マルチバーステイオーと灰になった男 作:散髪どっこいしょ野郎
頭痛で目が覚めた。調子に乗ってニコチンを吸いすぎた所為か。
頭を抑えながらリビングに出ると、引き裂かれたファッション雑誌が無造作に散らばっていた。夢ではなかったらしい。
シリアルバーを囓る。ひとまずそうすることで思考を先送りにしていた。
「……」
残骸を片付けようという気分にはなれず、かといって元通りに修復する気にもなれなかったのでぼんやりと眺めていた。
床に散ったファッション雑誌を除けば家は綺麗だった。そうしておけばいつか連れが帰ってくるのではないかと思っていたから。
分かってる。連れはもういない。俺の行動にも、意味は無い。
矛盾した思考と行動。それが俺だった。
▫▫▫▫▫
シャワーを浴びて歯を磨いてから家を出る。いつも通りのルーティン。
公園までの道を歩く。すっかり見飽きた、いつも通りの景観。
いつものベンチに座る。桜が風に流れて散っていくのを見やりながら、懐を探った。
「……」
ジッポとタバコを取り出し火をつける。煙を少しずつ肺に入れながら、遠い空に思いを馳せた。
▫▫▫▫▫
「……いた」
「ああ、お前か」
西日の光に目を焼かれながら佇んでいるとトウカイテイオーは現れた。今日はカジュアルなジャケットを着ている。
「隣座るよ」
「好きにしろ」
俺はタバコを咥えて、トウカイテイオーは無言で、吹きすさぶ桜を観賞しながら空を見上げていた。
「「……」」
いつもと違って会話が無い。気まずさはないしむしろ楽まであるが、今回のコイツは何やら面倒なものを背負っている……ように見える。
だからといって前のように俺から聞き出すことはない。そうする義理も義務もない。
「……ね、火貸してよ」
「あ?」
言われて目をやると、トウカイテイオーは一本のタバコを咥えていた。あのテイオーが喫煙者……いや、俺がどうこう言える問題じゃねぇか。
「ほらよ」
ジッポの火をつけようとして──手で遮られる。コイツは一体、何を……。
「火ならあるじゃん」
トウカイテイオーはそう言って、俺のタバコに自分のそれを突き合わせた。……所謂、シガーキス。
「……ふふ、ドキドキした?」
「……言ってろ、ガキ」
突然の行動に驚きはしたが心臓は平調を保っている。俺の心を動かせるのは今はいない連れだけだ。
「話、聞いてくれる?」
「好きに話せ。俺はどうせ暇だ」
コイツの話を聞くのは、退屈しのぎのため。……それだけだ。
「……ああ、その前に聞かせろ。お前は三冠獲ったか?」
無言で
「色々間違えちゃったんだよね。諦めてもきたし」
その後に言葉は続かなかった。
色々間違えた。それはあらゆる意味で言っているのだろう。だから三冠は獲られず、こうして俺とタバコを嗜んでいる。
諦めてもきた。それはいつかのコイツとは違い、立ち上がることはできなかったということ。
「なんかごめんね?話聞いてって言ったくせしてこれだけしか伝えられなくて」
「今更気にするな、気持ち悪い」
「一言余計だよ~……。……ふふ」
花が散っていく。
「夜の花見もいいね」
「……」
気づけば辺りは暗くなっていた。それだけの時間俺たちはこうして空を眺めていたのか。
「……気に入らねぇ」
「え?」
「あ?」
思考が言葉に出ていた。そう言ってしまった以上、訳を話すしかない。
「お前は俺とは違うだろ。だから気に入らねぇっつってんだ」
今までのコイツは俺とは違う道を歩んでいた。灰になった俺とは違い、燦然と輝く道を。
だが今はどうだ。似合わないヤニを吸い、諦観のこもった視線を宙に投げかけている。
「お前は帝王なんじゃねぇのか。今までの威勢はどうしたんだよ」
……?いつから俺は、コイツを鼓舞するようなことを……
「……もっと早くにキミと会えたらよかったな。キミがそう言ってくれるなら、ボクも前を向けたのかもしれないし」
全ては遠くに。コイツはもう大人だ。青い春を過ごすには、色褪せすぎた。
「……飯食いに行くぞ。奢ってやる」
「いいの?じゃ、お言葉に甘えて」
▫▫▫▫▫
「いただきます」
「いただきます……。あははっ」
「なんだよ」
「ふふっ、……キミの礼儀正しいところを見てると、なんか笑えてきて」
「はったおすぞ」
「ふふふふ……ごめんごめん」
やってきたのは蕎麦屋。俺はざる、トウカイテイオーはせいろを注文。
一心不乱に啜る。視線を感じたが無視して食らい尽くす。
「ごちそうさまでした」
「速っ。ちゃんと味わった?」
「飯なんて腹が膨れればなんでもいい」
「もったいないなー」
「うるせえ」
諦めたように微笑むトウカイテイオー。見てるだけでむしゃくしゃする。何故?俺にとって、コイツはなんなんだ?
「……キミ、ボクのこと嫌い?」
「知るか」
俺が見てきたコイツは、決して心の灯火を消さなかった。逆境に置かれようと周囲の手助けありきとはいえ絶対に諦めなかった。
コイツが諦めようと再起しようと俺には関係ない。だのにいざ諦めたトウカイテイオーを見ると言いようのない苛立ちがやってくる。
……そうか。コイツは、俺にとって──
「ごちそうさまでした」
▫▫▫▫▫
「ねえ、このまま飲み行かない?」
「あ?……お前の好きにしろ」
「じゃあ今度はボクがお金を──」
「やめろ。自分の分は自分で払う」
「……キミは変わらないね」
蕎麦屋を出た足で近場の居酒屋に向かう。いつかの頃のように酔いつぶれられたら困るのであまり飲ませないことにする。
「もう連れ帰るのはごめんだぞ」
「分かってるって」
懐の財布を確かめながら歩みを進める。まだ余裕はある……筈だ。
▫▫▫▫▫
「なあ」
「ん?」
「色々間違えたって、お前何したんだ」
「……聞きたい?」
「……お前が話したくねぇなら、いい」
「やっぱり変なところで優しいね」
「喧嘩売ってんのか」
ビールのジョッキに手を伸ばす。勢いよく飲み干すと、トウカイテイオーは羨むように俺を見ていた。
「いいな~、ボクもキミぐらいお酒に強かったらよかったのに」
「俺からすればすぐに酔える方が羨ましい。良いことずくめってわけでもねぇ」
「ふーん……」
トウカイテイオーの頬がほんのり色づいてきたところを見計らい、店を出た。
▫▫▫▫▫
「はー、満足満足」
「そうかよ。じゃ、行くぞ」
「?行くってどこに?」
「お前の家に決まってんだろ」
「……狙ってる?」
「阿呆。女を夜道一人にさせるわけにはいかねぇだろうが」
「あはは、冗談だよ」
二人で並んで歩く。あの時感じた、気持ち悪い温もりがついて回るように発現する。
「間違えたって言うのはね」
「っ、あ?」
虚を突かれ、準備する間もなく言葉が連なる。
「あの時ああしてればよかったとか、もっと優しい言葉を言いたかったとか、あんなことしなければよかったとか。そんな感じの、取り返しのつかない過ちのことなんだ」
要領を得ない説明だが、なんとなく分かる。俺も後悔の無い人生とは程遠い生活を送っている故に。
「あ、そうそう。ここがボクの住み家だよ」
「……着いてたなら先に言え」
それからは、視線で示すように。
「バイバイ。好きだよ。名前の知らないキミ」
……なるほど、確かに間違いだ。
▫▫▫▫▫
「ハー…………」
今日も長い一日だった。連れを喪ってから毎日が長くて退屈だ。……それでも、まあ、アイツといた時間は気晴らしにはなった。
色々間違えた。そして諦めた。それは俺にも言えることだ。
「……」
床に落ちているファッション雑誌だった紙くずを思い切り蹴飛ばす。気分は晴れない。
そのままにしてあった連れの歯ブラシを折る。気分は晴れない。
ベッドに体を預ける。当然気分は晴れないが、目を閉じて意識が途切れるその時を待っていた。
次回最終話です