転生ヒナちゃんVS正論モンスターの仁義なき戦い 作:流星の民(恒南茜)
「ごめん、ヒナ! 遅くなっちゃって……!」
「……それで、お詫びがそのペンってわけ……?」
予備校の名前が印字された蛍光ペン……と、ついでにビラ。
仁菜が突き出してきたそれをヒラヒラと跳ね除けながら、私は取り敢えず歩き始めることにした。
「で、今日も予備校巡りはピンと来なかった、と」
「早く見つけなきゃっていうのはわかってるけど……何か、こう〜将来のこととなると、慎重に決めなきゃっていうか……」
川崎に来てからもうじき二週間が経つ。
引っ越しを終えてからのゴタゴタも収まりつつあり、この街での私たちの営みが始まろうとしていた時──仁菜は予備校探しで困っていた。
家族と約束したからと以前も言っていたし、まさしくいまそのことで頭を悩ませている最中なのだろうけど、それにしても仁菜ぐらいのアクティブさで慎重に……なんて言葉は合わない気がした。
「まあ、仁菜も偶にはじっくりと決めるってことを覚えた方が良いんじゃない?」
「何それ、どういう意味……!?」
「……そのまんまの意味。ミネさん待たせてるんだから急ぐよ」
そして、この街で始まった私たちのもう一つの営み。
ミネさん主導で始まったバンド練習に急ぐため、私は今にも文句を言い出しそうな仁菜の手を引っ掴み、夕暮れに沈もうとするアスファルトの中、走り出した。
「二人とも、今日は随分と遅かったね」
「ごめんなさい。仁菜の予備校探しが長引いちゃって……」
「まあ、私もちょうど一曲弾いてたところだしね。そんなに待ちくたびれちゃいないよ」
カラオケのスタジオルームに入って早々、ミネさんはギターを担いで飄々とした顔でそこに立っていた。
「せめて、延長料金は払わせてください」
「いいよ。音楽をやってる時間は全部有意義だからさ」
その言葉を聞いて、隣の仁菜がまた怪訝な顔をする。
というのも、ここでの部屋代は今日までの数回、全部がミネさん持ちだったから。
何となく訝しんでしまう気持ちも、わからないわけではなかった。
ただ、ミネさんが悪い人ではない……というのは、私にはわかっていることだ。
「……どうして、そこまでしてくれるんですか」
……わかっていることだけれど、未だに仁菜には少しばかりのトゲがあった。
ふと空いた一瞬の間隙。そこで仁菜が発した言葉にピリリとした空気が走る。
仁菜がこの場にはあんまり乗り気じゃないこと。そんな気は薄々していた。
何せ、予備校巡りの時といい、さして彼女に急ごうという意思は見えなかったから。
慌てて制そうとしても、既に口走ってしまった後ではどうしようもない。
今からでも何とかなるような言葉──そんなものを模索していた時だった。
「別に、二人が面白いと思ったから。ただそれだけだよ」
あっけらかんと、ミネさんははぐらかしてしまう。
そうして仁菜が呆気にとられてぱくぱくと言葉を選んでいる真っ最中に弦に指をかけて、言ってしまうのだ。
「さて、今日も練習としようか。二人とも、マイク取ってきて」
その言葉に私はこくこくと頷きながら、部屋の片隅からマイクを二つ取ってきて。
無理やり一つを仁菜に押し付けると、自分の分のスイッチを入れた。
ミネさんの練習というのは、主にボイストレーニングが中心になったものだ。
というのも、私たちにはまだ楽器を触らせてくれる気はないらしく、再三まずは発声練習、それからリズムに乗せてまた発声。
まだ、一度も歌わせてくれたことはない。
「うん。二人とも、また腹式呼吸が上手く行ってないね。もう一度お腹を抑えて息を吸ってみて」
そして、ちっともミネさんの評価は改善の兆しを見せなかった。
最初は姿勢から始まって、次に呼吸法。だけれど、ここが中々に上手く行かなかった。
「……ヒナちゃん、息吸いすぎ。仁菜ちゃんは逆に吐きすぎ。そんなんじゃすぐに息切れするよ」
「……は、はいっ」
言ってることは確かに的を射ていること……なのだと思う。
実際にボイトレを受けたことがない身だから知らないけれど、着実に息は長持ちするようになってきてる。家でもやるようにと、ミネさんに渡されたトレーニングシートも一役買ってくれているのだろう。
だから、効果は確実に出ている──そんな感覚はあったけれど。
「……いつまで、続くんですか?」
不意に仁菜がそんなことを漏らした。
またさっきみたいな不満げな顔で。
「……二週間前からずっとボイトレばかり! ……少しぐらいはバンドの話をしてくれたっていいじゃないですか!」
途端に爆発したように、仁菜は捲し立てた。
きっと、さっきの一件で、これまでの件で、ある程度溜まりこんでいたものはあったのだろう。
何せ出会いからして、どことなく胡散臭かったのだから。
けれど、感情を爆発させる仁菜とは裏腹、極めてミネさんは冷静だった。
「……歌は楽しく歌えればいい。だけど、本気でバンドをやっていくんだったら、それだけじゃ食っていけない。仁菜ちゃんは、潰されるために上京してきたわけじゃないでしょ?」
それはきっと、初めての厳しい言葉だったのかもしれない。
練習中以外でミネさんが私たちに向けた言葉としては、きっと。
「じゃあ……ミネさんまで現実見ろって言うんですか!?」
「そりゃ言うさ。だって……」
「もういいです!」
バン! と思いっきりドアを閉めると、マイクを投げ捨てて仁菜は部屋を飛び出していった。
ガタンと音を立てて床を転がっていくマイクを尻目に、ミネさんはずっとドアの方を見つめている。
「ねえ、ヒナちゃん」
「……はい」
「追わないの?」
「……そうしたい気持ちは山々ですけど、ああいう時の仁菜は何を言っても聞かないので」
「……そっか」
仁菜が帰って来る様子はない。そして、私もいつまでも出ていかない。
はっきり言って、困惑の方が遥かに勝っていた。だって、急にこんな、出ていかれて……。
この街での居場所を見つけられたって、そう思った矢先だ。
「現実を見ろ……なんて、私もこんな言葉、好きじゃなかったんだけどね」
そうして留まっている私と、外から開くことがないドア。
交互に見比べると、ミネさんはそっとごちた。
「さっき、二人が面白いから練習を付けてあげたって言ったね」
「……はい。そういえば」
「……もう一つ、理由があったんだ」
ジャンと、その指先に触れた弦が弾かれた。
爪先だけのどこか儚い音色、弱々しく、プツンと途切れる音色。
「……代わりを探してるのかもね。あの子みたいで、あの子じゃないみたいな」
よくわからない言葉だった。
彼女が誰のことを指しているのかなんて曖昧で。
不意に、彼女は一枚の紙切れを私によこしてきた。
くしゃくしゃで、印刷も掠れてて。
けれど、並んでいる字面は見覚えのあるものだ。
「知ってるでしょ? 二人とも、あの曲をやってたんだから」
「ええ。仁菜はもっとですけど」
「それなら、彼女に何があったかも知ってるね?」
「……はい。辞めちゃったんですよね」
知らないわけがなかった。
だって、仁菜とわたしを結びつけたもの。
ここではない場所では、もっと仁菜と深い縁を持つもの。
だけれど、そんな流れは私が変えてしまった。
「……仁菜ちゃんに似て、真っ直ぐすぎる子だった。堪らなく、音楽が好きだった。……もう、私だってわからないんだよ」
あの子と、ずっとミネさんは呼んでいるけれど。
ちっとも彼女にとっては他人事のようには思えない。
違いない、そもそもとしてミネさんは自分と重ね合わせて、だからこそ、肩入れしていたのだ。
「あんなに眩い”好き”ですら押し潰してしまった、現実ってもんがね」
仁菜は、何も知らない。
ミネさんも、どこか言葉足らずだ。
そんな中で、両方の立場というものを唯一私は知っていた。
「……あの」
それならば、私がするべきことは何だっただろう。
「私、やっぱり行きます。仁菜を、説得しに」
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「ねえ、仁菜」
帰ってきた部屋は未だに段ボールがいくつか積まれていて、それなのに真っ暗で。
つまずかないようにして、廊下を歩くことしばし。
「痛ッ」
「……何でそんなとこで寝てんの」
不貞寝、とでも言うべきか。
ちゃぶ台の隣でごろんと横になっている仁菜が居間にはいた。
「……ヒナ。何をしに帰ってきたの? 私は、もう……」
「ほんと、強情なんだから」
そんな愚痴を零しながら、仁菜にポケットから取り出した紙切れを渡す。
ぱくぱくと、口が何度か開かれるけれど、空になって声は出なかった。
「……ダイヤモンド、ダスト……」
──『真夏のダイヤモンドダスト』。
他でもない、私が仁菜に渡したのは中止になったライブチケット。
本来なら、仁菜をここまで連れてきたものだ。
「話させてよ。ミネさんが知る──”モモ”のことを」