転生ヒナちゃんVS正論モンスターの仁義なき戦い 作:流星の民(恒南茜)
腹の底に響くような低音。
挑発的なその笑顔、そして、小指。
「ふんっ」
野外フェスの会場で、ど真ん中のステージの上で、遥か遠くの仁菜を見つめて。
舌を出して笑っていた。
あちらの世界でのヒナは──井芹仁菜の敵だった。
◇ ◇ ◇
「モモって……ダイダスの……」
「……そう。桃香さんのこと」
仁菜の手のひらからはらりと落ちていくチケット。
しかし、それにすら気を取られず仁菜は呆気にとられたような顔で私を見ていた。
「桃香さんと、ミネさんが、知り合いってこと……?」
「上京してきたばかりの桃香さんにとっての師。そんな関係性だったみたい」
彼女に話すのはミネさんから聞いてきた桃香さんとの関係性。
それに加えて私の知識を足したもの。
ダイダスの桃香さんといえば、仁菜にとっては憧れの人そのもの、地元から出ることになった原因そのものだ。
だからこそ、仁菜は未だむすっとしながらも黙りこくった。
「……出会ったのは、ミネさんがライブをしてた時だったんだって。それに一目惚れした桃香さんが、声をかけて、一緒にライブしたり、色々教えてもらったみたい。上京してきたばかりってわからないことばかりでしょ? 今の私たちもさ」
「……まあ、それはそう、だけど」
私たちと同じ立場にいた頃の桃香さん。
彼女の話をして、どうやら仁菜にはある程度の共感を促せたみたいだった。
一応、話は聞いてくれている。
「私たちは、バンドに関してはズブの素人なんだよ? だから、ちゃんと経験がある人から教わらないと、いつまでも迷ったまま。違う?」
「……違わない」
一つずつ、確実に詰めていく。
感情ではなく理論づくで仁菜を納得させればいい。
だからこそ、彼女に効きそうな言葉を選ぶ。
「ミネさんの言うことは正しい。やってることだって正しい。だって、今の桃香さんがどうなってるか、仁菜は知ってるでしょ……?」
「……知ってる。知ってるよ。知ってる、けど……」
それはきっと、確かに仁菜には届いていた。
殊勝な顔をして、繰り返し「知ってる」と呟いて。
それでも、顔を上げると仁菜は私を睨みつけてきた。
「……でも、私は好かん!」
──どこまで強情なんだよ。
返ってきた言葉に思わずギリリと歯噛みする。
ミネさんの、桃香さんの、誰かの「正しい」を伝えたって、それが好かんだなんて!
きっと熱くなっていた。焼けそうな喉で、言葉を吐いた。
「じゃあ、何だったらいいの!?」
「違う! 私が好かんって言ってるのは、私のことっ!」
激しくぶんぶんと、何度も、何度も首を振る。
仁菜の目元から散った雫が蛍光灯の中で煌めいた。
向けた怒りを押し返してくる、予想だにしていなかった激情。
「みんな正しいって、私にだってわかってるよ……!」
だけれど、その直後に発された言葉。
それを前にして、思わず私は押し黙るしかなかった。
「なのに、目を逸らしてる──そんな私が嫌い」
仁菜がそんな弱音を吐くだなんて──考えたこともなかった。
だって、いつも彼女はムカつくぐらいの正論モンスターで、自分だけでどこまでも行ってしまうのに。
「ミネさんもヒナも、大人みたいな顔して! 桃香さんだって、辞めちゃって! こんなこと言ってるの私だけで! 予備校だって見つかんないし……!」
大人みたいな顔してるだの、正しいだの認めて、自分を鑑みて。
そして、仁菜は俯いた。ここじゃない世界でだって、仁菜は確かに無鉄砲だった。
けれど、それは桃香さんという彼女に手を差し伸べて、ぐっとすくい上げた存在があったから。
仁菜にとっての絶対的な進むべき方向が、光があったから。
「……焦るよ」
……それに比べて、私はどうだろう。
仁菜を引っ張り上げられる──だなんて、そう思えないほどひ弱だ。
歩こうとすると、すぐに現実が垣間見えて、進もうとすると足が竦んで。
仁菜が焚きつけてくれなければ、私は今でもずっと故郷にいた。
だから、どうする。
仁菜にそっと寄り添って、優しい言葉を口にして、それで仁菜に元気を出してもらう?
「……違う」
馬鹿言え。そんなこと、ありっこない。
『私も、モモも、仁菜ちゃんも夢を見てる。でも、ヒナちゃんは違う』
それは、さっきミネさんから桃香さんの話を聞いた後、帰ろうとした直前に言われたことだった。
私は桃香さんにはなれない。
あんなに立派な人じゃない。ヒナですらない、偽物だ。
だけれど、ヒナとしての生き方はこの十数年で学んできた。
親友として、仁菜の隣にはいた身だ。
『だから、ヒナちゃんにしかできないこともある』
「ミネさんは、桃香さんを仁菜と似てるって言ってた。歌が大好きで、真っすぐで、あんたみたいだって」
そうだ。考えれば考えるほど、二人は味方同士として息ぴったりで。
付け入る隙すらそこにはなくて。
「それから、私のことをこう言った。ヒナちゃんは現実ばっか見てるって」
そんな風に言われた私は、仁菜の隣に立つべき立場とはまた違って。
「……見えるよ。教え子がバンド辞めちゃった後悔も、私たちが失敗する未来も……けどさ」
だからこそ、もう一つの世界でヒナは、仁菜に対峙する存在としてそこにいた。
「仁菜は、こんだけ心配されて何も思わないの!?」
「……思う」
そして、今だって。そこにいる。
「……悔しいっ」
『ヒナちゃんはね──』
──そこに、いられる。
仁菜を焚きつけること。
隣にいて、でも対峙して、彼女が倒れたら頬を打って気付けをする。
「だったらさ、認めさせてよ!」
前世では、そんなことできっこなかった。
誰かに近づいて、嫌われて──そうなったから、距離を置いていた。
クラスのど真ん中にぽっかりと空いた穴で、一人で蹲っていた。
けれど、
衆目を集めて、ステージのど真ん中で空いた穴でさえ、小指を立ててみせた。
言うなれば、彼女は
……そうだ、桃香さんになることができないのならば。
あくまでも私は私の役割を全うするんだって──叫んでやれ。
小指を突き立てた、
「現実ぐらいじゃ、潰されないって!」
突きつけた拳。それは決して仁菜に向けて差し伸べるものではなく、むしろ、その逆だ。
敵として、差し出して。そして──。
「……うん」
コツン、と。仁菜が自分の拳をぶつけてくる。
その力加減は、決して生易しいものではなくて。
「……痛いんだけど」
「これは、さっきムカついたから。その分」
私が思わず愚痴って、気まずい。その内どちらかが先にぷっと吹き出した。
ジンジンと痛む拳の先に、私は残されたのだ。
仁菜との決意、その痕を。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「──”さよなら”……二人とも、来たんだ」
「すみません。邪魔したみたいで」
「いいよ。それで、仁菜ちゃんも連れてきて、二人揃って何の用?」
先程まで綻んだ顔でギターを弾いていたミネさん。
スタジオルームに着いた私たちを見るなり、彼女は目を細めた。
「──聞いてほしいものがあるんです。ね、仁菜」
「うん。私の……私たちの、歌を!」
「……へぇ。じゃあ、聞かせてもらおうか」
渡したマイクを、今度こそしっかりと仁菜は握った。
縮れる息を、一本にまとめ上げて。ピンと精神を張る。そうして慎重に状況を整える静。
そして、一息に吐き出す。叩きつけるように、吐き出した。
轟々と、響く歌。
荒いのはわかっている。喉が腫れそうにジンジンと上げる悲鳴から目を逸らした。
仁菜に合わせて、私はがなり立てた──その、最後の一節まで。
「……どうですか!?」
「……すぐにでもライブに出せるだなんて、そんなことは言えないかな」
「そんなぁ……」
仁菜がうぐぅとばかりに悲壮な声を漏らす。
まあ、正直そんな気はしていた。
仁菜と拳を突きつけ合って一週間。私たちは練習を続けてきた。
日頃のミネさんのボイトレに加えて、私たち個人でも寝る間を惜しんでボイトレ。
予備校巡りが終わればカラオケ籠り……そんな日々を送ってきたのだけれど、流石に付け焼き刃じゃダメだったか。
「……でも、次は認めさせてやりますから!」
もう仁菜は怯むことなくそう宣言する。
もう焦って苛ついていた彼女ではなかった。
「……じゃあ、ヒナちゃんは上手いことやったんだ」
軽くミネさんが目配せしてくる。
多分、最初からこうなるのは想定内だったのだろう。
「……まあ、ライブに出せたりはしないって言ったけどさ。そうだね。ボイトレに追加してボーカルトレーニングを付けてあげてもいいかな」
「……本当ですか!?」
そんなミネさんの言葉に、一瞬にして仁菜は目を輝かせる。
全部が上手くやれたとは言わないけれど、それでも、少しは自分を褒めてやったっていい。
「……だから、もう少しだけ私とも仲良くしてくれないかな?」
「それは……その、嫌、ですけど……」
「……そっか」
仁菜は口先でこそそう言っているけれど、その表情は赤らんでいる。
多分狂犬からそこらの野良犬ぐらいにまで心を開きつつはあるから、二人の和解もそろそろなのだと思う。
「ねぇ──」
ヒナは、井芹仁菜の敵だ。
それはきっと、この世界でも違いない。
そんな風に落ち合う運命の輪、みたいなものがあるみたいだ。
ただ、一つ。あっちのヒナと私で違う役割がある。
確かに敵ではありつづけているのかもしれないけれど──。
「……少しは、上手くやれたかな」