◇◆ 夜更け、談話室の映画館 ◆◇
談話室の照明は消してある。
テレビの画面だけが、ぽつりと光ってて、部屋を静かに染めてた。
アタシはソファに沈んで、片手に缶ビール。
時々ポテチをつまみながら、じっと画面を見つめてる。
音は小さいのに、映画の世界が、すっと心に入ってくる。
ロッキーって男――
誰からも期待されてない。トレーナーのミッキーにも見放されてる。
賭けボクシングのリングで殴られて、血が滲んで、観客からはブーイング。
応援なんて、誰ひとりしてくれないのに、それでも戦い続けてる。
痛いはずなのに、悲しいはずなのに、でも――目が離せなかった。
(……なんで、こんなに胸に刺さるんだろ)
拳の痛みよりも、孤独のほうが、ずっと重たくて――
アタシの胸を、じんわりと締めつけてきた。
◇◆ 不器用な優しさ ◆◇
ロッキーは、優しい。
その優しさは、飾られてなくて、不器用で、まっすぐで――
見てて苦しくなるくらい、真面目。
ペットショップで働いてる女の子――エイドリアンに、毎日話しかけてる。
エイドリアンって、超引っ込み思案で、はっきり言ってイケてない。
たぶん、カレシとか今まで一人もいなさそうなタイプ。
エイドリアンの孤独も、アタシの胸を締めつける。
返事もつれなくて、そっぽ向かれて、それでもロッキーは笑ってる。
押しつけじゃない。ただ、そばにいたいだけ。
その感じ、アタシ……すごくよく分かる。
(……心を開くのって、実はアタシも得意じゃない)
気づいたら、ポテチの手が止まってた。
ふたりの距離が、少しずつ近づいていくのを、息を詰めて見てた。
感謝祭の日。
スケートリンクでのデート――
不器用で、ぎこちなくて、でも笑顔があって。
滑れなくても、転んでも、そこに暖かさを感じる。
(……いいな)
誰かと、こんなふうに笑い合った記憶があるような気がした。
思い出せないけど――
でも、心が反応してる。そんな気がしてた。
◇◆ あの曲、あの夜 ◆◇
スケートのあと、ロッキーはエイドリアンを部屋に誘う。
アタシ、なぜかドキドキしてた。
エイドリアンは嬉しいけど、素直になれなくて、ぎこちなくて……
(なんか、わかる……)
ロッキーは、もっと近づきたいって思ってるのに、不器用なアプローチしかできない――
そんな空気の中で、ロッキーがそっとレコードをかける。
――その瞬間。
“Touch me, take me in your arms...”
あの旋律が、ゆっくりと流れ出す。
(……これって)
胸の奥が、ふっと震えた。
ラジオから流れたあの日――一人きりの談話室で、理由もわからず泣いた。
今なら、その理由がわかる気がする。
ロッキーがエイドリアンをそっと抱き寄せる。
“You're my dream come true, baby I love you...”
エイドリアンは戸惑いながら、でも、少しずつ心を委ねていく。
“You take my heart away, away...”
ふたりの唇が触れ合ったとき――
アタシの頬を、涙が静かに伝ってた。
(この曲……アタシの中に、ある)
ただの“いい曲”じゃない。
ただの“映画のワンシーン”じゃない。
これは、アタシと、あの人の――
大切な思い出の曲。
◇◆ 名前を呼ぶ声 ◆◇
(提督……)
自然と、心の中に浮かんできた。
優しい目。
静かに笑う口元。
黙って手を差し伸べてくれた、あのぬくもり。
“摩耶って、エイドリアンみたい”
――提督が、ちょっと照れくさそうに呟いた。
「ちげーし」って返したのに……どこか、嬉しかった。
アタシの“そういうところ”、ちゃんと見てくれてる――そんな感じがして。
アタシは――
付き合い始めて少し経った頃、提督の部屋でこの映画を一緒に観たことがある。
そして、アタシたちは……ケッコンして……
ケッコンカッコ「ガチ」。
全部思い出したわけじゃない。
でも、胸の奥にあるこの気持ちだけは――たしかに本物だった。
(アタシ……あの人のこと、ちゃんと、愛してる)
溢れる涙、抑えられない。
◇◆ 闘いの果て ◆◇
ロッキーが、チャンピオンのアポロと戦うチャンスをもらう。
(……ただのかませ犬じゃん)
話題づくりのための、飾りの試合。
どうせ勝てっこないって、誰もが思ってる。
でも、ロッキーは賭けた。
エイドリアン、ミッキー、そして街の人たちが、彼を支えてくれる。
ロッキーは全部、ぶつけた。
「俺はただのごろつきじゃない」って――証明するために。
あいつは、自分の価値を、誰かにじゃなくて――
自分自身と、エイドリアンに見せたかったんだと思う。
ボロボロになっても、倒されても、何度でも立ち上がるロッキーの姿に――
アタシは、無意識に拳を握る。
もう、映画を“観てる”んじゃない。
アタシの中に、ロッキーがいる。
同じ気持ちで、同じ場所に立ってる気がする。
最後のゴングが鳴る。
ロッキーの顔は、腫れ上がってて、血まみれで――
試合は、負け。
でも、ロッキーが見てたのは、勝敗じゃなかった。
「エイドリアン!!」
あの声が響いた瞬間、アタシの胸がぐっと熱くなる。
「愛してる!!」
その言葉が、まっすぐアタシの心に届く。
(アタシも……)
たとえボロボロでも、たとえ不器用でも――
アタシも、大切な人の名前を、ちゃんと叫びたい。
◇◆ 帰る場所 ◆◇
エンドロールが、静かに流れていく。
アタシは深く息を吐いて、ソファに身体をあずける。
胸の奥が、ぽかぽかしてる。
静かで、確かなあたたかさ。
ふと、思い出す。
部屋の壁にかかってた、あのキーホルダー。
妖精のチャームがついた、小さな鍵。
あれがなんの鍵か、ずっと分からなかった。
でも、今なら分かる。
あれは、提督とアタシが一緒に暮らすはずだった――新居の鍵。
アタシが、“帰る場所”の鍵。
(……帰りたい)
アタシの居場所は、提督の隣。
アタシが“帰りたい”と思うのは、提督といる場所。
また泣いちゃってるけど、微笑んでみる。
誰もいない談話室。
でも、心はもう――ちゃんと、提督のもとへ帰ってる。
「……提督、ただいま」
小さく呟いてみる。
一言だけど、でもそれが、アタシにとってのすべて。
今回の話でロッキーがかけたレコードは
Bill Conti "You Take My Heart Away"
です。