転生ヒナちゃんVS正論モンスターの仁義なき戦い 作:流星の民(恒南茜)
#1 「碧いif」
左耳にはひんやりとした硬さを、そして、右耳には音楽を。
屋上に寝そべって、夕暮れの中で互いにイヤホンを分け合って、たった一つの音楽を一緒に聞く──そんな、私たちだけの時間があった。
「──仁菜、今日もそれにすっと?」
「だってこれが好いとるけん。しょんなかろ?」
──井芹仁菜。
イヤホンの片割れ、左耳側を持っていっている私の……親友。
そんな彼女は、どこか不服そうな瞳で私を睨み返してきていた。
「ヒナは好かん? ……『空の箱』」
「最近、こればっかりやけん。……まあ、よか」
『空の箱』。二人で分け合っていた歌。
ダイヤモンドダストというバンドが演奏しているらしいこれを、痛いほど仁菜は気に入っていた。
それこそ、すぐ私に噛みついてくるぐらいに。
「……そろそろ帰るばい。屋上、閉められてしまう」
「もうそぎゃん時間と? こん歌聞いてるとあっちゅう間に感じる」
私が立ち上がったのを見て、慌てたように仁菜もイヤホンを引き抜き、帰り支度を始める。
先に屋上のドアを開けて待っている私に追いついてくると、彼女は表情を綻ばせた。
「今日もポップコーン食べてかなか? 駅前の」
「はいはい、仁菜はほんなこつ好いとるよね」
そうやって下駄箱へと並び合って歩いていく、放課後の一幕。どこにでもありそうな女子高生二人の光景だっただろう。
だけれど、それがもうすぐ終わってしまうことを私は知っている。
何故なら、彼女が──井芹仁菜が、私の隣からいなくなってしまうから。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
私には未来がわかる。
『ガールズバンドクライ』──
どうして転生してきたことがわかったかというと、限りなく私がメインキャラに近い立ち位置で生を受けたからだ。
ヒナ。それが今生の私の名前であり、役割。
主人公である仁菜の親友として、そして、最終的にはライバルバンドのボーカルとして、ずっと彼女を焚きつける立場。
はっきり言って、そんなのは荷が重いことだと思った。せめて今生は目立たずひっそりと暮らしたいだなんて、そう思っていたから。
それなのに、この世界には因果に近しいものがあるのか、私と仁菜は出会ってしまった。
そして、その末に互いに親友と呼び合ってもいいぐらいの仲になってしまった。
目立たない役割は諦めるしかなかった。覚悟を決めざるを得なかったのだ。
せめて、仁菜が私の隣にいる内は、”ヒナ”でいなければならない、と。
だからこそ、どこか嫌味ったらしい物言い、ドライな態度。そんな接し方をしてきて。
今まではそれで良かったのだ。仁菜だってそれぐらいは受容してくれた。
昼休み、放課後。二人抜け出して屋上に寝そべりイヤホンを分け合う。たまには曲の解釈が食い違って喧嘩して。
帰り道では、禁止されている買食いをする。仁菜の家は厳しいから、背徳感が相まってかいつも複雑そうな表情をする仁菜を前に笑っていた。
そうやって、私なりにも楽しく過ごしていたからこそ、私は今、大きな分かれ目に立たされていることを知っていた。
「──本気で助けにいくつもりと?」
──いじめ。
黒板に大きく書かれた『自習』の文字にはほとんど誰も従わず、がらんとした教室に私と仁菜が二人きり。
「ばってん、あん子こっち見とった。助けてほしかって」
「……そら、あん時は私らしかいなかったしね」
教室内で起きたそれは、未だ先生に気づかれていないものだった。
だからこそ、いじめられている側が教室から引きずられるようにして出ていった時、一瞬、私たちを見つめたこと。
だからこそ、仁菜は助けに行くと言って、立ち上がった。
「行ったら私、仁菜の味方できんばい。止めたらあいつに今度は仁菜が目つけられっけんね」
私はこの後の仁菜がどうなるか知っている。
目をつけられて、いじめのターゲットになった仁菜が学校を辞めることまで。私の隣から消えることまで。そうやって、『ガールズバンドクライ』は始まったのだから。
「じゃあ、あん子はどうなんなると?」
仁菜の問いに答えるのは簡単だった。
全部、私の身にも──正確には、
「……上手くやって切り抜けるか、学校来んくなるか、先生が気づいて止めるか。どれにせよ、私らにできることは」
「──それまでほっとくと?」
そんな制止を振り切って、仁菜は一歩前に出る。
ドアに手をかけ、開け放ち、思わずその腕を掴んでしまった。待て、と。
「……ヒナ?」
唇はわななくばかり、何も言葉を放つことはなく。
ただ、震えた指先がぎゅっと固く、その腕を縛り付けていた。声にはならずとも必死に伝えた。
私たちは親友だから。だから、これからもそうでいさせてくれ──ほぼ、最後通告に近い状況で。
「……離して。おかしかよ。間違っとう方が正しかって、やっぱ変だとよ」
私の手を振り払った。それでも仁菜は、前に進んでしまった。
凛とした声で、迷うこと無く真っ直ぐと大きな歩幅で手を振って。
「私は黙っとられん」
遂に私以外がいなくなってしまった教室。
痛いぐらいの静けさに、何をするでもなく私は立ちぼうけ。
仁菜はあんなに強くて、どれだけの制止すらも振り払って、いじめを止めようとしたのに。
私は目を逸らすので精一杯だった。いじめになんか、もう関わりたくなかった。
「……私も、ああやったら」
──ああだったら、死ぬことはなかったのだろうか。
”ヒナ”としての言葉じゃない。
もう一度生を受ける前、ほんの一人でいじめを受けて、そのまま首を吊った女子高生。
何も変わっちゃいない、ちっぽけで惨めな、
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
仁菜がいじめを止めに向かってから三週間が経とうとしている。
彼女の決意を嘲笑うように過ぎていく日々に、今日も私は頬杖をついて授業を受けているだけだった。
裸足で過ごす仁菜を見るようになった、体育の時間には制服姿で蹲る仁菜を見るようになった、そんな彼女にボールがぶつかった。窓ガラスが割れた、額から血を垂れ流す仁菜を見た。
そして、ここしばらくの仁菜の机は空っぽ──もう、言葉を交わしはしなかった。退屈な放課後を過ごして、真っ直ぐ家に帰る日々が続く。
仁菜の近くにいたからといって、全くといっていいほど私にいじめが飛び火してくることはなかった。保身はできたから、当初の目的通りだったことには違いない。私が生きていけることにも違いない。
だから、良い。こうして縮こまっていれば、少なくとも私には何の害もないから。
「──であるからして、当時の若者は大人の価値観に疑問を抱き、いわゆるカウンターカルチャーが広まった。文化史もテストに出るからな」
そんな先生の言葉にはっと意識が引き戻される。
慌ててノートに書き込もうとして──パキン、と。震えた指先、シャーペンの芯が折れて散る。
一抹の迷い──どうして、私はこんなに仁菜のことを気にしているのか。
触れなければ、決して私の領域は侵害されないのに、どうして。
もう終わったんだ。仁菜はいじめのターゲットになった。私は教室を出ていこうとする仁菜を結局引き止められなかった。どうしようもないことだ、仁菜はしたい通りにして、私は精一杯止めた。だから──。
「……しょうがなか」
──しょうがなかった、と。そう口走ったその瞬間。
『──”やけに白いんだ やたら長いんだ”』
大音声が。
瞬く間に全ての音を塗りつぶした。
耳を塞いでもなお、鼓膜を突いて突き破ろうとせんばかりに暴れる音──明らかな最大音量で流れ出した歌。
これをやったのが誰か──私にはすぐに目星がついた。
『空の箱』──仁菜だ。
「なっ!?」
授業が止まり、教室から飛び出していく先生。ばたばたと廊下に響く足音。
教師が一斉に駆けていく方向は放送室。やはり学校中にこれを響かせている犯人が、恐らく仁菜がその先にはいて。彼女はきっとすぐに取り押さえられるに違いない。
……どれだけ、思慮深さが足りないんだ。刹那的に動いてるんだ。
己の正義感で、決して考えを曲げなくて、正論をぶちまけて、モンスターのように突き進むその様。
全くもって非合理的で、上手い生き方とは言えなくて。
それでも、彼女が立ちはだかってくれたら──
どれだけか、救われただろう。
『”コタエはだいたいカタチばかりの常識だろう”』
そして、仁菜はこの歌に勇気を貰った。
だからこそ、ああしていじめに対して立ち上がった。呆れてしまうぐらいに真っ直ぐに。
『──”正解はないんだ 負けなんてないんだ”』
──間違っとう方が正しかって、やっぱ変だとよ。
もしも、私があの時彼女を引き止めずに、一緒に行っていれば。
きっと、私もいじめのターゲットにされていただろう。そうしたら? また、首を吊っていた?
「……わかんない」
私はこの世界の未来を知っている。だけれど、それはアニメで描かれていた範囲内だけ。
これから、その枠組みを飛び出してどうなるか──なんて、そんなのはわからない。
だけれど、そんな恐ろしさよりもずっと。喪失感が勝った。仁菜がいない。彼女が隣にいない。
そして、何よりも憎かった。死んで転生して、それからもずっと上手く生きていくために押し殺していた感情。
『”あなたならどうやって先へと進みますか”』
それなら、未確定な未来に賭けたっていい。
運命や因果なんて知ったこっちゃない──そんな論理が、私を突き動かす。
「あああああ──っ!」
叫ぶ、叫ぶ。腹の内から附していた感情全てを吐き出し、手近なところにあったモップを手に取り、駆け出す。
歩幅は大きく、腕を振り──いじめを止めに行った時の仁菜の気持ちがどこかわかるような気がした。
怖い。だけれど、それ以上に──どこか誇らしい。
『”正解がなんだ 価値なんてないんだ”』
駆けていく景色の先、野次馬たちを振り回したモップで跳ね除け、道を切り開き。
駆けて、駆けて、息も絶え絶えになるぐらいに賭けた先──放送室の前に、先生が集まっている。
開けようとしている、ガン、ガンと。激しくノックをして、工具を持ち運んでくる先生もいた。ドアを外そうとしているのかもしれない。
そうなったら、仁菜の抵抗も終わってしまうから。
向かおうとしている先、落ちていくのかわからずとも──その先に仁菜がいるなら、私はそれでいい。
だから、せめて一緒にいてくれよ! 落ちていくなら、私ごと引きずり込んでくれよ!
「りゃあああああああっ!」
振りかざしたモップを一気に背まで、力を込めて。
『”あたしは生涯 あたし以外じゃ生きられないよ”』
精一杯に振り下ろした──。
『──”どう足掻いても明日はない”』
◇ ◇ ◇
結果から言うと、私たちは取り押さえられた。
私は構えたモップを振り下ろす間もなく後ろから、仁菜はそれから程なく、ドアを外されて。
足止めなんてできず、抵抗すらもままならず、今は校長室に座らされている。もうすぐ親が来るらしい──つまるところ、終わっていた。
「……ヒナ、なして来たと? 一度逃げたくせに」
「仁菜は辛辣たい。感謝ん一つも言えんわけ?」
「……私一人で十分やったばってん」
「二人でもいかんかったのに?」
そう口にすると、仁菜は押し黙ってしまう。
あんな騒動を起こした二人組になってしまったにも関わらず、あまりにもいつも通り、呑気すぎる会話だった。
「……まあ、強かて言うなら──二人でおったかったけん」
「……ヒナが? 珍しか」
あっさりと仁菜は私の言葉を飲み込んで、それから首を傾げた。
「一緒におるとしたら、こん後どぎゃんする? そもそも、うちらどぎゃんなると?」
「良うて停学、悪うて退学やろうね。こんままじゃおられんばい」
そうなってしまったらどうしよう。
仁菜はこの後、退学している。その時、いじめ被害者で発覚している仁菜はともかく、私はただ暴力を振るっただけ──一緒に退学になってしまったら、行く宛もない。
だからこそ、繋ぎ止めるためだった。
「……仁菜、歌は好きと?」
「どぎゃんしたと、急に……」
二人でいたいのだとしたら、もしかしたら、使えるかもしれない一つの手。
この世界だからこそ、私はそれをぶち上げたのだ。
「仁菜、一緒にバンドするばい」
熊本弁は変換ツールにかけました。少しずつ標準語に切り替えていきたい。