綱手の兄貴は転生者   作:ポルポル

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微笑みの爆弾

「―――ッ!!」

 

 小さな部屋の外から、どたどたと騒がしい足音が近づいて来る。

 机に向かって椅子に腰かけ、さらさらと何やら書状を書いていた綱手は、訝し気に扉の方へと視線を向けた。

 

 ―――大きな騒音と共に、扉が開かれる。

 

「綱手!!」

 

「自来也?」

 

 血相を変えて駆けこんで来たのは、大粒の汗を額に浮かべた、白髪の大男―――自来也である。

 綱手は帰って来たばかりの様子の自来也を見て、目を丸く広げた。綱手の表情に、様々な色が浮かび上がる。喜び、期待、待望、安堵、そして、哀しみ(・・・)

 

 その直後に綱手は顔を伏せて、ため息を吐いた(・・・・・・・)。そして筆を持った手を止めて、体を自来也の方へと向ける。そして顔を上げた綱手の眼元は―――呆れた様に(・・・・・)、細められていた。

 

「騒々しいねェ……。なに?」

 

 まるで突き放す(・・・・)かのように、「なに?」の声音が、やけに強かった。

 自来也は扉を開いたままの姿勢を、固まったように維持している。

 

「……。いや、お前がここにおると、聞いたんでのォ……」

 

「だから何の―――」

 

 そこまで言い掛けて、綱手は口を噤んだ。

 小さく、声が聞こえる。

 声は遠く、声の主の姿が見えるはずもないが―――綱手は自来也の向こう側を覗き込むように、小首を傾げた。

 

「……騒がしいけど。自来也。アンタのこと、呼んでるんじゃないの?」

 

「あ、ああ……」

 

「……」

 

 自来也は挙動不審な様子である。

 綱手は訝し気に眉を寄せると、探る様に目を細める。そして半ば確信を持って、自来也を問い詰めるように、口を開いた。

 

「何? アンタまさか、そのまま(・・・・)私のところに来たんじゃないだろうね?」

 

 綱手から発される圧に自来也はたじろいで、ようやく扉のノブから手を離した。

 自来也の様子を見て、綱手は再度、やっぱり(・・・・)かと、内心でため息を吐いた。そして、その切れ長で美しい瞳を、鬼の様に吊り上げると、声を張り上げた。

 

「―――この大馬鹿が!! さっさと行きな(・・・)!!」

 

「う……」

 

 綱手の一喝に、自来也がたじろぐ。

 本来、自来也はすぐにでもカカシ達と再会を果たし、今後の方針と策を練らなければならない立場にある。霧隠れに到着してすぐ、迎えの者に、五代目代行(・・・・・)ないし、緊急の『六代目』襲名を請われたという事実もある。

 けれども、自来也は一直線に、ここに来た。

 カカシ達のもとへと案内しようとする者達から綱手の居場所を聞き出して、引き留める彼らを強引に振り切って、ここまで来たことに、間違いはない。

 だからこそ負い目があり、自来也は綱手に返す言葉が無かった。

 

「……まったく」

 

 はあ、と力なくため息を吐いた綱手は、呆れ果てた、とばかりに額に手を当てた。

 

「……用件は?」

 

 動くつもりのない様子の自来也に、綱手は埒が明かないと思ったのか、自来也へ用件を問いかけた。その内心に、確信の伴った推測を、抱いて。

 そして問いかけられた自来也は、少し迷ったように視線を泳がせる。しかし意を決した様子で、綱手の瞳を見つめながら、言った。

 

「―――畳の兄さんの、ことだが……」

 

「……お兄様の? ……アンタも、聞いてるんじゃないの? お兄様は……死んだって」

 

 表情一つ、声色一つ変えず、綱手が聞き返してくる。

 むしろ、自来也を責めるように細められたその瞳に、力が乗ったような気さえする。そんなことを言うためにここに来たのか、と。

 そんな叱責の声が聞こえるような気がして、自来也は困ったように、その大きな体を縮こまらせた。

 

「綱手。お前は……」

 

 大丈夫なのか、という言葉を、自来也は呑み込んだ。

 大丈夫なはずが無い。

 しかし綱手は、気にした様子も無く、自来也を見つめている。

 

「それで?」

 

「それで、と言われるとアレだが……」

 

 自来也は、困ったように口ごもった。

 自来也は、最後に残った兄を失った綱手の心を心配して、駆けつけたのだ。

 綱手は勝ち気で強がりだが、根は優しく、脆い女だ。もしかしたら一人で泣いているかもしれない。そう思ってのことだったが―――自来也の瞳に映る綱手の様子には、特に変わったところは見られない。一人で泣いていたような痕跡も、暗く沈んだような表情も、何も。

 本当に、気にしていないかの様子である。だからこそ、そんなことは在りえない(・・・・・)と、自来也は言い切れる。子供の頃から、一緒だったのだ。

 かつて、自来也は視た。『里の問題児』と呼ばれた彼が、長き旅の果てに里を背負う影となった、あの日。千の手を背負い、里の家族を守る背中を見て、一筋の涙を流した綱手の横顔を、自来也は確かに見たのだ。

 

 あの涙の真実の意味は、綱手にしか分からない。あるいは、綱手にすら分からないかもしれない。あの涙には、それだけの想いが―――万の感情が、籠っていた。

 自来也とてそうだ。千手畳間と言う少年を知っていた。千手畳間と言う、青年を知っていた。千手畳間と言う、一人の忍びを知っていた。彼の歩んだ道を―――その生き様を、知っていた。

 自来也でさえ、あの時、感動に震えたのだ。綱手が抱いた思いがどれ程のものかなど、自来也には想像もつかない。

 そして、彼は火影となり、家族を守り、家族と共に在った。里と共に在った。

 綱手は、再び旅に出た自来也とは違い、やはりずっと、千手畳間と共に居た。奥方となったアカリに『最も近くで見つめる人』の座は譲っても、綱手は畳間の妹で、畳間は綱手の兄貴であることに、変わりはない。

 ゆえに綱手は、見てきたはずなのだ。

 

 畳間が夢のために奮闘する姿を。物事が順調に進み、喜び笑う姿を見ただろう。思いもよらぬことにつまずき、困って頭を抱える姿を見ただろう。生来の気質―――調子に乗って失敗し、落ち込んだ姿も見たかもしれない。思うようにならない現実に立ち止まり、嘆き悲しむ姿も見ただろう。

 それでも―――自来也が里に戻れば、畳間はいつも笑顔で受け入れてくれて。綱手もやはり、小言と一緒に、笑顔で迎え入れてくれた。

 

 ―――すべて、ぶち壊された。

 

 里に戻る度、覗き趣味で漫遊する傍ら、自来也はよく里を眺めた。

 老若男女、皆が笑っていた。

 戦争の痛みを乗り越えて、皆で掴み、創り上げて来た『今』の幸せを、噛みしめていた。

 自来也には眩しすぎるほどに、木ノ葉隠れの里と言う場所は、三代目火影が―――師が望んだ『夢の先』へと、近づいていた。

 里を眺めているだけで、心が温かくなった。

 これが―――この景色こそが、偉大な先人たちが守った未来なのだと、心が熱くなった。

 彼らの死は決して無駄では無かったのだと―――『生き残った者』として、それが自己満足の慰めだったとしても、心が軽くなる気がした。救われた気がした。

 

 ―――木ノ葉隠れの里は……。あなたたちが命を賭して守り抜いた『夢』は今……こんなにも、光輝いております。

 

 守りたかった。守るつもりでいた。

 使命感。やりがい。胸を焦がす何か。魂が、熱を持った。

 里に仇なす者を断つことが、自分の役割なのだと思っていた。この尊い里を守ることこそが、己の使命なのだと、信じていた。この景色を守るためならば、己の命など惜しくはないと、心の底から、そう思った。自来也だけではない。この平和が末永く続いてほしいと、誰もが願っていたというのに。

 

 ―――すべて、ぶち壊された。

 

 初代火影が作り上げた夢を。

 二代目火影が整えた土台を。

 三代目火影が繋いだ願いを。

 四代目火影が守り切った心を。

 名も無き偉大な先達たちの、『家族を愛する心』が集い形となったものこそが、『木ノ葉隠れの里』である。

 子供たちは何も知らず無邪気に今を謳歌し、大人たちは少しの寂しさを胸に隠して、かつて夢見た夢を、噛みしめていた。

 

 ―――すべて、ぶち壊しやがった。

 

 うちはマダラと言うあまりに巨大な力は、先人たちの生き様(死に様)を、たった一晩で(・・・)無駄なもの(・・・・・)へと貶めた。

 彼らが命を賭けて守ったもの()には、何の価値も無いのだと、踏みにじったのだ。

 

 ―――報復を。うちはマダラに死を。壮絶なる死を。お前は出来る限り、苦しんで死ね。

 

 ふつふつと沸き上がる怒りと憎しみを、誰が止められる?

 何の権利があって、その憤怒と憎悪を間違いだと指摘する?

 

 だが―――綱手はそう(・・)はならなかった。

 憎しみには染まらず、怒りに身を委ねず、兄の遺したものを受け継ぎ、守ろうとしている。

 失ったものは多く、受けた傷は大きい。それでも―――その視線は、『残されたもの』へと、向けられているのだ。

 ある意味で冷たいとも言えるかもしれない。だが、失った人たちを心から大切に想うからこそだ。彼らの守りたかったものを守ることが、『彼らと共にある』ことだと、正しく理解している。

 

 そしてそう考えている者はきっと、綱手だけでは無いのだろう。でなければ、木ノ葉を捨ててでも再起するというシカクの言葉を、皆が受け入れるはずが無い。

 

 ―――忍者(・・)とはすなわち、『忍び耐える者』を指す。偉大なる初代より受け継いだ火の意志を胸に、この痛みを耐え忍び―――我らは今、(まこと)の忍者となる!!

 

 五代目火影襲名式の、畳間の口上の通り―――木ノ葉隠れの里の忍者達皆は、正しく、忍び耐える者達だった。

 今、どれだけ苦しくても。どれだけ辛くても。どれだけ痛くても。血の涙を流し、欠けるほどに歯を喰いしばってでも、そのすべてを耐え忍ぶ道を選んだのだ。

 奪われた『夢の先』を、取り戻すために。彼らは故郷を捨ててでも、今を耐え忍ぶ戦いを選んだのだ。

 

(だからこそ、か……)

 

 五代目火影の火の意志は、確かに木ノ葉の家族達へと受け継がれていた。それを間近に見せられて、どうして、妹である綱手が闇に染まれる?

 綱手がその道(・・・)へ進むことこそが、本当の意味で、五代目火影を殺すことになることを、綱手は理解しているのだろう。

 

 綱手は、両親を、弟を、兄を亡くした。残る血縁は、シスイ達甥姪だけとなった。幸せの日々は踏みにじられ、在りえた未来は奪われた。

 それまでの日々が温かければ温かいほど、それを失った今、胸に開いた風穴が発する痛みは、想像を絶するものになる。

 

 きっと、身を裂かれるような痛みを、胸が張り裂けんばかりの哀しみを、綱手は感じているはずなのだ。

 それでも、と―――綱手は耐え忍び、前を向いている。

 五代目火影の妹として。

 初代火影の孫として。

 三代目火影の弟子として。

 

(三忍は……過去のこと(・・・・・)か……。綱手……お前は……)

 

 ―――千手畳間と言う稀代の火影の陰に隠れてはいたが、綱手もまた紛れもなく、偉大なる『初代火影』の後継者ということだ。

 初代・二代目の『千手兄弟』とはまた違う、兄妹の姿が、そこにはあった。そして―――かつて初代火影が世を去った後、弟である二代目火影は、初代の意志を継ぎ、見事に後進へと、未来を託して見せた。

 きっと綱手は、それ(・・)を意識しているのだろう。だからこそ―――当時の二代目火影の様に、尊敬する兄を失ってなお、進むべき道を、進まんとしている。

 

 それでも、綱手はきっと、無理をしている。

 自来也は綱手に、「無理をするな」と、本当は伝えたい。

 だが、それを強いるには―――綱手が甘えられた最後の一人(・・・・・)が、いなくなってしまった。自来也は、自分がその器たりえないことを、残念ながら理解し、受け入れている。哀しんでいる惚れた女を、ただ強く抱きしめる―――そんな青春の時代は、既に過ぎ去ってしまってもいた。

 それに、自来也も綱手も、大人だ。後に続く者達に、道を示すという役割がある。例え何を失っても、どれほど胸の傷が痛くても、進まなければならないのだ。立ち止まっている暇など無い。

 

 ―――この世界にはまだ、守るべき人たちがいる。

 

(……兄さん。ワシも……腹を括ります(・・・・・・)

 

「……なあ、綱手」

 

「なによ、急に? 改まって」

 

 神妙な様子の自来也に、綱手が小さく笑う。

 自来也もまた、子供の様に笑った。

 

「楽しかったのォ……ガキの頃は。猿飛先生がいて、お前が居て。そして……」

 

 自来也は誰かの名前を口にしようとして、しかし小さく首を振った。

 

「畳の兄さんとアカリの姐さんがいて。サクモの兄さんと……イナの姐さんがいた。皆で温泉に行き、お前に半殺しにされたこともあったな」

 

 自来也は懐かしむように、目を細める。自来也たちの幼少期を彩った人々は、アカリを除き、皆、逝ってしまった。自来也と綱手の前を歩く者は―――もう、数えるだけになってしまった。

 

「あ、あれはアンタが悪いでしょうが!!」

 

 血相を変えて、綱手が怒鳴った。しかし少し恥ずかしそうに頬を染めて、綱手は視線を逸らす。

 

「……。私も悪かったけど……」

 

「ワシが伸びてる間、畳の兄さんにしこたま怒られてたらしいのォ?」

 

「アンタのせいでしょうが!! ……トラウマよ。アンタと同じ(・・・・・・)。今も、お兄様に本気で怒られると……」

 

 トラウマが刺激されて泣いちゃう、とは綱手は口に出さなかった。

 「今も(・・)」、か―――と、自来也は思った。

 

「色々、あったな」

 

「……本当。色々あった。……懐かしい(・・・・)

 

 自来也が目元を緩ませて、微笑んだ。

 綱手もまた、同じように微笑んだ。

 二人は、過去に確かにあった幸福な日々を想起した。もういない人々との、大切な思い出だ。胸に過るものは決して、暖かさだけでは無かったけれど。

 

「猿飛先生の代わりに畳の兄さんが指導してくれたこともあったが……あの日のことは、正直まだトラウマだのォ……」

 

「ああ、あのときか……。アンタ、小便漏らしてたもんね」

 

 苦笑を浮かべる自来也を見て、綱手がくすくすと小さく笑い、声を震わせながら言った。

 

「自来也、あの時からアカリ義姉さんのこと苦手だもんねェ……。アカリ義姉さんに会うたびに、そのでかい図体縮こまらせちゃって。おかしいったら……。あ、そうだ(唐突)。ちなみに、だけど。アカリ義姉さん、アンタがアイスぶちまけたの、まだ覚えてるわよ」

 

「ひえ」

 

 自来也が裏声で小さく悲鳴を漏らした。幼い頃のトラウマと言うのは、大人になっても残っているモノである。アカリと自来也しか知らぬことだが―――任務が終わり、温泉で湯治をしていたアカリを運悪く覗いてしまった少年自来也は、気づいたアカリに泣くまでど突きまわされたこともある。

 自来也にとって、アカリとは畳間とは別方向で頭が上がらない人だった。綱手が自来也を指して「同じ」と言ったのは、このことである。

 ちなみに、アカリは自来也に覗きをされ、裸を見られたことはきれいさっぱり忘れている。そちらを忘れてなお残るアイスの恨み―――食べ物の恨みは恐ろしいのである。畳間が知ったら殺されるのではなかろうかと、アカリと畳間が結婚して以来、自来也は常々怯えていた。

 

 ―――二人は少し、昔話をした。もういない人達を偲ぶように。

 

「―――楽しかったな」

 

「ええ。……そうね。楽しかった」

 

 自来也が微笑み、綱手もまた微笑んだ。

 ダンのことは、二人とも言わなかった。

 綱手は、自来也が自身のことを好いていることを、知っている。敢えてその話をする必要はないと、思ったのだ。

 自来也も、昔の恋敵で―――一度は綱手を託そうとした男のことを、敢えて口にはしなかった。それが自身の女々しさであることを自覚しながら、自来也は口を噤んだまま、話を終えた。

 

「あ……」

 

 ―――綱手の目じりから、一筋の涙が零れ落ちた。

 

「やだねぇ。最近、涙脆くって。歳のせいかな? 自来也。アンタ、も、もう、行きな……って」  

 

 思いもよらず流れ出た雫を親指で拭き取って、綱手はしっしと手を掃った。

 これ以上一緒にいると、『仮面』が、剥がれ落ちそうだったからだ。せっかく、無事に戻ってきてくれたその姿を見て、感極まった(・・・・・)感情を抑え込んでいたというのに、これでは―――意味がない。

 自来也はこれから、皆の前に立ち、死地へ赴くことになる。だからこそ綱手は、自来也をいつも通り(・・・・・)に、あしらおうとしたのだ。

 本当は、ただ一人残った友人(・・)に、泣きついてみたいと思う。対等の関係であるからこそ、弱音を吐いてみたいと思う。 

 綱手とて、辛くないはずが無い。こんなことが立て続けに起きて―――普段と変わらないなど、在りえるはずがない。それでも、兄の背を見続けた綱手は、兄が気にかけていたカカシ達後進を守る(・・)のだと、その手本にならねばと、一生懸命にその役割を遂げたのだ。

 本当は―――弱音の一つくらい、吐いてみたかった。 

 

 だが―――優しい自来也のことだ。惚れた女の弱さを見れば、きっと、心のどこかで気に掛けてしまう。

 だから、気丈に振舞っていたというのに、自来也が昔話なんて始めるから―――堪えていた哀しみが、暖かな思い出と共に、溢れて来てしまったではないか。

 

「……ッ」

 

 一度崩れれば、止まらない。

 ぽろぽろと、止めどなく溢れだした涙は、拭っても拭っても、綱手の頬を濡らした。

 自来也は綱手を静かに見守った。

 綱手は、自来也のその暖かな瞳に、今はいない大切な人たちの面影を見て―――耐え切れず、くしゃりと、綱手の顔が哀しみに歪んだ。

 

「―――お兄様……っ」

 

 綱手はたまらず、最愛の兄の名を呼んだ。震える唇を隠すように、掌で口元を覆った。その手すらも、震えている。

 

 どうして、こんなことになってしまったんだ。

 確かに、兄は天国に行けるような人では無かった。もしもあの世があるのなら、きっと―――千手畳間と言う人間は、地獄に落ちるのだろう。

 それでも、彼は一生懸命に、生きていたのだ。

 兄だけではない。木ノ葉隠れの里の人達は皆、『今』を一生懸命に、生きていたのだ(・・・・・・・)

 それがどうして―――過去の亡霊に、踏みにじられなければならない。そんなことをされなければならないほど、私たちは酷いことをしたか? こんなの、あんまりじゃないか。

 

 ―――綱手の中にあった言葉にならぬ感情が、涙と共に溢れ出ていく。

 

 自来也が下手な小細工をせず、ありのままに気持ちを分かち合ったがゆえに、綱手の心の扉が開いた。

 決戦の日―――辿り着いた兄の背を見て流した涙とは、あまりに意味の違う涙を流す綱手を、自来也は静かに見守っていただろう。これまでならば(・・・・・・・)

 だが―――意を決したように、自来也は一歩、踏み出した。

 

「―――綱手」

 

 自来也はゆっくりと部屋の中へと入り、綱手の傍に近寄った。綱手のすぐ傍に立った自来也は、その華奢な肩に、そっと、己の手を置いた。自来也の視界に、机の上の書物の内容が入り込んだ。やはりそうか(・・・・・・)と、自来也は思った。

 肩に手を置かれ、綱手は顔を上げた。

 自来也は、稀に見る真剣な表情を浮かべて、綱手を見つめている。その力強く、澄んだ瞳が、涙で潤んだ綱手の瞳を射抜く(・・・)

 

「自来也……」

 

 見つめ合う二人。

 綱手の唇からは、熱いため息が零れた。綱手の頬が僅かに染まる。

 自来也の瞳から、目が離せない。まるで引き寄せ合うかのように、二人の視線は絡み合った。

 綱手は、肩に乗せられた大きな硬い手が、小さく震えているのを感じ取った。ぎゅっと、肩が優しく、しかししっかりと握られる。よりはっきりと、自来也の手の震えが、綱手の身体に伝わった。

 そして―――自来也がゆっくりと、口を開いた。

 

「この戦いが終わ―――」

 

「―――自来也様!! カカシ忍頭と水影様がお待ちですぅ!! これ以上は―――」

 

「―――さぁてと!! そろそろ行くかのォ!! じゃあの、綱手!! また!!」

 

 近づいてきたシズネの声に、自来也は瞬時に踵を返した。背中越しに綱手に手をあげて、出入り口の方へと歩いて行く。

 

 そして姿を見せたシズネと扉の前ですれ違い、足早に去って行った。

 シズネは、困ったように扉の前に立ち尽くしている。

 部屋の中で、綱手が呆れた様にため息を吐く姿が、シズネの視界に入り込む。

 その姿に、変わった様子(・・・・・・)は、無い(・・)。医療忍術で、瞬時に目の充血を癒したのである。

 

「えっと……」

 

 シズネはまるで逃げるように去って行く自来也の背中と、部屋の中にいる綱手を、訝し気に見比べた。

 もしかすると、綱手を相手にすると、どうにも素直になれない(・・・・・・・)ことに定評のある自来也が、何かポカをやらかしたのではないか―――そう、シズネは思った。

 

「……あの、綱手様」

 

 シズネは、自来也がやらかしたと思い込んだ。何をやらかしたかはしらないが―――しかし、帰って来たばかりの自来也が見せた、綱手への想いは本物だった。ゆえに、せめてそれだけは伝えてあげたいと、シズネは綱手へと声を掛けた。

 

「自来也様、綱手様のこと、とても心配なさってて―――」

 

「―――知ってる」 

 

 そんな、シズネの優しさを、綱手は短く遮った。

 

「え? あ、はい。そうですか……?」

 

 どうも落ち着いている(・・・・・・・)様子の綱手に、自来也が何をしたのか分からず、シズネは目を瞬かせた。

 

「……えっと。何か、ありました?」

 

「……別に?」

 

 綱手は肩を竦めて、穏やかに目元を緩ませて、苦笑を浮かべた。

 

いつも通り(・・・・・)よ」

 

 それこそが、綱手の求めていたものだったから。

 

 ―――ありがとう。

 

 シズネが去った後―――。

 綱手は誰に向けるでもなく、柔らかな笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――霧隠れの里、水影邸の一室。木ノ葉の上役となった者達(・・・・・・)と、霧隠れの上層部が、集まっている。

 

「……カカシ。無事だったか……良かった……」

 

「……あの。あんまり無事を喜んでいただけているようには、思えないんですが……」

 

 カカシとの再開早々、自来也は何故か落ち込んだ様子である。その声は、気怠そうなものだった。

 まるでカカシが無事じゃない方が良かったかのような、雰囲気の自来也である。

 

「はぁ……」

 

 自来也は大きくため息を吐いた。大柄な背中。垂れる白髪が、寂しげに揺れる。

 カカシは困ったように眉を寄せた。

 

「……」

 

 カカシは何も言わない。

 自来也もまた、畳間との付き合いは長い。二人が、本当の兄弟の様な間柄だったことは、カカシも知っている。

 この場に畳間の姿が無いことを確認し、改めてその死を実感したことで、悲しんでいるのだろう。そう配慮しての、沈黙だった。

 実際、カカシの考えは間違いではない。それ(・・)も確かにあるが、それ(・・)だけでもない―――という話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

「良かったのか? ―――サスケ」

 

 森の中を疾走する重吾は、前を駆けるサスケへと、声を掛けた。

 

「……ああ」

 

 サスケは少し迷った後に、小さく肯定を返した。重吾の少し後ろを駆けるサクラは、心配そう(・・・・)にサスケの背へと視線を向ける。

 駆ける三人が向かう先は―――渦潮隠れの里、跡地。目的は―――仮死状態で時を止めた、九尾の人柱力・うずまきナルトの復活である。

 

 君麻呂の決死の覚悟と、うちはマダラの強さを目の当たりにした雷影は、里に戻るとすぐさま、全忍者に招集をかけ、木ノ葉と手を組みマダラを討つと宣言し、雷の国の大名たちや、同時に木ノ葉からの使者が到着しているだろう岩隠れへも、その旨を書き記した書状を持たせた使者を送った。

 

 これによってゲンマたちは、シカクより任された責務を果たしたこととなる。

 霧隠れにいる木ノ葉の本隊へ情報を伝えるため、ゲンマたちは四代目火影より教わった飛雷神の術―――その下位互換である、三人で一人を囲み、マーキングへと飛ばす『飛雷陣の術』を使用。これによって、シカクの持つマーキングへと、重吾を(・・・)送り飛ばしたのである。

 

 そして重吾は―――君麻呂より託されたもの(・・)と、雲隠れからの書状を握り締め、木ノ葉本隊と合流を果たした。そして書状と情報を伝えた後、重吾はナルトのもとへと向かったのである。君麻呂より託された、九尾の封じられた封印石を握りしめて。

 自来也が合流したのは、その少し後のことであった。今頃は、ナルトのことも、改めて伝えられていることだろう。

 

 だが、問題が一つあった。それは、九尾を含め、尾獣はうちはマダラに狙われているこということである。

 もしもマダラが、九尾のチャクラを辿る術を持っていたとしたら、単独行動はあまりに危険である。重吾が殺されるだけならまだマシ(・・)で、九尾が再び奪われれば、取り戻すチャンスは二度と無い。

 

 ゆえに、護衛が必要だった。

 命を捨ててでも重吾(九尾)を守り、九尾の人柱力を復活させる。その『贄』となる覚悟を持った忍びだ。それも、うちはマダラを相手に、ある程度の時間を稼ぐことが出来る実力を持つ者に限られる。

 

 そこで手を挙げたのが、うちはサスケと、春野サクラの二名だった。

 綱手よりチャクラを分け与えられたサクラは、その類稀なチャクラコントロール技術を駆使し自らの身体を活性化、凄まじい速度で修復を行ったのである。自らの身体は、自らこそが良く知っている。カブトや綱手、シズネによって治癒されるよりも、サクラは自らで自らを回復した方が、その治りは早かったのである。

 

 主治医であったカブトは、呆れ混じりの感嘆を以て、サクラを賞賛した。自らの目測を容易に超えて、自力で回復して退けたサクラの底力に脱帽し、もう好きにしてくれと、ある意味で匙を投げたのである。

 本来ならば、やはり止めるべきだろう。

 カブトからすれば、サクラのそれは、無理やりの回復にしか思えなかった。そしてその無理は、いずれサクラの身体に跳ね返ってくるものだ。

 長期的に見れば、決して正しい行いとは思えない。

 話に聞く初代火影のような異常な回復力を持っていたり、それを受け継いだ五代目火影の肉体であれば、問題のない行為であったとしても、サクラの身体はまだ若く、発達途上にある、一般的な少女のものである。後に現れるであろうその副作用は、カブトにも想像が出来ない。

 だが、サクラは「それでも構わない」と、カブトの心配を申し訳なさそうに、しかしはっきりと退けた。

 

 ―――本当に、良いんだね?

 

 ―――はい。カブトさん、ごめんなさい……。でも私……やりたいんです。今、出来ることを。じゃないと私、生き残れたとしても……きっと将来……死ぬほど(・・・・)後悔します。

 

 それを聞いて、カブトは苦笑した。

 

 ―――その頑固さ……。君は紛れもなく、綱手さんとアカリさんの弟子だよ。医者としては、間違ってるんだろうけど……。兄弟子としては……。―――頑張っておいで。

 

 ―――カブトさんも。

 

 サクラに、迷いはない。うずまきナルトを救う。それが今、サクラの出来ることであり、やりたいことだ。

 だが、サスケはどうだろう。前を駆けるサスケを、サクラはやはり心配そうに見つめている。

 

 本当は、いずれ合流するだろう大好きな兄を待っていたかったのではないか。

 兄と共に、戦場へ向かいたかったのではないか。

 誰よりも早く手を挙げた仲間(サクラ)を放っておけないから、仕方なく着いて来てくれたのではないか。

 そんな思いが、サクラの胸を過る。

 

 霧隠れから里へ戻されたナルトが九尾を奪われ、瀕死の状態になっていること、そして木ノ葉隠れの里―――帰るべき家そのものが崩壊したという知らせを聞いたとき、サクラはベッドの上で、意識を飛ばしそうになるほどの衝撃を受けた。

 今、サクラの父と母とは、連絡が取れないでいる。サクラの胸に湧き上がる焦燥は、凄まじいものだった。今でも気を抜けば、不安でどうにかなりそうだった。

 

「ナルト、大丈夫かしら……? もし、間に合わなかったら……」

 

「縁起でもないことを考えるな。オレ達に出来ることは、信じることだけ(・・・・・・・)だ」

 

 サクラの不安を、前を走るサスケが切って捨てる。

 サクラは俯いて、言った。

 

「それに……ナルトが元気になっても、すぐに、カカシ先生たちと合流しなきゃならないんでしょ? 今だって、仮死状態だって聞くのに……」

 

「―――だが、やるしかない。オレは―――父さんたちが守ろうとしたこの世界を……、里の家族を守る(・・・・・・・)。そのためには、耐えなければならない痛み(・・・・・・・・・・・・)も……ある」

 

「……」

 

 ―――前を駆けるサスケの背を、サクラは心配そう(・・・・)に、見つめている。そうすることで、己の中の不安から、目を逸らすことが、出来るから。

 そんなサクラの気配を感じ取ったのか、サスケは声音を緩めて、言った。

 

「安心しろ。ナルトがもし落ち込んでたら(・・・・・・・)、ぶん殴ってでも、連れてくさ。そして―――オレ達で、あいつを守るんだ。そうすれば、きっとあいつは、オレ達を守ってくれる。オレ達は―――第七班(・・・)、だろ? お互い助け合えば、きっと―――大丈夫だ」

 

「……。なに、かっこつけちゃって。似合わなーい」

 

「あのな……」

 

 サスケの言葉は、どこかぎこちなかった。

 サクラを慰め鼓舞しようと、言葉を考え、選んだのだろう。

 それが面白くて、サクラは笑った。

 不安はある。だが、第七班なら大丈夫だと、そんな安心感もあった。

 

「―――急ぐぞ」

 

 重吾が言った。

 皆の駆ける速度が上がる。

 

 そんな彼らを、さらに後ろから―――白い瞳が、見つめている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――そして。香憐の手によって、うずまきナルトに、九尾が再封印された。

 

 石からナルトの腹へ移すだけであったから、かつて四代目火影やその妻が命懸けで為した封印よりも、遥かに簡単に終わらせることが出来た。それでも、封印の移行時―――どうしても生まれる緩みの隙を突き、石から飛び出そうとする九尾を抑え込むのに、すべてのチャクラを使い果たし、香憐は安静を余儀なくされている。

 渦潮隠れの里にアカリたちと共に残った孤児院の忍者達も、香憐へチャクラのほとんどを譲渡したせいで、今すぐには(・・・・・)、動ける状態ではない。

 

 ―――再封印が遂げられて少しして、ナルトは目を覚ました。

 

 暗い、夜の帳の中、ナルトはベッドから起き上がった。周りには、誰もいなかった。

 一人、窓から外に出る。

 

 静かな町の中を、夜空に浮かぶ丸い月を、ナルトは静かに見上げた。

 狼男、というお伽噺がある。月を見ると狼に変身するという男の話だ。ナルトは、月に向かって、吠え叫びたい衝動に駆られた。

 

 ―――その胸中を占めていたのは、凄まじいまでの、無力感であった。

 

 自分は―――特別なのだと思っていた。四代目火影の息子で、五代目火影と木ノ葉の青い鳥の養子で、仙人と謳われる自来也の弟子。

 自分よりも強い者がいることは、頭では分かっていた。だが、これまではどうにかなってきた(・・・・・・・・・)

 九尾の力を得た時、ナルトは本当に、全てを変えられる(・・・・・・・・)と思った。あの九尾チャクラモードと仙術チャクラを合わせた形態は、本当に、それが出来ると思わされるほどの、凄まじい力があった。

 

 ―――だが、気のせいだった。うちはマダラには、通用しなかった。

 

 義父は死に、里は滅んだ。サスケの父を始めとした、木ノ葉を守るために散った人達の仇すら(・・・)取れなかった(・・・・・・)

 

「―――オレは、弱い……」

 

 ナルトの目じりから、一筋の涙が零れ落ちる。

 己の無力感への怒りと、うちはマダラへの憎悪が入り混じり、ナルトの心はぐちゃぐちゃだった。

 自分がどうすればいいのか、まるで分からなかった。マダラを倒すだけの力も無い。

 ナルトの心は今―――進むべき道を、見失っていた。

 

「……あれ? ナルト君? 起きたんだ。良かった」

 

 一人佇むナルトに、男が一人、声を掛けた。

 ナルトは涙を袖で拭い、訝し気にその男の方へと視線を向ける。

 

「……えっと。確か……」

 

 ナルトは自身の記憶を探る。

 あまり、見覚えのない顔だった。アカデミー時代にまで記憶を遡り、ようやく顔と名前が一致する人物を、思い出した。

 その人物はアカデミーの先生であった。サボりの常習犯であるシカマルたちをよく目にかけ、優しく諭している姿を見たことがある。そして―――何故か(・・・)ナルトとはあまり、関わりの無い人だった。

 そしてナルトは、思い出したその男の名を、呼んだ。

 

「……ミズキ、先生?」

 

「久しぶりだね」

 

 ミズキは、穏やかに笑った。そして、ナルトの名前を、小さく呼ぶ。

 

「聞こえちゃったんだけど……。力が、欲しいのかい?」

 

「え、あ……」

 

 戸惑うナルトに、ミズキは優し気な表情を浮かべたまま、続ける。

 

「木ノ葉も、たいへんなことになっちゃったからね……。先生として、子供たちを守るためにここに残ったけど……。うちはマダラと戦うなら、戦力は、いくらあっても足りないはずだ。君が参戦してくれるなら、頼りになるよ」

 

「……」

 

 ミズキの言葉に、ナルトは暗い表情を浮かべて、俯いた。

 

「……ああ。ごめん。気にしていたかな。マダラに、手も足も出せずに負けたこと……。でも、仕方ないよ。君はまだ、子供だから(・・・・・)。いくら強くなったと言っても、本当の力を、持っていない……」

 

 ミズキの言葉は、ナルトを慰めようとしているはず(・・)だ。だが、その言葉たちは、鋭くナルトの心に突き刺さった。

 ぎゅっと拳を握ったナルトを、ミズキは細めた目で見下ろして―――言った。

 

「ナルト君。頼みがある」

 

「……え?」

 

 顔を上げたナルトは、ミズキの優し気な微笑みに、吸い寄せられる。

 己を責めているナルトを、許してくれる(・・・・・・)かのような、その微笑みに。

 

「君が望むなら―――取って置きの秘密を、教えよう。二代目火影様が編纂し、初代火影様が封じたとされる、封印の書物(・・・・・)。その在り処を。それを読めば……きっと、君は今よりもっと強くなれる。マダラすら―――倒せる力を、手に出来るはずだ。その力で―――うちはマダラを、殺してくれ。みんなの……仇を取ってくれ(・・・・・・・)

 

 道を見失い、迷っていた心に―――偽りの『願い』が、忍びこむ。

 

 紅い月光が生み出した影は、男の横顔を不気味に―――呑み込んでいた。


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