れて、短く返事を送った。
鳥海:
分かったわ
画面を閉じて、スマホを枕元に戻す。
「……“摩耶のための姉妹作戦”、か……」
ふぅ、と小さく息を吐いて、灯りを消す。
ようやく、ほんの少しだけ、まぶたが重くなった。
◇◆ 高雄の部屋 ◆◇
翌朝、0900時ちょうど。
高雄の部屋には、柔らかな朝の光が射し込んでいた。
静かに整えられた空間のなか、ベッドの端に三人の姉妹が並んで腰掛けている。
高雄、愛宕、鳥海。
「……摩耶の記憶のこと、知っているわね」
高雄の言葉に、二人は静かに頷いた。
愛宕の表情には、いつもの柔らかさに、かすかな翳りが混ざっていた。
鳥海は、唇をきゅっと引き結んだまま、高雄の言葉を待っている。
「私たち三人で、できることがあると思うの」
高雄は、まっすぐに愛宕を見つめる。
「まず、愛宕。摩耶の身の回りの世話をお願い。
自分で動けるようになるまで――パジャマや下着を替えてあげたり、体を拭いてあげたり……」
「愛宕にだったら、きっと摩耶も、素直に甘えてくれると思うの」
その言葉に、愛宕はぱっと笑顔を見せた。
「うん、任せて。摩耶を思いっきり甘えさせちゃうわ♡」
その笑みは、いつもの明るい姉そのまま。
けれど、瞳の奥に揺れる光が、そっとにじんでいた。
高雄は、今度は鳥海の方に向き直る。
「鳥海。あなたは、私と一緒に――摩耶の部屋の片付けをお願い」
「引っ越しの準備で、段ボールだらけのはず。……あの出撃の翌日、新居に引っ越す予定だったから」
鳥海は、視線を落とし、それからまっすぐに高雄を見つめ返した。
「……わかった」
「今の摩耶は、自分の部屋に戻ることになるわ。
だから……ドアを開けたとき、記憶の混乱を起こさないように。
“いつもの部屋”を、私たちで整えておいてあげたいの」
「はい……そうね」
ふと、高雄が思い出したように問う。
「……あの力、今も使える?」
鳥海は一瞬だけ目を伏せ、それから小さくうなずいた。
「……映像記憶の力、まだ残っているはず……」
数秒の沈黙。
やがて目を開けた鳥海は、確信を持って答える。
「――大丈夫。タンスの中の下着や服の配置まで、全部再現できると思う……」
「さっすが鳥海♪」
愛宕が、ぱちぱちと手を叩く。
「初めて気づいたとき、ほんとに驚いたわよね~。ね、高雄?」
「ええ。いま思い出しても……あのときの衝撃、忘れられないわ」
高雄は、少しだけ笑ってから、机の上の小さな鍵を手に取った。
「摩耶の部屋の鍵、提督から許可を得て預かってあるわ。
重巡寮の皆んなにもそれとなく連絡済みだから、問題ないはずよ」
鳥海が立ち上がり、小さく頷いた。
「……それじゃあ」
高雄が二人に視線を送り、短く告げる。
「作戦開始よ」
◇◆ 摩耶の部屋 ◆◇
静かな足音が、廊下に消えていく。
そして、そっと開かれた扉。
乾いた空気の中に、かすかな埃の匂いが混じっている。
窓から差し込む光に照らされていたのは、整然と積まれた段ボールの山――といっても、思っていたよりは少なかった。
「……あら。もっと散らかってるかと思ったけど」
愛宕が首を傾げながら呟く。
鳥海は、一歩足を踏み入れて部屋を見渡した。
そして、ふぅと静かに息を吐いて、目を閉じる。
(……摩耶姉の部屋。引っ越し前、あの時のままの光景を――)
記憶の奥底から、映像が蘇る。
ベッドの位置、小物の配置、カーテンの揺れ。
引き出しの奥の細かな仕分けまで――鮮やかに、そこにある。
「……たぶん、演習が終わってから詰めようとしてたんだと思う。摩耶、そういうとこ……あるから」
「ふふっ、ね。まさに“摩耶らしい”って感じよねぇ」
愛宕の笑みは、やわらかくて、少しだけ切ない。
高雄は、黙って頷くと腕まくりをした。
「それじゃあ、始めましょうか」
三人は、自然と動き始める。
段ボールには「布団」「外出用」「書籍」など、丁寧な字でラベルが貼られていた。
必要のないものは手をつけず、必要なものだけを、ひとつひとつ丁寧に。
大きなもの――布団や私服は、高雄が淡々と担当する。
手際よく、無駄なく、静かに。
下着やストッキングなどの“乙女の秘密”は、愛宕が笑顔で引き受けた。
「ふふ……このあたり、全部スーパーのセットねぇ。摩耶らしいわ♪」
「コメント不要……」
鳥海がぼそりと呟くが、どこか安堵したような口調だった。
小物類や文房具は、鳥海の役目だった。
記憶と照らし合わせながら、位置を確認し、そっと戻していく。
やがて、部屋は、ほとんど元通りの姿を取り戻していた。
◇◆ 映像記憶の精度 ◆◇
「ここからは……鳥海の出番ね」
高雄がふっと息を整えて言うと、鳥海は頷き、再び目を閉じる。
脳裏に浮かぶのは、摩耶の部屋の“ほんの少し前の状態”。
カップの持ち手の向き、小物の角度、リモコンの置き位置まで――微細な記憶のピースが、静かに浮かんでくる。
鳥海は、言葉少なに動き始めた。
それを支えるように、高雄と愛宕も自然と手を動かす。
コードを巻き直し、クロスで棚の縁を磨き、小さなホコリも丁寧に払う。
ほんの数センチのズレも見逃さず、ひとつひとつ整えていく。
「……これで、完成……」
鳥海がそっと言った。
三人は、しばし無言で部屋を見渡す。
「……元に戻せたみたいで、よかった」
高雄がぽつりと呟く。
愛宕の目が、やわらかく細められる。
「……ほんと……」
鳥海も、胸の奥で同じ気持ちを抱いていた。
◇◆ 「大切なもの」 ◆◇
そのとき。
ふと、鳥海が最後の段ボールに気づいた。
「……これ……」
段ボールのふたには、丁寧な字で――
「大切なもの」
三人の視線が、箱へと集まる。
「……どうする?」
愛宕が、そっと問う。
「鳥海」
高雄が静かに目を向ける。
鳥海はゆっくりと目を閉じ、記憶をたどる。
時間をかけて、映像の隅々まで確認する。
そして――目を開いた。
「……提督との、細かい物が、全部……見つからない」
「写真立て、二人で選んだマグカップ……、あの、小さな手紙の束……」
高雄は目を伏せ、愛宕はそっと唇を噛みしめる。
誰も、何も言わなかった。
言葉よりも、胸の奥に広がる気持ちが、先にあった。
「……開けないほうが、いいと思う……」
鳥海がそっと言った。
「……そうね。開けないほうが、いいわね」
高雄の声も、低く穏やかだった。
「持ち出すのも、やめましょ。……摩耶の思い出だから」
愛宕も、しっかりと頷いた。
高雄が、段ボールを丁寧にベッドの下へ――
奥の奥、一番見えないところへ、そっと押し入れる。
「……ここなら、きっと、記憶が戻ったときに……見つけられる」
そのとき。
「……あら?」
愛宕が、玄関近くの小さなフックに気づいた。
「これ……」
妖精さんのチャームがついたキーホルダー。
そこに、ひとつだけ――見慣れない、銀色の鍵。
「……新居の、鍵……ね」
鳥海が小さく呟く。
「どうする?」
高雄の問いに、愛宕は一度だけ首を振った。
「そのままにしてあげましょう。……きっと、いつかの“きっかけ”になるから」
そっと、鍵をそのまま元の場所にかけなおした。
◇◆ 願い ◆◇
三人は、静かにドアの前へと並んだ。
振り返った部屋は、静かで、穏やかで――
まるで、摩耶がいつものように出撃から戻ってきたときと、何も変わらないように見えた。
高雄が手を合わせる。
愛宕が静かに目を閉じる。
鳥海が、心の中でそっと祈る。
(――摩耶の記憶が、戻りますように)
そして、三人は、そっとドアを閉じた。
◇◆ それぞれの任務へ ◆◇
「私はこのあと、秘書官任務に戻ります。提督室に行ってきますね」
高雄が手早く髪を整えながら言う。
「私は、摩耶のお世話よ♡ 今日はね、下着もパジャマも着替えさせて、体もきれいに拭いてあげるの。もう、とびきり甘やかしちゃうんだから!」
愛宕の言葉に、鳥海は少しだけ微笑む。
「私は、通常任務に戻る。今日は、駆逐艦の演習指導があるから」
「それじゃあ、これからも交代で、摩耶の様子、見に行きましょう」
「ラジャー♡」
「了解です」
それぞれが、自分の任務へ向かって歩き出す。
その背中に――
ほんの少し、いつもより強い風が吹いたような気がした。