マルチバーステイオーと灰になった男   作:散髪どっこいしょ野郎

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case6:老いたトウカイテイオー

″どんなに忙しくても週に一度はゆっくり眠ること″

 

 

 今日はたっぷりと寝た。それが連れとの約束だった。

 

 

「くあぁ……」

 

 

 特大の欠伸が漏れる。寝室に差し込む日光が時間帯を知らせていた。

 

 寝室から抜け出しテーブルの上に置かれたままのファッション雑誌を見やる。このままにしてどれだけの時間が経過しただろう。

 

 手を伸ばす。……?俺は、何を……。

 

 

「……それをやったら、終わりだろ」

 

 

 片付けてしまったら、彼女の痕跡が一つ消える。そうして切り捨ててしまえば、どれだけ楽になれるだろう。

 

 だけど、ダメだ。無理だ。連れのことを忘れるわけにはいかない。

 

 シャワーを浴びて歯を磨く。シリアルバーのことは頭から抜け落ちていた。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 今日は外気温が比較的温かい日だった。紺碧のロングコートを羽織りながら歩いていると、ほんの少し汗ばんだ。

 

 桜は相変わらずその身を散らしている。連れと散歩に行っていた時のことが思い返された。

 

 いつものベンチに座る。あれだけ寝たというのに陽気は眠気を誘う。そのまま身を任せてもよかったが、財布を盗られる危険性も考慮して微睡むだけにしていた。

 

 散りゆく桜を見つめていると時間はあっという間に経過した。

 

 

「……」

 

 

 腹が鳴る。トウカイテイオーと出会ってから昼も摂らないと満足できなくなってしまった。

 

 だが席は立たない。貯蓄がたんまりあるわけでもないのだから、誘われでもしない限りは我慢していた。

 

 しかし不思議だ。今までの俺なら誘われようとにべもなく断っていた筈だ。アイツの何が、俺を駆り立てる?

 

 

「ねえ、生きてる?」

 

「随分とご挨拶だな」

 

 

 声をかけられた方角に視線をやって──目を剥いた。

 

 

「は?お前……トウカイテイオー、か?」

 

「そうだよ?」

 

 

 目鼻立ち、振る舞い、全てがトウカイテイオー。しかし、この感じは……

 

 

「お前……老いたのか?」

 

 

 今までのコイツとは遥かに逸脱した深みと威厳。視線は柔らかくありながら鋭く、纏う雰囲気は荘厳ささえ感じさせる。

 

 

「キミってやっぱりハッキリ言うねー。いくら私でも傷つくよ」

 

「つったってお前……今何歳だ」

 

「んー、ちょうど五十歳かな」

 

「……」

 

 

 開いた口が塞がらない。ガキだったトウカイテイオーが五十歳になるとここまで成長するのか。

 

 年下だったコイツが気づけば俺より年上になっているとは。にわかに信じがたいがそういうことだと飲み込んでおく。そうでもしないと気が触れそうだった。

 

 

「……まあいい。一つ聞かせろ。お前は──」

 

「三冠獲ったか、でしょ?うん。私は三冠ウマ娘だよ」

 

 

 コイツは夢を叶えたのか。であれば俺が関わるべきことはなかっただろう。

 

 そもそも俺はコイツのファンでもなんでもない。夢を叶えようが挫けようが知ったことではない。

 

 

「ね、またちょっと歩かない?」

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「……」

 

「まだビックリしてるの?私だって生き物だし。普通に年は取るよ」

 

「そうは言ってもな……」

 

 

 公園の遊歩道を並んで歩く。この道のりは知っていた。以前も二人で来た道だ。

 

 

「お前またアレ飲むつもりなのか?」

 

「いやー、何歳になっても美味しいんだよね、はちみー」

 

 

 年老いても甘党なのは変わらずか。それに安心感を覚える自分が不思議でしかたなかった。

 

 そうこうしている内に薄黄色の移動販売車へ到着。店員に駆け寄っていくトウカイテイオーを見ながら、再度困惑した。

 

 

「固め濃いめ多めで」

 

 

 よくもまああんな甘ったるいドリンクを年老いても飲めるものだ。一回連れに誘われて飲んだことがあったが、全く合わずすぐに譲渡してしまった。

 

 

「お待たせ。じゃ、戻ろっか」

 

「……」

 

「どうしたの?」

 

「今までガキだったお前が年上になったと思うとどう接すればいいか分からなくなっている」

 

「……あはは、いいよこれまでと同じで」

 

 

 笑顔。そこは変わっていないらしい。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「なあ」

 

「ん?」

 

「なんか話してくれ」

 

「……初対面の時は私からそう言って、キミは『は?』って返したのに?」

 

「忘れろ」

 

 

 よくもまあそんなことを覚えているものだ。コイツからすれば子供の頃の対話だというのに。

 

 

「よく覚えていたな」

 

「なんでか分からないけど、キミとの初対面は最近のことのように感じるんだよね。っていうかついこの前も話したじゃん」

 

「……」

 

 

 確かにコイツと出会ったのはつい最近だ。だがコイツにとっては違う筈。一体どんなカラクリがあるのか。

 

 

「じゃあ、三冠獲ってシンボリルドルフに勝った時の話をするよ。キミから言ってきたんだから、ちゃんと聞いててね」

 

「ああ」

 

 

 それからは憧れを超えて真の意味で『帝王』になったこと、ドリームなんとかリーグでの戦い、卒業後の進路先、新天地での学び、新たな夢と目標、仕事に打ち込む日々……等々『今』に至るまでの旅路を聞かされた。

 

 

「ふー……。久々にたくさん話したなー……」

 

「悪いな」

 

「こういう時は、謝るんじゃなくてありがとうって言うんだよ」

 

 

″いただきますとごちそうさま、ありがとうとごめんなさいはちゃんと言うこと″

 

 

「……ありがとう」

 

「うん。よくできました」

 

 

 ……落ち着きが出ている。歳を重ねた故の余裕があるのだろう。

 

 

「キミは変わらないね」

 

「お前が変わりすぎなんだよ」

 

 

 吐き捨てて、懐からタバコとジッポを取り出す。

 

 

「あれ、吸うの?」

 

「もうお前はガキじゃねぇからな」

 

「受動喫煙反対~!……ふふ、なんてね。いいよ」

 

 

 火をつける。タバコは長らく吸っていなかった。故に少しだけむせたが独特の香りと味を堪能する。

 

 

「……見せもんじゃねぇぞ」

 

「いいじゃん。減るものでもないし」

 

「……」

 

「おいしい?」

 

「食いもんの美味さとはまた違う。オススメはできねぇな」

 

「それなのに吸うの?」

 

「中毒になるってのは、そういうことだ」

 

「ふーん……。ね、またご飯食べに行かない?私が奢るからさ」

 

「飯には付き合うが奢るのはやめろ。お前に借りを作りたくねぇ」

 

「変わんないなー」

 

 

 トウカイテイオーは笑っている。俺は目を伏せた。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 肉の焼ける音。何かの使命に駆られているように焼き加減を見極める。

 

 

「……ふふふ……めっちゃ集中してるね」

 

「悪いかよ」

 

「いや、いいと思うよ。キミらしくて」

 

「──」

 

 

 天啓を受けたかのような衝撃が走る。考えるより先に言葉が口を衝いた。

 

 

「俺らしいって、なんだ?」

 

「?」

 

 

 キョトンとした様子のトウカイテイオーが焦れったくて、焦ってみるも不明の感情を処理できずただまごつくのみ。

 

 俺らしさ。連れを喪ってから見失っていたそれを目の前の女は見つけたということ。

 

 意味など無い。分かってはいても、聞かずにはいられない。

 

 

「俺……俺は、お前にとって何なんだ。俺らしいって、一体……」

 

「ぶっきらぼうで、変なところで優しくて、かと思ったら厳しくて、妙に几帳面。それが私にとってのキミ。……一応言うけど、褒めてるんだよ?あ、肉焼けてる」

 

「…………」

 

 

 一転して肉に集中するトウカイテイオー。俺もつられてロースターに目をやった。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「ふー、食べた食べた」

 

「五十にしてはよく食ったな」

 

「まあね。これでもウマ娘だし」

 

 

 店を出ると夜になっていた。腹はもうパンパンなため、これが昼夜兼用だ。

 

 

「じゃあ私帰るよ。バイバイ」

 

「……ああ」

 

「あっ、そうだ。最後に聞きたいことがあるんだけど」

 

「なんだよ」

 

 

 俺はそれよりも先程コイツが言っていた『俺らしさ』に意識を向けていた。これが分かれば、何かが変わる気がして。

 

 だが今はこの問答に集中すべき。そう考えながらも『俺らしさ』への意識は切り替えられず。

 

 

「ねえ、キミの名前は何?」

 

「教えねぇ」

 

 

 これ以上、誰かの何かになりたくなかった。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「……」

 

 

 帰宅。歯を磨いて、ソファに座った。

 

 

「……」

 

 

 『俺らしさ』が頭から離れない。その答えはアイツが持っている。

 

 

『ぶっきらぼうで、変なところで優しくて、かと思ったら厳しくて、妙に几帳面。それが私にとってのキミ』

 

「……」

 

 

 それが俺なのか?連れが生きていた時の俺と、本当に同じなのか?これが本来の俺なのか?

 

 やきもきしても答えは出ない。

 

 

「……」

 

 

 立ち上がり、家中をうろうろする。そうしても気は紛れなかったが、そうせざるにはいられなかった。

 

 

「……」

 

 

 テーブルの上には開かれたファッション雑誌。俺はそれに手を伸ばし──引き裂いた。

 

 

「────あ」

 

 

 とうとうやってしまった。これからこうやって、連れのことを忘れていくのだろう。

 

 

「……」

 

 

 今に至るまで気づかなかったが、俺の両目は壊れたように涙を流し続けていた。これからこうやって、あの日の痛みを忘れていくのだろう。

 

 

「……」

 

 

 ベッドに潜り込む。睡眠欲を欠片とも感じられないまま、目を閉じた。

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