綱手の兄貴は転生者   作:ポルポル

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立派に

 会談を終えた畳間は一人、初代火影の顔岩の上に座り、里の灯を見つめていた。

 思い悩んだとき、畳間は必ずこの場所に来て、里を眺めた。幼い頃、初めて道に迷った時、畳間はこの場所で、初代火影に救われた。また悩んだときは、この場所で、友が寄り添ってくれた。一つの節目を迎えた時、畳間は一人この場所で風に吹かれたが、その時にはもう、自分が孤独とは思わなかった。

 たくさんの思い出がある。多くの人に育まれ、たくさんの人と出会い、そして無数の別れを経験した。嬉しかったことも、楽しかったことも、哀しかったことも、苦しかったことも、たくさんの経験を積んできた。

 

「……五代目火影、か」

 

 木ノ葉隠れの里の家族たちが、強がりを止め、弱さを曝け出した素直な畳間をこそ、火影と認めてくれた。

 畳間はそれが本当に嬉しかった。だから畳間は、戦争は二度と起こさせない、どのような手を使ってでも平和を維持する、と心に誓った。事実、里内外に人を配置し、争いの芽は未然に詰んで来た。今思えば「暁」の構成員だったのだろうと思う者を、秘密裏に排除させたこともある。裏世界の犯罪者の金策のルートを、徹底的に叩き潰したこともある。恐らく、暁の暗躍も、一つや二つは邪魔しているだろう。

 

 忍びの世を守り、次代を担う子らを育てる。

 歴代の火影たちに、そして里の家族たちに恥じぬように、畳間は火影として生きて来たつもりだ。

 だが、今畳間は―――五代目火影は、戦争を起こそうとしている。それがいかなる理由であろうとも、例えそれが正しいことのための戦いであったとしても、火影の名のもとに、木ノ葉隠れの里を率いて、一国に戦いを挑むことに変わりはない。少なくとも、畳間はそう考えている。戦争、というものへの忌避は確かにある。だが畳間の心の内にあるものは、木ノ葉隠れの里の者への謝意だった。

 

 本音を言えば―――出来るなら、戦争などしたく無い。里の家族たちには、このまま木ノ葉隠れの里の中で、その青春を謳歌し続けて貰いたい。戦争など知らず、そのまま暖かな陽だまりの中で、穏やかに育って貰いたかった。

 

 だが―――畳間は決めた。霧隠れという盟友(仲間)を救う。例えそれが、掟を破ることになったとしても。

 

「サクモ……」

 

 亡き親友の名を呼ぶ。

 カカシが言ったあの言葉と似たことを、畳間は口にしたことがあった。それは、カカシの父であるサクモが、掟破りの汚名を着せられ、苦悩していた時のことだ。

 畳間はそのとき、悩めるサクモに言った。二代目火影の教え―――その真意を思い出せ、と。二代目火影が何故、下忍昇格試験において、子供たちに掟を破らせるようなルールを敷いたのか―――そこにこそ、火の意志の真意があると、畳間こそが説いた。 

 畳間はきっと、サクモと同じ苦悩に直面していたのだ。仲間(霧隠れ)を救うためには、里の家族を守るという責務()を、放棄しなければならない。自ら、里の家族を危険に晒す選択をしなければならない。

 それでもきっと畳間は、悩み抜いた末に、その選択を取っただろう。深い絶望と、後悔を胸に秘めたまま。だが、カカシが、サクモの意志を見事に継いでみせたあの子が、畳間の苦しみを掃ってくれた。(サクモ)の選択と、里の批判に挟まれ、誰よりも苦悩していたあの子こそが、時を経て、千手畳間を救ってくれた。畳間からサクモへ、サクモからカカシへと受け継がれた意志は、今、畳間へと帰って来た。

 あの時と同じだ、と畳間は思う。すべてを失ったと思い込み苦悩し、闇に堕ちかけていた、あの時のことだ。かつて育んだ絆(アカリ)が、苦しむ心を救ってくれた。

 

「情けねぇや」

 

 一人呟いた畳間は、しかしその頬は緩んでいる。嬉しいのだ。繋がる絆の存在が。有難くも支えてくれる者の存在が、たまらなく嬉しいのだ。

 みんながいるから、自分がいる。それを、再確認できた。

 

 ただ一つだけ、畳間の心にはしこりが残っていた。それは―――。

 

「火影様! こちらにおられましたか!」

 

 静寂に包まれる夜の闇を、野太い声が裂いた。

 振り返った畳間の視線の先の闇夜に、緑色が浮かんでいる。

 

「……ガイ?」

 

 現れたのは、マイト・ガイ。畳間の、最後のしこりだった。

 マイト・ガイの父であり、畳間の盟友であるマイト・ダイは、霧隠れとの交戦で、その命を散らしている。ガイは父を、目の前で看取っているのだ。普通なら、霧隠れと関わることは避けたいだろう。

 だが、敵が暁であるというのならば、畳間としても出し惜しみは出来ない。やるからには、徹底的に叩き潰す必要がある。ガイは戦力的に、霧隠れ解放戦に参加させざるを得ない。

 果たして、ガイは如何なる理由で、この場に現れたのか―――。

 

「カカシから話は聞きました! 霧隠れと戦争をすると。霧隠れを、救うために!」

 

 座っている畳間の隣に、ガイがうんこ座りで着地した。ずい、と顔を畳間に近づけて来る。

 

「そうか……。詳しいことは明日、上忍たちを招集して話すつもりだったが……」

 

 やはり、霧隠れ関連であった。

 畳間はガイを軽く押し返しながら言った。

 そして、ガイは霧隠れ解放戦をどう思うか、と尋ねようとして―――

 

「―――なんと水臭い!!」

 

 ―――ガイの情熱的な叫びに、遮られた。

 

「何故真っ先にオレに話してくれないのです!? いつもカカシばかりズルい!! オレも畳間様の弟子なのに!! オレは猛烈に!! 寂しい思いをしました!!」

 

「え? どういうことだ……?」

 

 ガイの近所迷惑な叫び声に、畳間はまた僅かに身を退かせた。

 しかしガイは掲げた拳を顔の前に寄せ、退く畳間にずい、と再び身を寄せる。

 

「言葉の通りです! 何故オレを真っ先に呼んでくださらないのです!?」

 

 ガイの濃ゆい眉がぴくぴくと揺れ、その瞳は潤んでいる。本当に寂しかったらしい。

 

「いや、お前……。何故って……霧隠れだぞ? 霧隠れのために、死地に行くっていう話だぞ……?」

 

「だからこそです!!」

 

 憚りながら言った畳間に、しかしガイは眼を見開いて、口を大きく開いた。畳間の顔に唾が飛ぶ。

 そしてガイはふと真面目な表情を浮かべ、ゆっくりと身を退いた。

 

「……確かに、オレの父は霧隠れの忍刀七人衆との戦いで命を落としました。オレとて、思うところが無い、と言えば嘘になります。―――ですが!!」

 

 力強く、ガイが否定を叫ぶ。

 そして、大きく息を吸って、静かに言った。

 

「―――父は、霧隠れが憎くて戦ったんじゃありません。大切なものを守るため(・・・・・・・・・・)に、その青春の炎を、燃やしたのです」

 

 畳間は瞠目し、息を呑んだ。

 

「そしてオレは、木ノ葉の気高き蒼い魔獣マイト・ダイの倅! マイト・ガイ!! 木ノ葉の気高き蒼い猛獣―――ですから!!」

 

 ガイが力強く親指を立てて、畳間に満面の笑みを浮かべた。

 

「昨日の敵は、今日の友!! 昨日の敵である霧隠れを、明日、木ノ葉隠れが救う! 畳間様!! それこそ、青春じゃぁないですか!?」

 

 きらりと、ガイの歯が光る。

 ガイは言っている。自分は大丈夫だと。心配は無用だと。

 痛みも哀しみもある。それでも、自分は、下忍の身ながら家族のために命を賭した、気高き魔獣の息子なのだと、叫ぶ。決して憎しみには染まらない。父から受け継いだ、気高き炎の意志が、胸に宿り続ける限り。

 

 見誤っていた、と畳間は自分を恥じる。あの男(ダイ)の意志を―――畳間が心の底から尊敬した、『心の強さ』を受け継ぐ子が、畳間が懸念するようなことで、立ち止まるはずが無かったのだ。いつだって、この男は真っすぐだった。

 そして、それはきっと、ガイだけの話ではない。

 

 ―――里の皆はオレを信じ、オレは皆を信じる。それが、火影だ。

 

 亡き祖父の言葉を、畳間は思い出す。

 里の皆は畳間を信じ、そして畳間は火影となった。ならば今度は畳間が、里の皆を信じる番だ。

 木ノ葉の家族たちはかつて、畳間の火影就任の挨拶を聞き、霧隠れを含む、他里との同盟を受け入れてくれた。平和のために、次代に続く子供たちのために、初代火影から受け継がれる夢のために、彼らは耐え忍び、前を歩んでいく強い覚悟を―――火の意志を魅せてくれたではないか。

 

 千手柱間より受け継がれる夢。そして、その夢の先。

 一族も、里も、国も関係なく、すべての忍びが協力し合い助け合い、分かり合える世界。それこそが、木ノ葉隠れの里の者達が目指す未来。

 

 木ノ葉隠れの里は、畳間が五代目火影を襲名したあの日、『夢の先(火の意志)』の下に、確かに一つに纏まった。

 確かに、霧隠れに思うところがある者はいるかもしれない。だが、木ノ葉隠れの里は―――畳間の家族たちは、それを乗り越えるだけの力を持っている。どれほどの痛みを耐えてでも、目指すべき場所を、すでに皆は理解しているのだ。であれば、今更何を迷うことがあっただろうか。

 

 過去(痛み)は既に、乗り越えた。ならば今、木ノ葉隠れの里が―――五代目火影が目を向けることは、一つだけだ。

 カカシが言うように、霧隠れの里は、木ノ葉隠れの里の盟友(仲間)だった。そして霧隠れの里は今、暁と言う、忍びの世界に蔓延る闇によって、呑み込まれんとしている。かつて、木ノ葉隠れの里が、そうであったように。

 

 そして木ノ葉隠れの里は―――五代目火影は、仲間を決して、見捨てない。

 

「……答えはいつも、ここ(・・)にある。……そうだったな。……イナ」

 

 畳間は立ちあがった。

 そして畳間は、しゃがむガイの頭を、かつての少年にするように、ぽんぽんと軽やかに叩いた。

 

 ―――畳間の最後の迷いが、掻き消える。もはや、憂いは無い。

 

「???」

 

 困惑した様子のガイに、畳間は感謝の思いを込めて、微笑みかけた。

 そしてその後、静かに、遠い空に瞬く星の光へと眼を向ける。

 

 少しずつ、気づかぬうちに、視野が狭まっていたようだ。里の子供たち、里の家族にだけ、眼を向けていた。だが、初代火影が望み、そして畳間が受け継いだ夢は、その先にあるものだ。

 

 ―――人は変わるものですよ。よくも、悪くも。

 

 かつて、畳間の後輩は言った。

 それはきっと、真理なのだろう。ゆえにこそ、畳間も例外ではない。この世に変わらない人間などいない。よくも(・・・)悪くも(・・・)。それだけ、初心を持ち続けるということは難しい。

 

 ―――特に、オレのような人間には。

 

 畳間は自嘲する。

 兆しは、確かにあった。雲隠れへの強硬姿勢の思考がその最たるものだろう。

 里の家族を想い、木ノ葉の家族を守るためならば、何でもするという覚悟があった。確かにそれは、火影の最たる責務だろう。間違いではない。だがそれは、他すべてを切り捨てる、ということと同義ではないのだ。『夢の先』と言う目指すべき頂がある。そこに辿り着くための『要』だからこそ、火影は『里』を守るのだ。

 だが長く、『木ノ葉を守る』という責務の中にあって、目的と手段が逆転し始めていたのかもしれない。里を守ることは、通過点だ。火影を継いだ者は、その先に進まねばならない。

 今、畳間は再び、初心を思い出した。しかしまた、見失わないとは限らない。よくも悪くも、人は変わってしまうのだから。特に、畳間はぶれやすい。芯に気づくのが、遅すぎたがゆえに。

 そして、畳間には、すべてを変えるだけの力は無くとも、すべてを動かすだけの力と、立場がある。

 

 ―――木ノ葉隠れの里の、五代目火影。

 その名に恥じぬことを、してきたつもりだ。

 里を、子を守り、今に導いたという誇りがあり、平和を築き、大国と同盟を結び、戦争によって停滞していた『夢の先』へ、一歩進んだという自負がある。そして、不甲斐ない自分を火影として認め、支え続けてくれた皆への、深い感謝がある。

 

 ―――だからこそ、最後に為すべき役割も。

 

「……歳を取るわけだよ、オレも。なあ……? ダイ、サクモ」

 

 畳間は思い出す。

 サクモと駆け抜けた青春の日々を。

 ダイと高め合った、特訓の日々を。

 本当に楽しい日々だった。だが、サクモも、ダイも、もういない。そして、ただ純粋に夢を追い駆けんとしていた少年は大人となり、現実を知り、挫折を知った。世界を平和にするという、眩い夢をただ輝かせ続けるには、少しばかり、その心は疲弊し、摩耗した。

 

 だが、あの日の少年たちが宿していた意志は、ここ(・・)にある。確かに、今、ここにあるのだ。

 いずれ木ノ葉は朽ちるかもしれない。しかしそれは新たな青葉の養分となり、またいつか、新たな木ノ葉を照らし出す。

 畳間は先ほどの会談の際、カカシに話を振る直前で抱いた覚悟が、正しいものであったことを確信する。

 それ(・・)の不安はある。だが、きっと大丈夫だ。

 

 ―――なぜなら。

 

「―――お前達の息子は、立派な忍者に育ったぞ」

 

 掟と父の間で揺れ動き、自分を捨てざるを得ない中、必死に藻掻いていた少年がいた。

 父を目の前で失い、痛みと憎しみを耐え忍び、己の弱さ乗り越えんと、必死に足掻いていた少年がいた。

 

 ―――少し肌寒い、風が吹く。畳間は眼を閉じて、流れる風に身を委ねる。畳間の髪と、纏う外套が、風に揺れた。

 

「……ガイ」

 

「……はい?」

 

 畳間は振り返らず、ただ星々を眺め続けていた。

 ガイは静かに立ち上がった。畳間の背を見るガイの胸に、何故だか少しだけ、寂しさ(・・・)が湧く。

 そして畳間は振り返らぬまま、静かに―――言った。

 

「―――戦争の……そのすべての責任はオレが取る(・・・・・・・・・・・・)。五代目火影の名を楔とし、この戦いを、これより続く木ノ葉の歴史―――その、最後の戦争としよう」

 

「―――。」

 

 その言葉の意味を理解したガイは瞠目した。ガイの視界の中心で、畳間の背中―――その外套に記された、『五代目火影』の名が揺れる。

 

「……任せたぞ」

 

「―――御意」

 

 畳間の声音は穏やかで、澄んでいた

 ガイは静かに膝を地に着くと、深い敬意を示すように、深く、頭を下げたのだった。

 

 

 

 

「ナルト……。なぜお前がここにいる」

 

「おっちゃん! オレも行くってばよ!!」

 

「……外では五代目様と呼べ」

 

 畳間が上忍たちに班編成の通達を行っていた広間の扉を蹴破る勢いで、現れたのは、うずまきナルトだった。

 木ノ葉隠れの里は、新設した役職である『忍頭』に就任したカカシを現地の最高司令とし、シスイをカカシの補佐として配置、上忍を中心に、霧隠れ解放戦の部隊を編成した。

 また、医療部隊の長としてカブトを、その護衛としてガイを置く。そう布告しようとしていたのだが―――。畳間は頭痛に耐えるように頭を押さえる。

 

「どこからだ……」

 

 どこから情報が漏れたのかと、畳間は聞いている。

 じろり、と畳間はカカシを見た。カカシは慌てて首を振る。しかしガイに情報を漏らしたのはカカシだ。前科がある。

 

「仙術でちょっと耳をよくしたんだってばよ!」

 

「……音の感知に優れた蛙仙人の技法か。まさか、聞いていたとはな……。シスイ」

 

 お前がいながら気づかなかったのか、と畳間が問う。シスイには感知能力がある。近くにいれば、気づいたはずだ。

 

「火影邸の中にいたのは気づいてたけど、まさかそこまで出来るとは……。申し訳ない」

 

「兄ちゃんが悪いわけじゃないってばよ!!」

 

 シスイが深く頭を下げたのを見て、ナルトが慌ててシスイを庇う。

 畳間は深くため息を吐いて、椅子に深く腰掛けなおす。

 

「火影様」 

 

 カカシが手を挙げて発言の許可を求めた。畳間は頷いて許可を出す。

 

「いっそ、ナルト達も参戦させてはいかがです? 相応の実力は、確かに有しています」

 

「なにを馬鹿な―――」

 

 人柱力だぞ、とは言わないまでも、畳間はカカシの意見を却下しようとする。敵は霧隠れと、その背後に潜む暁だ。ナルトがいくら強くなったとしても、九尾を奪われる可能性は充分にある。それに、単に心配である。

 だが―――畳間は言い切らず、口ごもった。

 

「……。ナルト、聞かせてみろ。何故、戦争への参加を望む? 言っておくが、これは裁定だ。理由次第ではお前の望みを受け入れるが、くだらない理由であれば当然、認めない」

 

「……」

 

 畳間は本気の目をナルトに向ける。ナルトもまた真剣な表情を浮かべた。

 自来也の下で何を見たのか、どのように成長したのか。それを確かめてからでも、ナルトの意見を退けるには遅くないと、畳間は判断したのである。少なくとも、カカシが推薦するに足る何かがある。

 一度、家族を信じると決めたのだ。であれば、頭ごなしに否定することは出来ない。

 そして、ナルトは言った。

 

「霧隠れは、君麻呂の兄ちゃんの、故郷だってばよ」

 

「……分かった」

 

 畳間の簡潔な言葉に、ナルトがごくり、と唾を呑む。

 畳間は自然、口端が緩むのを自覚した。

 

 ―――本当に、歳を取るわけだ。

 

「ったく、お前らは……本当に……立派になりやがって……」

 

 ミナト、と今は亡き後輩の名を胸中で呼ぶ。

 

「あー! おっちゃん泣いてる?!」

 

「黙れ!」

 

 心底驚いているナルトに、畳間は照れ隠しに、かつてよく自分が言われていたことを、口にする。

 

「おっちゃんが怒った!?」

 

「変なところだけ自来也に似るな! 馬鹿者!!」

 

 そして畳間が怒った時に自来也が見せる反応と、似たような反応を示したナルトに、畳間は怒鳴り、そして、小さく苦笑した。 

 

 

 

 

「……」

 

「……」

 

 テーブルを挟んで、椅子に座っているアカリと畳間が向かい合っている。

 ナルトを戦争に参加させる。そう言った畳間に、アカリは如何なる思いを向けているだろうか。

 

「……分かった」

 

 アカリが、小さく言った。

 文句の一つでも出て来るだろうと思っていた畳間は少し驚いたように目を丸くしたが、アカリが自身の想いを汲んでくれたことを察する。

 普段ならば甘えて暴れもしただろう。だが、アカリは今はその時ではないと、理解しているのだ。アカリが甘えるときは、畳間に余裕がある時でしかない。今、畳間は苦渋の末に、ナルトや、そして忍びの未来のために、この決断を下した。ナルトを一番可愛がっていたのは、畳間だ。その畳間がナルトを、よりによって戦争に行かせると決断した。アカリはそれを理解してくれている。

 壮絶な覚悟を胸に、五代目火影の名を背負っている―――それくらい察せずして、何が妻だと、言うところか。

 

「ありがとう。アカリ、愛してる」

 

 言って、畳間は立ちあがる。

 アカリは机の下、膝の上に置いた拳を強く握り締めた。拳が震えている。

 

「……あなた(・・・)

 

 去ろうとする畳間を、アカリが呼び止めた。

 畳間が振り返る。

 アカリは静かに立ち上がり、畳間に微笑みかける。

 

「頑張ったね」

 

 アカリが短く言った。

 アカリは、自分の胸にある痛みに、その拳を震わせていたのではなかった。アカリは畳間の胸を刺す痛みを感じ、その拳を震わせていたのだ。

 畳間は瞠目し、唇を震わせる。アカリ、と力なく妻の名を呼んだ。

 

あなた(・・・)は歴代の火影たちにも劣らない、立派な火影だったよ」

 

 アカリの微笑みは太陽のように、畳間の心を温かく照らした。

 アカリは思う。

 千手畳間は、たくさんの死を目の当たりにして来た。たくさんの友を、家族を、戦争と言う地獄で失って来た。だからこそ、二度と戦争は起こさせないと、必死になって足掻いてきた。寝る間も惜しみ、自分自身の痛みを押し隠しながら、痛みを耐え忍ぶ里の家族達に寄り添って来た。火影としての責務の傍ら、親を亡くし、家を無くした子供たちのために、優しく暖かい父として振舞ってきた。

 アカリこそが、その不器用ながら、しかし一生懸命な火影の背中を、誰よりも近くで見守り続けて来た。戦争に踏み切らざるを得なかった哀しみ、愛し子を戦地に送らねばならぬ苦しみが、どれほど畳間にとって辛いものか、誰よりも理解しているのは、アカリであった。

 やっと掴んだ夢だ。やっとたどり着いた未来だ。ずっと、このまま続けたかったはずなのだ。だが、畳間はそうはしなかった。

 五代目火影の代では戦争を起こさない、という選択肢もあったはずだ。その選択肢も取れたはずだ。しかし畳間はその甘美な誘惑を振り払い、本当に大切にするべきものを、選びきったのだ。どれほどの苦しみがあったことだろう。その痛みを思えばこそ、アカリの拳は震え―――そして、そんな道を火影として選んだ夫が、何よりも誇らしく思えた。

 一緒に、たくさんの経験をした。バカをやって、説教をされて、説教をした。ぶつかり合って、分かり合って、そしてまたぶつかって―――そして、一つになった。

 この人を選んで良かった。この人を選んだ自分は決して間違ってなどいなかったと、うちはアカリ(・・・・・・)は、胸を張って言える。

 そして―――この後、畳間が為すべきことを、為すだろうことを、アカリは理解している。五代目火影としての、最後の仕事。その責務。

 

 言うべきだ、とアカリは思った。誰よりも近くで、千手畳間と言う馬鹿な男を見続けた自分が、一番に言うべきだと思った。いや、言いたいと思った。だからアカリは優しく微笑んで、その言葉を、口にする。

 

「私たちの、五代目火影様。あなたが火影で、木ノ葉隠れの里(私たち)は幸せでした。本当に、お疲れ様でした(・・・・・・・・)

 

 アカリが膝の前に両手を添えて、ゆっくりと頭を下げる。

 それを見た畳間の胸に、万感の思いが溢れる。五代目火影として生きた日々が、脳裏を過る。

 畳間の目じりから、暖かなものが一筋、零れ落ち―――畳間の顔がくしゃり(・・・・)と、歪んだ。

 

 ―――そして。後に『霧隠れ解放戦争』と語られる戦いから続いた、すべての戦い(・・・・・・)が終わったとき。五代目火影の治世もまた―――終わりを告げた。




始まるよ(何が

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