転生ヒナちゃんVS正論モンスターの仁義なき戦い 作:流星の民(恒南茜)
「──桃香さん、ですよね?」
その名前を呼んだ瞬間、女性──推定桃香さんは、視線を私に合わせたまま目を見開いた。
しげしげとその顔を見つめれば見つめるほど、疑惑が確信へと変わっていく。
目を引くパンクスタイルと派手なピンク髪。その反面、ミネさんのライブの時にも感じた、捨てられた猫みたいな……どこかか細い雰囲気。
「……あっ!」
けれど、何か声をかけようとする前に、早足気味に彼女はその場を立ち去ろうとしていた。
「ちょっと、待ってください──っ!」
ギターを抱えたまま追いかけようとして……その瞬間だった。
つるりと磨かれたアスファルトで足が滑った。肩からかけたストラップがぐっと私を引いて、いとも容易くバランスが崩れてしまう。思わず、目を瞑る──。
「あぶ、なっ!」
けれど、いつまで経っても痛みが私を襲うことはなかった。
なぜなら、抱きとめていてくれたから。
「……やっぱり、桃香さんじゃないですか」
視界いっぱいに広がるのは、先ほどの女性──桃香さんの顔だ。
強気な瞳はその実心配そうに見開かれて、私の顔を覗き込む。見た目よりもずっと心配性なのかもしれない。
そして、私が呼んだ名前はやっぱり合っていたのだ。
あちゃー、とでも言うように困り果てたような顔で。桃香さんは頭を掻いた。
「……で、 さっきのってダイダスの曲だよな?」
「はいっ、私ダイダスの大ファンで! 特に『空の箱』は私のテーマ曲で、多分千回は再生して……あっ、ありますよ、証拠!」
まとまらないまま、言葉が次から次へと外へ出ていく。
桃香さんと出会えて、しかも今お話できていてテンパっている──それは自分でもわかっていたけれど、実際に会えたとなれば伝えたいことは山程あった。
「だから、再生履歴まで見せなくていいって。……ダイダス好きなのはわかったけど」
気恥ずかしそうに桃香さんは目を逸らすけれど、どうにもその口元は緩んでいる。
何だか妙に人間らしいその仕草にようやく実感が沸いてきた。画面の向こうでもステージでもなく、対等に私たちは接しているんだって。
「……ところでさ、ギター弾くの?」
「はいっ、実はバンドやってて……ついこの間ライブもしたんですよ?」
だからこそ、私のことを一つでも多く知ってもらうには今がチャンスだと思った。
お客さんとバンドマンの関係じゃ、よっぽど古参だったりしない限りは一方的な関係だけれど、今ならば少しぐらいは印象に残せるかもしれない。桃香さんが私の人生の大部分にそうしたみたいに、ほんの一部ぐらいになら私も入り込めるかもしれないから。
「私はボーカルやってて……今はギターも弾けるようになりたいかな」
「へぇ、そりゃまたどうして?」
「……ギタボやってる友達に勝ちたいんです。この間のライブじゃフェアじゃなかったから」
それこそ、憧れの人の前で変な話をするわけもないから、至って私は真面目な話をしているつもりだったのだけれど。
先ほどまでどこかピリピリしていた桃香さんの雰囲気がそこでふっと緩んだ気がした。
「フェアって。戦ってるわけじゃないんだからさ」
「戦いですよ。意地と意地のぶつけ合いです」
「はは、まあ確かに。下手に仲間〜とかやるよりも、そっちの方がこざっぱりしててやりやすいのかもな」
「別にやりやすくはないですけどね!」
スラッとしてて、引き締まった大人っぽい顔つきで。
それなのに、桃香さんは歯を出して無邪気に笑う人だった。
私の話なんかで、桃香さんは笑ってくれていた。
「何かさ、写真とかないの? 気になってきたな」
「ありますよ! ほら、これ──」
だからこそ、少し浮かれすぎていた。
写真を開いて咄嗟にマズイと気づいた瞬間があったけれど、桃香さんはそんなこと知るよしもないから覗き込んできて──。
「……ミネ、さん」
一瞬でその顔が青ざめたのがわかった。
桃香さんはミネさんに長いこと連絡をしていないという。
それに、この間のミネさんのライブだってそうだ。わざわざ見に来たのに、帰ってしまって──。
桃香さんが彼女のことを意識しているのなんて、明白だったのに。
「……あのさ。あたしの話、してた?」
ぽつりと消え入りそうに、桃香さんは零した。
正直に伝えるべきか躊躇われる。ただ、それでも。
ミネさんがどれだけ心配がっていたか──それだけは伝えなければいけないと思った。
「……してました。たくさん。正直ウザいぐらいに」
演奏を失敗して、大好きな音楽だってしばらくやめて、上京してきた私たちに桃香さんを重ね合わせるぐらいの未練を──なかったことにして、だなんて。そんなことできるわけもなかったから。
「そっか」と呟くと、桃香さんは口ごもってしまう。
「なあ、ダイダスが解散した時ってさ、どう思った?」
「……え?」
しばしの沈黙を経て、桃香さんが投げかけてきた質問に、私は困惑するしかなかった。
だって、何だか憔悴しきった人から──弱りきった今の桃香さんから出る言葉だとは到底思えない。私だってそんなのどう返せばいいかわからないに決まっている。
「……多分、みんな失望してたよな」
「そんなこと……」
「正直に教えてほしいんだ。ファン目線でさ、どう思ったかって」
私の財布の中には今だって、あの日のチケットが残っている。
桃香さんがバンドを辞めなければ開催されるはずだったライブ。あれが中止になった時のショック具合だったら今でも覚えている。ようやく熊本にも来てくれるんだって、授業中にだってこっそりスマホを取り出してチケットを取ろうとしたのに。
「……確かにショックでした。ミネさんも……もしかしたら、ヒナもかな」
「……やっぱり、か」
一体どれだけの人が絡んでいたか──なんて私にはわからないけど。
それでも、身近にいる人だけでも浮かぶ顔はいくつもあった。桃香さんの言っていることはやたら大人だったんだと思う。
ライブ直前でバンドを辞めた。周りを巻き込んでしまって、ミネさんなんかは目に見えて落ち込んでいる──そんな現実だけを受け入れようとしている。
「……でも、それは桃香さんにとって都合が悪い部分なんだと思います」
だとしても、桃香さんが受け入れようとしている現実は一枚岩じゃない。
いじめにあった時、全てが敵に見えた。お父さんも先生も言うことを聞いてくれなくて、周りはいじめっ子ばかり。敵と私、そんな風に白黒で区切れるものだと思っていたのに。
「じゃあ、なんだ。都合のいい部分があるって?」
「……はい。私がいます」
そこには、ヒナがいたんだ。
モップと一緒に殴り込んできた第三の色。区切りきれない、一枚岩じゃない現実。
私もまた、桃香さんにとってのヒナになれないだろうか。
「……桃香さんの曲を聞いて、救われた子が」
「でも、曲を聞いたってどうにかなるわけじゃないだろ?」
「いいえ。現実に立ち向かったんです。放送室ジャックして、学校で『空の箱』を流して。その後は学校を辞めてここに出てきました」
桃香さんは呆気にとられたような顔で私を見つめる。
何だかあまりにも突拍子がない話を聞いたみたいで、自分でやったことなのに私にとっても現実味がないなあなんて思うけれど。
直後に桃香さんはぷっと吹き出した。
「……ぷはっ、なんだよ、その無茶苦茶な話」
「本当のことですよ。本当のことだったから、私はここにいるんです」
だけど、全部本当だ。
私にとってのヒナがそうだったみたいに、桃香さんにとっての
だからこそ、今はそのまま笑っていて欲しい。
「……そいつの名前、聞いてもいいか?」
「仁菜。井芹仁菜、です」
湿気った雨の匂いが近づいてくる中で、桃香さんが私の名前を呼ぶ。
ニッと笑って、わしゃわしゃと私の髪を撫でて──それが、私と桃香さんとの出会いだった。
「──よろしくな、仁菜」
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