転生ヒナちゃんVS正論モンスターの仁義なき戦い 作:流星の民(恒南茜)
『ヒナ、ちゃんとご飯食べてるとね?』
ポケットの中でスマホが震える。
取り出してみると、ホームに通知が浮かんだ。差出人は──お母さんからだ。
慌ててスマホのロックを解除し、最低限の文字を打ち込んだ。
『ちゃんと食べてるから』
「ヒナちゃん、そろそろ練習を再開しようと思うんだけど大丈夫?」
「はいっ、大丈夫です」
何せ今はスタジオを借りての練習中だというのに、こういう時に限って親からの連絡は届くものだったりする。
相変わらずどこか間が悪い、コミュニケーションだっていつも上手くいくわけじゃない。
案外そんなものだけれど、かと言って憎いというわけではもちろんないし、心配もさせたくない。
『また後でね』
手短にそう打ち込むとスマホをポケットにねじ込んで、私はマイクを持ち直した。
「さて。二人とも、初ライブまであと一週間なんだからシャキッとしていかなきゃね」
「もちろん、頑張つもりですからっ!」
発破をかけるミネさんに、仁菜の表情がこわばる。彼女の返事は少しばかり力みすぎたものだ。
初ライブまであと一週間……ともなれば、強情な仁菜でも少しは緊張してくるのだろうか。
「いい返事だね。それでさ、当日演奏する曲を決めたんだ。二人とも、見てくれる?」
ミネさんが取り出した譜面。
手書きで書き込まれた音符に、これまた手書きの歌詞。
直接書き込まれたであろう紙面は多少擦り切れていて、それでも、大事に扱われてきたからか折れもなければ少しの破れもない。
ふと、歌詞を視線でなぞった後にその上の方へ目が行った。
作詞・作曲──ミネさんの名前がある。
けれど、それだけじゃない。
「……桃香、さん」
ポツリと仁菜が呟いた。
記されたミネさんの名前、その隣に連なるようにして──桃香さんの名前があったからだ。
「……これはさ。私とモモが一緒になって作った曲なんだ。いつか一緒に演奏しようねって約束してたんだけど、ダイダスが忙しくなっちゃってね。結局、機会は来なかった」
そうぽつりと口にするミネさんの口調にはどこか寂しそうなものがある。
それでも、これを私たちに見せてくれたということはきっと、寂しい止まりじゃないのだ。
「でもさ、あんたたちはモモの忘れ形見みたいなもんだ。だからこそ、この三人で演りたい。そう思うんだけど、どう──」
「……演らせて、くださいっ!」
ミネさんが聞くまでもなく、力強く仁菜が答える。
その目に灯った輝きは爛々としていて口元は引き締められていて──この表情を、私は覚えている。
『この曲、最近流行りらしくて……』
初めて、「空の箱」を聞いた時。
つまるところ、自身の支柱にすらできると強く響くものがあった時、
「……私も文句はありません。今回は仁菜に賛成します」
そして、それなら私にも異論はない。
それに──この曲ならやりたい。多分、仁菜ほどの強い感情じゃないにしろ私にもそんな気持ちがあったのは事実だ。
「……ありがとう、二人とも。やっと念願が叶う気がするよ」
そうやって、カラッとした笑みを浮かべてミネさんは言う。
「あとさ、もう一つ伝えておかなきゃいけないことがあるんだけど──」
◇ ◇ ◇
「へいらっしゃい! ライブチケットいかがですか〜!」
「女子高生二人が出演しますよ〜!」
ミネさんとのライブ練習が終わって、夜。
私たちは何をしていたかというと──川崎駅前で悲嘆に暮れていた。
「……って! 私たち退学済みじゃん! あとそうやってキャピキャピ売るのやめて欲しいって……!」
「……だって、一枚も捌けてないじゃん。仁菜も現実的に売る方法考えてよね」
『今度のライブのチケット、練習だと思って五枚売ってみて。残りは私がやっとくからさ』
──チケットノルマ。
ライブハウスの設備を借りる分、もちろんお金はかかる。じゃあ、その分はどうするかっていうと……バンド側がチケットとして全部買い取らなければいけない。
では、買い取ったあとはどうなるか──もちろん、売り切らなければ大損だ。
「たった五枚なのに、全然売れる気がしない〜っ!」
「……そりゃあね。ミネさんはまだしも、私らは無名なのに誰が買うの」
「どうしてヒナはそんなに冷静なの? 私たち、しばらく極貧生活に……」
「……仁菜が安い食材ちゃんと選ばないからでしょ? 賞味期限だってスレスレのやつ買ってくるし!」
本当に些細なことで、気づけばいがみ合っていた。
明らかに目立っている──そういう自覚はあったけれど、つい熱くなってしまったというか。
仁菜の減らず口を封じ込めるには、こっち側もさらなる減らず口で叩くしかなかったから。
「そこの二人、少しいい?」
「……はい?」
そんな風に、散々目立っていたせいだろう。
不意に呼び止められて。振り返ってみると、そこには──。
「ひぃっ!」
……先に仁菜が悲鳴を上げる。
そこには、舌に刺さったピアスをチロリと覗かせた、目付きの鋭い女性がいた。
釣られて、私も一歩たじろぎそうになってしまう……。
「……ちょ、引くなよ! 俺たち、それを買い取ろうってのにさ!」
それを静止したのは、隣にいた頭を結った男性だった。
こちらは相当にガタイがいい。二人揃えばなおさら怖い……というか。
そもそもとして、見覚えがある。
「……もしかして、前にこの辺でライブしてました?」
「……してたよ。二人とも、ミネさんの教え子なんだろ? そのよしみで、チケット買ってやろうと思ってさ」
それで、完全に思い出した。
彼らは川崎に来た日に駅前でライブをしていて警察にしょっ引かれていた……もっと言うのなら、桃香さんと仁菜を追いかけ回していた二人組だ。
「それは失礼を……! あ、ありがとうございましたっ!」
ポリポリと頭を掻きながら、お金と引き替えに渡した二枚のライブチケットをヒラヒラとさせて二人組は立ち去っていく。
「……人って見た目によらないんだ……」
そうしてようやく私の後ろからひょっこりと顔を覗かせると、仁菜はそう呟いた。
「どの口が言ってんの……」
何だかその他人事っぽさに思わずカチンと来て、口を開きかけた時だった。
「走ってっ!」
──急なことに。
急に、仁菜が私の手を引っ張った。
「ちょっ、何っ!?」
「いいからっ! 早くっ!」
その鬼気迫る表情に、思わず私もパシンとその手を強く握った。
川崎駅前から、横断歩道を駆け抜けて仲見世通りの喧騒をくぐる。
ひた走る中で、電球が織りなす光彩が鮮やかに映った。
あんまり上品な光り方じゃない、チカチカと目に悪い──ともすれば、網膜に焼き付くようだ。
赤、青、黄──一色一色が視界に入っては焼き付いて遠ざかっていく。重なっていく。
どこか浮かされているようだった。
息を切らして走る私、引っ張って全力疾走する仁菜、全部が遠ざかった気がした。
ざわめきの中で、息を吐く音が遠くに聞こえた。
ぎゅうぎゅうと行き交う人々を押し退けて仁菜は前へ、前へと進む。
私たちは完全に道理から外れている。
「うわっ!?」
と、その瞬間に。
一瞬にして意識が引き戻された。
視線が下向く、ガッと足に引っかかって転がる缶ビール。途端に前のめりになったバランス。
迫るアスファルトを前にして、私は思わず目を瞑った──。
「……え?」
けれど、いつまで経っても体が地面に打ち付けられることはなく。
むしろ、ギリギリのところでまだバランスを保っていて……誰かによって支えられていた。
「……ちょっと! ヒナちゃん、怪我ない!?」
恐る恐る目を開けると──そこには、潤んだ光の粒に混ざって人影があった。
間違いなく、見覚えがあって……途端に、私は仁菜が逃げ続けていた理由を知った。
◇ ◇ ◇
「どうして逃げたの、仁菜。大体、前からそっち行くって言ってたじゃん」
「だからって、駅前で急に……びっくりしたもん。……お姉ちゃん」
結論から言うと、仁菜が逃げていた相手──私を助けてくれたのは、仁菜のお姉さんだった。
私も熊本にいた頃によく会っていたから面識はある。
「ははあ、さては見られたくないことでもしてたな〜? 男とか? それとも……もしかして、いけない遊びとか……?」
「……そういうのじゃないってばぁ……!」
道理で最近は練習中でも仁菜が落ち着きのない様子を見せていたわけだ。
きっと、お姉さんが来るのを知っていて……それでも、黙っていたから。
無理やり話は逸らしつつ、それでも、確信には触れようとしない仁菜にお姉さんの追求は続く。
「……バンドです」
「ちょっ!? ヒナ!?」
「普通に考えて隠し通せるわけないでしょ。それに、家族に伝えないで続けるとか、無理あるし」
けれど、はっきり言ってそれも無駄に思えた。
仁菜のお姉さんはだいぶ話がわかる人だ。私たちに付き合ってくれたこともよくあるし。
何よりも家族に隠し通したままというのは──私の家庭の事情の問題かもしれないけど──あまり良くないことに思えた。
「……バンド!? 仁菜が!?」
お姉さんは随分驚いていた。
そりゃそうだ。熊本にいた頃は、私たちは音楽とは無縁だったわけだし、受験をすると言って東京に出てきた妹が友達とバンドしようとしているっていうのはぶっ飛んだ話に決まっている。
とはいえども、元を辿るならば──。
「……私が、誘ったんです」
「……ヒナちゃんが?」
私に、ほかならなかったから。
多分、上手くやれると思ったから。一歩、前に出る。
それからは、順を追って説明した。
熊本にいた頃、放送室ジャックの後で私が仁菜にバンドしないかと言ったこと。
こっちに来てから、ミネさんに出会って音楽を教えてもらい始めたこと。
そして、ライブがもうすぐあるということ──話せば少しずつでもわかってはくれるだろう。
というか、感情的な仁菜よりは私の方が説得できるはず……とすら思っていた。
「……うん」
けれど、説明すれば説明するほどお姉さんの口数は減っていく。
その不吉さに、思わず私が説明を止めた時だった。
「……なるほどね。いい出会いがあって、そして、音楽を始めた。それはわかったけど、さ……」
ぽつりと、お姉さんは呟いた。
恐る恐るといった具合に、それでも、確実に障害として。
「お父さんが……もうすぐこっちに来るんだよね」