転生ヒナちゃんVS正論モンスターの仁義なき戦い 作:流星の民(恒南茜)
#31「吹き消した灯火」
「……また牛丼? ほんと、よく飽きないよね。仁菜は」
最初の頃はこれさえあれば何杯でもご飯が食べられる!ってぐらいに刺激的だった牛丼の匂いも、繰り返し嗅いでいると効力を失ってしまうらしい。
そうやって一つ一つ慣れてしまうぐらい、上京から時間が経ってしまったのだろうか……なんて、少しばかり感傷に浸りながらも出されたお冷を飲み干す。
「すっごい飲みっぷり……」
「こんなに暑いんだもの。これぐらい当たり前でしょ?」
「旭川はあんなに涼しかったのにね……。これが東京……」
「川崎だってば」
火照っていた頭の芯まで、喉の奥からじわりと冷気が広がっていくようだった。
仁菜の言う通り、旭川にいた頃──一ヶ月と少し前はもっと涼しかったように思う。
もうすぐ八月だ。夏の真ん中に足を踏み入れようとしていた季節のせいもあったのだろうけど。
多分、この街のせいだ。
気候で言えば熊本だって負けないはずなのに、張り巡らされたアスファルトは足元からジリジリと私たちを焼いてくる。頭上では当然太陽が顔を出しているし、この街には逃げ場がない。
「……でもさ、ヒナ。私は嫌いじゃないよ。この街」
「こんなに暑いのに?」
「うん。前は雪を見せてくれて、今はこんなに暑くて。季節が巡ってるんだってはっきり感じる。なんかね、生きてるって感じがする」
「なにそれ」
いつもみたいに能天気な仁菜の言い草だ。
そうやってあしらってしまうのは簡単だったけれど、言いたいことは何となく私にもわかる気がした。
上京して、バンドを組んで、仲間が増えて、運命を変えて──。
自分の足で踏み出すしかない、自分の手でこじ開けるしかない。ここで生きていくというのはそういうことだ。
熊本にいた頃、屋上で寝そべって時間を潰していたあの日々よりも、ずっと、体を動かしている。
「お待たせしました、牛丼並、お二つです」
「わぁ……! ありがとうございます!」
店員さんが配膳してくれる度に、仁菜はいつも感激している。感じがいいから嬉しいと仁菜は言うけれど。
ここまで大げさなうえに食べっぷりも凄まじいと来たら、相手からも覚えられていることだろう。
私がれんげを手にとって一口頬張ったころには、仁菜は三口は行ってしまっている。ごっそりと肉もご飯もすくい上げられて、まさに夢中だ。
「……みっともない。口に米粒ついてるよ」
『ありがとう』と言葉を返すことすらせず、頷くだけ。仁菜は食べ続ける。
私の分がようやく半分ぐらいになった頃、仁菜はもう食べ終えてしまったみたいでけぷんと満足気にげっぷをしていた。
「……やっぱり、嬉しかったから──かな。さっきの答え」
「さっきの答えって……ああ、『飽きないのか』ってやつ?」
仁菜相手だったらまあ焦らなくてもいい。私がゆっくり牛丼を口に運んでいた時に、ふと仁菜が呟く。
「うん。前にお父さんとここに来た時があってね」
「へー、珍しい。仁菜の家、絶対に外食とかしないでしょ?」
「そうそう。だからね、初めてだったんだ」
今まで家の話をする時の仁菜はトゲだらけ、口を開けば愚痴ばかりだったのに。何だか仁菜の言葉は柔らかだった。
「──美味しいって。外食して、一緒にご飯食べて。お父さんがそう言ってくれたの」
「……なるほどね」
思わず同意してしまったのは、たぶん、仁菜のお父さんの気持ちがわかってしまったからだ。
私だって牛丼は飽きてきた頃、今更改めて美味しい!なんて感じることはないけれど。
はふはふって顔を赤くしながら牛丼を頬張って、ハムスターみたいに口の中にご飯をいっぱい蓄えながらも笑う仁菜が──きっと、愛おしかったのだ。
「それって、仁菜が子供だからなんじゃない?」
「なっ、子供って……また……!」
「いい意味で、よ」
話を聞き終える頃には、私の丼も空になっていた。
まとめて会計を済ませてしまおうと、荷物を持って立ち上がる。
「ヒナ! ちょっと待って……!」
だというのに、仁菜はいつまでも立ち上がろうとしない。
それどころか声を震わせて……何だか、ただ事じゃなさそうで。
「お、お……落ち着いて聞いて?」
「今更仁菜の言うことなんかでいちいち驚かないわよ。それで?」
だけれど、その時はほんの軽くあしらうだけだった。
だって仁菜の言うことだ。いつも通り大げさ過ぎるだけだと思っていたから──。
「え、えっとね──」
◇ ◇ ◇
「──対バンライブ、か」
どっかりとソファーに座り込んで、ペグを弄りながら桃香さんが口にした言葉。
まさしくそれが、私たちの直面している問題だった。
「そうなんですよ! しかも、相手方がかなり有名な人で、なんで私たちなんだろうって混乱しちゃってるというか……つっ!?」
「……うるさい。あたしたちもライブ後で疲れてるんだ。一気に捲し立てるな」
桃香さんのデコピンがよっぽど強烈だったのだろう、仁菜は黙り込んでしまう。確かに今の仁菜はテンパりすぎだから、それぐらいでちょうど良かったのかもしれない。
周りではナナさんたちも苦笑していた。ライブ後の控え室でこんなに散々騒いでいるのだ。
何というか、相談があるからって仁菜と一緒に来てしまったことに少しばかり申し訳なさを感じてしまう。
「そうだよ、仁菜はちょっと静かにしてて。……ダイダスの皆さん、ライブ大盛況おめでとうございます」
「ああ、あたしも正直意外だった。一回いなくなったあたしにまだ価値があるなんてな。改めて、仁菜、ヒナ。お前らが焚き付けてくれたおかげだよ」
「モモカン、私たちは?」
「お前たちにはもう何回も言っただろ。ごめんなさいも、ありがとうも……!」
桃香さんがダイダスの一員として、楽しそうにしているところ。
自分の意志で辞めた桃香さんを再度この道に引き込んでしまったことへの罪悪感は今も消えない。
だけれど、こうして笑っているこの人たちを見ていると思ってしまうのだ。
罪ではあったかもしれないけれど、私たちがしたことは正しかったに違いないって。
「……っ、こほん。それで、仁菜。どうしてそんなに悩んでるんだ? 対バンすればいいだろ、願ってもない機会じゃないか」
「それはそう、なんですけど……何というか、私たち、
インディーズでカリスマ的人気を誇るボーカル・河原木桃香。
帰ってきた彼女と共にダイダスがメジャーデビューを電撃撤回したニュースは大いに音楽界を騒がせた。それこそ、普段は見向きもしないメジャーシーンの人たちだって。
それだけだったら当然の帰結だったかもしれない。だって、ダイダスは有名だ。
けれど、次にスポットライトが当たったのは
考えてみれば無理もない、桃香さんが復活したライブ。その対バン相手だったのだから。
だとしても、私たちは有名になるためにライブをしたわけじゃない。
急にライブチケットが売れるようになって、今までのキャパじゃ足りなくなってきて。
パフォーマンスに言及してくれた人が多かったのは嬉しい、固定客だって確かに増えた。
それでも、ついていくにはどうにも急な変化だったのだ。ミネさんやすばるちゃんはもちろん、仁菜も私も、確かに不安なのだ。
「まあ、そうだろうな。あたしたちも長く準備してた『空の箱』を世に出した時、飛ぶように売れた。再生数が見たこともない勢いで増えていって……でも、一度はメジャーデビューのチャンスを掴めたのはそのおかげだ」
桃香さんの口調は少しばかり苦々しげで、だけれど、説得力があった。
先ほどのライブで目撃した観客数は私たちのライブよりも遥かに多かったから。
ダイダスへ手を伸ばすには、私たちだって──超える必要があるのだ。
「あたしたちは、ずっと楽しみにしてるんだぞ? お前らと戦う時をさ」
「……っ、そう……ですね」
『……ヒナと私、おんなじなんだね。だったら、次は勝とうよ。桃香さんに』
あの夜の約束は反故にはしない。
その証明だとでも言うように、仁菜は大きく息を吸う。
「──やってやりますからっ! 今回の対バン相手だって、完膚なきまでに倒してやりますっ!」
「お。その意気だな」
ニッと微笑みかけてくる桃香さん。
その鼻っ柱をいつかへし折ってやるために、まだまだ私たちは強くならなきゃいけないのだ。
だからこそ、どうにも熱くなりすぎて私も聞き忘れていた。
対バンすることになったのだから、近い内に対面することになるであろう相手の名前を──。
「”beni-shouga”です。この度は、対バンを受けてくださって──」
対バンライブをする決意を固めてから数日後。
両バンド初めての顔合わせで、出てきた相手を前にして私は口をぱくぱくさせていた。
帽子を目深に被っていたせいで、仁菜にばかり気を取られていたせいで、普段は気づいていなかったけれど……。
脳裏で閃いたその名前が、思わず口を衝いて出てしまいそうになった瞬間だった。
「ぎゅっ、牛丼のっ──!!!」
仁菜の声が遮ってしまった。
鼓膜がジンジンと痛むぐらい、遥かに大きく。
今回より新章です。
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