転生ヒナちゃんVS正論モンスターの仁義なき戦い   作:流星の民(恒南茜)

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#25 「フラレガイガール」

「……結局、演奏してそのまま。桃香さんはいなくなっちゃったんだ?」

 

こくりと頷く仁菜の顔は、涙の痕でくしゃくしゃだ。

『桃香さんが、いなくなっちゃったんだ』──部屋に戻ってきて、真っ暗な部屋で仁菜が蹲っていたわけ。おおよそその真相が知れたとしても、私の気持ちは落ち着かない。

当然だ。つい先程まで桃香さんを取り戻すという目標をナナさんに掲げてもらうために頑張っていたところだったのに、いきなりそれが足元から崩れ去ってしまったのだから。

それに、チクチクと胸の内側を突き刺すものがある。ささくれだった私の心が関心を寄せていたものがあった……けれど。

 

「……取り敢えず、お茶でも入れよっか。仁菜は何でもいいんだっけ?」

 

わざとらしくそう聞いてみたところで答えは何も返ってこない。

苦いものでなければ、といつも仁菜は口にしていた。子ども舌の彼女にはそれが常だったのだ。

それどころじゃないほど仁菜は思い詰めていて、そう思うといくら場の空気を少しでもマシなものにしようとしていたとしても、こうして呑気にお湯なんか沸かしている自分の行いが不謹慎にすら思えてしまう。

お茶を注ぐ指先は悴んだように震えて、私自身の動揺は誰の目にも明らかだっただろう。

 

「ほら、仁菜。一旦落ち着こう? 今はその……混乱してるんだと思うし」

「……うん」

 

仁菜は手渡したカップに口をつけて、けれど、その喉は動かない。

冷ますことすらせず、じっと見つめていた紅茶の表面がぽたりと滴る。声を上げることすらせず、ぽたぽたと一滴ずつ涙を零しながら、静かに仁菜は泣いていた。

 

「仁菜……」

 

こんな仁菜を見るのは初めてだったから、かけていい言葉すらもわからない。

普段はそれこそ、一言二言皮肉を言ったところでむしろ強気に言い返してくるし、仁菜の気持ちを切り替えさせるならばそれが一番だと思っていたけれど、今の彼女にそんな気力が残っているとは思えなかった。

 

「……あれ?」

 

きっと、彼女は自分が泣いていることすら自覚できていなかったのだ。

不思議そうに目を瞬かせて、そうするとなおさら瞳から雫が零れ落ちていく。

 

「ねぇ、ヒナ」

 

私を捉える瞳は潤んでいた。

瞳ごと零れ落ちていってしまいそうなぐらいに丸く見開かれて、つるつるで、そこに映る私はじゃあどうして泣けないんだろうって思ってしまう。

桃香さんがいなくなってしまった。あんなに取り戻すのに必死になっていた、憧れたバンドのボーカル。そんな彼女を失ってもなお、私が仁菜と同じ気持ちになれない理由。

そんなのは明白だった。明白だったからこそ、なおさら自分が嫌になる。

 

「……私の、せいなのかな?」

「仁菜のせいって……そんなわけないでしょ? だって、桃香さんは……」

「自分からバンドを諦めた……? そんなはずないよ、あんなに音楽が好きな人が、そんなことするはずない……!」

 

今の話を聞いて思ったこと。それを口にしようとして、しかし仁菜は遮ってしまう。

本当は私だってわかっていた。こんな言葉じゃ慰めにしかならないって。

桃香さんが音楽を諦めた理由があるとすれば、それは一つに絞れない。

事務所との相性、メンバーとの方向性、自分自身の調子……その全てが絡み合ってしまった結果なのだろう。

だとしても、思い詰めた今の仁菜ならば……。

 

「……私が、『一緒にバンドできない』って。そう言ったから、じゃないの?」

 

それは、一番仁菜に口にして欲しくない言葉だった。

涙なんて枯れ果ててしまうぐらい泣いたはずだ。こちらを向く仁菜の瞳は真っ赤に腫れきって、ふっと湛えた微笑みはもうどうしようもないとでも言うように、諦めきった薄いもの。

今度は私の番だった。ぎゅっと熱がこもった目尻から、じんわりと視界が滲んでいく。

 

仁菜にそんな言葉を口にさせた自分が情けなくて、もしくは、想起してしまったからだ。

なぜなら、そこに待っていたのは()()()未来だったのだから。

川崎に出てきた仁菜と桃香さんが出会い、二人からバンド・トゲナシトゲアリが始まる未来。

それを潰してしまったのは紛れもなく私で、仁菜を独り占めしてしまって、別のバンドへ、今へ引っ張り込んでしまった私で……。

 

「──違う! だって……っ」

 

だけれど、それが例え事実だったとしても言えようはずがない。

思わず声を上げてしまうけれど、その続きは決して口にできなかった。

こんな話を信じてもらえるはずがないから? それは当然かもしれないけれど。

それ以上に、私自身が伝えたくない。

憧れの人と──桃香さんとバンドをするはずだった未来を潰したのが私だと知ったら。

もしくは、本来桃香さんがそうしてバンドを再開していたはずだったと知ってしまったら……仁菜は、何を言うだろうか。

 

紛れもない、桃香さんを奪ったのは私だ。

仁菜にとって、私は仇だというのに。

 

「……ありがとね、ヒナ。慰めてくれてるのはわかってるよ。でもね、もう少しだけ痛いままがいいな。だってさ、桃香さんが残してくれたもの……ギターと、これしかないんだよ……?」

「だから、って……それを仁菜が背負うことは……」

「これは、私がそうしたいってだけだから。ただ……あのね」

 

今にも消え入りそうな声で呟くと、ふっと力が抜けたように仁菜は私にもたれかかってくる。

とくん、とくん。彼女の体が揺れるリズムと、私の胸が拍を打つリズムが重なり合ってしまって。

そうして混ざり合う熱は、今の私ではどうにものぼせてしまいそうなぐらいに過ぎたものだ。

 

「……少しだけ、こうさせてよ」

 

──あり得ない。

緩やかにカーブを描きながらも、ちらちらと揺れる仁菜のまつ毛。その下にある瞼は、ようやく安心しきったように閉じている。

私相手に仁菜がそんな顔を見せてしまっているだなんて、あり得ない。あっていいはずがない。

私は仁菜の敵でい続ける──最初のライブの前にそう決意したはずだ。

それは互いに弱音を吐いたら頬を打つ、片方が落ちたら引っ張り上げる関係であって……このままじゃ、仁菜はいつまでも起き上がれない。

それどころか、私も共倒れしてしまうかもしれない。

 

だというのに……じゃあ、私は何をしているんだ。

仁菜を気遣って、少しでも安らげるようにって……ナナさんの時には、偽物として立ちはだかってまで、意思を取り戻してもらおうとしたのに?

 

これ以上は認めざるを得なかった。

きっと、私は安心していたのだ。こんな状況で、仁菜が深く傷ついているというのに。

仁菜と桃香さんがバンドをやる未来が──桃香さんがいなくなったことで、完全に絶たれたから。

たった一瞬でも、仁菜が私の元を離れることがないとわかってしまったから……。

 

「……最っ低」

 

下手すればバンドすら続けられるかわからない。

それほどに仁菜がすり減ってしまったこの状況でもなお、そんな独占欲のようなものが一瞬でも芽を出してしまった──それが事実なのだとしたら、私は私のことが大っ嫌いだ。

桃香さんの代わりにもなれない、ヒナですらない分際で、どれだけ私は腐りきっているんだ。

 

薄く開かれた仁菜の瞳が私を捉えた時、直視できなかった。

それを覗き込む資格なんて私にはなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

「……仁菜ちゃんは、今日も来ないの?」

「……はい。まだ、立ち直れてないみたいで。そろそろかな、とは思ってるんですけど」

「そっか……。まあ、まさかあのモモが、となればね……」

 

練習後に話しかけてきたミネさんもまた、どこか気落ちした様子だった。

自分の教え子にも近い桃香さんが失意のまま故郷に帰ってしまったうえ、今のバンド仲間である仁菜まで塞ぎ込んでしまっているのだから、そうなるのも当然だろう。

 

「いっつも無鉄砲に振る舞うんだ。あたしたちならできる、退路を絶つ……って仲間を励ましてさ。一番、私に相談してきてたのはモモだったっていうのに、強がってばかりで……」

 

瞳を伏せてミネさんは呟く。

それは少し前にも仁菜から聞いたような響きをはらんだ言葉だ。

 

「こういう時、半端に目上だっていうのは無力だね……」

 

桃香さんが帰ってしまってから、仁菜もミネさんもすっかり気が滅入ったままのようで。

挙句、ナナさんからも連絡をしても返ってこないんだと、簡潔な文面が送られてきた。

みんな、深く傷ついて、立ち直るまでに時間がかかりそうなのに。

私だけが、あの瞬間に安心感を覚えてしまった。

 

「ミネさんも、ヒナちゃんも。難しい顔は一回やめよ? こういう時はさ、別のことをするといいっていうか。今度、ヒナちゃんちでご飯会でもしようよ。ほら、鍋パとか!」

「……鍋には時期が遅すぎるんじゃない?」

「お、ナイスツッコミ、さすがミネさん! ね、だからヒナちゃんも。一旦楽しいこと考えようよ」

 

今だってすばるちゃんが私を気遣ってくれている。

もしも私の気が晴れない理由が桃香さんの帰郷のせいなのだとしたら、それでも少しは切り替えができるかもしれない。

 

「……そうね。ありがとう、すばるちゃん。仁菜も誘ってみるよ」

 

だとしても、すばるちゃんには申し訳ないけれど、私は引きずり続けるべきなのだ。

この痛みは、堪らなく胸を突き刺すものは、私自身に由来するものなのだから。

それに、今の仁菜がそれで立ち直ってくれるか……そんな確証は欠片もなかった。

 

「ただいま、仁菜」

 

家に帰っても部屋の奥からは何も返ってこない。

誰かいるとは思えないほど薄暗い室内は、私が電気を点けるまでずっとそのままだったようだ。

台所は整然と片付いている。私が出かけている間に仁菜が何か作って食べたとか、そういう形跡はない。

仁菜はお腹を空かせているはずだ、急いで準備しなきゃ。

 

食材を取りに冷蔵庫に向かえば、そこに貼り付けられた当番表は更新されないまま。

今の仁菜に何かを任せるのはどうにも憚られたから……きっと、優しさというよりは毒にしかならないだろう。

けれど、それで現状維持ができるなら、なんて。どろどろに溶け残った胸中ではそんなことしか考えられなかった。

 

「仁菜は、今日どうだった?」

「何も」

「……そっか」

「ただね、聞いてた」

「聞いてたって、何を?」

 

二人、向かい合って食事を摂りながら会話もめっきり減ってしまった。

そんな中で不意に話題らしき話題が出た瞬間、思わずふっと気持ちが緩もうとして……。

 

「……『空の箱』」

 

またきゅっと胸を締め付けた。

 

「そ、そうなんだ……。他の曲とかは? ほら、仁菜が最近聞いてたバンドが新曲出してたでしょ?」

「……今はいいかな」

 

そうしてまた会話が打ち切られる。

一週間はこんな日々が続いていただろうか。

今はまだ取り返しがつくと頭では警鐘が鳴り響いていて、私自身何とかしなきゃとは思っている。思っている、けれど。

 

「……ごちそうさま」

「仁菜……もう少し、食べられない? それじゃあ、元気出ないし……」

「……ごめんね。どうしても、食欲が出なくて。ヒナはちゃんと食べて? 明日も練習あるんでしょ」

 

私を気遣いながらも、確実に仁菜は弱っていっている。

何とかする前にこのままでは彼女自身が大変な状態になってしまうのではないか、そう思うと焦る一方なのに、それでも何も手を施せない。

そうだ、この状況を招いてしまった時点で、今の私にこれ以上何ができただろうか。

弱る仁菜の頬を張って無理やり立ち直らせるなんて……そんな真似できるわけないのだから。

少しずつ。少しずつ、何とか解決する方法を模索するしかなかった。

 

「ヒナぁ……」

「仁菜!? こんな夜中にどうしたの?」

「また、見た。あの日の夢……桃香さんが、ギターを置いて……」

 

夜中にすら……いや、夜中だからこそ、仁菜の中ではまだ悪夢が続くのだ。

叩き起こされたことが問題なんじゃない。私の布団に潜り込んできて、そっと瞳を伏せる仁菜が。

そうして私の腕にしがみついて、涙で濡らし続ける仁菜が。

 

『じゃあ、約束ね。お互いに逃げないこと。最後までライブすること』

 

あの時、互いに付けあった傷跡はどこにいってしまったんだ。

一緒に駆けてきた仁菜が、その姿が今の私には見えなかった。

 

「……あのさ」

「……ヒナ?」

「私……もっと強ければよかったのにね……?」

 

だから、私は思ってしまうんだ。

もしも私が半端な、偽物のヒナなんかじゃなくて、本物のヒナだったらって。

絶対に仁菜になんか譲ってやらない、絶対的ライバルでいられたら──きっと、こうはならなかった。

 

「ヒナ、は……」

「……ごめんっ、ごめんね……」

 

か細い仁菜の声すら遮って、泣きじゃくって。そうして私は気づいてしまった。

仁菜の隣にいるべきは、()じゃないって。

泣いている仁菜に、惨めにも縋り付いたその夜。

私は前世でたった一度だけ振り絞った勇気を、もう一度だけ出してみることにした。

 

◇ ◇ ◇

 

最近の仁菜は寝不足だからか、起きるまでには少し時間がかかる。

そんな朝だったから、私も少しだけ早く起きて支度をした。

 

土砂降りの雨がアスファルトを絶え間なく打つ、雨の渋谷。

傘と傘がぶつかり合うスクランブル交差点を渡りながら、私は人と人に揉まれながらも歩いていた。

そんな中で、人とぶつかってもつれた拍子に上を向いた時、視界に飛び込んできたもの。

 

『もう、あなたにはついていけないって言いたいの!』

『だから、隣にいたくないってこと!』

 

その瞬間、稲妻のごとく脳裏をよぎる。

見つめていたものは普段から流れているような、流行りのアイドルのPVだった。

だけれど、今しがた思い出したものはそれとは程遠い。

もしかしたら、昨日決意したことと繋がってしまったせいだろうか。

 

しとしとと、上を向きっぱなしのメガネ。そのレンズを水滴が伝っていく中でくっきりと像を描く記憶が、現実との稜線を滲ませていく。

紛れもなく、それは()()での記憶だった。

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