マルチバーステイオーと灰になった男 作:散髪どっこいしょ野郎
目を覚ますと、小鳥の囀りが聞こえた。
気怠さを感じながら起き上がる。寝室からリビングに出ると開きっぱなしのファッション雑誌がポツンとテーブルに置かれていた。俺はいつも通りそれに手をつけず、シャワーを浴びに行った。
朝食は基本摂らないが今日は何の気まぐれか買い溜めてあったシリアルバーを囓る。なんとなくそうしようと思った。
歯を磨き、口を濯ぐ。ふと目の前の鏡を見るとすっかり生気の無くした男が映っていた。
今日も同じ日常だ。変わることはない。
▫▫▫▫▫
紺碧のロングコートを羽織り、家を出た。
一日に一回日光を浴びた方がいい。連れがそう言っていた故に、俺は今も惰性としてその日課を続けている。
向かう先は近所の公園。そこのベンチに腰掛け、手持ち無沙汰に宙を眺める。これが俺の日常だった。
「…………」
遠くの方では子供たちが駆け回っている。あまりジロジロ見て不審者扱いされるのも癪なのでチラリと見る程度にしていた。
無聊をかこつ。要するに暇。とはいえやりたいことはなく、やるべきこともない。
だから今日も同じだと思った。変わることのない日常だと。
そうしてしばらくして、腹の虫が鳴る。朝のシリアルバーだけでは足りないと訴える。
しかし俺は立ち上がらない。最近はほとんど夜にしか食事をしていない。
腹が鳴るということはもう正午か。今日も非生産的な時間を送っている。
「隣、いい?」
そんな、くだらない日常を過ごしているとソイツは現れた。
「……ああ。好きにしろ」
このジャージは……トレセン学園の生徒か。走り終わって間もないのか、息を切らしている。
隣にいるところを目撃されてロリコンとでも思われたら参る……と、そこまで考えて我に返る。
今更ブタ箱にぶちこまれたところで『そうか』と思うだけだ。もう、俺にまともでいる理由は無い。
その諦観がこのガキの隣席を許す故由になった。
故に俺からアクションを起こすことはなく、一度きりの邂逅として片付けられる──筈だった。
「ねえ」
「あ?」
「なんか話してよ」
「は?」
出し抜けに何をほざくか、このガキは。俺と話したところで戯論にしかならないのは自明の理。
第一こんな男に会話を求めること自体がおかしい。危機管理能力はどうなってるんだ。
「そもそも誰だよお前」
「えー、ボクのこと知らないの?」
「俺にガキの知り合いはいねぇぞ」
「ガキじゃないやい!」
頬を膨らませて怒る。そういうところもガキのようだった。
「……名前」
「え?」
「名前だよ。ガキじゃねぇんだろ?」
そう尋ねるとソイツはご機嫌そうに鼻を鳴らし、自信満々に言い放った。
「ボクの名前はトウカイテイオー!無敗の三冠ウマ娘だよ!」
「トウカイテイオーか。贅沢な名前だな」
「え、なに。名前取ったりするの」
「誰が湯婆婆だ」
無敗の三冠。偉業だということは察せられるが、俺にはどうもその価値が分からない。
「で、なんでお前はここにいるんだ。ウマ娘なら走るんだろう」
「ちょっと休憩しようと思ってね。それとね~、なんでか分かんないけど、キミと話がしたかったんだ。……それにしても、無敗の三冠ウマ娘なのにホントに知らないの?」
「悪いが俺はレースに興味がねぇんだ。賞賛が欲しいなら他を当たれ」
「ちぇー」
改めて見ても本当にガキだ。見てくれも態度も、美形ではあるものの俺の連れにはまったく似ていない。
「……キミ、何歳?」
「何故そんなことを聞く」
「いや……顔は若いのに髪が白髪だらけだから」
取り繕うとしない点は評価できる。床屋に行ったら大抵は気まずそうに目を逸らされるか、露骨に態度が軟化するからだ。
「何歳でもいいだろ」
「それもそっか。じゃあもう一つ質問。なんでここで座ってるの?」
「…………」
今日は平日。普通の人間だったら働くか学んでいる日だというのに、俺は公園のベンチに座ったきり動かない。
「……俺には恋人がいた」
今から話すのは、実に情けない身の上話。取るに足らない、冬の風に消えていくような話だ。
俺は昔から人間味の薄い奴だと言われてきたし、自分で自覚もしていた。だが何の戯れか俺と積極的にコミュニケーションを図ろうとする一人の女がいた。
やがて俺は彼女と付き合うことになった。異論なく幸せだったし、幸せにしてやりたかった。
結婚を間近に控え俺は浮かれ気分だった。その惚気への罰なのかは知らないが、彼女は死んだ。轢死だった。
俺は生きる目的を喪った。
「……とまあ、そんなところだ。だから俺は人間らしく生きるのをやめた」
貯蓄は減っていく一方。いずれ路頭に迷うのが目に見えているが、その時は潔く死のうと思う。
おまけに付け加えておくと俺の髪が白ばんでいる理由は彼女を亡くしたストレスから。
開きっぱなしのファッション雑誌を放置してるのも、身だしなみを整えるのも、家を綺麗にするのも、いつか彼女が帰ってくるのではと思っているからだ。
「…………」
トウカイテイオーは黙りこくる。辛気くさい話になったことは悪く思うが、これで話しかけてくることはないだろう。
……それにしても不思議だ。何故俺はたまたま遭遇しただけのガキに、こんな自分語りをしたのか。誰かに聞いてもらいたかったのか?いや、そんなことをしたところで俺はもう変われない。
「……好きだったの?その人」
「当たり前だろ」
ああ。コイツは、恋を知らないのか。
「なんかごめんね?暗い話させちゃって」
「気にすんな気持ち悪い」
「一言余計だよ!」
他人から感情を受け取るのは苦手だ。それこそ、もういない彼女ぐらいしか俺の心を溶かせなかった。
「じゃあ今度はボクの話をするよ!ちゃんと聞いててね!」
「なんで俺に……まあいい。言えよ」
どうせやることは無い。暇つぶし程度にはなるか。
▫▫▫▫▫
「……って感じで、ボクは三冠ウマ娘になったんだ!そして今度はカイチョーを超えるためにトレーニングしてるの!」
「カイチョー?」
「シンボリルドルフのこと……って言っても分かんないか。超すごいウマ娘のこと」
「はん……そういやお前、まだ終わりじゃなかったのか」
「ボクのトゥインクル・シリーズはここから!だけどこれからも負けるつもりはないよ」
「……いつか足すくわれるぞ」
「すくわれないよ。ボクは帝王だから」
……この目は、自分を信じきっている奴の目だ。俺とはまるっきり違う。
そして自分を信じている奴は、強い。
「まだレースあるからさ、ボクの走り見てってよ!」
「言っただろ。俺はレースに興味が無い」
「もー、強情なんだからー!」
しかしこうまで住む世界が違う奴らが出会うとは。運命というものは数奇なものだ。連れが死んだ時点で分かっていた筈なんだけどな。
「ねえ、キミはいつもここにいるの?」
「そうだな。基本は朝でも夜でもここに座っている」
「じゃあ、また会える?」
「それは俺の知ったところじゃねぇ」
「冷たいなー」
何がおかしいのか、トウカイテイオーはカラカラと笑う。
突き放すのは簡単だ。だがわざわざ向けられた厚意を無下にする趣味は無いし、退屈しのぎにはなるだろう。
「じゃあね、バイバーイ!」
「…………」
手を振ってから駆け出していくトウカイテイオー。奴のレースは……見なくてもいいか。
「夕飯、何にするか」
料理はやろうと思えばできるが自炊する気概は残っていない。何もかもにやる気が起こらなかった。
結局チェーン店の牛丼をかっこみ、家に戻る。
「……トウカイテイオー、か」
基本他人の名前は日を跨げば忘れる。しかし、アイツの名前は蹄跡のように脳へ刻まれていた。
『じゃあ、また会える?』
「……?」
誰かから受けた言葉を思い出すのは今はいない連れ限定だった。その筈が、アイツの言葉が意識を遮断する直前脳内へ蘇る。
その是非を確かめる余裕も無いまま、俺の意識は黒へ沈んだ。