転生ヒナちゃんVS正論モンスターの仁義なき戦い 作:流星の民(恒南茜)
「──いいんだよな? 掻き鳴らしても!」
弦が波打つ、声が弾む。
喜色満面。昨日、展望台で会った時とは違う、子供みたいな無邪気さを湛えた桃香さんと対峙している。
「はい! 桃香さん!」
ぱっと後ろを振り返るとそこにいる仁菜もまた似たような顔をしていた。
やっぱりこの二人は同じ遺伝子を持っているんだな──なんて、そんな実感が沸いてくるからこそ。
「……私たちも、負けませんから」
息はまだ切れたままで、体の節々までどうにも感覚が行き届かない。疲弊していることに変わりない。
だけれど、仁菜と桃香さん。二人だけの戦いで終わるのは嫌だ。
私だって桃香さんに憧れて、仁菜と一緒に音楽やってきて──因縁なら十分なはずだ。
「いい意気だな。それじゃあ──楽しもうぜ!」
本物だ。
始まった『空の箱』。最初の一音を聞いただけでもわかってしまう。
幾度となくその音を耳に入れてきたから、真似してきたから。
だとすれば、私たちの歌はどこまで行ってもカバーに過ぎない──。
アイさんのドラムは地面を揺らし、リンさんのギターが作る主旋律は私のものよりもずっと芯が通っている。挙句、ナナさんのベースが私たちを律する。
そして、桃香さん。
彼女にかかれば全てが正解だ。
この詞を、曲を……全てを生み出した張本人。だからこそ、私と仁菜がどれだけ解釈して、自分の想いを乗せて歌にしたとしても、桃香さんのものには敵わない。
声量も、音取りも、全てにおいて桃香さんが上。
ねじ伏せてくるかのような重圧。身を押さえつけられているような閉塞感。
喉奥から吐き出した声がひゅっと途切れる。勝てるか否か──本物を前にして、私たちは脇役でしかない。
このステージにおいては、桃香さんが全ての中心だった。
劇的な復活とともに披露するのは自作の曲──ここにいる誰もが、桃香さんのドラマに、桃香さんの曲に酔っている。
でも──だとしても。
突入したBメロ。サビに向けて音を高めて、気持ちを盛り上げる、そんな瞬間。
まるで走馬灯のように、駆け抜けたものがあった。
仁菜と二人、屋上で聞いた『空の箱』、川崎の夜に放った『空の箱』、ナナさんたちと鳴らした『空の箱』──私たちと、この曲と。
想いだけなら、私たちだって負けていない。……負けたくない。
因縁が、湧き上がる衝動が私の全身を駆けて、僅かに指先が震えた。
音が縮れる、サビを直前にして静まったほんの一瞬。
ふっと桃香さんが口角を釣り上げる。
噛み締めた唇から漏れた鉄臭さに駆り立てられるようにして、私は跳ねた。
確かにダイダスは強大だ。
だとしても──そうだ、脇役のままじゃ終われない。
──準備はいいよね? 仁菜。
──もちろん! 負けたくないから!
仁菜と私の目配せ、その瞬間に火花が散った。
その噴射に押されるようにして勢いづいた腕を振り下ろす。
燃え盛る瞳、閃くピック、波打つ弦、点滅するスポットライト──。
──そうして、ひっくり返った。
吐き出されたサビが、吠え猛った衝動が、桃香さんをも飲み込むぐらいのうねりを生む。
一身に注がれる視線が今は心地良い。奪い取った主導権を振りかざすように矢継ぎ早に弦を鳴らす。
──まだ、あたしは終わってねぇよ。
だけれど、次の瞬間。ピックを振り上げた一瞬で──終わった。
交わった視線は燃え盛っていて、バチバチの敵意が伝わってくる。私たちの手番は終わってしまった。
先ほどまで押していたはずなのに、一フレーズ終わった瞬間に押し返してくる桃香さん。
私たちに押し潰されようとして、それでも、這い上がって次の瞬間には拳を繰り出すように。
イントロでの繊細な歌声も出せるとすれば、今は迸る激情を吐き出している。
その二面性、曲への正直さ。桃香さんは、そういうボーカルなのだ。
だからこそ、その叫びに私たちは惹かれたんだ。
確かにこのステージ上では対等だった。
一瞬一瞬、過ぎ去る度に主導権は移り変わって──主導権を握れた瞬間も、私たちがど真ん中だった時間も確かにあった。
はっきりと爪痕は残せたはずだ。
それでも、桃香さんは吠える。
私たちが何度主導権を握っても、気づけば彼女が真ん中にいる。
どんなに社会が理不尽でも、上手く行かなくても、真っ直ぐに歌って、それが終わったらけろりと笑う。
歌っている時だけは誰よりも自由、スポットライトに照らされて世界の中心にいる──そんな桃香さん。
間違いなく、このステージは彼女のためにあった。
「……ふぅ、はぁっ」
曲が終わって、かぶりつくように息を吸った。
ガクガクと膝が笑っている、視界は朦朧としている──私は、もう限界だった。
けれど、桃香さんは立っている。
威風堂々と、観客を見つめている。
肩で息をして、汗を垂らして、全部、私と同じはずなのに。
桃香さんは、笑っていた。
楽しそうに、無邪気に。立ったまま、笑っていた。
そんな彼女の姿に、私は──。
◇ ◇ ◇
「それじゃあ、対バンライブの成功を祝って〜! かんぱーい!」
カン、カン、とこだまする小気味いい音。
ナナさんの乾杯の音頭に、みんなでグラスを合わせる。
明るい表情に弾むような声──彼女の様子は以前までとは違っていて、ずっと快活にも見える。
単に打ち上げだからとか、居酒屋だからとか、私たちがいるこの場所が影響している……というよりは、もっと根本的なもの──。
「……あたしのダイダス復帰には触れないのかよ」
「モモカン、触れちゃったら話しづらくなるかな〜と思って。こういうのは自分で話したいでしょ?」
「えっ!? 復帰されたんですか!?」
まずは桃香さんが側にいるから──とか、そんなものだと思っていたけれど。
復帰していた? ダイダスに? 聞いたことのない話に私が驚く……よりも先に仁菜のオーバーリアクションを目にして、逆に落ち着いてしまう。
それを見て顔を緩めながらもこほんと咳払い、再び桃香さんは口を開いた。
「……ああ。今ナナが言った通り、あたしはダイダスに復帰することにした。たくさん心配かけて……ごめんなさい」
深く頭を下げる桃香さん。
長く、深々と。私たちも、ダイダスの皆さんも確かに心配してきたから。
その分を込めて──というように、中々桃香さんは顔を上げない。
「モモ。そろそろ顔を上げたら?」
けれど、そう声をかけたのはミネさんだった。
私たちのバンドで一番心配していたのは間違いなく彼女だったはずだ。
だからこそ、真っ先に声をかけたのがミネさんだったことに驚いたのか、顔を上げた桃香さんはどこか呆気に取られた様子。
「……でも、ミネさん。あたしは、あなたにも散々……」
「たくさん心配はかけたね。でも、モモの中では解決したことなんでしょ?」
「……はい」
「だったら、私たちがするべきことは糾弾でも、引きずることでもない」
深く息を吐いて。それから、ミネさんは「ビール瓶一本」と手を上げる。
それを見た桃香さんがますます目を丸くしているのを見てか、ふっとミネさんは微笑んだ。
「奢りだよ。少なくとも私にできることは、その選択を祝福してやることだけだからさ。この道はよっぽど大変だって……そんな説教はモモにはもういらないだろうしね」
対バンライブを企画した時、ミネさんは反対気味だった。
モモをもう一度苦しめたくないからと──今振り返っても、あの時のミネさんは正しいことを言っていた。強情だったのは私の方だ。
それでも、今の祝福もまたミネさんの抱いていた真意であることに違いはないのだと思う。
こちらに来て最初に見たミネさんの復帰ライブ。あの時に桃香さんを見つけて手を止めた理由。
結局のところ、桃香さんを一番待っていたのはミネさんだったのだろう。
「……ありがとうございます。曲、できたら……また聞いてください」
「もちろん。また一緒に作ったっていいね」
だからこそ、ミネさんは経験則と自分の気持ちとを天秤にかけて桃香さんを取った。
それがきっと、桃香さんを前にして最後まで演奏してくれた理由なのだ。
ビール瓶が一本、ドンと机に置かれた。
まだキンキンに冷えているせいか水滴が滴っているそれが大人組のグラスに注がれて、仕切り直すように乾杯をする。
そうして、やっとのことで祝いの席が始まった。
「リンさんすっごい髪きれ〜! お手入れとかってどうされてるんですか?」
「すばるちゃんも綺麗な髪だもんね。私の場合はバンド始めてから整えるようになったんだけど……」
「え〜! それでそんなに綺麗なんですか!?」
始まってみれば席順なんて関係ない。
気づけば、両バンドのメンバーが混ざり合っていた。
「アイちゃんも久しぶりだね〜。身長、また伸びた?」
「あはは、おかげですぐに服着れなくなって困っちゃってて……」
「私ぐらいの歳になるとそれも贅沢な悩みなんだけどね」
大人組の吐き出す息のせいで、どことなく酒臭さが滞留してきた頃。
ぐったりとしたダイダスの二人を介護するミネさんに、眠そうに目を擦るすばるちゃん。
こういうのを宴もたけなわというのだろう。飲み会だとか打ち上げだとかみんなの中でこういうことをする……なんて、ほとんど経験がなかったけれど。
その光景を見ていると、どうにも頬が緩んでしまう。
「えっと……ヒナ、だったっけ。楽しんでるか?」
「あ、はい。何だかみんなが楽しそうにしているだけで嬉しい……っていうか」
「わかるよ。あたしがダイダスやってた時も全く同じだった」
ナナさんと桃香さん、それから私と仁菜。
残された四人の中で、ぽつりと桃香さんが呟いた。
「あたしがバンド続けることにした理由、二人には伝えておかないとな、と思ってさ。ヒナには散々焚き付けられて、仁菜には背中を押された。それはさ、大きかったよ」
失礼なことを言っていた自覚があっただけに……何よりも、私のエゴで引き込んでしまったがために、桃香さんの口調が幾分か明るくて、それだけで少しでも気分が楽になる。
「ただ、それだけじゃない。一番の決め手になったのは……ナナにはもう言ったけど、すっごいしょうもないことでさ」
そうして桃香さんはカラッと笑った。
「……楽しかったんだ、あのライブ」
バンドを続ける理由……なんてものに多くを求めるのは間違っているのかもしれない。
だって、私がバンドを続けているのは、それこそ仁菜と一緒にいるためだ。
だとしたら、一度失った音楽を取り戻すのだって──それぐらいの理由で十分なのだろう。
私たちは確かに上手くやれた。桃香さんを取り戻せたんだって。
そんな実感がじんわりと胸に広がっていく。
それは、安堵感にほど近いものだった。
「だからね。私たち、インディーズに戻ることにしたんだ。金も稼げなくなる……食べてくのも大変になる……でもさ、音楽を始めた理由、忘れたくなくって」
「ちょっ、ナナ! それは仁菜たちを心配させるかもしれないから言うなって……」
「だからさっきも言ったけど、この子たちはモモカンのことで散々心配しきってるっての! もちろん、私もね!」
そんなにあっさりとした言葉で片付けてしまうナナさんが、少し意外には思えた。
けれど、案外大事な選択……というものはそうやって片付くのかもしれない。
上京するか、仁菜との関係をどうするか、ずっと悩んできて……それでも、気づけばよろしくやっている。そんなものなのだから。
それに、私たちが過剰に気負いすぎないようにという配慮だってあったのだろう。
「まあ、とにかくさ。仁菜、旭川に帰る前にあたしがかけた言葉、覚えてるか?」
「はい! もちろんです!」
桃香さんが仁菜にかけた言葉、というのは初耳だった。
二人のやり取りを知らない以上はちっとも予想がつかなかったけれど──次の瞬間に、それは確かに腑に落ちた。
「またステージで会う時までさ、
負けんなよ──負けてたまるか。
その生き方は、私が常に目にしているものなのだから。
◇ ◇ ◇
「あのね、ヒナ」
街頭だけが照らす路地。終電を過ぎてしまえば、車通りも歩行者も全然いなくて、それだけに仁菜の声は余計に反響した。
「そんな神妙に言わなくてもいいわよ。大体、言いたいことはわかってるから。対バンライブのこと、でしょ?」
それを口に出した瞬間、「どうして」とでも言うように仁菜が目を見開いた。
そんなの、理由は単純だ。
「仁菜があんまりにもわかりやすすぎるんだもの」
「それはひどいんじゃない?」
「……なんてね。私も、同じだったから。仁菜の気持ち、当ててあげる」
仁菜の前髪をめくってやると、そこにはいつもの傷跡。
だけれど、掻きむしったような跡が残っていて。カサブタは剥がれかけている。
案の定というべきか、仁菜はこういう痛みも痒みも、全然忘れられない子なのだ。
「──悔しかった。違う?」
こくりと頷く仁菜。
そうだ、それはずっと私が持ち続けていた感情と同じもの。
一緒にいる分、考えていることもお揃いだった。
「桃香さんさ、あんなに必死で、でも、立ちっぱなしで。見た? 笑ってたよね。それでさ……」
ずっと、目から離れない。
瞬いたスポットライトが焼き付けてしまったかのように、立ったまま最後まで笑っていた桃香さんの姿が、その歌が。いつまでも、いつまでも──私の瞼に映っている。
「……初めて、仁菜以外の人に負けたくないって思った。これが、私の気持ちなんだって嬉しかった」
ずっと、自分の像なんか曖昧だった。
今世の私は本物の
それでも、仁菜が私に言ってくれた。
『生きていいよ』って、手を差し伸べてくれた。
「仁菜が、私の命を持っていってくれたおかげ。……ありがとうね」
『ありがとう』なんて、どれだけの間伝えてこなかっただろう。
気づけばいつも互いに気恥ずかしくなってしまって嫌味ばっかり、口を開けばすぐ喧嘩をしていた。
それだけに、こうして真っ向からぶつけたのは初めてだったように思う。
「……えっと、どういたしまして? ……なのかな」
ほんの少し顔を赤らめて、仁菜は俯く。
私だってそうだった分、やっぱり仁菜も少し気恥ずかしいんだ……なんて、少し嬉しい。
「……ヒナと私、おんなじなんだね。だったら、次は勝とうよ。桃香さんに」
「悔しくないって思えるぐらい? ……できるかな」
口を開けば出てくるのはネガティブなことばかり、私の悪い癖だ。
そんな自分に少しばかり嫌気が差してしまう──。
「できるよ。絶対、私たちなら──!」
「ちょっ、仁菜!?」
ぱっと私の手を掴む仁菜。
駆け出す彼女に引っ張られるようにして、一歩、二歩、私も駆け出した。
今までだって、ずっとそうだった。
私が足を止めると仁菜が手を引く。そうして私も進めるようになる。
自分のことが少しだけ好きになれたのは、仁菜のおかげだった。
けれど、これからは──。
「──だって、一緒なんだもん!」
私も一緒に走り出したい。
仁菜となら、それは叶うはずだから。