マルチバーステイオーと灰になった男 作:散髪どっこいしょ野郎
寝た時間帯が早かったからか知らないが早朝に目が覚めた。
買い溜めてあるシリアルバーを手に取り、開封せずにテーブルの上へ放った。なんとなく食べる気分にならなかった。
『……一日三食食べないと力出ないよ?』
「うるせえ」
脳内でトウカイテイオーの言葉が自動再生される。俺を諫めるその声に抗うようにしてシャワーを浴びた。
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いつものように歯を磨き家を出ると、外気温に思わず身が震えた。こんな寒さなのに桜は自己を目一杯主張するように咲き誇っている。
公園まで歩く最中多くの人とすれ違った。
ベビーカーを押す主婦、犬の散歩をする老人、手を繋いで歩く親子、登校中の学生、エトセトラ、エトセトラ……。
しばらく歩いているとようやく体が温まってきた。座るのは当然、いつものベンチ。
「…………」
空に視線を泳がせる。いつものように、何をするわけでもなく。
吐く息が白い。朝日に照らされた桜の花弁が宙を舞っている。
そうしてまた、時間が流れていった。
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「……やっぱりいた」
今回は夜になってからだった。買い物袋を両手に引っ提げトウカイテイオーは俺に声をかける。今日はパーカー姿だ。
「いやー時間が経つのって早いね。ボ……私もう二十五歳だよ」
嘘をついている様子はない。ついこの前までガキだったトウカイテイオーは、現在二十五歳らしい。
「今度は年取ってからか」
「何のこと?」
「こっちの話だ」
俺の隣に座るトウカイテイオー。背丈はまったく変わっていないが、立ち振る舞いや話し方は幼さを残しながらもガキの範疇を超えていた。
「久しぶり、とでも言った方がいいか?」
「え?この前会ったばっかりじゃん」
……いよいよ混乱してきた。この前遭遇したのはハチミツドリンク好きの学生であるトウカイテイオー。だというのにコイツは俺と会ったばかりだと宣っている。
改めて表情を見るが嘘をついている様子はない。つまりあれか?俺の知らない所で年月は経過していたと、そういうことなのか?
そこまで考えて止めた。桜が狂い咲く季節だ。そういうこともあるのだろうと、お決まりの思考停止文句を連ねて。
「ところでだけど、飲む?」
そう言って掲げたのは酒缶。……上等だ。
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「意外~。キミってザルなんだね」
「ああ」
自慢じゃないが俺は酒にめっぽう強い。千鳥足になるまで酔っ払ったことは一度もなかった。
甘い飲料ばかりで辟易としたが、酒は酒だ。アルコール特有の香りが雑考を吹き飛ばしてくれる。
連れが生きていた頃は禁酒していた。だが今となってはその枷も消えている。
彼女は俺の体をよく気遣ってくれた。休みの日、外に連れだしてくれたのもそうだが、健康に配慮した料理を作ってくれていた。
また俺はいもしない連れのことを考えている。それになにかしらの意味などないというのに。
余念もそこそこに酒を呷る。この程度ではまったく酔えない。
「……結構買ったつもりなんだけど、飲み干しちゃうなんてね」
いつの間にか全て無くなっていた。トウカイテイオーの頬はほんのり赤らんでいる。
空きっ腹に酒をねじ込むのは体に悪い。その上今日は何も口にしていないため、どこか飯が食える所に行きたかった。
「おい、何か食いたいものはあるか」
「え、なに。奢ってくれるの?」
「酒の恩だ。ちょっとくらいなら構わねぇよ」
施されることはそこまで好きではない。とにかく借りを作りたくなかった。
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「で、結局居酒屋か」
「今日は思いっきり酔いたかったんだ」
それには同意する。シラフで生きるにはこの世界は窮屈すぎた。
つまみを頼りにアルコールを補給する。ペース配分を無視したちゃんぽん飲みだが、それでも体が少し熱くなる程度。泥酔とは程遠かった。
「一つ確認させろ。お前は三冠獲ったか?」
「え?うん。なに?レースに興味でも湧いた?」
コイツは夢を叶えたのか。結構なことだが、何故俺はそんなことを聞いた?
「レースは見ねぇ。見る気がねぇ」
「相変わらずだな~」
何がおかしいのか、微笑むトウカイテイオー。その表情を直視できず、店員に焼き鳥を追加注文した。
「もうそろそろ私もおばさんかぁ」
「まだ二十五歳だろ」
「いやー時間が経つのはあっという間だよ?すぐにアラサーになっちゃうって」
確かに、連れを亡くしてからは時間の流れが早い。そういう意味で言ってるわけではないだろうが、孤独というものは感覚を狂わせる。……とはいえこの前まで学生だったコイツが二十五歳というのはどうも信じがたい話だが。
「……何故俺と飲もうとした」
「嫌だった?」
「違えよ。俺は話し上手でもないし、お前と大して仲がいいわけでもない。理由が無いって言ってるんだ」
「うーん……正直ボ……私もよく分からないけど、キミとなら色々楽なんだ。だからかな」
「……趣味が悪いな」
「あんまり自分を卑下するのはよくないよ?」
「今更だ」
今更自己を省みたところで、連れは戻ってこない。そんな風に観念してどれくらいの時間が経った?
「……楽しかったな。学生時代」
「……そうかよ」
遠くを見つめ古い時代に思いを馳せるトウカイテイオー。叶えた夢というものは大きな自信をつけさせる。コイツは俺とは違って、光り輝く道を往っている。
「キミの夢はなんだったの?」
「そんな高尚なもの背負う気にはならねぇ」
もしくはそんな高尚なものを背負える人間じゃねぇ、と言った方が正しいか。
頼んであった塩むすびを頬張った。
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会計はそこそこの値段になったが出せない程ではない。奢ると言った手前、財布のひもを緩めるのを躊躇う気はなかった。
「で、家どこだよ」
「え~、なに、狙ってるの?」
「阿呆。今のお前を一人で帰すと危ねえだろ、色々と」
「も~冗談だよーえへへー」
……
「歩けるか」
「ちょっと待ってね──おっとっと」
足取りも覚束ない。……仕方がない。
「んえ?どうしたの」
「乗れ。おぶってやる」
しゃがみ込み背中を向ける。吐かれたら大変なことになるがそれも織り込み済みだ。
そのまま俺はトウカイテイオーを背負い、帰ることになった。
▫▫▫▫▫
「それで、次は」
「えーっとね……その道を左に曲がって……」
背中のトウカイテイオーをナビ代わりに帰路を急ぐ。なるべく振動を起こさないようにしているが、吐かれないか気が気でなかった。
「おい、それでどこだよ」
「……」
「おい……おい!」
嘘だろ、寝てやがる。……仕方ない。
舌打ちをしてから回れ右。そこら辺にほっぽっておくわけにもいかないので、コイツを俺の家に連れて帰ることになった。
「……」
背中から伝わるトウカイテイオーの温度。誰かの温もりを久々に感じた。
「はぁ……」
人一人を背負いながら玄関の鍵を開けるのはかなり難儀した。腰をいわさないかも心配だ。
電気を点ける。相変わらずテーブルの上には開きっぱなしのファッション雑誌が置かれているし連れの生きていた痕跡は残ったまま。
ベッドにトウカイテイオーを寝かせてから歯を磨く。今日は色々と疲れた。
リビングのソファに体を倒すと、酒気が今になってやってきたのか眠気に襲われた。
そのまま睡魔に身を任せてもよかったがなんとなく今日のことを振り返ることにした。
いつも通り公園で宙を眺める。そこまでは今までと変わらない日常だが、トウカイテイオーの介入で″色″が加わった。
酒を飲み交わし、談笑する。思い返してみれば今日は妙に人間らしい生活を送った気がする。
それに思ったこの感情は、何と呼ぶ?
「……」
気持ち悪い温もりに微睡み、俺は眠りについた。……アイツ吐かねえだろうな。