転生ヒナちゃんVS正論モンスターの仁義なき戦い 作:流星の民(恒南茜)
『モモカン。もう、やめようよ』
ギターの弦に指をかけようとした瞬間、よぎったのはそんな言葉。
腹の奥底から沸々と沸いて出てきそうになるものから意識を逸らすために、あたしは眼下の町並みへ視線を向けた。
くしゃり、と。今でも衣装を鷲掴みにした時の感触は覚えている。
あの時に感じた怒りは鮮明だ。フリフリしたラメの入ったスカート。ふざけているのか、こんなものを着てライブができるか──きっと、みんなも同じことを考えているだろうと思っていたのに。
『どうしてだよ、ナナ。だって、あたしたちの音楽はこんなんじゃないだろ?』
『それはそう、だよ? モモカンの音楽はもっと真っ直ぐで……こんなチャラチャラした格好も、音も、必要ないものだって……私が、一番知ってるしっ』
『……だったらどうして、企画の時に何も言ってくれなかったんだよ』
──だって、食べてかなきゃいけないじゃん。
……そんなに真っ当な言葉があるかよ。
今だって、思い出す度にきゅっと唇を噛んでしまう。
あまりにも逃げ場のない言葉で、私が吐いた理想なんてかき消してしまうぐらいの現実で。
「あぁ、クソっ……」
歌とは違う、ただの悔しさ。
唇から漏れた言葉の汚さに自分でも嫌気が差す。
あの頃歌っていたのはあたしの意志で、想いで、それなのに、今はちっとも沸いてこない。
口ずさむべき歌なんかよりも、クソったれな嫌味ばかりが口を衝く。
そんなに擦り切れてしまって……だからといって、じゃあダイダスのリーダーとして容認してよかったのか。
あたしは理想を貫く。だから、みんなも一緒に飢えてくれ、なんて。
いつか必ず成功するからって。
『ねぇ、モモカン。いつかは……私たちのやりたい曲ができるようになるはずだから、さ』
そうして我慢しなければいけない過程が同じだったとしたら。
プロを続ける方が、少なくともみんなにはいい生活をさせてやれるはずだった。
「あぁ……っ」
みんなが口にすることは至極正論だ。
事務所の人達だって、極限まであたしたちに譲歩してくれた。
ダイダスを売るために、今はこれで我慢してくれ。その分待遇は弾むから、と。
誰も、何にも悪くない。
ただ、悪いのは──間違っているのは、あたしだ。
あたしだけがずっと、正しくないことを言っているだけだ。
『そうだ。ずっと──それこそ、おばあちゃんになるまでこのメンバーがいい。このまま、バンドをし続けたい』
誰一人として、あの約束は破っていない。ただ、あたし以外は。
そう思えばこそ、音楽を辞めるべきは……あそこから消えるべきは、あたしだ。
──だから、認めてやらない……!
──あなたが音楽辞めた現実なんか!
それなのに、引き止めてきやがって。
キッパリ諦めて、もう終わりにして……どうして、また悩まなきゃいけないんだ。
空がまた暗くなる、もうじきライブの時間だ。だけれど、私には行けるわけがなかった。
悴んだ指先が震える。握りしめたピックすら、ずっと振り下ろせないままなのだから。
◆ ◆ ◆
「ねぇ、ヒナ。いよいよだね」
「……うん」
普段のライブよりもずっと、心臓が早鐘を打っている。
どれだけチューニングをしても足りない気がして……リハはもう終わっているのに、ギターを弄るのをやめられなかった。
「聞いた? チケット、完売したんだって」
「……そっか。三百なんて、私たちだけじゃ厳しいかもって思ってたんだけどな」
「今日はダイダスもいるしね。当然、私たちだけの人気じゃないでしょ」
「お、仁菜にしてはちゃんと客観視できてるじゃん」
「また上から……ムカつく……」
そこで仁菜がぷくっと頬を膨らませたのを見て、思わず口元が緩んでしまう。
何だか身が強張っていたのは確かだったから、いいリラックスにはなった。
「そんなにお客さんいるならさ、桃香さん関係なしにいいライブにしなきゃね。まあ、いつも本気の仁菜には楽勝でしょ?」
「それなに、私が不器用ってこと……?」
「……褒めてんの。ほら、行くよ」
仁菜と一緒に控え室から出ると、既にみんなステージ裏に集まっていた。
ミネさんとすばるちゃん、二人はなかなか出てこない私たちに代わって先にドリンクやらをセッティングしてくれていたらしい。ぺこりと軽く頭を下げる。
「いいよ、今日はみんな大変なんだし。お互い様でしょ? 特に私以外のみんなは、桃香さんへの思い入れも強いわけだしさ」
「まあ、そうだね。私もしっかり覚悟は決めてきたよ。ヒナちゃんが散々焚き付けてくるしね」
「それにしてはミネさんも、すごいいっぱいお手伝いしてくれたじゃないですか」
「そっちの方がかえって緊張も紛れるの。場数をこなしてきた知恵ってやつかな」
『どりーむがーる』の面々は、それぞれが自分たちのやり方で準備を終えている。
私たちに関してはどうやら心配がない。だからこそ、一番気になるのは──。
「ナナさん、お疲れ様です。ダイダスの皆さんも、準備の方は大丈夫ですか?」
「ん、ああ……」
どこか緊張したように身を強張らせるダイダスのメンバー──特にナナさんだった。
きっと、私たちの持つ桃香さんへの思い入れなんかとは違う。私たちは彼女の音楽に惹かれて集まっただけだけれど、音楽抜きにしたってナナさんたちと桃香さんが繋がってきた時間は長いはずだから。
純粋な
「……あの。何というか、気まずいですよね。一回別れて、それなのに今更って」
「……うん。ね、私さ、どんな顔して会えばいいんだろうね?」
私の場合はそんなことを考える暇もなかった。
仁菜がズカズカ踏み込んできて、私のこと無理やり引っ張って。
だから、気まずさとか考える暇もなくて……結局思いっきり泣き顔を晒してしまった。
今考えるとあれは確かに恥ずかしいことだったけれど、むしろそのおかげで通じ合えたことだってあったから。
「自然体でいればいいんじゃないでしょうか。アドバイス、なんて恐れ多いですけど、私と仁菜は取り繕う暇すらなくて……でも、それで上手く行ったようなものでしたから」
「……そっか。じゃあ、もっとシンプルに考えてよかったのかもね」
そう零すと、ナナさんはアイさんたちのところに戻っていく。
首にかけたベースはチューニングがばっちり終わっていたようで、次の瞬間に思いっきりピックを振り下ろした。
鳴り響く低音にピクリと肩を震わせるアイさんとリンさん。
「今日はモモカンに届けよう! かき鳴らそう──っ!」
それでも、声を張り上げるナナさんを見て、二人ともふっと顔を綻ばせた。
「おー──っ!」
それだけ強い結びつきで、連帯感で結ばれた四人が三人になってしまって。
だからこそ、これはまた四人に戻るための
そして、それを焚き付けたのは私だ。
「それじゃあ──私たちも、行きましょう!」
ぎゅっと気を引き締めて、ステージへと昇る。
暗がり、つかないスポットライトでバスバスと、軽いドラムのチューニング音。
すばるちゃんが親指を立てたのを見て、ミネさんが、仁菜が、頷く。
時間だ。そうして私は合図を出した。
「こんにちは──私たち、”どりーむがーる”ですっ!」
ぱっとついたライトの中で、目がまだ慣れない。幾度か瞬きをしてようやくお客さんの顔が見えるようになった頃──仁菜が小さく息を呑む。
そうして、私は気づいてしまった。
「……いない」
桃香さんが、そこにはいなかった。
そして、その次の瞬間にはもう、仁菜は駆け出していた。
ギターを私にぎゅっと押し付けて、ステージから飛び降りて。
「ヒナ! みんな! お願い!」
「ちょっ、ニーナ!?」
驚くすばるちゃんの気持ちだってわかる。
だけれど、仁菜はこういう猪突猛進な子なのだ。
そして、私は知っている。
こうやって突き進んだ先で、仁菜は必ず目的を果たすってことを。
「ああ……もうっ」
桃香さんのところに行って、無理やりにでも彼女をここまで連れてくる。
仁菜がやろうとしているのはきっと、そういうことだ。
そして、ボーカルの片割れである彼女がいなくなってしまった以上、私はこの場にいなければ、ライブをやりきらなければいけない。
仁菜の思いっきり突飛な行動には後で文句を言ってやればいい。
ただ、私にできることは──。
「聞いてください! 先行・”どりーむがーる”で、『雑踏、僕らの街』──!」
思いっきり、ぶちかましてやるだけだ。
「──はぁ、はぁ……」
曲が落ち着くにつれ、一息に酸素を取り込む。そしてまた声を張り上げる。
いつも仁菜とのツインボーカルでやっと成り立っていた曲。息継ぎだ。
それが一人にもなってしまえばこのテンポに追いつくことは難しい。
前世での……”トゲナシトゲアリ”での仁菜はこれを一人で歌っていたのか。そう考えてしまうと、どうにも今の私はできない奴だ。
一曲目が終わる頃には酸欠で視界が霞んでいた。
カラオケや練習で歌うのとはわけが違う。ライブハウス全体に響くような声で、しかも演奏しながらともなると、疲弊は凄まじい。
それに対して、ダイダスはというと背筋がピンと伸びたままナナさんが代打のボーカルとして曲を紡いでいる。
汗は光るけれど、ちっとも呼吸に乱れは感じない。
ダイダスの番が──二曲目が終わっても、まだ息は整わないままだ。
「……行きますっ! 三曲目! 『碧いif』──!」
どりーむがーる、ダイヤモンドダスト、どりーむがーる──。
互いの曲が次々に重なっていく。
疲労は蓄積していくものだ。自分でも声が掠れているのが、ところどころ歌が途切れてしまっているのがわかる。
「っ、はぁッ」
視界が滲む。未踏だ。練習ではいくら曲数を積んでいても掛かる負荷は本番の一曲分にも満たない。
そのうえで、今回は二バンドだけの対バン、曲数は過去最多ともなれば、必然だったのだろう。
もう何曲歌っただろうか。
震えた膝は少しでも力を抜いたら崩れ落ちてしまいそうだ。スポットライトが眩しくて目が潤む。
ともすれば、それが苦痛によって滲んだ涙なのかすらわからない……。
「次は──私たちにとっての大切な曲。私たち両バンドを突き動かした始まりの曲です!」
ナナさんが私の方を向く。
次は、両バンドの”対バン”としての直接対決。
最大のパフォーマンスにして、互いにとっての魂の一曲だった。
まだ仁菜も桃香さんも来ない中、もうぶつけるのかと思ってしまう部分もある。
そんな甘ったれた考えが自分の頭をよぎって、私は思いっきりピックを握りしめた。
食い込む、走った痛みが私の意識を鮮明にする。
お客さんがいる今の状況、私たちにはもう他にできる曲もない。
何より桃香さんの──誰かの心を動かしたいと思っているのに、ただ場を繋ぐための妥協なんかできるわけもない。
確かに私は限界だ。
疲れ切って、吐き出す息すら肺には残っていない。
だからといって、じゃあ、仁菜はどうなんだ。
今頃必死に桃香さんのところに走って説得しているんじゃないのか。
何よりもトゲナシトゲアリでの仁菜は、これを一人でやり切ったんじゃないのか。
──ヒナの命を、私にちょうだい。
仁菜と生きるに相応しい命に、私はならきゃいけないはずだろ。
それなら、こんなところでへこたれてるな。
私をここに残した仁菜に、その信頼に応えてみせるんだ。
「──聞いてください! 『空の箱』!」
重なった声は今すぐにでも私を押し潰そうとしてくる。
今までのツインボーカルとは違って、直接対決だ。真正面からぶつかってくるナナさんの声にはまだ張りがあって、少しでも気を抜けば飲み込まれてしまいそうだ。
一番歌いだしからのぶつかり合いに思わず怯んでしまいそうな体に鞭打ち、肺から無理やり呼気を絞り出す。
仁菜と駆け抜けてきた今までに、ここまで辛い演奏はなかった。
声は掠れて、爪先は上手く地面を捉えない、幾度も上下して指先は震えている。
それでも、すばるちゃんのドラムが私の声を外へと押し出す。
ミネさんのベースが私の紡ぐべきメロディーを先んじて舗装してくれる。
今この瞬間にも支えられているからこそ、まだ声を出せた。
上ずり、擦り切れそうな声を張り上げて。サビを紡ぐ。
そうして、吠えた。一番が終わった。
すっかり夢中だ。
間奏に入って、ようやく覚めたその瞬間に。
「……っ」
そうだ、仁菜は? ……桃香さんは?
真にこの曲を届けるべき相手はいつになったら来る?
夢中になっていたせいで、のぼせたような頭では本来の目的を忘れてしまうには十分だったけれど。このままでは何も成し遂げられないままだ。
思索を巡らせている間に曲は二番に突入してしまった。そろそろ終わりに近い。
私の体力もまた、あと一曲ぐらいしかできそうにない。
そのうえで、今演奏しているのは桃香さんに届けるべき『空の箱』。
この機会を逃してしまって、次に好機が来るのはいつになるだろうか。……と、言うよりも。
『対バンライブを見て、それでも何も感じなかったら……私たちは、もう決してあなたには干渉しません』
もう、これが最後のチャンスじゃないのか。
終わるのか。本当にこのまま、桃香さんに何も届けられないまま、終わってしまうのか。
気丈に歌い続けていたナナさんの瞳が目の前で揺れる。
確かに演奏は続いているけれど、みんなの間で不安が伝播していた。
不味い。不味い不味い不味い……。
届かない。取り戻せない。私が滅茶苦茶にしてしまったものがそのままで終わる。
ただ、ただ、一握の衝動も。足掻いただけ、無駄に。
「────あ」
一つだけ、私に刻まれたメロディーがあった。
それはきっと、
前世でヒナを意識したと同時に、痛みとともに
「クソが──」と、仁菜が叫ぶほどに嫌ったもの。この世界で私だけが、それを知っていた。
本来なら『空の箱』は二番の終わりと共に落ちサビに入る。
だけれど、あと数秒でいい。ヒナを……桃香さんを信じるために、私にできることがある。
一歩間違えればこの演奏を滅茶苦茶にしてしまう可能性すらある。
だけれど、信じろ。今の私は一人で歌っていた時とは違う。
一度は首を吊った。
受け入れられない現実とクソったれな今があった。
まだ怒りは根付いている。衝動が私の中で暴れている。
それを全て。全て、すべてすべてすべてすべて──この世界に向けて。
「──りゃあああああああああああっ!!!!!!」
──中指立ててけ!
突き抜けた。
私の衝動が、ついぞ一つの形に実を結んだ。
ピックを通して、そんな感触が指先を掠める。
『ETERNAL FLAME〜空の箱〜』。
ヒナをボーカルにした新生ダイダスが初めに披露した曲だ。
構成する音が変わったのみで主旋律に違いはないけれど、この曲には通常の『空の箱』と違って、もう一つだけ特徴がある。
サビが、二番にもあるのだ。
無理やり二番のBメロから繋げるようにして持っていった二度目のサビ。
一瞬は旋律が乱れるけれど、流石みんな経験者なだけはある。すぐにリズムを戻してしまうナナさんのベースに助けられるようにして、また曲が一つにまとまっていく。
この変更で稼げるのはたった十数秒に過ぎない。
それでも、その十数秒すらも信じてあげられなくて何が親友だ。
限界に達して喉が焼き切れたっていい。
繋げ、続けろ。この演奏を──。
「ヒナ──っ!!!」
そうして、落ちサビに差し掛かった時。
霞んだ視界の中で、私は見た。
スポットライトで陰る客席に、仁菜の姿を。
彼女に引っ張られるようにして立つ、桃香さんの姿を。
◆ ◆ ◆
「……弾かないんですか。ギター」
ギターを弾けないまま取り落としたピック、それを拾ったやつがいた。
今の私には不躾に思える質問とともに、真正面からあたしの顔を覗き込んでくる。
その不器用な手触りには覚えがあった。
だけれど、ここまでだとは思っていなかった。
「……お前も、頑固なんだな。仁菜」
「桃香さんこそ頑固すぎます。こんなに準備して──それでも、来てくれないんですね」
川崎駅前で出会った時と比べると、今の仁菜にはちっとも可愛げがない。
あたしを睨むその瞳も、吊り上がった眉も、引き結ばれた唇も。ここに来るまでで息を切らしたのか肩で息をしている。あたしなんかに必死になって。思えば、ナナたちもよくこんな顔をしていた。
そして……そういう時に限って、面倒くさかったんだ。
「……そりゃそうだろ。聞いてないのか? あたしが、音楽を辞めたんだって」
「聞きました。ナナさんも、ヒナもみんなそう教えてくれて。なのに、どうしてこれを持っていたんですか」
仁菜が差し出してくるピック。
それを見ていると余計に苛立ちが増してくる。
さっきまで上手く弦が弾けなかった癖して、あたしの手元に戻ってきやがって……。
当たるべき相手がおかしいのはわかっている。それでも、あたしは意地を張ってなきゃいけなかった。
「……お前には関係ないだろ」
「関係あります。私も、みんなも桃香さんを気遣っているんですから。あなただけの問題じゃないはずです」
「そんなのはお前たちが勝手にやったことだ。大体、あたしが辞めたのもダイダスのみんなが同意の上で進んだことだしな。今更とやかく言われたところで……」
「──そんなの、私には関係ありません!」
きっと、あたしにだっていくらでも言い分はあった。
音楽性が合わなかったこと、ダイダスのみんなはそれを認めてしまったこと、今のあたしがようやく生活基盤を手に入れたこと。
そんな吐き出したい言葉の一切を、仁菜はワガママじみた言葉でかき消してしまう。
「……いいか。バンドで食っていくためには、事務所に従わなきゃいけない。それなりのやり方があって、呑めなかったからあたしは辞めた。辞めさせられたんじゃない、あたし自身が辞めたんだ」
「だからって、バンド辞めて……どうしてそのまま帰っちゃったんですか!?」
「メジャーデビューを打ち切ったんだぞ!? 仕事だって必要だった。仕方なかったんだ」
「仕方なかった……!?」
その瞬間に、仁菜から噴き上がったものがあった。
私に向けられた仁菜の形相が一際凄まじさを増した。
「言いましたよね!? また私と演奏してくれるって! 約束破って、それを仕方なかったで済ませないでください! 私が信じた桃香さんはそんなんじゃない!」
確かに仁菜とは約束をした。
また一緒に演奏をしよう──川崎の夜にそんな言葉を交わした。
それでも、あたしは嘘を吐いたんだ。
仁菜を気遣ってのことだとか、そんなものじゃない。
ただ、あたしのためだ。
なりふり構わず、ただ旭川に帰るためだけに。諦めきるために、吐き出した言葉だ。
「……旭川に帰るってお前に言ったら引き止められると思った。でもさ、あたしはもう嫌だったんだよ……!」
仁菜はあたしと出会った時から熱心なファンでいてくれた。
だからこそ、騙すようで気が引けたけれど……それでも、こんないい子に引き止められていたらきっと、揺らいでしまうと思った。
旭川に帰ることに決めたあの日、新幹線のチケットはもう取った後で、親にも頼んである程度アテを作ってもらった後で……それでも、仁菜に一緒にバンドをしないか聞いてしまった。
ただでさえ、あんな風に未練が滲み出てしまっていたのに。
きっと、あと一歩でも引き止められていたら、あたしはダメになっていただろう。
「嫌だったって、どうして……そんなことを言うんですか」
「そんなの……決まってるだろ!」
仁菜と話していると、自分でも驚くぐらいに言葉が引っ張り出されていく。
思わず叫んでしまう……なんて、どうにもらしくないのに。
引き出された。……引き出されてしまった。
今のあたしが、一番目を逸らしたかったものが。
「これ以上嫌いになりたくない! あたしは、音楽を好きなままでいたかったんだ!」
──音楽が好きだ。
誰かのものを聞くのも、一人で歌うのも、誰かに聞いてもらうのも。
それなのに、気づけばその全部を遠ざけるようになっていた。
音楽を続ければ続けるほど苦しくなる生活に、いつしか嫌いになってしまいそうだった。
「……やっぱり。好きなんじゃないですか、音楽」
「……っ、あ」
思わず口を衝いて出た言葉の意味に気づいてしまう。
なんて未練がましい言葉だろう。つまるところ、それは……まだ嫌いになりきれていないということ。
「……そうだ。好きだ、大好きだよ! 悪いか!?」
「……いいえ。ただ、同じだなと思ったんです」
半ばやけくそ気味に吐き出しきったつもりだった。
胸の奥で煮えたぎっていた想いを、認めてしまったら終わりだと知っていても。
「私と同じ。出会う前も、桃香さんと出会って、別れた後も。どんな目にあっても、いつまで経っても、好きなままなんです。桃香さんの曲が」
けれど、こちらを見つめる仁菜は微笑んでいた。
あたしの情けない本音を受け取ってもなお、まだあたしに向き合っていた。
「……きっと、これからもずっとそうです。桃香さんが戻っても、戻らなくても。上手く行っても、上手く行かなくても。私はファンでい続けます」
「……どうして、そこまで言うんだよ」
「前にも言ったじゃないですか。私とヒナを走らせたのは、桃香さんの曲なんです」
きっと、そうして真正面からあたしを射抜いてくるものを。
その瞬間に胸に満ちた感情の在り処を、ずっと前にあたしは知っていた。
『心配しないでよ、モモカン。この曲、最高だった!』
『ね〜、ピッタリで、叩いてて気持ちよくて……自分たちの曲って、こんな感じなんだ』
『モモカンは自信満々でいいんだよ! だって、リーダーでしょ?』
初めて、ダイダスのみんなの前で『空の箱』を披露した時。
みんなが一様にあたしを囲って、全力の肯定を向けてくれたのだ。
「……っ、いつの、話だ」
この感情を抱かなくなったきっかけをあたしは確かに覚えている。
音楽を辞めた日。あの日を境に、あたしは輝くことも、駆けることも辞めてしまった。
「も、桃香さん。えっと……顔……」
「見んな。あと、案内しろ」
「案内……? それって……!」
戻ってやるとは言わない。音楽をまた始めるとも言わない。
だけれど、こんなにもわだかまった音楽への気持ちには終止符を打つべきだと思ったのだ。
「ライブにだよ。決着を……つけさせてくれ」
◆ ◆ ◆
瞬くスポットライトが、今のあたしには眩しかった。
仁菜に引っ張られるまま転がり込んだ客席で、ステージを直視することができない。
鼓動が早まっていく。音が遠ざかる中で、耳鳴りが自分の立ち位置すら曖昧にしてしまう。
押して押されて、平衡感覚はグチャグチャだ。
ステージの上では曲が紡がれている。だけれど、そのメロディーに体を揺らす……なんてことが、できるわけなかった。
あそこにいるのは、逃げなかったやつら。
ここにいるのは、一度逃げた癖にのこのこ戻ってきたあたし。
『モモカン。もう、やめようよ』
ああ、いらない。
あいつらの紡ぐ音楽に、あたしはいらない。
「ちょっ、桃香さん!?」
仁菜の手を振り払い、ずんずんと歩く。
出口へ着けばもう終わりだ。もう、あたしに音楽は──。
「モモカーーーーン──っ!!!!!」
──本当に、いらなかったのか。
「私は──私たちは──ここにっ、いるぞーーーっ!!!」
間違いない。ナナの声が耳鳴りをぶち抜いた。
途端にくっきりとした音像が鼓膜を揺らしてくる。
聞こえてくる声も、それを包むメロディーも……全部、覚えがあった。
その向こう側には、紛れもなくあたしが作った歌があった。
ステージに向けて大きなうねりができていた。だからこそ、思わず振り返って。
それは、確かにあたしの作った歌を中心にしたものだった。
声援を上げる観客──そして。二つのバンド。
ヒナが声を上げれば、負けじとナナが組み伏せる。しかし、機を縫って抜け出たヒナが、更なる音で食らいつく。
鳴らし、吠えて、噛みちぎる。
一進一退の攻防。そんな
そこに、あたしがいない。
全身から噴き出る汗、カラッカラに渇く喉。
鼓動が激しい、荒くなった息は正気じゃない。一度、二度、三度──何度も自分に言い聞かせてきた。諦めろと、そう言ってきた。
あたしが迷い込んだ三叉路の一つが瓦礫だらけで、苦難そのものだとして。
他に、いくらでも潰れていない道があったとして。
「行きましょう、桃香さんっ!」
伸ばされた手を握り返す。
それでも、あたしは──。
「……ああっ」
自分の信じた道だけを往きたい!
背負ったギターは重たくて、何度もよろめいて。
人混みはちっともはけてくれない。確かな受難が待ち受ける。
「あたしだ──っ!!! 河原木桃香だっ!!!」
それでも、みんなが──あたしの大好きな歌がステージ上にはある。
あたし抜きで演奏されているのが……どうにも認められない。ガキみたいに、一方的に気持ちがはやる。
入れてくれ。あたしも一緒に、その音楽をやらせてくれ──。
体当たりをして、よろめいて。時には頭を下げて、時には強情に。
どんなやり方でだって前に進めた。脚はもう竦まない。確かな目的を前にして、爪先まで力が満ちている。
走れ、走れ、走れ。一足飛びに階段を踏み越えて、そうして──辿り着いた先。
「おかえり、モモカン」
そこは、光の中だった。
幾多のスポットライトに目が慣れない中で、ナナがマイクスタンドを寄越してくる。
その後ろではアイも、リンも、あたしを見つめて微笑んでいる。あの時から変わらない景色だった。
煌めく青、ギターのボディー。
弦を揺らせば、今だって声を上げる。
振り返ると、そこにいるのは仁菜たちだ。
準備は終わったようで、私を見つめては挑戦的な笑みでこちらに対峙する。
それならば──ねじ伏せるまでだ。
上がりっぱなしだった腕を振り下ろす。
止まりきっていた曲を、時間を。もう一度、動かすために──。
「──いいんだよな? 掻き鳴らしても!」
まとめ本2巻、活動報告にて詳細告知しております。よろしければ。
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