転生ヒナちゃんVS正論モンスターの仁義なき戦い 作:流星の民(恒南茜)
聞き分けの良い子だった。
頷いた通りに物事をこなし、適度に私を気遣ってくれて。
「ヒナちゃんはいい子でいいわね」──と、言われ続けてきて。
それでも、そんな風に育てたのが決して自分でないことを私は知っていた。
後から振り返るとするのならば、あの日かかってきた電話。
怒りと困惑の中にほんの少しだけ入り混じっていたものを私は覚えている。
それは、そう──。
◆ ◆ ◆
「……バンド? ヒナ、何ば言いよっと……?」
──仁菜、一緒にバンドするばい。
そんな突拍子もない私の提案に対して、当然というべきか──仁菜は顔を顰めて聞き返してきた。
改めて考えてもみればそうだ。仁菜に歌の才があって、『トゲナシトゲアリ』として活躍していく──それは、私だけが知っていること。
ともすれば、本当にそれは伝えても良いことだったのだろうか。
もしかしたら話を逸らさなければいけないかも──なんて、思考が次々に別の方向へと向いていた手前。
「ヒナ、どぎゃんこつね!?」
一瞬で引き戻された。
初老の先生、その隣りにいる気難しそうな男性は幾度か見たことがある。確か、仁菜のお父さんだ。
そして、そんな二人よりもずっと先に前に出て、私に詰め寄ってくる──母が、そこにいた。
「……それは、その……」
強い言葉で詰められて、近い距離で責められて。
説明する間もなく私が言葉をぼかしてしまっていた間に、母はもう椅子に座り込んでいた。
「教室ば飛び出してモップば振り回したっちゃ……ああ、ほんなこつ目眩がする……」
ひとしきりぼやく、そんな母の言葉に仁菜のお父さんも眉間にシワを寄せて静かに頷いて、先生に至っては貼り付けたようなにこやかさのまま凍ってしまっているかのようだった。
「……と、取り敢えず……二人の対応について、他の教師陣とも相談させていただきまして……」
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「……停学処分って」
どこか情けなさそうな含みと共に、帰途につく電車の中で母はそう口にした。
射し込んだ夕日が影を落とす中で、母はなんて言ったら喜んでくれるんだったっけ、なんて。今更もう遅いことを考えた。既にやってしまった後で、私に何が言えただろう。
「……ヒナはそぎゃんこつする子じゃなかったやろ?」
そうだ。”ヒナ”はそんなことしない。
物心ついた時から、私には生まれ直してくる前の記憶があった。
首を吊るまでに至った過程──いかにして、いじめの対象になってしまったか。
だからこそ、もうそんな結末だけは避けるために徹底していたのだ。
「……そうやった」
──”いい子”でいること。
先生の言う事は聞く、周りの人の頼みには基本応じる、家族に文句を言うのなんて以ての外、そうやってひたすらに味方を増やすための努力をしてきた。ヒナは”いい子”なのだ。
だというのに、私は今、全てを台無しにしてしまっている。
「……まずは頭ば冷やすことやな」
ゴトン、と。大きく電車が揺れる。
その弾みにもたれかかってしまった母の肩の上で、私はそっと頷いた。
◇ ◇ ◇
『お母さんから聞いた。学校を停学になったというのは本当か?』
吹き出しの中に浮かぶ簡潔な文章。
遠く、単身赴任をしている父から届いたメッセージに既読だけを付けて私はスマホを閉じた。
寝そべったベッドは今日もふかふかだ。陽の香りを吸って、床には埃もなければ、クローゼットには畳まれた着替えが戻されている。
学校から電話を受けてきた時も母は料理をしていたらしくて、帰ってきたら鍋が煮上がっていた。
「ヒナ、ご飯にするばい!」
ドアの外から聞こえてくる声に従うまま、私はベッドを降りた。
「……反省文と自宅謹慎。逆にそれだけで済んで良かったばい。暴力やなんて、あり得んもん」
煮えすぎてドロっと溶けた肉じゃがを皿によそいながら、やたらとトーンの高い声で母はそう言う。
頷いて、黙々と食事を口に運び続けた。食べている最中だから話せない──喋りながらご飯を食べるな──母が言ったことを体は覚えていた。例えこんな状況であろうとも。
「暴力なんて絶対にせん。ヒナはそぎゃん子や」
一人頷きながら母はそう零す。
そうだ、私はそういう風に過ごしてきた。育ってきたつもりだったから。一番側で見てきている母がそう口にするのは当然だった。当然の権利だった。
ここまで世話を焼いて育ててきた娘に対して吐く言葉としては。
学費は誰が出した? 私をここまで育ててくれたのは?
そんなことはわかっている。じゃあ、誰が踏みにじった? モップなんか振り回して、抵抗して。
仁菜と一緒ならどこへでも行けるだなんて、妙な確信があった。
落ちていったっていい、引きずり込まれたっていい──とても論理的とは言えないけれど、ぐっと人を惹く
ただ、それを認めたっていい。もしも、その
……出る杭は打たれる、あり得ない話だ。そんなこと誰でも知っている。
だからこそ、誰もやらない。それをする仁菜はじゃあ、何なんだよ。どうして私は彼女について、庇おうとしたんだよ。
「……とにかく、復学までにしっか勉強しとき」
思考の海に引きずり込まれようとしていく中ではっと我に帰る。
ともかく、頷いた。しっかりと勉強しておけ──何しろ、復学するのだから。
──おかしかよ。間違っとう方が正しかって、やっぱ変だとよ。
……そうだ。戻るのだ。
仁菜がそんな風に評した、学校に。
ただ、裏を返せばそう評しているのは仁菜だけに過ぎない。
大学は内申書を必要としない、別に今回の一件をしのいでいつも通りに勉強を続けていけば、復学は容易だろう。目立ってしまった分に関しては──そもそもの騒動の火付け役が仁菜なのだ。上手く誤魔化すこと、それぐらいなら私にだってできる。
全てはまだ何とかなる段階にある。
戻ればいい、仁菜が間違っていると言ったとして、その仁菜とはもう付き合わなければいい。
間違っているかどうかなんて決めるのは個人じゃない、世間だ。
例え
……だから、良い。私がどう思うかなんて判断基準は周りを──今は母を失望させるだけ。
一過性の怒りも何もかも、今は忘れて落ち着くんだ。
そうしているから浮いてしまう。一人、自分の意見を貫き通す。皆が伏せている中で一人だけが顔を上げて高々と中指を立てるような真似──私には、できない。
他者が庇ってもいいと思える人間になること、それが一番肝要なのだ。つまるところ、助けたところで浮かない、擁護できるような人間であることが。だとすれば、答えは一つだけだ。
──仁菜、一緒にバンドするばい。
あんなの気が動転して言ってしまったことに過ぎない、どうせ仁菜だって忘れている。
一過性の青臭さなんて捨てろ。今、正しいと周囲が頷いてくれることを選べ。
「……そうやなあ。勉強せんば、だって──」
だって──戻るんだから。
そう口にしようとした時、ピンポーンと。そんな声を遮るようにしてチャイムがなった。
「ヒナ、仁菜ちゃんやなかと!」
「……仁菜が?」
思わずその名前を口に出してしまう。何せ、今しがた思い浮かべていた相手だ。
しかも、こんな時間に仁菜が? 沸々と湧き上がってくる疑問のまま外に出る。
「こぎゃん時間に……家訓はどぎゃんしたと?」
仁菜の家は家訓があるぐらい厳しい。いつも愚痴を聞いていて、夕飯時には必ず帰っていた彼女が今ここにいること。それだけでももう、普段とは全く違うことだ。
「……うん! 私……家訓、破っとる!」
「……なして、そぎゃん得意げにしとっと?」
頬を紅潮させて、口元を引きつらせながらも、私を見つめ返してくるその目はどこか輝かしかった。
やってやったのだと言わんばかりにギラついた光で満ちていた。
息を吐く、そして吸う。ここまで駆けてきたのか、切れ切れになる口調の中で──その勢いのままに仁菜は言い放った。
「ヒナ。──私、学校辞めることにした!」