「ねぇアクア」
それは夏休み明けの出来事だった。彼女の発した一言が彼の在り方について左右するとは誰も知らない。
「記憶喪失ってどうやればいいの?」
残暑がキツイ9月上旬、アクアはいつも通りに登校していた。芸能科はいつも通りの出席率で空席もチラホラあった。休み明け直後は新生B小町のライブや全力疾走するアクアがクラスの話題になったが、それも落ち着いた。今ここにいる生徒は月末のテストに向けて頭を悩ませているのが実情だ、なお妹のルビーは「もう勉強嫌だアイドル1本で食べていく」と言ったがリーダーと副社長に詰め寄られ、発言を撤回した。
~昼休み~
「アクアのお弁当って凝っているけど、誰が作っているの?」
「基本は自分で作ってる。モデルだし体型が崩れないようにカロリー計算や栄養にも気を使ってる」
「アクアはん凄いね、うちは市販で済ますさかい、どうしても偏ってしもうて」
「ふふ~ん凄いでしょ」
「お前は何もしてないだろ」
「ルビーちゃんは、作らへんの?」
「いや~私は食べる専門で」
「小学生の頃、『自分で作る』と言って弁当箱にお菓子を入れてたから、コイツは」
「デザートにお菓子ってこと?」
「いや全部、お菓子だった」
「フリルは、いつもコンビニのおにぎりだけど味気無くないか?」
「食にこだわらない、というかお腹に入れば同じかなって思ってる」
「サラリーマンの台詞だぞ、それ」
「じゃあアクアの食べさせてくれる?」
誰もが、いつものフリルのボケだと思ったが、アクアは違った。
「はい、あ~~ん」
箸で鶏むね肉を掴み、口を開けた彼女に食べさせた。
「いい味ね、グッドよ」
「どういたしまして、じゃあ次は・・・」
「(小声)ねぇ、やっぱあの二人おかしいよ、友達で普通こんなことやらないよ」
「(小声)多分、アクアはんにとっての普通と、うちらの普通のベクトルが違うのでは?」
「(小声)どうゆうこと?」
「(小声)価値観の違いと言うた方が分かりやすいでしゃろか?」
「(小声)つまり、お兄ちゃんとフリルちゃんの波長が合うってこと?」
ルビーの問いかけに頷く、みなみであった。
「ごちそうさま。ありがとうアクア」
「お粗末様でした」
昼食も食べ終わり、一服していたアクアにフリルがいきなり
「ねぇアクア、1つお願いがあるのだけど」
「なに?フリルには恩があるし、無茶な要望じゃなければ聞くよ」
命の恩人ではないが、アクアにとって恩を借りたままというのは気分が悪い
「記憶喪失ってどうやればいいの?」
その瞬間、アクアは飲んでいたお茶が気道に入り咽てしまい、ルビーは空の弁当箱を落とし、みなみは特に何も無かった。
「お兄ちゃん大丈夫?」
「アクア、ゆっくり呼吸して」
フリルが背中に手を廻して、彼の背中をさするが手つきが妙に怪しい。
ようやく落ち着きを取り戻したアクアだったが
「どうゆう意味だフリル?」
「?どうゆう?言葉のままだけど、変なこと言った?」
「いや、なんでもない」
「詳しくは言えないけど、今度演じる役が事故で記憶を失った女性なの、台本や関連する書籍を読んでも、いまいち役を作りこめなくて、アクアに聞けばヒントぐらい得られるかと思って」
「なるほどね、でも時間が無いから、放課後になるけど大丈夫か?」
「今日は完全にオフだから大丈夫、どこでしようか?」
「撮影前の作品だし、守秘義務もある。あまり人の多い所じゃ出来ないな」
各々が相談場所に四苦八苦している。誰かに未公開の情報が漏れるのは、どの業界でも起きてはいけないことだ。またフリルが苺プロへ足を運ぶのもNGで週刊誌に『不知火フリル、現事務所に三行半』など誤報を書かれる恐れもある。無論アクアがフリル側に行くのもNGである。
「じゃあ、アクアの家に行っていい?」
「俺のプライベート空間はカオスだよ」
本当のことである。部屋が汚いという訳ではなく書籍や映像作品が棚に乱立し、1度ルビーが室内で行方不明になった。
「ちょっと待って、今頼れる所に連絡してみる」
「頼れる所?」
「OKが出た。フリル放課後行くぞ」
放課後、彼等が訪れたのは『多少気持ち悪いオジサマ』こと五反田監督の家である。彼は「俺の家は連れ込み宿でもラブホじゃないぞ」と言われたが、彼の母親が黙らせた。
「さて、ここなら大丈夫だ。監督は口が堅いし漏れることは無い」
「なるほどね」
「んで、何でルビーがいるんだ?」
「いや~興味本位で来ちゃいました」
本来ならアクアとフリルの二人だけだったが、ルビーが先回りして五反田家に到着していて、二人を出迎えていた。
「まぁいい、それでフリル、その記憶喪失ってどんな役なんだ」
彼はルビーを追及するのを止めて本題に進んだ
「どんなって?」
「記憶喪失にも様々な種類がある。アニメみたいに全部忘れて『ここはどこ?私は誰?』なのか、覚えたことをドンドン忘れてしまうのか、知識はあるが特定の記憶が抜け落ちてしまう。もっと細分化すれば、まだまだあるぞ」
「それだと、3番目のが近いかな?事故で家族や彼氏に関する記憶を失うヒロインだし」
アクアは心の中で悪態をついた
「(たく、俺と同じという訳か)」
彼はひと息入れて話し始めた
「あくまで、俺の想像込みの話だから鵜吞みにするなよ、まず目覚めた瞬間は大丈夫なんだ。周囲にある物体の名称は分かる。まぁなんで自分がここにいるのか?で不安になると思う」
アクアは自分がこの世界に来た時のことを、ゆっくり思い出しながら
「次は自分の知らない人達とあった時だ、自分は相手を知らないのに、相手は自分のことを知っている。ちょっとした恐怖だな『誰なの、この人は?』ここは言葉で出すよりも、表情で不安なことを表現すればいい」
「お兄ちゃん、それって」
「ルビー、話の腰を折るな」
「続けるぞ、こっからはフリルが演じる役で違いがあるが、ポジティブになるかネガティブになるかで、全く違うんだ」
「どうゆうこと?」
フリルの顔が傾き、頭にクエスチョンマークを浮かべる
「ネガティブなら、全てに悲観するんだ。思い出せない記憶に苦んでしまう。フィクションのように頭を強打すれば治るじゃない?って思ってしまう。でも現実はフィクションじゃない」
「だがポジティブなら違ってくる」
アクアは過去の自分を振り返るように、今までの記憶を呼び起こしていた。
「今泣いても仕方が無い、立ち止まっている暇があるなら、少しでも前に進んでいく、マイナスをゼロに戻してプラスに転換するんだが、問題がある」
「問題?なにがあるの?」
ルビーはこの時、興味本位でここに来るべきではないと後で思ってしまった。
「周りが過去の自分を求めてしまうんだ」
「考えてみろ、中身は別人なのに外見は本人なんだ。周りは記憶が戻ることを期待してしまう。フリルの出演するドラマがどういった展開になるか分からないが、例えば昔の写真を見せたり、思い出の場所に連れて行って、記憶が蘇ってくれるのを期待する」
「ごめん、お兄ちゃんトイレ行ってくるね」
ルビーが駆け足で部屋から出ていく
「ねぇアクア、それって普通のことじゃないの?記憶を取り戻す為に周りが手助けをしてくれるって、当たり前じゃないの?」
フリルの疑問も最もである。
「そこだよ厄介なのは、『記憶を取り戻すぞ』なら全然OKな展開だ。ラストシーンで記憶を取り戻してハッピーエンドだ。だが『記憶を取り戻す』じゃなくて、『新たな自分として生きる』という場合は最悪なんだ」
アクアはルビーと押し問答していた時のことを思い出す。
「周りが今の自分を否定してしまう。それって今生きている自分を侮辱する行為なんだ。そうなると、その先もマズイ、本人が『記憶を失う前の自分なら、こうするはず』って己の存在を否定してしまう。そこに幸せなんてない。名札をつけたロボットが動いているだけなんだ」
もしアクアが小学生の頃、ミヤコさんに諭されていなければ、自分が【星野アクアマリン】の姿をしたロボットになっていた。頼れる大人がいて自分は助かったんだと思った。彼女に恩返しをしないと副社長とモデルの関係ではなく、自分を育ててくれた親として
「そんなぐらいかな、あくまで俺の妄想込みの戯言だ。さっきも言った通り鵜吞みにはするな」
「アクア1つ聞くけど、なんで泣いているの」
「え?」
アクアは目元に指を当てて涙が流れていることに気付いた
「さぁ?存在しない架空の人物に感情移入でもしたのかな?年を食うと穴が緩んで仕方が無い」
いつも通りに、おどけていたが、フリルは彼を引っ張り自分の胸に抱き寄せた
「フリル?」
「ごめん、アクアに負担になることをさせちゃって」
「別にいいって」
「私のワガママが招いたことなの、だから今はこうさせて、せめて貴方の涙が止まるまで」
「ありがとう」
しばらくして、彼女からの抱擁から解放されたアクアはルビーが帰ってこないことに気付いて、監督に尋ねたら
「ルビーのやつ、さっき帰ったぞ、喧嘩でもしたのか?」
どうやらまだ一波乱ありそうな気がする。
とっくに夕日は沈んでいたので帰ろうとしたら、「ご飯たべていきなさい。子供が大人の前で遠慮なんか、しちゃ駄目よ」という監督のお母さんの圧の強さに負けてしまい、4人で食べることになった。
「アクア、お前今後何やるんだ?」
「ん?雑誌モデルが2件とMAYちょの番組出演を3本撮り、ルビー達の宣伝でこっちの無理を通してくれたから、お礼を兼ねてギャラ0円の仕事、鏑木さんじゃないけど、恩の貸し借りだね」
「お前も、この業界に染まったな」
「目の前にいる指導者が優秀だからね」
「褒めたところで何もないぞ」
たわいない会話だが、打算もなにもない。家族と違って軽口も言い合える。帰り際には「これうちじゃ食べきれないから、持っていって」と大量のお菓子まで持たされた。
夜も遅かったのでアクアはフリルを自宅近くまで送り届けていた。
「監督のお母さん凄い人だったね」
「あぁ、魔王も逃げ出す。最強の母親だな」
「アクアさっきの話だけど、リアルで生々しかったけど」
「物語を作るのは好きなんでね、今度は喜劇でも考えようかね」
「ねぇ、まさかだけど」
フリルは自分の頭にあった疑問を彼に打ち明けようとした時
「フリル、お前の次の台詞は『もしかして、あの話アクアのことじゃ』と言う」
「もしかして、あの話アクアのことじゃ、え?」
「正解を知るには好感度が足りないな」
「そう、いつか教えてくれる?」
「生きてたらな」
「アクアらしい言い方ね、ここまでいいわ、あそこが私の家だから、ありがとう送ってくれて」
「おう、また学校でな」
アクアは踵を返して、地図アプリを立ち上げ、事務所までの最短ルートを検索しながら闇に消えていった。アクアはナビに指定されたルートをわざと外して遠回りするように、フリルに話した体験を消し去るように思考を切り替えようとしていた。
ルビーは五反田家から逃げるように走っていた。行き先なんて決めていない。あの場所から1メートル・50センチ・1ミリでも離れたかった。息が続かない、足が動かない、体が言うことを聞いてくれない。
結局、苺プロ近くまで来てしまった。事務所に入っても意味が無いと理解してる。その場を去ろうとした瞬間
「どうしたのルビー?」
撮影帰りのアイとバーターの有馬が、彼女を呼び止めた。
「ねぇどうしたの?そんな顔して、何があったの?」
「先輩、わたし」
今にも泣きそうなルビーの心情を悟ったアイは有馬を連れて自宅まで連れていった。彼女たちの夜はこれから長くなりそうだ。
フリルちゃんは薄々勘づいていますね。
もう少しオリジナルは作ります。