綱手の兄貴は転生者   作:ポルポル

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忍者の掟

 木ノ葉隠れの里、火影邸の一室で、背後にカカシを侍らせた畳間は、思案気に瞳を閉じて、豪勢な椅子に座っている。

 先日畳間に届けられた情報が正確であるのならば、今日、長く停滞してきた、霧隠れの情勢が大きく動く日となるだろう。第三次忍界大戦後、始めての五影会談に匹敵するだけの一大事になると、畳間は考えている。自然、肩の重みが増すのを感じる。

 

 霧隠れの里は、戦後僅かばかりの友好の時を過ごしたのち、戦闘民族と謳われるかぐや一族を発端として内乱が勃発した。四代目水影は里内のいざこざに他里の力を借りるわけにはいかないと、木ノ葉からの援軍の申し出を断り―――後僅かで内乱を鎮圧することが出来るという段階になって、突如として乱心。和平に賛同していた重鎮たちを殺害し、三代目水影時代に行われていた血霧の里を復活させた。内乱に継ぐ内乱。蟲毒の修業。霧隠れは今、地獄の中にいる。

 

 畳間は五代目火影として、私情で動くことが許されない。あくまで内乱―――水影に介入を拒否されれば、木ノ葉隠れの里は、その動向を静観するより他はない。これが雲隠れであれば、畳間としてはまだよかった。だが、かつて自身の思想に真っ先に賛同を示してくれた男が率いる里である。

 四代目水影に―――やぐらに、何かが起きている。そう確信を抱いても、介入するに足る証拠がない以上、畳間が動くことは出来なかった。やぐらが心変わりをしたという可能性は否めない。もしかすれば、正規の政策かもしれないのだ。悪戯に介入すれば、それこそ、やぐらの言ってくれたあの言葉(・・・・)を―――木ノ葉隠れの里から戦争を仕掛けたことは無いという言葉を―――裏切ることになる。

 

 そうして動けぬままの畳間が歯噛みする中、霧隠れは血霧復活を許せぬ者(反乱軍)と、血霧賛同派で割れ、10年間の時を経た。尾獣化を完全なものとしているやぐらを相手に、反乱軍は苦戦を強いられ、ここ十年で大きく数を減らしている。畳間も個人として、身元が分からぬように工作を行いながら、反乱軍の支援を行ってきてはいたが―――恐らくはあと一年以内に、反乱軍は完全な敗北を喫することとなる。先日、反乱軍は決死の攻撃を水影に仕掛けたが、返り討ちとなった。多くの者が戦死し、反乱軍は瓦解寸前にまで追い込まれているのだ。もはや、風前の灯火である。

 

 そんな折、霧隠れの本拠地―――水影に決戦を挑み戦死した反乱軍の前任のリーダーに代わり、新たにリーダーの地位を継いだ女性―――照美メイが、木ノ葉隠れの里にコンタクトを取って来た。若いくノ一(・・・・・・)だが、冷静で思慮深く、謎の支援者が木ノ葉隠れの里の五代目火影だと辿り着いたらしい。多くの戦力を失った反乱軍は、もはや木ノ葉隠れを直接的に頼る他に道は無いということだろう。それが屈辱的なことであったとしても、血霧に包まれた故郷を解放するという理想のために、メイはそれを耐え忍ぶ道を選んだのだ。畳間はその覚悟を尊び、悩んだ末に、木ノ葉隠れの里五代目火影として初めて、反乱軍と接触する決断を下した。

 

 先日、畳間の息子であるシスイと、山中一族の後継者たるいの、そして油目一族の後継者たるシノが、スリーマンセルを組み、メイ達を迎えに木ノ葉隠れの里を発った。巷ではシスイといのの婚前旅行と騒がれている。シノが一緒にいるはずなのだが、そのことは何故か無視されている。シビの代から影が薄かったが、息子であるシノもまたそうであるらしい。

 シスイは仙術による敵意の感知、いのは秘伝忍術による心身検査の役割を担い、シノは二人の補佐として付けた。シノは蟲を使役し、攻撃、防御、索敵、斥候と、あらゆる状況に対応することが出来る、支援のスペシャリストである。畳間はシノの才能を高く評価し、上忍に推薦した。是非とも上層部―――さらに言えば、暗部に欲しい逸材だと思ったのだ。

 戦時中とは違う今、結果的に言えば、名家の直系たるシノを暗部に入れることこそ叶わなかった。だが、畳間の弟子であったシビは、息子が火影に認められたことが嬉しかったようで、何人かの油目一族の者を暗部へと推薦してくれた。勿論、立候補者を募ってのことである。ノノウも歳を重ね、そろそろ孤児院のマザー専属になりたいと言っているので、暗部の後継者を育てるという意味でも、大きな一歩であった。

 

 現在、三年前の中忍試験を受けて、上忍にまで昇格した者は、シスイ、シノの二人のみとなっている。とはいえ、たった数年で上忍に昇り詰めることが出来たのは、カブト、そしてイタチ以来のことであり、それが同時期に二人もいるというのは異例である。リーは実力的には上忍相応なのだが、如何せん忍術が使えないというのが、ネックである。ガイは幻術返しや口寄せの術の使用は可能であったが、リーは本当に何の忍術も使えない。畳間の盟友ダイもそうであったが、彼は下忍のまま生涯を終えている。

 畳間としても、盟友たるダイの息子ガイが可愛がっている愛弟子にして、かつてのダイを彷彿とさせるリーのことは気に掛けているが―――さすがに上忍に昇格させるのは難しい。ガイのように、明確な功績があればまた話は別だが……とはいえ、焦ることは無い。シスイが上忍になって、本人は焦っているだろうが、まだリーは若い。これから先、成長の余地は十分にある。

 そして、ネジもまた、上忍としての実力は有しているが、中忍のままである。それは、本人が固辞しているからだ。そして、その事実は、ネジ本人と担当上忍であるガイ、そして畳間しか知らない。その理由は―――。

 

 ともかく、シスイとシノ、そしていのが迎えに出た霧隠れ解放軍の者が、先日木ノ葉に到着した。そして今日、会談をするため、火影邸を訪れることになっている。四代目水影が、幻術に掛けられている。その情報を持って。

 

 そして、しばらく畳間が思案していると、扉を叩く音がした。畳間は小さく入室の許可を出すと、まずはシスイが、そして続いて栗色の髪の女性―――恐らくはメイ―――と、反乱軍の者二名、そしていのが入室して来た。

 畳間は立ちあがり、穏やかな笑みを浮かべて、彼らを迎え入れる。

 

「木ノ葉隠れの里まで、遠路はるばるよく来てくれた。オレが五代目火影、千手畳間だ。こいつははたけカカシ。オレの右腕で、木ノ葉の白い牙と名乗っている」

 

「自分で名乗ってるわけじゃないんですけどね……」

 

 畳間の挨拶。

 カカシは自分を紹介する畳間の言葉に、困ったように肩を竦めた。

 

「私は照美メイ。左から再不斬、白です。この度は―――」

 

「いい、いい。堅苦しいのは無しにしよう」

 

 メイが深々とお辞儀をし、長ったらしい挨拶をし始めたのを遮って、畳間が優しく笑い掛ける。

 メイは畳間の言葉に素直に従い、豪勢なソファに、上品な所作で腰かけた。再不斬と名乗った男は豪快に座り、白と名乗った仮面の青年は、再不斬に寄り添うように、小さく座る。

 畳間もまたシスイといの、そしてカカシを後ろに侍らせて、彼らと対面にあるソファに座る。

 ごくりと、緊張しているのか、メイが息を呑んだ。畳間がその緊張をほぐそうと他愛も無い話を振ってくれているが、その気遣いが却ってメイの胃を刺激した。

  

(この方が、木ノ葉隠れの里、五代目火影……。木ノ葉隠れの決戦において、四大国の連合軍を撃破し、第三次忍界大戦を終わらせた英雄……。今代最強の忍び……。確かに、凄まじいチャクラを感じるわね……。その気になれば、この人は私達三人を一瞬で……。本当に、口の利き方には気を付けなければ……)

 

「しかし、このような美しいお嬢さんが見えるとは思わなかったな。過酷な戦いを経ているだろうに、その美貌に陰りは無い様子。実力も礼節も、その佇まいからして、かなりのものと見える。立派なものだ。本当に」

 

(良い人だわ!)

 

 メイは若くして第三次忍界大戦に参加している。『木ノ葉隠れの決戦』にこそ居合わせなかったが、以後、内乱と、齢三十を越えるまで、血みどろの、過酷な戦いを続けて来た。それでも、戦いの最中、女としての自分磨きも努力し続けて来たが、褒められるということは中々無かった。反乱軍には、血霧にこそ反対はしていても、戦闘狂いの男どもが多かったことと、メイ自身が強すぎて、女として見てくれる男がいなかったということもある。メイに次ぐ実力者であり、先の戦いをなんとか生き残った再不斬も、女心を解する類の男では無かった。

 

「おいおい、いきなりナンパか? 火影殿も若いもんだな」

 

 包帯で口元を隠しているが、しかし傷だらけの顔をにやりと歪ませて、再不斬が言った。

 

「……いや、見た目若過ぎねぇか……? 確か五十代だったよな……」

 

 再不斬が少し困惑したように呟いた。

 一方、再不斬の失礼な態度に、メイは慌てた様子である。

 

「ちょ! 再不斬! あなた、あれほど言ったのに……!! 申し訳ございません火影様!! この者は―――」

 

「構わん構わん」

 

 畳間はメイの謝罪を遮って、二人の緊張が解れてきたことを感じ、嬉しそうに笑った。

 

「さすがに体面がある外では困るが、この場にはオレ達しかいないし、後ろの三人もオレのことはよく分かっている。里の子たちも、オレにはそんな感じだしな。なあ、シスイ?」

 

「そうですね」

 

 シスイは感情を読み取らせないような表情で、目を閉じて、公人に徹している。他里の者に友好的過ぎるとでも思っているのだろうか。あるいは父である火影に馴れ馴れしい再不斬に苛立ちを覚えているのか―――詳細は分からないが、その言葉には少し棘があるようにも聞こえる。

 畳間はシスイの態度に、少し、しょぼんとした表情を浮かべた。

 そんな畳間の感情を察知したのか、シスイは心苦し気に眉根を寄せた。そんな親子を見て、いのは少し苦笑を浮かべている。カカシは我関せずである。

 

 そんなやり取りを見て、再不斬やメイは、畳間の人となりを察したのか、少し肩の力が抜けたようである。再不斬としては、礼節など知る由も無いので、自身が大きな無礼を働いてしまう前に、どの程度なら許されるのか、試していた節がある。畳間もそれを察し、多少演技も込めて、だいたいのことは許すぞと、意思表示を示したのである。若くから戦争に参加し、内乱が続き、そして先日大きな敗北を喫した彼らの心中が張り詰めていると察した畳間の気遣いだった。

 

「では、そろそろ、本題に入ろうか」

 

 その後少し話をして、もう緊張もよく解れただろうと感じた畳間が、話を切り出した。

 畳間の纏う雰囲気が真剣なものとなり、メイ達が姿勢を正す。

 

「やぐらに何があったのか。霧隠れに何が起きているのか……それを掴んだという話だったな?」

 

「はい。実は―――」

 

 メイが話し始める。

 先日の決戦、再不斬と白は本陣に切り込んだリーダーやメイの背中を敵の増援から守るために、後方の任務に就いていた。メイはリーダーと共に本陣に切り込んだ。その際、リーダーが白眼を使い(・・・・・)、やぐらに掛けられた幻術を見抜いたという。尾獣化したやぐらと交戦、あと一歩まで追い詰め、幻術の解除を行おうとした瞬間、突如目の前に、黒い生地に紅い雲の文様を記した外套を纏った忍び達が出現し、一瞬で劣勢に追い込まれたという。

 そして、敗北を察したリーダーは自身の白眼を抉り抜いてメイに託し、殿となり、メイを逃がした。メイは透明な袋で梱包された白眼を見せながら、そう語った。

 

「白眼か……。なぜおまえたちが日向のそれを所持しているのか、というのは、今は置いておこう。ここに来ているということは、そういうこと(・・・・・・)だったんだろうが……。シスイ。四代目水影が幻術に掛けられている、というのは、確かだったか?」

 

 話を聞いた畳間は振り返り、いの、シスイへと順に視線を向けた。

 シスイは仰々しく頷いて、口を開く。

 

「私の感知では、彼らが嘘をついているとは感じませんでした」

 

「お前がそう言うのならば、そうなんだろう。いのはどうだ?」

 

「はい。一族の秘伝忍術でその白眼に残る視覚情報を調べたところ……確かに、四代目水影と思しき尾獣が、幻術の揺らめきを発している記録が、残されていました」

 

「ふむ。分かった。では、次だ。恐らく、やぐらの増援に現れたというのは、暁の仮面の男でまず間違いはないだろう。しかし……可能性こそ考慮していたが、まさか本当に、暁が関わっているとはな……。仮面の男の他に、どんなやつがいた?」

 

「奇妙な術を使う者と、大鎌を振るう者がいました」

 

「大鎌……? 確か湯隠れの抜け忍にそんなやつがいたな……。シスイ」

 

「はい」

 

 シスイが姿を消し、少しして、手配書の山を持って現れた。

 驚愕するメイを他所に、畳間はシスイから手配書の山を受け取って、テーブルの上に広げる。

 

「こいつか?」

 

 畳間は、飛段、と書かれた手配書を手に取り、メイに見せる。

 メイが首肯した。

 

「よし……木ノ葉隠れの里でも、こいつを暁のメンバーとして周知し、他里にも情報を伝える。ビンゴブックの危険度を最高に引き上げ、最低でも上忍、可能ならば影クラスでの討伐を前提に、指名手配をし直そう。それと、もう一人の、奇妙な術を使う者、というのは? ここにある手配書に、その者はいないか?」

 

 メイが手配書を次々に目を通すが、結局見つからず、残念そうに首を振る。

 ただ、とメイが言う。

 

「五属性すべてを扱い、黒い……触手のようなものを操作していました」

 

「なんだと……?」

 

「……心当たりが?」

 

 畳間が息を呑み、それを見たメイが訝し気に尋ねる。

 畳間が思案気に眉間にしわを寄せる。滲み出るチャクラの圧に、皆が息を呑んだ。

 しばらくの沈黙。居心地の悪い空気が部屋に充満する。

 しかし突如、畳間はその空気を霧散させ、笑った。

 

「いや、すまんすまん! 少し嫌なことを思い出してしまった」

 

「は、はぁ……?」

 

 打って変わった畳間の様子について行けず、メイが困惑を見せる。恐らくはそれが、自分たちを安心させるための演技だとは分かっていても、メイは素直に安堵を零した。それほどまで、今の圧と空気が重かったのだ。

 

「恐らくだが……。その奇妙な術と言うのは、滝隠れの禁術だ。使い手は……言っても分からんだろう。その使い手が確認されていたのは、ここにいる者達が生まれるよりも……ずっと昔のことだからな。しかし……滝隠れの禁術は既に失われて久しいものだったはずだが……、まだ残っていたとはな……」

 

「では……?」

 

 メイが言う。

 

「ああ。故あって、その滝隠れの禁術は、かつて二代目火影が滝隠れから押収し、里の禁書庫に厳重に封印されている。お前たちに詳細を伝えることは可能だ。……シスイ。飛段、と言う者の情報と、滝隠れの禁術について早急にまとめて、資料を寄越すようにシカクに伝えろ。今日中だ。終わらなきゃ徹夜しろと言っておけ。なに。オレも火影邸でずっと待ってる。一人じゃないよ」

 

「……はい」

 

 シスイがその場から消えた。その隣でいのが顔を引き攣らせる。

 友人(シカマル)のお父さんであり、父の親友でもある奈良シカクに突如として降りかかった苦労を偲ぶ。

 畳間は頷いて、メイを見る。

 

 ―――突如、メイが深々と頭を下げた。

 

 畳間は礼はいい、と伝えようとするが、しかしそれは、メイが言いたいことでは無かった。

 畳間の発言を遮って、メイが口を開く。

 

「五代目火影様! 無理を承知で、お願い申し上げます!! どうか! どうか!! 木ノ葉隠れの里のお力、我らにお貸し下さい!!」

 

 いのがびくりと身を震わせる。困惑を隠し切れていない。精神的にまだ未熟、ということだろう。

 畳間は動じず、目を細めてメイを見る。カカシは動じた様子はなく、顔色一つ変えず、成り行きを見守っている。再不斬は今のところ、静観を続けるようだ。

 

「力を貸せ、とはどういう意味でだ? 今の情報だけでは足りない、ということか?」

 

 畳間が静かに言った。

 メイは頭を下げたまま、首を横に振った。

 

「はい。失礼は承知の上。ですが、もはや我らには打つ手がありません。先日、全戦力を以て挑んだ霧隠れ解放戦において惨敗し、残る解放軍の数はあまりに少ない。血霧から逃げ延びた小さな子供たちが半数を占める今、この者()でさえ、今となっては年長者の側なのです」

 

 畳間が苦渋を表情に浮かべた。白、という者は、見たところシスイと同年代か、少し上と言ったところだ。それでさえ、戦力に数えられる者として年長者であるというのは、あまりに悲惨な状況である。

 

「血の霧に覆われた霧隠れを解放するは、我らの悲願。出来るならば、私達だけの力で、叶えたかった……っ! ですがもう、打つ手がない。このままでは、我らは滅び、子供たちもまた、行き場を失う。私達の、そして子供たちの故郷は永遠に、血の濃霧の中に閉ざされてしまうのです。それだけは……っ、それだけは……っ」

 

 必死に言うメイからは、偽りを感じない。しかし相手はくノ一。そう言った情に訴える術に長けている、と言うことも否めない。畳間が子供を大切にしているというのは、周知の事実。敢えて今、子供の話題を出したのも、畳間の心を揺らすため―――そんなことを無意識に考えてしまい、畳間は自己嫌悪を内心で抱いた。

 

「火影様が我ら解放軍の支援をし続けてくださっていたことを知って、先の戦いで傷ついた私たちの心が、どれほど奮い立ったか。もはや私たちにとって、火影様は唯一の光明なのです。あなた様に縋るより他に、我らに道はありません。どうか、どうかお慈悲を……っ! 霧隠れを解放した暁には、霧隠れは必ずや、どのような条件でも木ノ葉隠れと同盟を結び、望まれるのならば、波の国のように、傘下に入ることをお約束します。そして、私自身も。差し出せるものは多くありませんが、もはや若くないこの身……、如何様にもお使いください……」

 

 震えながら言い縋るメイを、畳間はじっと見降ろしている。

 いのは初めての状況に困惑し、どうすれば良いか分からない様子でたじろぎ、助けを求めるようにカカシを見上げている。だがカカシは真剣な様子で、畳間の背を見続けていた。

 畳間が中腰に立ち上がり、メイの肩に優しく触れる。

 

「顔を上げてくれ、メイ。うら若き美女が、そのようなことを言うもんじゃない。オレが妻帯者じゃなければ、イチコロだった」

 

 メイは畳間の好みドストライクである。

 

「火影様……っ! どうか―――」

 

 畳間の物言いは柔らかかったが、しかしメイの懇願を受け入れるような言葉では無かった。

 メイは絶望に震えながら、言い縋ろうと口を開く。だが、再び腰を下ろした畳間はそれを遮る様に、口を開いた。

 

「……メイの言う、力を貸してくれ、というのは、木ノ葉の忍を貸し出せ、ということだろう。それはつまり、現霧隠れの体制に、五代目火影の名のもとに、宣戦を布告することと同義だ。オレは五代目火影として、戦争を始めることは出来ない。木ノ葉の家族を戦場へ送り出すことは……出来ない」

 

「何故……?! 火影様、何故なのですか!? ずっと、私達を支援してくださっていたのは、霧隠れの現状を憂いてくださってのことと、受け取っています! このままでは、霧隠れは血霧のまま続いてしまうのに……! 私たちにこのまま死ね、と申されるのですか!?」

 

「……」

 

 畳間の沈黙に、顔を伏せているメイの表情が青く染まる。

 

「そんな……っ!! 火影様! どうか!! どうか!!! 縋るしかない私たちを哀れだと思うのなら! どうかお慈悲を……! お慈悲を……!!」

 

 本当に、打つ手がないのだろう。後に引けないのだろう。自分たちの力でやるだけやった。やれることはすべてやって来た。だが、それでもなお聳え立つ壁が分厚過ぎて、もはや木ノ葉に縋るより他は無い。木ノ葉隠れに見捨てられれば、本当に、彼らのすべてが終わってしまうのだ。この十年の戦いも、絶望への反抗も、すべてが無意味なものとなる。

 メイは必死に、外聞を投げ打って、畳間に懇願を続けた。

 

「……五代目火影殿」

 

 沈黙を守っていた再不斬が、小さく畳間の名を呼ぶ。

 畳間は視線を再不斬の方へ向けた。

 再不斬が立ち上がる。

 

「この女はこれでも、オレ以上に長く、霧隠れ解放のために戦っていた女傑だ。多くの同胞と、そして実の弟妹のように育てたガキどもを、戦地に送り出し、その屍を越えて来た。それでも、人前で涙なんて見せたことはねぇ。……本当に、手がねぇんだ、オレ達には。後に続く者も、もういねぇ。託すことも出来ねぇ……。今のオレ達に出来ることがあるとすれば―――ガキどもを置き去りにして、無意味に、死ぬことだけだ」

 

 再不斬が顔を、白の方へ向ける。

 

「このガキもそうだ。オレが里を抜ける前に、たまたま拾った孤児でな。長く、オレの手足として使って来た。殺しが嫌いで……忍者には向いてねぇ甘っちょろいガキだ。だが、その手は血に濡れている。いつからか、こいつは笑わなくなった。こいつと一緒に、解放軍で育った奴らはみんな死んでる。こいつは、そいつらの死を全部、運悪く(・・・)看取っちまったからな」

 

 再不斬が嘲笑を浮かべる。だがそれは、白やメイ、そして畳間に向けられたものでは無く、自分を嘲ったものだった。

 

「……情けねぇ話だよ。鬼人、なんて呼ばれちゃいるが、故郷一つ、雛鳥見てぇについてくるガキ一つ、救えねぇときた。あげく、あんたの情に訴え、情けに縋るくらいしか、出来ることもねぇ。―――届かねぇんだオレ達だけじゃァ……っ!!」

 

 再不斬がソファから離れ、畳間の横に立った。そして、背に負う大刀を引き抜いた。

 いのが驚愕と共に身構える。動けばすぐにでも飛び掛かろうとしているのだ。

 しかし畳間は手を挙げて、いのに静止を促した。

 

 再不斬は刀を振りかぶり―――勢いよく地面に叩きつけると、地面に這いつくばって、頭を下げた。

 

「木ノ葉隠れの里、五代目火影殿!! 頼む! 戦争を終わらせ、敗戦国に温情を掛けたアンタの男気を見込んで、願い奉る!! どうか、力を貸して欲しい!!」

 

 白、という青年もまた、再不斬に倣って、すぐさま地に這いつくばって、頭を下げる。

 

「再不斬……」

 

 メイは頭を下げたまま、横目に再不斬の姿を見て、声を震わせた。冷徹、乱暴として通っていた再不斬が、自身に倣い、地に這いつくばって頭を下げてくれるとは、思いもしなかったからだ。本来ならばそんなことをするような男ではないことを、メイはよく知っている。冷たい男だと思っていたが―――その胸には、確かに、熱い霧の意志が宿っていたのだ。鬼人と恐れられるほどの男がすべてを投げ打って、里のために、頭を下げている。それが、メイは嬉しかった。

 感極まったメイもまた立ち上がると、再不斬と白の隣に並び、地に這いつくばって頭を下げた。

 

「ほ、火影様……」

 

 畳間を呼ぶいのの声が震えている。

 困惑に次ぐ困惑。そして、土下座をする三人の必死さが、ひしひしと伝わっているのだろう。頷いあげても良いんじゃないかと、その眼が訴えている。優しい子だと思う。

 だが―――いのは分かっていない。戦地に行くのは、火影である畳間ではないのだ。カカシやガイ、シスイやナルト、あるいは目の前のいのが、戦場に赴くことになる。

 戦場に行けば、当然、死人が出るだろう。戦争なのだから、当然だ。だが―――それが木ノ葉の家族であるというのは、畳間にはどうしても耐えられない。

 五代目火影の名を継いだとき、畳間は誓った。戦争は起こさせない。木ノ葉の家族は死なせない。皆とともに、同じ未来を生きていく。その誓いを胸に、辛苦に耐え忍んできたのだ。今になって、戦争を始めることも、家族たちに死んで来い、とは、どうしても―――。もしも死んでしまったとすれば、畳間や木ノ葉の者達は、今度こそ、耐え忍べないかもしれない。激怒し、憎悪し、霧隠れを滅ぼすまで止まれないかもしれない。

 

 だが、だからと言って、霧隠れを見捨てる、と言う選択肢を取ることもまた、容易ではない。目の前で、畳間と同じ、子供たちの未来を守ろうとする勇士たちが、恥も外聞も捨てて、必死に頭を下げている。

 立派だと思う。子供たちを守らんとする、よき大人だとも思う。他里の影、もしかすれば、『木ノ葉隠れの決戦』にて自分たちの両親を殺したかもしれない畳間に対し、助けてくれ、と頭を下げるというのは、たいへんな勇気が必要だっただろう。畳間と同じように、彼らもまた子供たちのために、戦っているのだ。

 

 畳間とて本当は助けてやりたい。自分が行けるのなら、一人であっても行っただろう。四代目、三代目火影が存命であったならば、畳間がただの問題児でいられたならば、畳間は彼らの反対を押し切ってでも、メイ達を救うため、里を飛び出しただろう。

 だが、先代の火影たちは皆、里を守るために世を去った。今は畳間こそが、里を背負う火影なのだ。

 

(ミナト……。猿の兄貴……)

 

 三代目火影も、四代目火影も、この重圧に耐えていたのだと、畳間は心の底から理解し、敬意を抱いた。

 彼らは戦時中、多くの同胞を戦地に送り出して来た。帰って来た者もいれば、帰らなかった者もいる。そして帰って来た者を再び戦地へと送り出し―――誰も帰って来なくなるまで、それを続けた。それが、戦争だった。

 畳間はその覚悟が無かったから、当時、四代目火影に推されてなお、継ぐことが出来なかった。年若いミナトに譲らざるを得なかった。

 戦争中は、気が楽だった。なにせ、自分が最前線に行けるのだから。確かに、多くの者を目の前で看取った。助けられなかった者の顔は、今もなお夢に見る程だ。思い出したくも無い、二度と味わいたくない辛苦である。

 ―――だが、長として里に座し、家族たちの訃報を聞いてなお、再び家族を死地へ送り出すよりは、きっと、ずっと楽だったのだ。

 

 アカリはかつて、狂った畳間に言った。三代目火影の顔をちゃんと見たのかと。確かにそうだった。畳間は猿の兄貴と慕うヒルゼンの、辛苦に耐える表情から、ずっと目を逸らしていた。

 今、畳間が直面しているのは、ミナトやヒルゼンが、当時、嫌と言うほど味わい、耐え忍んできた苦渋だ。自分の一言で、敵味方問わず死んでいく。自分の手が届かぬ場所で、もしかすれば想像を絶する痛み、恐怖を伴って。

 その引き金を引く立場に、畳間は今いるのだ。畳間が頷けば、里の家族たちは戦地へ向かい、誰かしらは死ぬことになる。畳間が首を横に振れば、目の前の者達、そしてまだ見ぬ霧隠れの子供たちが、血霧の中に消える。

 どちらを選んでも、畳間にとっては、地獄だった。

 

「……生き残った子供達を、木ノ葉で保護しよう。お前たちも、木ノ葉に亡命してくれば良い」

 

「……故郷を見捨てることは、出来ません。霧隠れには今もなお、助けを待っている者がいます。勝手は、承知しています……。ですが、私達という抑えを失った霧は遠からず、木ノ葉隠れへ宣戦を布告するでしょう……」

 

 力なく、メイが言った。ある意味、脅しである。

 本当に、自分勝手な願いだ。里は見捨てられない。子供たちも死なせたくない。果ては、私達を見捨て霧を放置すれば、いずれ木ノ葉に戦いを挑むだろう。だから戦力を出してくれ、と来たものだ。

 木ノ葉隠れの里の長としての立場を貫くなら、子供たちだけを保護して、目の前の忍びたちには、勝手に玉砕してくれと、突っぱねることこそが正しいのだろう。

 

「……」

 

 畳間の頭に、ぐるぐると思考が巡っている。

 霧隠れを助けてやりたい。その義理がある。だが、それを選べば、里の家族を危険に晒すことになる。

 難しい、選択だった。

 だが、メイの言うことにも、一理ある。

 尾獣を狙う暁。暴走する霧隠れ。これらが繋がっているのだとすれば、いずれ木ノ葉に牙を向くのは明白だ。ならば、戦力があるうちに叩いた方が良い。勝てば、霧隠れの里を完全に呑み込める。里の総力を動員すれば、割れた霧隠れを平定するなど、容易いことだろう。木ノ葉の犠牲も、最小限で済むはずだ。

 

 ―――だが、家族が死ぬぞ。守るべきだ。家族を。

 

 畳間の心で、囁く声がする。家族を愛する、うちはの声だった。

 暁は強い。時空間忍術を操る仮面の男もいる。もしも暁が総力を挙げて木ノ葉を迎え撃ったとすれば、激戦は避けられない。そうなれば、すべての忍びを守り切ることは出来なくなる。必ずどこかに隙は生まれる。そして時空間忍術を操る仮面の男は、必ずその隙を的確に突いて来るはずだ。九尾事件は、そうして起こったのだから。

 

 覚悟は、していたつもりだった。しかしいざとなると、迷いが生じる。

 本当に、霧隠れに手を差し伸べるべきか?

 戦争を始めることは、初代火影の理想に反するのではないか?

 戦争の痛みに耐え忍んでくれた木ノ葉の家族たちの思いを、裏切ることになるのではないか?

 自分たちの里だけが平和ならそれで良いのか? それが理想(夢の先)と言えるのか?

 

 ―――しばらくの沈黙。皆が、固唾を呑んで、畳間の言葉を待った。

 そして―――畳間の心が決まる。

 

「……カカシ。お前は、どう思う?」

 

 ある覚悟を抱き、畳間はカカシへと視線を向けた。

 カカシは、そうですね……、と間を開けてから、話し始めた。

 

「……少し、昔を思い出しました」 

 

 カカシが続ける。

 

「さすがに、土下座まではされませんでしたが……。火影様もあの時……戦後初の五影会談のとき、深く頭を下げられましたよね」

 

 畳間は黙って、続きを促す。

 

「あのとき、火影様の言った言葉に、あの場にいた皆は胸を打たれた。オレも、恐らくは雷影殿も、本心ではきっと、そうだったと思います。少なくとも、水面に波紋が立つ程度には」

 

 ―――オレはいつか……いつの日にか、これから先……一族も、里も、国も関係なく、忍びが協力し合い助け合い、分かり合える日が来ると……夢見ている。思うところもあるだろう。疑いを抱くのも無理なきことだ。だが……もう、子供たちを死なせたくないのだ。木の葉だけではない。霧も、砂も、雲も、岩も……我らの後に続く子供達が、少しでも長く……笑顔でいられるように……っ! だから……どうか……! どうか……!

 

「あのとき、火影様に―――木ノ葉に恐怖を抱く岩、砂を引き寄せ、荒れる雲を抑え込んでくれたのは、水影様でしたよね。……オレも、ずっと疑問を抱いていました。あのとき、真っ先に和平に賛同してくれたやぐら殿が、どうして血霧などと言う、あまりに平和に反した行為に、手を染めたのか。会談の後、史上初めての人柱力の影として、他の人柱力のために、そして血霧と戦争で傷ついた民のために生きていくと語っていたあの人が、どうしてそんなことを始めてしまったのか……。ずっと、疑問だったんです。

 確かに、敵は強大です。暁は構成員一人一人が、一国を相手取れるだけの実力者揃い。戦えば、木ノ葉にも被害は出るでしょう。……死者は、必ず出る。皆を守ると口にすることは容易いですが、実際、守り切れるという保証は無い。連戦、大規模攻撃、多対一……付け入る隙は、非道な奴らであれば、いくらでも作れる。……オレも以前、鬼鮫に敗北しましたからね。とはいえ、暁との交戦は、避けられない。奴らが尾獣を狙っているというのなら、九尾を擁する木ノ葉はいずれ、暁とぶつかる時が来る。遅かれ早かれ、です」

 

 カカシが続ける。

 

「ですが、木ノ葉隠れの里としては、霧隠れを放置し、弱ったところ、あるいは跳ねよう(・・・・)としたところを叩き伏せた方が良いでしょう。暁をバックに付け、解放軍を撃破し勢いに乗る霧隠れに、今、戦いを仕掛けるのは、戦略的に見て下策だと、オレは思います」

 

 カカシは、再不斬たちへ視線を向ける。

 

「彼らを玉砕させ、霧隠れの里が弱ったところを叩いた方が、遥かに効率的ですよ。かつて、木ノ葉がされたようにね」

 

 再不斬の瞳に、剣呑な色が宿る。

 メイが僅かに震えた。

 気づかぬふりをしているのか、カカシは二人から視線を外し、畳間に向けた。

 

「ですが、オレは火影ではありません。近く、忍頭に就任させていただく予定ではありますが、実権はまだ無いに等しい。里の家族を戦地に送り出すのも、あるいは霧隠れを見捨てるのも、結局は火影様の意志の下、決定されることになります。だから、無責任に好き勝手言えるんですが……。正直、申し訳ないとは思います……。ですが、これだけは言わせてください。畳間さん(・・・・・)

 

 カカシが力強い目で、畳間を見つめた。

 

「畳間さん。オレはずっとあなたの背を追い駆けてきました。家族のために粉骨砕身されて来たあなたの背を、ずっと、見続けてきました。あなたのような忍者になりたい、と自分を磨き続けて来たつもりです。今、畳間さんは火影と言う名、里を背負う重責の中、悩まれていることと思います。里の家族を想えば思うほど、霧隠れを見捨てるという選択肢こそが、正しいものとなる。オレから見ても、霧隠れは見捨てた方が木ノ葉にとっては良いと思います。所詮は他里。対岸の火事でしかないはず。本来なら。二代目火影様の定めた掟にも、戦争はするべからず、とされています。

 ―――ですが……本来の霧隠れの里は、同盟国だ。そして、四代目水影のやぐら殿こそが、あの時真っ先に、畳間さんの掲げる夢の先(・・・)に、続いてくれました。彼は……、霧隠れの里は、オレ達木ノ葉の、盟友(・・)です」

 

 あの時、カカシは護衛として畳間に付き従っていた。ゆえにこそ、影たちの会談である五影会談において、発言権は無かった。孤立する畳間を庇うことは、カカシには許されぬことだった。

 だがあのとき、四代目水影だけが、孤立する畳間に賛同してくれた。恐怖で縛るのではなく、友好を以て同盟を結ぶ―――その突破口を開いてくれたのだ。あのとき、カカシは深く、やぐらに感謝を抱いた。

 

 あの時の恩義を、カカシは忘れていない。忘れてはいない。

 畳間が自身に話を振った意図―――それは分からない。だが、もしも、敬愛する五代目火影が、その重責ゆえに選べないというのであれば。その右腕たる自身が、その本心を掬い取る。それこそが、右腕の、右腕たる所以(ゆえん)―――カカシは、そう信じている。

 

(オビト……)

 

 カカシは大きく息を吸った。力強く握った拳が、僅かに震えている。緊張か、恐怖か。あるいは別の何かか。それは分からない。

 そしてカカシは何かに―――過ぎ去った過去に強く思いを馳せるように、目を閉じて、開く。そして、自分の思い、そのすべてを吐き出すように、口を開いた。もしかしたら、自身の一言で、運命が決することになるかもしれない。それでも、カカシは言うべきだと思った。火の意志を継ぐ、五代目火影の、右腕ならば。

 

「忍びの世界において、掟を破るやつはクズ呼ばわりされる。ですが―――仲間を大切にしない奴は、それ以上のクズだ。オレは、そう信じています」


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