転生ヒナちゃんVS正論モンスターの仁義なき戦い 作:流星の民(恒南茜)
「桃香さん、ですよね。
”元”に含みを持たせるようにして呼ばれた、あたしの名前。
出会い頭から攻撃力が高い。私の危惧していることが、彼女の主導であることに違いはないようだった。
「……そっちこそ。”ヒナ”で合ってたよな? 仁菜のバンドメンバーをやってるっていう」
「はい。それで間違いありません」
「だったら、人違いじゃないみたいで良かったよ」
嘆息、ともに立ちのぼる息は白い。
四月の半ばになってもなお、この街はまだ肌寒いから。それが夜ともなれば尚更だ。
関東からわざわざ帰ってきて、ようやく体もこの気温に慣れてきたところだったのに。
「それで、どういうつもりだ? わざわざこんなところまで来て、こんなことまでして」
目の前の少女が──ヒナが攻撃性を剥き出しにしてくるんだったら、こちらだって手加減してやる必要はない。
ずいっと顔を寄せ、吐き出した声は自分でも驚くぐらい低かった。
「……これは、宣戦布告のつもりです。桃香さん、あなたが選んだ道へ」
夢を見て、上京して敗れて、そうして帰郷する。
ありふれた終わりを迎えたあたしの物語。
「”諦めるな”って──そう、叫ぶために」
そこに牙を突き立てる彼女の若さが、その輝きを湛えた爛々とした瞳が。
ただ、あたしには憎かった。
◆ ◆ ◆
「私がここに呼んだ理由はわかるよね。……本気なの? ヒナちゃん」
ミネさんが言うことにこくりと頷いて、私は彼女の瞳を見つめ返した。
仁菜と私がバンドに復帰して最初のライブが
実際、テーブルを囲うナナさんも渋い顔をしていて……きっと、私はよっぽどの無理を通そうとしているのだ。
「だって……ナナちゃんもさ、今大変な時期なんでしょ?」
「……ええ。新ボーカルがまだ見つかっていなくて」
「やっぱり、ちょっと強引すぎるんじゃないかな。ヒナちゃんは自分がしようとしていることを捉え直すべきだ」
ミネさんに突き返されたクリアファイル。
その中から顔を覗かせる企画書の頭に記された文字列が目に入る。
普段の私だったらあり得ない、ともすれば、仁菜ですら振りかざさないような無茶だ。
「『どりーむがーる対ダイダスの対バン』──わかってます。やることはそれ以上ないんですから」
「それはわかってるよ。問題は場所と、それが持ってしまう意味だ。だって、ヒナちゃんの目的はよっぽど……踏み込みすぎだと思う。ズカズカと、人の事情に」
当然、そこに書いてある企画概要を見てミネさんが私の真意を理解していないわけがなかった。
そして、これにミネさんがいい顔をするはずがないというのもわかりきっていたはずだ。
「……私も、確かに無茶だと思います。やりすぎだとも思っていますよ。旭川に乗り込んで、対バンをする。……
「それがわかっているなら、どうして……」
ミネさんが困ってしまう気持ちだって当然わかっている。私が彼女の立場だったら間違いなくそうなっているはずだ。
だからといって、今日は遠慮をしている場合ではない。
ここで退くわけには行かない。あの屋上で仁菜に示された生き方を貫き通さなければ。
「──諦めて欲しくないからです。桃香さんに」
「諦めて……? だから、モモのはそういう問題じゃ……」
「そんなのわかってます。わかったうえで、私も呑もうとして……でも、無理だったんです!」
張り上げた声でミネさんを黙らせてしまったこと。
きっと、こんなの普段の私が望んでいる対話とは程遠い。
だけれど、今の私には一切の理論武装なんかない。そもそも、何かしらの考えがあってこんなことをしようとしているわけじゃない。
ただ、自分のしたい生き方に報いるため。
そのために、自分の罪をすすぎたい。ただそれだけの感情論に過ぎない。
だとしたら、とことんまでそれを振りかざしてやれ。
理論の一切は考えない、唯一の私の武器だ。
「私、たくさん諦めてきました。自分の夢も、友達も、生きることも……諦めても無理がないって状態まで追い込まれて……なのに……!」
『──私は、
あの時、屋上で一人ぼっちだった私に差し伸べられた手があった。
全てを諦めようとした私を繋ぎ止めて、何なら命まで勝手に持っていっちゃって。
それでも、私は確かに救われた。
「諦めるなって、仁菜は繋ぎ止めるんです。追い詰められても届く声があることを知ってしまったから……私は、生きることにして……仁菜の言うとおりに生きようと思って……」
私に刻まれた『諦めるな』って生き方。
これを貫くのだとすれば、叶えなければならないのは私自身の生を全うすることだけじゃない。
仁菜も私も一度は諦めてしまった桃香さんの復帰。それが残っている。
仁菜と行く約束をしていた熊本ライブだってそのままだ。
「だから、私も仁菜も……桃香さんの音楽を諦められないんです!」
自分たちのことだけじゃない。
桃香さんのことだって、決して諦めたくなかった。
「つまり……ヒナちゃんがモモに固執するのは、仁菜ちゃんとの事情に過ぎないってことだね?」
「……はい」
言い切った……はずだったけれど。
ミネさんは深くため息をつく。どうにも刺さったようには思えない。
その言い方には未だトゲがあった。
「二人は……ヒナちゃんは、ちっともモモの事情を考えられていないよ。本当にモモが諦めたかったと思う?」
「……思いません」
「そうだね。モモだって何度かの成功を乗り越えて、やっとダイダスのメジャーデビューに迫ったんだ。よっぽどの熱意がなきゃ叶わないこと。音楽性と天秤にかけて……ギリギリで、そちらが勝ってしまっただけなんだろうね」
桃香さんが上京してきた時からずっと話を聞いてきたから、ミネさんは彼女たちの事情に明るい。
そんな中で私が他所からズカズカと足を踏み入れて自分たちの事情を突きつけるよりも、当事者だったミネさんの言う事の方が説得力があることには違いなかった。
「音楽を趣味にして、教職に進もうとした私……その数歩先をモモは行ってしまった。実際、私だって考えたさ。モモみたいに、そうやって諦める勇気があればって」
大好きで、続けたくて。それなのに、諦めなきゃいけない。
ミネさんの瞳が見てきたのは、そういう人ばかりの世界だ。
だとしたら、彼女の吐くため息の意味がわかってしまう。
「だって、そうしていれば食うに困らない。いい曲作って売らなきゃって考える自分を嫌いにならなくていい。もしかしたら、今よりも純粋に音楽を楽しめるようになるかもしれない……そんな
諦めると言ってしまえば聞こえは悪いけれど、それは別の道を選んだことと同義だ。
必ず悪いことが待っているわけじゃない。むしろ、その先に待つのは苦しいことから解放される未来なのかもしれない。
前世の私だってそうだった。
現実がどうにも耐え難くて、だから、少しでも解放されたくて人生を諦めた。
今の生活に苦しさがあるから岐路に立っているはず──そう考えれば、桃香さんの苦しさもわかってしまう。
「だから……少なくとも、私はモモをもう一度苦しませたくはない。……わかってくれるよね?」
最初から上手く行くと思っていたわけじゃない。
だけれど、私は思っていた以上に物わかりが悪いままではいられなかった。
ミネさんの言うことに少しでも同調してしまった以上、戦意を失ったも同然だ。
だとしたら、頷くしかなかったのかもしれない。
「──嫌です。私は、認めたくない……っ!」
そう思っていた。その瞬間にナナさんが声を張り上げるまでは。
「ミネさんの言うことはわかります。私だって、モモカンをすぐ側で見てきました。音楽性が合わない、アイドル売りなんて嫌だって、散々苦しんでいたのは知っています……!」
掠れた声は、私たちの会話をずっと黙ったまま聞いていたせいだろうか。
ちらりと横目で見る度、ナナさんの表情は強張っていた。ぎゅっと唇を噛み締めて。
ふるふると物言わずに私たちを見つめたままで。
「一緒にバンドをしていて楽しかったねって笑い合ってきました! その時の楽しさよりも、苦しさが勝っていたなんて認めたら……私がしてきたことはどうなっちゃうんですか……?」
彼女の渋い顔はずっと私の発言一つ一つに向けられたものなのかと思っていたけれど。
そうだ。私がナナさんの立場だとして、バンドを辞めたのが仁菜だったとして。そう簡単に諦められるわけがない。
それでも、その表情は自分を納得させようとするためのものだったのだろう。
「やっと……やっと、諦められるなって思ったら、ここのヒナちゃんに言われて。モモカンのこと思い出しちゃって……私、気づいたんです。ただの音楽じゃない。私が好きなのは、モモカンと演奏する音楽だったんだって……」
私の勧誘を経て、ナナさんはダイダスには桃香さんの音楽が不可欠だと気づいていた。
あの時、演奏を止めて泣きじゃくった彼女の顔を見てしまったからこそ。
「だから、もう一度捨てるなんて絶対嫌……。私は、モモカンのことを想っていたいんです!」
私にナナさんの必死さは伝わっていた。
きっと、他の誰にだって突き刺さるはずだった。
「……そっか」
ようやく口を開いた時、ミネさんの言葉からは先ほどのトゲが抜け落ちていた。
呆気に取られているというべきか、ミネさん曰く以前のナナさんは自己主張の薄い人だったらしいからそのギャップもあったのだろう。
「わかった。ナナちゃんとヒナちゃん、バンドの代表二人が決めたなら私に異論はないよ。心配しないで、演奏はちゃんとするから」
立ち上がると、ミネさんは伝票をひょいとつまみあげてしまう。
思いの外あっさりと折れてしまったことに驚く気持ちはあったけれど。
「ライブで手を抜くのはご法度だからね」
ふっと、立ち去るミネさんの口元は緩んでいた。
ミネさんの気持ちが理解できた……なんて私に言えるはずはない。
それでも、その顔を見た時に安心してもいいのかもなと思えてしまった。
「……ねぇ、ヒナちゃん。ありがとね、モモカンのこと」
「あ、いえ……むしろこちらこそ。それとすみません、たくさん首を突っ込んで……」
残されたナナさんと私。
最後の会話は私がダイダスに混ざって演奏をした時だ。
多少の気まずさがあったせいか、私の口から飛び出た言葉は嫌に丁寧なもので。
それを聞いたナナさんはぷっと吹き出した。
「いいよ、もっと肩の力抜いて。だって、次に会うステージじゃ行儀よくしてられないでしょ?」
笑いかけながらも、ナナさんが私に向かって突き出してきた拳は力強い。
これからすることが如何に大変か、一筋縄では行かないか、それがわかっているからこその決意表明だ。
「……わかりました。じゃあ、もっと衝動に任せて、全力で」
突き出されたものと私の拳を合わせて。
「精一杯、戦おうね」
ナナさんの瞳は、もう笑ってなんかいなかった。
◇ ◇ ◇
「ねぇ、ヒナ。ありがとうね」
「……私はそう言われるようなことなんてしてないわよ?」
旭川滞在にそう日は使わない。
どりーむがーる一行で到着した初日からライブハウスの下見だった。
仁菜はというと、桃香さんの故郷の景色に散々目を輝かせていたせいか疲れ切った様子だったのに。
その癖して急にそんなことを言い出すものだから、少しばかり食い気味に答えてしまった。
「ううん。桃香さんのための対バンライブ。ヒナが準備してくれたんでしょ? 最近、ずっと寝るの遅かったし」
「仁菜はそういうところだけ鋭いんだから」
「伊達に一緒にいるわけじゃないもん」
仁菜の言う通り、伊達に一緒にいるわけじゃない。
お互いのことがわかってしまうのも当たり前だ。
だとしたら、仁菜だってきっと。わかってくれているに違いなかった。
「このライブは、仁菜のためだけじゃないよ。だから、『ありがとう』なんて言わなくていい」
「……そっか。桃香さんの……私たちのため、だもんね?」
「うん」
あの日、屋上で聞いていた桃香さんの曲。
それは二人で分け合ったものだ。だからこそ、桃香さんが帰郷してしまった時のやるせなさも、取り戻すための努力も、決して一人でするものじゃない。
紛れもなく、私たち二人のためだった。
「だから、仁菜も本番は私の準備分ぐらいは頑張ってよね」
「もちろん! むしろヒナなんて、私の演奏でけちょんけちょんだし!」
私と仁菜。屋上で過ごしたあの日々に、確かに桃香さんは寄り添ってくれていた。
だからこそ、彼女を取り戻すまで決してあの日々は戻らない。
どんな苦労も決意も、そのためなら安いものだった。
ちらりとスマホを見やると、そこには確かに一通のDMが届いている。
ライブを前にして、最後にもう一つ。私は立ち向かわなければならなかった。
◇ ◇ ◇
「”諦めるな”って──そう、叫ぶために」
その言葉を口にして、相手がどんな顔をしていたか。
街の灯りを背にしているせいで、私をここに呼びつけた相手──桃香さんの表情は見えない。
ただ、僅かな歯ぎしり。それだけが聞こえた。
「……あのさ、わかってるのか。あたしにだって生活がある。仕事だって決まった。川崎の家だって引き払った。なのに……今更、何がしたいんだ」
桃香さんの言い分はもっともだ。
私はずっと、彼女の人生を歪めてしまったことを後悔していたけれど、それはこれからすることだって同じ。
仮に桃香さんが音楽を再び始めるとして、それにはいくつもの障害と捨てなきゃいけない今の生活がある。
そんな選択を押し付けようとしていることに、脚が竦まないわけでもない。
だとしても──。
「私はただ、認めたくないだけです」
──あの日、私を引っ張り上げてくれた曲が。
仁菜を諦めるなって、私を放送室まで走らせた桃香さんが。
「あなたの曲は、仁菜の人生も私の人生も書き換えた……今バンドができているのは、そのおかげなんです。だから、認めてやらない……!」
仁菜も私もようやく前を向いて、なのに、あなただけ勝手に降りていくだなんてそんなの認めたくない。
私は決して、認めてやらない!
「あなたが音楽辞めた現実なんか!」
失礼なことを言っている自覚はある。
それでも、挑発してようやく桃香さんを引きずり出せる。
そのためなら、私はどれだけ嫌われたっていい。
「だから言っただろ。あたしはもう、音楽は……」
「それなら、これはお返しします」
背中にかけていたギターケースを半ば放るように桃香さんに渡す。
中から覗く青色のボディーを見て桃香さんが息を呑んだのがわかった。
「お前……私がどんな気持ちでこれを手放したかわかってるのか……」
「わかります。仕方なくて。現実がクソで。諦めること……私だって、経験ありますから」
きっと、私が対峙しているのは少し前の私だ。
何かを諦めて。まだ諦めようとして。そんな相手を前にして、仁菜は──。
「それでも、私は諦められなかった。だから、あなたにももう一度だけ問いたいんです」
決して折れることなく、仁菜は踏み込み続けた。
何度だって聞いてきた。本当に諦めるのかって。
「対バンライブを見て、それでも何も感じなかったら……私たちは、もう決してあなたには干渉しません。お願いします」
風に混ざった弦の音。
桃香さんの抱いていたギターが、どうやら何かに触れたらしい。
「……そうか」
それっきり、桃香さんは背を向けてしまう。
この先私たちに待っているのは一か八かだ。桃香さんだって、お願いしたところで来てくれるかはわからない。
だとしても、私にできることは全力を尽くすだけだ。
一人、立ち尽くした展望台にて。
悴んだ私の手には、一握の衝動しか握られていなかった。
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