転生ヒナちゃんVS正論モンスターの仁義なき戦い 作:流星の民(恒南茜)
すっと雲が引いていく。
鳴らした一音が澄んだ空気に溶け込んで、見上げた先にあるのは遠い青空。
弾いていたギターをベランダの壁面に立てかけて、私はふっと息を吐いた。
もうすぐ、この街に来てから一ヶ月が経とうとしている。
工業地区のある川崎は朝からトラックがよく通る。決して静かな朝というわけではなく、むしろ騒々しさすら感じるものだ。
ともすれば、それはこの街の活気とすら捉えることができたかもしれない。
建物はひしめき合って、人と人とは身を寄せ合って暮らす。道路には夜勤明けの人々の往来、この街に滲む生きようとする必死さだろう。
「……また、ズレた」
私も仁菜も、必死だった。
喧騒に度肝を抜かれるところから始まり、多くを教わってはこの街で生きる術を身に着けようとした。今だって私はバイト探しを、仁菜は予備校探しをしている最中だ。
そして、机の上に置いてあるチケット。
──川崎セルビアンナイトにて。
今夜開催されるライブには、確かにその名がある。
もう一人、必死に生きようとしている人の──。
「……ミネさん」
私たちにこの街で生きるための術を教えてくれて、そして、誰よりも必死に生きている人。
一度は戒めだからと制限していた音楽を再開するのは大変だったろうに、それでもステージに立とうとしているのだから。
それを思えばこそ、弦を弾く指先には力が籠る。
その必死さにしがみつくために、私の覚悟だって半端なもので終わらせたくはないから。
「……ヒナぁ。朝からうるさいんだけど……」
そうやって、物思いに耽っていた時だった。
部屋の中から眠そうな仁菜の声がした。
「もう六時なんだけど。これ以上寝坊するぐらいなら、もう起きちゃった方が良くない? ほら、ミネさんも今日……」
「──そうだ! ミネさんのライブっ!」
そこでバッと仁菜は飛び起きる。
私をまじまじと見つめてくる瞳もどこか慌てた様子だ。
「……仁菜、何かしなきゃって思ってるでしょ」
「……別に。ただ、私たちだけうだうだしてるのも何か違うような気がするっていうか……」
「ぷっ」
「……なに?」
「ううん、ほんとわかりやすかったから」
言っていることと感情がチグハグでも、要するに仁菜もどこかミネさんのライブで緊張していたらしい。
別にミネさんはライブ慣れしてる人なんだから私たちが心配しなくても……とは思うけれど、仁菜のそれは義理堅さにも等しい。
要するに散々心配してもらったから心配し返そう、みたいな。そういうのだ。
「まあ、だったら神頼みでもしとく? 私らにできることって、多分それぐらいしかないし」
「ほんと!? だったら、この辺に良いところがあるんだけど……」
「出た、神社仏閣マニア」
「マニアじゃなくて、普通に好きなだけだから!」
そんな風に力強い返事をした仁菜に向かう先は任せつつ、上着を羽織って外に出る。
仁菜が寒そうにしているほどの気温にしては、さっきからベランダにいたせいか私の体感気温はそれほど高くはなかった。
けれど、吐く息は白む。こちらの冬というのは、随分と長いものらしい。
「ミネさんのライブが、成功しますようにっ!」
かなり切羽詰まった仁菜のお願い。
その隣で、私は静かに手を合わせた。
仁菜が連れてきてくれたのは、住宅街の中の神社だった。
建物がひしめき合ったこの街の中でも、ここだけはぽっかりと切り取られたかのように広い。
落ち着いた雰囲気と冷めた空気も相まって、自然とピンと背は張った。
「……ねぇ、ヒナ」
「なに?」
「私たちがライブする時が来たらさ、もっと緊張するのかな?」
お願いが終わった後に座り込んだ石段にて。
そんな風に、ぽつりと仁菜が聞いてくる。
「……さあね」
そんな風にはぐらかしてみたけれど、言ってみればそんなのはただの強がりだ。
仁菜の隣で歌った川崎に来たばかりの朝、どれだけ指先が震えたことか。
「仁菜は、大丈夫なんじゃない? ……鈍感だし」
そして、どれだけ仁菜が堂々としていたことか──。
「……別に、私は鈍感じゃないし」
「鈍感な人って、そう言うよね」
そうだ、鈍感だ。
互いに軽口を叩き合いながらそう思う。
だって、仁菜は気づいていない。
緊張するって、自分が呟いている間に──その隣で。
私がどれだけ震えていたかって。
並び立つためにしなければならないことは、無数にあるから。
だから、今日のライブだって糧にしなければ。
「だから、鈍感じゃないってば!」
悴んだ指先をそっと立てる。
仁菜には見えないよう、隠したまま。
「……さあ、どうだか」
気を張るのは、私だけで十分だった。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「通して……ください……」
尋常ではない人がひしめき合っている中、手刀やら声をあげたりやらで、必死こいて前に進んでいた。やっとのことで中頃まで着く頃には、私の息は絶え絶えだった。
ライブハウスがまあまあ狭い空間であるというのは理解していたけれど、集まった人同士の熱気や音圧は想像を超える圧迫感を生み出す。
その上、この後のスタジオ練習に備えてギターを持ってきたのも災いしたみたいで……。
「……ねぇ、仁菜……そろそろ良いんじゃない?」
「もうちょっと! もうちょっと前行こ!」
私はげんなりとしていたけれど、仁菜はどこか元気だった。
はつらつと声を上げ、前へ前へと私を引っ張りながら進んでいく──それが力強かったから、抵抗のしようもなくて。一気に、視界が開けた。
まさしくステージの真ん前だ。
交差する光が視界に射し込んでは、次々と色を変えていく。
そんな眩さの中で演奏しているのはスリーピースのボーイズバンドだった。体は大きくて、タトゥーをしているメンバーまでいる。
歌声もがなり立てているようだ──と、以前までなら思っていたのかもしれない。
けれど、ミネさんに稽古を付けてもらった身だ。声量を絞り出しながらも、高低切り替えのスムーズさや、声が安定していることが如何にすごいかはわかるようになっていた。
……こんなにも。
こんなにも、技術のある人たちが待っている世界に私たちは身を投じねばならない。
そう思えばこそ、背筋を走るものがあった。
網膜を突き刺すような光、鼓膜を揺さぶる音像。
不意にそれが遠ざかってしまいそうになった時、視界の端で動いたものがあった。
飛び跳ねていた。
仁菜は飛び跳ねて、拳を突き上げて音楽に合わせて身を揺さぶっていた。
歯を剥き出しにして、笑っている──溢れんばかりの笑顔を前にして、思ってしまった。
──楽しそうだなって。
その肩には確かなプレッシャーがある。仁菜の叫びを私は聞いてしまっている。
それでも、瞬間瞬間を楽しもうとするその気持ち、衝動は眩く彼女の内で輝いている。
緊張するけど、楽しい──それはきっと、両立できるのだ。
だったら、考えるのはやめにしよう。
仁菜よりも高くと飛び跳ねる。拳を高く突き上げる。
そうして体を揺らしている内に、ごちゃついた頭から全てが吹っ飛んでいくみたいで、滴る汗すら冷たく感じられた。ただ、爽快だった。
ちょっと私らしくはないけれど、それでも、楽しければいい。
こんな風にいつかのライブに挑めればそれでいい。
少し悔しさはあったけれど……まあ、仁菜から学べたことだった。
「次、ミネさんだよ」
「……わかってるってば」
その後、何組分かのライブでひたすら夢中になっていて。
声をかけるでもなく、ミネさんの出番を前にして仁菜の口数は減っていた。
かくいう私も、少しずつ身が強張っていくのを感じる。
我慢できずに拳をぎゅっと握りしめた時だった。
足音がして、しんと辺りが静まり返った。
ステージ上を、ぱっとスポットライトが照らす。
そこには、いつもの飄々とした笑顔を引き結んだ唇の裏に隠して、アコースティックギターを抱えて佇むミネさんの姿があった。
「久しぶりな人も、そうでない人も──こんばんは」
その声が響いた途端、何人かの拍手が聞こえる。もちろん、私たちの分もだ。
先ほどまではエレキギターの、それも複数人で構成されたバンドが並んでいた中に、たった一人でステージに立っている。その緊張を想像しただけで目眩がしてきそうだったけれど。
「ちょっと色々あって、おやすみさせてもらってたけど。それでもさ、休憩してわかることもあるんだね」
鳴り止んだ拍手の後で、少しだけミネさんの表情が和らいだ。
「やっぱり音楽をやってなきゃいけない──それが私だったみたいだ」
堪えることがあって、戒めとして音楽を休んでいた。
この間私たちと話して、たったそれだけで解決したはずがない。
きっと、もっと前から悩みあぐねてきて、そうして、ミネさんはようやく立ち直れたのだ。
だからこそ、このステージが持つ価値は大きい。
「だから──聞いてください」
降ろされたピックが弦に触れ、音を奏でようとした。
まさしく、ミネさんが立ち直れた証左たるライブが始まろうとした、その瞬間だった。
「──っ」
カランと、ピックがステージ上に転がった。弦と擦れて不協和音が立つ。
けれど、いつまで経ってもミネさんはそれを拾おうとしない。
それどころか、目を見開いてたった一点を凝視している──。
「……ねぇ、何か変だよ」
仁菜が私の袖を引っ張った。
それに導かれるようにして、ミネさんの向いている方へ視線を向けた時──。
「……桃香、さん」
既にライブハウスから出ようとしていた、後ろ姿。
目深に帽子を被っていたけれど、そのくすんだピンク色の髪を私たちが見間違えるはずもない。
──桃香さんが。
ダイダスを辞めてしまってから一切の音沙汰がなかった彼女が、そこにいた。
仁菜が咄嗟に身を翻して追おうとするも、人混みのせいで通れそうにもない。
そうしている内に桃香さんは出ていってしまう。
「演奏、始まらないの?」
「どうして拾わないんだろ」
「始めるなら早くしてくれよ」
そして、何よりも──ステージ上で固まってしまっているミネさんが。
唇を戦慄かせ、見開いた目を彷徨わせているミネさんが、何よりも痛々しかった。
『──あなたは、もっと素直でありなさい』
そんな言葉を前に素直に
その姿には、今もそれ以前も覚えがある。
ここに来たばかりの時、歌えなくて路上で蹲っていた私。
黒板の前に立たされて、クラス中の視線を一身に浴びた私。
結局いつでも惨めだった、そんな私が──どうして、今は前に進めているのか。
「──ミネさぁぁぁんっ!」
ミネさんの視線が私たちを向くと同時に、ざわめいたライブハウス中の注目が私たちに集まる。
けれど、隣で上がった仁菜の叫び声は、袋小路に立った私の思考を出口へと導いた。
私の歩む道が暗がりに閉ざされているとしても、それをすくい上げてくれる人がいる。
まるで北極星が放つ一筋の光のように、私の行く先をどこまでも照らし続けてくれる仁菜が──。
息を切らした仁菜には今できることがなくても──私がいる。
背負っているケースのファスナーを一息に真下まで下げる。
そこから転がり出たギターを抱え、私は弦を弾いた。
──寂しいけど、寂しくないふりをしたり。
本来ならそんな歌詞が乗る旋律。ミネさんから教えてもらったメロディーは、確かに指先が覚えていた。
視線が向けられる。ライブハウス中から一身に、私に。
恥ずかしい、今すぐにでも逃げ出したい、こんなの慣れちゃいない──それでも。
私が仁菜に並び立つのなら……同じぐらいの眩しさが欲しい。
そうでなきゃ、対峙することなんかできないはずだろ。なりたい、ならなきゃいけない。
道を見失って蹲る
私の弾いた旋律に気がついたのか、ハッとしたようにミネさんがピックを拾い上げる。
そして、次は迷うことなくその指は音を奏でていった。
「──悲しくないふりをしたり……笑ったり、ごまかしてみるけれど」
◆ ◆ ◆
「”どうしよう 素敵な魔法 綺麗な色 思い出せないよ”」
私の歌を魔法みたいだと、目を輝かせてそう言ってくれた子がいた。
あの頃はまだ一人きり、私だって教職過程を捨てて、夢中で音楽の道に飛び込んだばかりだ。
そんな半分素人みたいなままでかき鳴らしてきた音楽。今思えばまるで叫んでいるみたいだった。
生きるのに必死で、誰かに立ち止まって欲しくて。
「”気づけばもう わからなくなっちゃった”」
そして、
ようやく届いた叫びに、心底私は安堵していた。
「──”私だけのとっておきだったのに”」
……それなのに。彼女は音楽を辞めてしまった。
ようやく届いたと思った私の叫びはさらさらと両の手から零れ落ちて。
教え子……みたいな子たちが、音楽活動を続けていく中で各地にできた。
音楽を辞めてしまった子だって何人かいた。それでも──きっと、その中で一番音楽を愛していると言って憚らなかった彼女が辞めてしまったことは……随分と、堪えたんだ。
「”さよならあの日のメロディ いつかまた会う日まで”」
その背姿しか見えなかった。
既にライブハウスから立ち去ってしまった後で、連絡すらよこしてくれないから、結局この後はどうしていくのかもさっぱりわからない。
「”会いたい あなたにもう一度”」
願わくば、もう一度会いたい。
空元気でもいいから、もう一度笑った顔を見せてほしい。
音楽から目を背けて、耳を塞がないでほしい。……私が、安心したい。
それでも、人生はいつかは分かれていく。
どこかで割り切らなければいけないのはみんな同じだから、甘んじて受け入れていくしかない。
だから、せめてと。こうして歌う。それが唯一私にできることだ。
届かなくたっていい。
けれど、少しでもこの叫びが届いていればいい。
バンドに戻れ、また音楽をしろだなんて言わない。
もう、私は聞き分けのない子供じゃないんだから。
ほんの数瞬だけでも足を止めてくれれば。
もしも、叫びが届いていれば。
「”私のこと──忘れていても”」
それが、私の願いで。
そして、もう一つ。 芽生えたものがあるんだって。
道が分かれても、別れてもなお、私に示し続けられるものはあるはずだから。
◇ ◇ ◇
「これが……ステージ……!」
「……仁菜、あんまりはしゃがないの」
ライブ後、静まり返ったライブハウスは先ほどとは大違いだ。
特別にと、ステージに立たせた二人組。
はしゃぐ仁菜ちゃんを諌めつつも、辺りをちらちらと見渡すヒナちゃん。二人とも、嬉しそうなことには変わりない。
「それが今度のライブで見る景色だから、よく覚えといてね」
「……ライブ? ミネさんの、ですか?」
「ううん。二人のだよ」
案外何の気なしに発した言葉だったけれど。
「ライブ!? ……私たちが!?」
それは、仁菜ちゃんたちを驚かせるのには十分だったみたいだ。
まだまだ初々しい二人の反応に、思わずくすりと来てしまう。
「……確かにさ。二人はまだこっちに来てから短いよ? でも、さ」
──それでも。
今日、二人に見出したものは確かにあった。
「……今日のライブで私がピックを落とした時、二人が私に届けてくれた”叫び”。それを聞いて確信したんだ」
張り上げられて掠れた声、どこまでも必死でほつれたギターの音。
実際に揺さぶられた。だからあの時、我に返ってピックを拾えたのだ。
「二人は確かに”自分”を持っている。だから、さ」
ギターを持たせてみれば
痛々しい未練が私に告げたのは、代わりとして二人を据えること。
そうして、どこか未練の清算をしているつもりでいた。
だけど、それはもう終わりにしよう。
彼女たちは、違う。決して同じ人間ではなかった。
自分で考えて動いて、私に手を差し出してくれた。
差し出したその手でしっぺを食らわせてくれた。
同じにするな、と。
「もう一度、あんたたちを見つめ直してみようか」
だから、いい加減に目を覚ますことにしよう。
その芯にある、
「見せてよ。あの子が生み出した音色の続き」
これからも私は育んでいくんだ。
誰一人としてあの子のことを覚えていない──そんなことが、起きないように。
「あんたたちの、ロックンロールを」
──モモのロックンロールを。
そういうことだからさ、それまではさよなら──モモ。
いつか、また会う日まで。
今度は私
また、この”叫び”を手渡すから。