転生ヒナちゃんVS正論モンスターの仁義なき戦い 作:流星の民(恒南茜)
『──”やけに白いんだ やたら長いんだ”』
占拠した放送室。
取り上げたパイプ椅子の軋みすら、割れんばかりに響く歌声にかき消される中で。
動画で何度も見てきた桃香さんみたいに、ギターの真似をしてかき鳴らした。
爪が触れて、ギィと音を立てる度。何重にも傷がついていく度に思う。
このまま、ぶち壊れてくれればいいのに、って。
私をここに閉じ込めるもの全部が。
ドンドンと放送室のドアを叩く大人たち。
私がここに立てこもる要因を作ったいじめっ子。
けれど、この程度の抵抗じゃ何も起こりやしない。
爪痕をつける……どころか、むしろ私の爪が割れそうだ。
きっと、もうじきドアがこじ開けられる。
そうしたら、この抵抗も終わり。私は一人でしょっ引かれて──全部、終わって。
閉じ込められたまま、差し伸べられる手すらない。
ほんとに馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しいのに……。
一息につまみを押し上げる。目一杯限界に達してつかえた感触が指先に残った。
もっと、もっと、もっともっともっともっと──例え、私一人の世界でも。
こんなので満足するのが私一人だとしても、せめて。今だけは、爪を突き立てさせてほしい。
ほんの、引っかき傷だけでいいから──。
「りゃあああああああっ!」
──けれど、飛び込んできた。
私一人、閉じ込められていた世界に。
「仁菜っ!」
私の名を呼んで、ここにいるのだと──自分の存在を迸らせて。
そうしてヒナは私の手を強く引っ張り上げた。
『──”どう足掻いても明日はない”』
◆ ◆ ◆
「お父さんが……来る……?」
お姉さんの言葉を反芻する仁菜の声は確かな怒気を含んでいた。
「どうして……? だって、大学に入りさえすればって……」
「でも仁菜、まだ予備校すら決めてないでしょ? それどころか連絡すらせずに放ったらかしで。……お父さんが心配がる気持ちもわかるわよ」
「──そんなわけないっ! あの人が心配してるわけない!!」
空気がビリビリと震える、堪えられてきたものが炸裂する瞬間はそれだけ強烈で……だとすれば、仁菜はずっと我慢していたのだ。
「だから……私も知らんっ!」
そうやって、いつも突き放そうとして。
泣き腫らして、怒りをぶつけて──でも、それじゃ終わらないクセに。
「ちょっ! 仁菜っ!」
仁菜は駆け出すと、叩きつけるようにしてドアを閉める。
出ていって、逃げ出して、それで頭を冷やせるのならいい。
「あの、お姉さん。私が……行きます」
「……ヒナちゃん? でも、これは私たち家族の問題だから、私に……」
「いいえ。多分、仁菜はそれだけじゃ収まらないと思うんです」
そうだ。その程度で仁菜が静まるわけがない。
「……そっか。ヒナちゃんは、仁菜のことをわかろうとしてくれるんだね」
正直、わかりたいとか。そういう感情とは違う気がする。
ただ、それは仁菜が学校を辞めた時に感じたのと同じ気持ちだ。
「別に、そういうわけじゃなくて。ただ、腹が立つんです。突き放されて、終わりにされるの」
「ぷはっ、何だかそっくりって感じ。家訓があっても平気だった私と嫌だった仁菜……姉妹でもこんなに変わっちゃうのに、あんたたちは不思議だね」
多分、仁菜と同じ。
私も突き放されただけで終わりたくない。だって、納得できないから。イライラするから。
私と仁菜じゃ全然性格も違うはずだけれど、吹き出したお姉さんを見て、そこは同じなんだって。
妙に納得してしまっている私がいた。
「……だから、そんな二人を信じてみるよ。お願いね、ヒナちゃん」
「任されました」
だから、腹が立つって言われて、そのままなあなあにはできない。
だって、それは私だって腹が立つから。
それなら、互いに納得するためにどんな方法を取ればいいか──それはずっと、こっちに来てから繰り返してきたことだった。
「……どうして、無視すんの」
駅前の喧騒で一人、夜闇の中に立ち尽くしている。
私を見つけても仁菜は顔を背けるから、思いっきり背中を叩いてやった。
ぶつからなきゃ。
そうしてやらなきゃ、絶対に仁菜は納得しないから。
「いたっ! ちょっと、やりすきじゃない!?」
「お姉さん心配させて、私をここまで走らせてるから、むしろこれでも安いと思うんだけど?」
「別に、そうは思わん……ところで、どうしてここがわかったの?」
唇を尖らせて、さも不機嫌そうにしながらも仁菜は聞いてくる。
はっきり言って不機嫌になりたいのはこっちの方だ。
「わかったとかじゃないから。仁菜が行きそうなところ手当たり次第全部行っただけ」
「足で稼いでる……」
「遠くまで逃げた仁菜が悪いんでしょ」
正直、息は切れ切れだ。
駆け回ったから膝も震えて……少しは反省して欲しい。
けれど、それはそれとして。そこまでしなければいけない目的があったのも事実だ。
「……ヒナはさ。私を追いかけてくれるんだ」
「当たり前じゃん。東京まで来て、これからライブで。逃がしてたまるかっての」
「でも、さ……でもさっ、普通に考えて迷惑じゃん……!」
きっとこちらに向き直って、仁菜は語気を荒げる。
その声音の悲痛さはどこか自虐らしい。その口調には確かに覚えがあった。
「私、もしかしたら帰らなきゃいけないかもしれない……! ここで歌えないかもしれないんだよ!?」
私が仁菜の宿敵になるんだと決意した日。
仁菜が自分だけ置いていかれているみたいだと焦りをあらわにした時だ。
そして、今だってそうだった。帰らなきゃいけないかもしれない──親がこっちに来る。
仁菜の家が厳しいのは理解している。何せ家訓なんてものがあるぐらいで、仁菜自身もしきりに受験を気にしていた。
「受験するからって条件で東京来たのに……それじゃあ、ほら見たことかって家族にも見下されて……!」
「それは何? 受験するために地元に帰りたいってこと?」
「そういうわけじゃないけどさ……! お父さんがこっちに来て、私がしてること知られたら、おしまいなんだよ!?」
こういう時にこそ私が冷静さを保つべきだ。
仁菜の感情はふとしたことで大きく動く。それは彼女の美点であって、かつ面倒くさいところの一因でもあるから。
「家族とか一旦忘れて。じゃあさ、仁菜はどうしたいの?」
それだけの強いエネルギーがあるのなら、正直な方へ向けなければいけない。
「うぅっ……受験はしなきゃいけなくて……でもっ……」
結局仁菜の感情は、うじうじと曲がりくねって。
「そりゃ……歌いたいに決まってるじゃん……! ここまで練習してきて、ミネさんから曲も貰って、やっと東京にまで来たのに……!」
それでも、最後にはぎゅっと拳を握りしめて。
「私は、やだ。こんなところで終わりたくない……!」
そうして、仁菜は答えに達した。
迸らんとする激情を、
「……わかった。要するに、仁菜は受験をしなきゃいけない。でも、歌うのを諦めることもできない。そういうことでしょ?」
不服そうな顔をしながらもこくりと仁菜は頷く。
それがわかっているのならいい。
「だったらさ、やるべきことはまず一つじゃん。目先のライブを何とかする。そういうことじゃないの?」
「でも、お父さんが……みんなが、どんな顔するかわかんないよ……?」
「……そもそも仁菜は、
はっとしたかのように仁菜が目を見開く。
そうだ、それでこそ仁菜だ。私に「馬鹿」だって吠えた、あの時の仁菜だ。
「その
固まったまま私の方を見つめる仁菜。
半開きになったその唇がかつて紡いだ言葉を、私は決して忘れることはないだろう。
『一緒に……証明していくんでしょ!? 正しいんだって!』
──自分にできないことばっかりが膨れ上がっていって、川崎の街に一人逃げ出した私を見つけてくれた。ギターを掻き鳴らして、私の手を取ってくれたその瞬間を。
澄んだ青い瞳が見開かれて潤む。
更にその上へ手を伸ばして、私は髪の毛をかき上げながらも仁菜の額にそっと触れた。
「だって、仁菜の
剥き出しになった傷は乾ききって、カサブタになっている。
けれど、そこを剥がしてしまえばすぐにでも血を流すのだ。
いじめを止めるためにと踏み出したあの日、私が臆していた中で受けた負傷。
あのいじめの中で、唯一仁菜が得た誇りだ。
「親にも、音楽にも、両方に真っ直ぐ向き合わなきゃいけない──でもね、一人でやれとも言ってない。全く、仁菜はほんとに喧嘩っ早いんだから。肥後もっこすってやつ?」
「……熊本出身はヒナもでしょ」
「……そうね。じゃあ、お揃いかな」
掴んだ仁菜の腕は、確かな熱を帯びていた。
あの日、私を振り切って前に進んだ腕、差し伸べられた腕、何度触れてきただろう。
それを引っ張って、私の額に触れさせる。私が冷めきっているせいか、より混ざった体温は熱く感じられた。
「爪、立てて。私も──おんなじにしてよ」
その熱さとは反面、立てられた爪はひどく硬くて冷たくて。
「……ヒナ?」
「ほら、爪痕残して。お互いに、もう逃げないんだって誓いにさ。私の体に」
それでもまだ戸惑っているのか、躊躇うようにただ触れるだけ。
仁菜の爪先は押し当てられるままだった。だからこそ、額を前に出す。より深くまで突き刺す。
『私にも、寄越せよ!』
そう言って仁菜は、川崎に来たばかりの日に私の手を引っ掴んだ。
どこまでも一緒に堕ちると、誓ってくれた。
だからこそ、今度は私の番だ。
「ねぇ、寄越してよ」
──そうやって、手を差し伸べるのは。
意を決したように、垂直に立てられた爪がミシミシとめり込む。
鮮烈な痛みが突き破るようにして額を駆けた。熱いものが垂れてきて手のひらで拭う、血だ。
仁菜の手によって、私は爪痕をつけられたのだ。
「えっと……ヒナ、そういえばアイドル志望とかじゃなかったよね?」
私の額と自分の指先とをまじまじと見比べながら。
不意に仁菜が放った言葉に思わず私は吹き出してしまう。こういう時ばっかり天然だ。
「ぷはっ、やらないって。だって、誘ったのは私からじゃない。『バンドやるばい』って」
もし、
でも、私は違う。仁菜と共にここまで来てしまった。
だったら、最後までこっちはこっちで役目を果たすのだ。
「それもそっか」
釣られたようにして、仁菜までぷっと吹き出した。
弛緩した空気を今一度締め直すために、私は額にそっと手を当てる。
「じゃあ、約束ね。お互いに逃げないこと。最後までライブすること」
「……うん。約束」
仁菜と私。お互いの体にこうして痕を残して誓いは果たされた。
だとしたら、次にやるべきことは──ライブの障害になりそうな問題を何とかすることだ。
「ねえ、仁菜の家族のことなんだけど、私にいい考えがあるんだよね」
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「チケット、完売だね。二人ともお疲れ様」
「いえ。むしろミネさんにこそ、たくさん売ってもらって悪いと言うか……」
ライブ当日、控え室にて。
刻一刻と出番が迫る中だというのに、私はどこか心穏やかだった。
「へぇ。ところで誰に売ったの? 伝手とかさ」
「えっと、知り合い……のバンドマンに二枚と、あとは……」
「……私の家族に、三枚です」
私の答えに被せてくるようにして、仁菜がぽつりと口にする。
そうだ。それこそが、私が彼女に提案した”考え”。バンドにも、親にも向き合う方法だった。
『……まあ、そこまで本気だって言うのなら、来るように交渉してみるけどさ』
困り顔のお姉さんに、仁菜の両親にも渡すようにお願いしながら渡した三枚のチケット。
それはもう隠すどころの話じゃない、真っ向から自分たちがやりたいことを叩きつける、はっきり言って不器用で。でも、仁菜にはぴったりなやり方だった。
「なるほど。仁菜ちゃんのご両親が来るなら、悪いところは見せられないね」
「ミネさん、今日はベースなんですか?」
「うん。サポートでも弾いてたからね。打ち込みも済ませたし、こっちの準備はバッチリかな。ヒナちゃんこそ、貸したギターは大丈夫?」
「はい。さっきのチューニングはバッチリでしたし」
ミネさんから借りたエレキギターは、アコースティックに比べるといくらか弦が重かったけれど。
かと言って弾けないわけではない。大丈夫なはずだ。
「仁菜ちゃんも、喉は大丈夫?」
「はい。そろそろ出番ですよね?」
「そうだね。じゃあ、行こうか──二人とも!」
ミネさんの号令に続けるようにして、羽織っていた上着を脱ぎ去る。
露わになったライブ衣装──Tシャツには、仁菜のものにははっきりと『不登校』と刻まれている。
「全部を晒すって言ったって、晒し過ぎじゃない……?」
「私たちで証明してやるんでしょ? だったらこれぐらいやらなきゃ」
そして、私のものも。
──宿敵。
仁菜と対峙し、額に傷を付けられた私にはぴったりな文字だ。
それぐらい気張って、今日は全部をぶつけてやる──。
「”川崎アゼリア(仮)”、行きましょう!」