◇◆ 開いた扉 ◆◇
鍵が回った瞬間――アタシの心臓が、ドクンと跳ねた。
開いた。
この扉が、たしかに“開いた”。
震える指で、ゆっくりとドアノブを引く。
視界の先、リビングの奥。
開いたドアの向こうで――
音を立てながら、床を滑る掃除機。
それを動かしてる、大きな背中。
見覚えのある――あたたかくて、広い背中。
(……この背中、知ってる)
胸の奥が、じわりと熱くなる。
言葉にしなくても、分かってた。
この人を、アタシは、ずっと――
「……提……督?」
思わず名前が零れた。
かすれた、小さな声。
でも――
掃除機の音が止まる。
ゆっくりと振り返る、提督。
目が合った。
懐かしくて、優しくて、ずっと会いたかった――その顔。
「――っ!」
何かが、ぱあっと弾けた。
バラバラだった記憶の欠片が、一気に繋がっていく。
この部屋で過ごした時間。
二人で選んだ家具。
ソファに並んで座った夜。
あの人の手のぬくもり。
交わした言葉、交わした約束。
――誓いの指輪。
そして、アタシが――心から愛した、この人。
「……アタシ……」
喉が震える。
言葉にならない想いが、胸の奥からあふれてきた。
気がついたときには、走ってた。
「――提督!!」
どこかで靴を脱ぎ捨てたのも、気づかなかった。
床を蹴って、ただ、まっすぐに――
次の瞬間、アタシは、提督の腕の中にいた。
「摩耶……」
呼ばれた名前が、やさしく響く。
迷いのない腕が、アタシをしっかりと抱きしめてくれる。
このぬくもりが、現実であることを教えてくれた。
ああ……
ずっと、ずっと探してた、この感触。
「提督……なに……してたの」
(って……まずそれ聞くのか、アタシ……)
(なんか……アホの子になってる……)
「ん? お掃除。摩耶がいつ戻ってきても大丈夫なように、毎週来てたんだ」
(なに、そんな顔で笑ってんだよ……)
「…………」
「……思い出した……アタシ……」
声は震えてたけど、はっきりと確かだった。
「アタシ……ちゃんと……思い出した……」
「そっか」
提督は、あの人らしい優しい笑顔で、アタシを見てくれる。
「おかえり、摩耶」
「……ただいま……」
胸がいっぱいで、もう何も言えなかった。
涙が勝手にあふれてきて、止められなかった。
泣こうとしてるわけじゃない。
でも、心の奥に積もってた想いが、堰を切ったみたいにあふれてくる。
「……もう、二度と……提督のこと忘れたりしねぇから……!」
「うん」
髪をそっと撫でながら、提督が静かに言う。
「摩耶が帰ってくるの、ずっと待ってた」
「……っ……!」
また涙がこぼれて、アタシはただ、ぎゅっと提督にしがみついた。
「……待たせて……ごめん……」
「いいんだ。帰ってきてくれたんだから、それでいい」
この胸が、アタシにとって一番安心できる場所だって、ちゃんと知ってた。
たとえ記憶がなくても、きっとどこかで分かってた。
だから――あの鍵を失くさなかった。
だから、この部屋の前に来た。
だから、アタシは……帰ってきた。
「……提督のこと……」
震える声で囁くと、提督は何も言わず、アタシをもっと強く抱きしめてくれた。
そっと顔を上げてみる――
まっすぐな眼差しが、アタシの瞳をとらえてくる。
アタシは、目を閉じて、唇を少し尖らせる。
次の瞬間――提督の唇が、アタシの唇に、そっと触れた。
優しくて、でも確かで。
まるで初めて結ばれた夜みたいに、静かで甘くて。
胸の奥からじんわりと広がってくるあたたかさが、アタシのすべてを包んでいく。
「……愛してる、摩耶」
その言葉が、アタシのすべてに染み渡った。
アタシも、もう迷わずに答える。
「アタシも……」
扉の向こうに――アタシの「帰る場所」は、ちゃんとあった。
◇◆ 提督のネックレス ◆◇
「ちょっと待っててね、摩耶」
提督が、首元に手をやって――何かを外してる。
反射しないから見えづらいけど……え、ネックレス?
提督って、そんなの身につけてたっけ?
外したネックレスを、アタシの前にそっとぶら下げる。
「……っ!」
息が止まりそうになった。
そこに揺れていたのは――大きな指輪と、小さな指輪。
ケッコンカッコ「ガチ」の、あの指輪。
「ずっと、つけてたんだ」
提督が、少し照れくさそうに微笑む。
……ほんと、何も変わってないな。
ネックレスから外した指輪をテーブルに置いて、アタシの左手をそっと取る。
やさしい笑みのまま、提督は――
「摩耶がいない人生じゃ……幸せになれない」
……ばか。
そんなこと、真正面から言われたら……
もう、涙で前が見えない。
指先がかすかに震えるのを感じながら、左の薬指に指輪がはめられる。
「……次、摩耶の番」
また、いたずらっぽく笑ってる。
……ずるい。
アタシ、どうすりゃいいんだよ。
涙で視界がぼやける中、手を伸ばして――
提督の左手薬指に、指輪をそっとはめる。
何か、言わなきゃって思うのに、喉が詰まって……
頭が真っ白で――でも、必死に言葉を絞り出した。
「て、提督が……ど、どうしても、アタシと一緒にいたいって言うなら……」
(な、なに言ってんだアタシ!?)
「……しょ、しょうがないから、ずっと一緒にいてあげる……!」
(アタシ何言ってんだよ……!)
なのに、提督はニコッと笑って――
「うん」
って、言ってくれた。
アタシは――
提督にやさしく抱きしめられながら、
バカみたいに泣いてた。