綱手の兄貴は転生者   作:ポルポル

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↓敗因


ジェネレーションギャップ

 爛々と赤い光を映し出す万華鏡の瞳は、ナルトの視線を吸い寄せた。

 

「それって、万華鏡写輪眼……だよな? でも、模様が……」

 

 ナルトの疑問に、イタチは静かに答えを述べた。

 

「この瞳は、『永遠の』万華鏡写輪眼。万華鏡写輪眼を持つ者が、血の近しい者の万華鏡写輪眼を移植することで開眼する、万華鏡写輪眼の一つ上の瞳術だ。この眼は所有者に、永遠の光を与える」

 

「えっと、つまり……どういうことだってばよ」 

 

 残念ながら、ナルトは博学才穎であった父ミナトには似なかった。感覚的・直感的な判断力には優れるが、難しい言葉を並べられると頭を傾げてしまう。

 困った様子のナルトを見て、イタチは僅かに笑みを浮かべ、続けた。

 

「結論から言えば……オレはうちはマダラ打倒のために、アカリ様の瞳を受け継いだ。アカリ様の瞳術は、時空間忍術・輪墓」

 

「それは聞いたことあるってばよ。姉ちゃん、昔はそれでブイブイ(・・・・)ならしてた(・・・・・)って」

 

「……」

 

 ナルトはアカリが言った言葉をそのまま使っていると思われる。

 イタチは内心で「アカリ様は語彙が……」などと失礼なことを考えた。しかしその表情は全く以て変わらない。よって、そのような内心を他者に悟られることは無い。

 

「アカリ様の話では、うちはマダラの瞳術は、『輪墓』と類似する能力である可能性が非常に高いそうだ。輪墓の世界に干渉できるのは、同じ輪墓にいる者か、同じ力を持つ者に限られる。ゆえにアカリ様は、ご自身の瞳術が、マダラ討伐の切り札になると判断された。だが……アカリ様は引退されて久しく、またオレ達が生まれるより前に、その瞳術と共に、光を失ってしまわれている。失われた万華鏡写輪眼の光と瞳術を取り戻すには……先ほど言った通りだ」

 

 万華鏡写輪眼。

 その瞳に宿る固有瞳術は強力無比なものが多いが、しかしその多用には、失明という大きなリスクが存在する。

 しかしそのリスクは、血縁の近い者の万華鏡写輪眼を移植することで、解消される。二つの万華鏡が重なり合った瞳は、既に失われた光と瞳術すら取り戻し、『永遠の万華鏡写輪眼』と呼ばれる瞳へと進化する。

 『青い鳥』の瞳術・輪墓の復活は、うちはマダラ打倒には必須であり、現存する万華鏡写輪眼の使い手は、うちはイタチのみ。

 ゆえに取れる選択肢は、アカリの瞳をイタチに移植するか、イタチの眼をアカリに移植するかの二つ。

 

 しかし、アカリは前線を退いて久しい。

 アカリは、その実力がマダラには大きく劣ると思われる、『黒ゼツに操られたペイン』が相手であっても、近距離戦は不可能と判断せざるを得ないほどに、その力は衰えた。

 マダラ相手に時間稼ぎに成功したのは、ひとえにマダラの油断と慢心、そして『遊び』があったがゆえのことである。もしもマダラがその気であったなら、アカリは数秒で肉塊に変えられていただろう。

 

 かつて『白い牙』、『昇り龍』と並び、『青い鳥』と木ノ葉の者達に称えられ、そして他里に恐れられた『うちは最強のくノ一』は―――もう、いない。それが時代の移り変わりと言うものである。

 『うちはアカリ』は、その『うちはの優れたるを示す』という忍道を為し遂げた末に―――忍者を退き、母となったのだから。

 

 だがそれは同時に、新たな木ノ葉の芽吹きのときでもある。アカリは戦えなくなってしまったが―――うちはの誇りと、千手(初代火影)の意志を正しく受け継ぐ者は育った。

 

 その者こそが、うちはイタチ。

 誰に語られることなく火の意志の本質とその真髄に気づき、黙してそれを実践する若き俊英。

 アカリは己の『光』を、新たな時代へと託したのである。

 

「でも……それって、つまり……」

 

 ナルトが恐る恐る、と言った様子で言葉を紡ぐ。イタチは憂うように少しだけ目を伏せた。

 ナルトの問いかけに含まれる意味が、『これでマダラを倒す手段が増えた』といったものでは無いことに気づいているからだ。

 そして、イタチの様子を見て、ナルトは自身の想像が正しいものであることを確信し、己を落ち着かせるために、大きく息を吸った。

 

 うちはアカリの、眼球の喪失。

 それが意味するところは、すなわち、シスイの『夢』の終焉だ。

 ナルトはシスイがその『夢』に掛ける情熱と思いを知っている。しかし、眼球それ自体が無いというのであれば、いかなる手段をもってしても、光を取り戻すことは不可能だろう。それに気づき、ナルトの声は震えたのである。

 だがそれは、アカリも同じことだ。アカリはシスイの優しさに酷く感激していたし、息子の奮闘を信じ、いつか光が戻る日を待っていた。愛しい愛しい息子が、この暗闇の世界へ、光を携えて迎えに来てくれる日を、暖かな期待と共に、アカリは待ち望んでいたのだ。

 

 しかし、それでもなお、光を捨て去ってでも、アカリはイタチへ眼を託すことを選んだ。

 己の光ではなく、未来へ続く火の意志―――その灯を守ることを、アカリは選んだのだのである。

 アカリは最愛の息子の夢と、自分自身の希望を切り捨ててまで―――己以外、この世全ての光を取った。

 全く以て、気高い意思である。五代目火影が里の父であるならば、その妻であるアカリは、里の母である。その役割を、アカリは全うせんとしている。

 だからこそ、ナルトは思ってしまうのだ。

 うちはマダラさえ、いなければ、と。マダラさえいなければ、こんなことにはならなかった。今もなお、笑い合える日々がそこにあったはずなのだ。

 

「いつ……そんなことを?」

 

 しかしナルトの口から零れ出た言葉は、この胸に過る暗い感情とは異なり、敢えてそれらから話を逸らすための言葉であった。

 もう、激情には溺れない。もう二度と、真っすぐ、自分の言葉は曲げない。

 ナルトは、怒れる己を見つめ冷静に己を知る―――少しだけ、現実を受け入れるための時間が欲しかった。

 イタチはナルトの意を汲んで、その問いに答える。

 

「およそ二日前―――君がこの場所を飛び出した前後の時間に、オレ達の手術は行われていた」

 

 ナルトが戻って来た時、サクラが休んでいたのは、眼球の繊細な手術をした後だったからである。また、ナルトを迎え入れたアカリの、その閉じられた瞳の奥には義眼が嵌めこまれていた。

 

「それでオレの眼が覚めた時、誰も周りにいなかったのか……」

 

「ああ。……サクラちゃんや香憐ちゃんにとっては強行軍だったが、やらざるを得なかった。オレ達に残された時間は少ない(・・・・・・・・・・)

 

「それ……」

 

 ナルトがイタチの言葉に引っかかりを覚え、問いを投げかける。

 

「気になってたんだ。なんで、みんなここにいるのかって。マダラは、どうなったんだってばよ? 君麻呂の兄ちゃんが―――」

 

 そこでナルトは一度言葉に詰まり、目を閉じて僅かに俯き、大きく息を吐き出した。そして顔を上げたナルトは、真っすぐにイタチを見つめ、言葉を続ける。

 

「―――君麻呂の兄ちゃんが、オレのために戦ってくれたってことは、聞いてる。でも、そこから先は……。悔しいけど……君麻呂の兄ちゃんがマダラを倒せたとは、おもえねェ……。マダラは、今、どうしてるんだってばよ」

 

 うちはマダラは、全力のナルトを以てして、完敗を喫した相手である。九尾チャクラと仙術を組み合わせたあの時のナルトは、『すべてを変えられそう』と誤認するほどに、凄まじい力を有していたのだ。怒りと憎しみで視野を狭め、ナルト本来の変幻自在(トリッキー)な戦い方が出来ず、猪突猛進な戦法となってしまっていたことを鑑みても、あの時のナルトを超える戦闘力を持つ者を、ナルトはマダラと畳間以外に知らない。

 

 ナルトに大きく劣る君麻呂の力では、きっとマダラは倒せない。

 そして、九尾を奪い返した君麻呂をマダラが容認するとは到底思えず―――だとすれば、君麻呂はきっと。

 ギリッ、とナルトが歯ぎしりをした。自分が馬鹿なことをしなければ―――もっと退却のことまで考えられていれば、九尾を奪われることは無く、君麻呂が犠牲になることも無かったはずなのだ。

 しかしナルトは自分への怒りを力強く呑み込んだ。

 

 重い現実、打ちのめされる心。襲い掛かる精神的な苦痛に苛まれている様子のナルトを見て、イタチは憂うように瞳を細め、ナルトへ優しく語り掛けた。

 

「……ナルト君。五代目の最期の言葉を守らなかったという点で、君の判断は確かに短絡的だったのかもしれない。だが、君が殿(しんがり)を務めたからこそ、木ノ葉の皆はカカシさんたちと合流することが出来たとも言える。もしも君が時を稼いでいなければ、被害は砂だけでなく、二尾を有する雲にも及んでいただろうし、三尾を有する霧にすら、既にマダラの手が届いていた可能性もある。そうなればカカシさん達は、突如として現れたマダラを相手に、事情も分からないまま、満身創痍の状態で迎撃を強要されていたことになる。だとすれば―――『今』は無かった」

 

「気休めは……。いや……ありがとう。イタチさん」

 

 イタチの気遣いを突っぱねようとして、しかしナルトはそれを押し留めた。

 必要以上に自分を責めるのは、ただの自罰行為、自己満足でしかない。

 今のナルトに必要なのは客観視。ナルトは事実として、イタチの評価を受け取った。

 そして、イタチは続ける。

 

「……ナルト君。先ほどの質問に答える前にまず言っておきたいことは、誤解をしないで欲しい、ということだ。皆、君の精神状態を(おもんばか)って口を噤んでいた。決して、他意があってのことではない」

 

「……つまり、どういうことだってばよ」

 

「マダラは現在消息不明となっている。砂隠れを襲撃し、岩隠れの里へ向かっている最中、重吾・君麻呂と交戦。途中雲隠れの増援が到着するも、劣勢は覆らず撤退の判断が下され―――君麻呂が殿となった。ここまでは、君も聞いている通りだ。だが、マダラが消息不明になる前に起きた、明かされていない出来事が一つある。そしてそれは、アカリ様にも知らされていない最重要機密となる」

 

 ごくり、とナルトが唾を呑み込んだ。

 言外に、口外は許さないという鋭く重い圧が、イタチからナルトへと掛けられる。

 そしてイタチはゆっくりと―――木ノ葉上層部の想定を告げた。

 

「岩隠れから、『雲隠れへ先行した千手止水が消息不明となった』と伝令があった。そして、マダラもまた同時に行方を眩ませた。オレは、シスイがマダラと接触し、交戦した可能性が極めて高いと考えている」

 

 ナルトの目が見開かれる。総毛だつ。

 しかしナルトは、ぐ、と己の身体に力を込めた。拳が強く握り締められ、白んだ。

 よく耐えたな、と自来也とカカシはナルトを見つめる。

 

 シスイは、まだ戦っているのか。では、助けに行かなければならない。

 もしかすると強い兄の事、マダラ相手にすら勝利してしまったのではないか。マダラが行方不明である理由はシスイが倒したからで。シスイが行方不明である理由は今、激戦の末に満身創痍の状態となり、救援を待っているからではないのか。だとすればやはり、助けに行かなければならない。

 だがもしも『逆』だったとすれば。マダラに負傷を負わせマダラが動けない一方で、シスイは敗北し、殺され―――。

 

「……っ。……。ふぅー……」

 

 怒りや憎しみ、焦燥と言った負の感情を心の中から排除するかのように、ナルトはゆっくりと息を吐き出した。

 

「それで……兄ちゃんは……?」

 

 ナルトがゆっくりと問いかけた。

 イタチはナルトを見守りながら、静かに続けた。

 

「そこから先は、オレ達にも分からない。分かるのは、シスイとマダラが同時に姿を消してから、数日が経つということだけだ」

 

「……」

 

 ナルトの頭の中―――ごちゃごちゃと思考が掻き混ぜられるような不快感。纏まらない考えにナルトの顔色は蒼褪め、瞬きを繰り返す。。

 イタチは続ける。

 

「……この情報は本来、君に伝えられるはずではなかったものだ。だが、オレは、君には伝えておくべきだと……そう思った」

 

 そこで言葉を切り上げて、イタチは自来也とカカシへと、視線を向ける。

 

「自来也様。カカシさん。勝手をして、申し訳ありません。罰は受けます」

 

「……まあ、お前の考えも聞いてからかな。意味のないことはしないでしょ。イタチは」

 

 イタチの謝罪の言葉を受けて、カカシが軽く肩を竦めた。

 言葉の通り、イタチが無意味な情報漏洩を行うとは、カカシは思っていない。きっとなにか、大きな意味があってのことだろう。カカシはイタチを信頼している。ゆえに、イタチの考えを聞いてから判断しようと考えたのである。

 

「ありがとうございます」

 

 それに―――現状、そういった賞罰はマダラとの戦いの後になるだろう。そして、そのとき―――イタチが罰を受けられる状態にあるとは、限らない。

 カカシはそれを言葉にはせず、胸に秘めた。

 イタチのことをよく知るカカシがそう判断したのならばと、自来也もまた黙して語らず。イタチに話の続きを促した。

 

「ナルト君。もしも(・・・)のときは、アカリ様を頼みたい」

 

「……」

 

 ナルトが驚いたように目を丸くする。

 イタチは悼むように、目を伏せ、瞬かせる。長いまつげが揺れた。

 

「夫を亡くし、息子もとなれば……。いくらアカリ様であっても、耐え切れるものではないかもしれない。あの方は奔放で、純粋で……愛情深い方だ。怒りに我を忘れて―――ということは無いだろうが、しかしその失意は激しいものとなる。そうなったときのために……。ナルト君には、同時に取り乱すことの無いように(・・・・・・・・・・・・・・・)、心の準備をしておいて欲しい。アカリ様を支えて欲しい。今の君になら……きっと出来ると、オレは判断した。これは……、母親想いである、シスイの親友(・・・・・・)としての頼みでもあり……そして、『木ノ葉隠れのうちはイタチ』としての、願いでもある」

 

「……」

 

「ペインが起こした木ノ葉崩しでは、多くの犠牲者が出た。そしてこれから臨む戦いでも、きっと多くの犠牲者が出る。そうなれば……第三次忍界大戦に匹敵するだけの、孤児(・・)が生まれるだろう。やむを得ず犯罪に手を染める若者が増え、またこの戦いで『戦力』が減ってしまえば、取り戻した平和が、再び脅かされることになる。ペインも元は、孤児だったと聞く。第二第三のペインが現れないとも限らない。だからこそ、子供たちを守る……火の国最大の孤児院である『木ノ葉隠れの家』は、絶対に存続させなければならない。アカリ様には……折れて貰うわけにはいかない」

 

「それは……ッ!! ……。分かるけど……」

 

 ナルトは何かを叫ぼうとして、しかしそれを寸前でやめて、俯くと、ぽつりと呟いた。

 

(イタチさんは、すげェよ……)

 

 イタチはこの戦いの先―――さらにその先にまで、視野を広げている。

 ナルトはイタチの視野の広さを尊敬すると同時に、葛藤を抱いた。

 確かに、イタチの言うことは正しい。ナルトや、ナルトを取り巻く兄弟たちは皆が孤児であり、孤児院に来るまでは、犯罪に手を染めざるを得なかった者もいると聞く。

 だが―――夫と、もしかしたら息子を失ったかもしれないアカリに、喪に服す時間すら与えられない。それはいくらなんでも、という迷い。それはナルトの優しさであり、甘さでもあった。

 

 ナルトは助けを求めるように自来也、そしてカカシへと上目遣いに視線を向け―――しかし二人が何かを言う前に、再び視線を床へと向けた。

 握っていたナルトの拳は、いつの間にか血が滲んでいる。

 そして深い深い沈黙の果てに、ナルトは絞り出すように、ぽつりと呟いた。

 

「……分かったってばよ」

 

「―――ありがとう。ナルト君。任せたよ(・・・・)

 

 そして、イタチは静かにナルトへ背を向けて、歩き出す。

 言うべきことは言ったと、これ以上語ることは無く、部屋から姿を消した。

 それに自来也が続く。

 俯いたままのナルトと、カカシだけが残された。

 

「ま、なんだ」

 

 俯くナルトの上から、カカシの声が掛けられる。

 

「お前はまだ若い(・・・・)んだから、一人であんまり気負い過ぎないよーに」

 

 カカシはぽん、とナルトの肩に手を置いた。反対の手には、畳間も愛読していた著・自来也の本。

 それを見てナルトは呆れた様に、力なく笑った。

 

「なんか臭そうだからいらないってばよ」

 

「そ、そう……?」

 

 別にそんなことはないんだけどなー、とカカシは傷ついたように呟きながら、愛読書を懐へと戻した。

 

(というかこんなとこ(霧隠れ解放戦争)にまで持ってくんなってばよ……カカシ先生……)

 

 呆れた様にカカシを見つめるナルトは、しかし何かに気づいたように目を大きく開いた。

 

「カカシ先生は……なんでそんなに平然としてられんの……?」

 

 数々の『想い』を託されたナルトは、しかしまだ若く、成長途中にある。英雄として羽ばたかんとしてはいても、まだまだ蛹の段階だ。

 

 そんなナルトから見て、カカシの落ち着きぶりは常軌を逸している。

 五代目火影の跡を継ぐと期待され―――そして今、火中の栗を拾うが如く、その全ての『重い(想い)』を背負う立場に就いた。

 ナルトは自分がその立場にあったとして―――果たして今のカカシのような態度を見せられるか、と言われれば、否と答えるだろう。

 自分の心を保つことで精一杯のナルトには、強張る生徒への気遣い(・・・)など、到底考えられない。今だって、受け継ぐべきもの、行うべきことがあり過ぎて、頭の回転が著しく遅くなり、激しいストレスに晒されているのだ。

 しかしナルトと同等か、それ以上のそれらに晒されているはずのカカシは、その腹が立つほどの自然体を崩さない。

 カカシはそれをいかなる方法で保っているのか―――ナルトはそんな疑問をカカシへ投げかけた。

 カカシはぽかんとした表情を浮かべ、そして―――。

 

「なんでも……オレの強さ(・・)は、そこ(・・)なんだってさ」

 

 ―――少し寂しそうに笑い、ナルトの頭を優しく撫でた。

 

 

 

 

 

 

 火影の執務室―――『火』の傘を傍らに置いたマダラは、その厳めしい顔を更に顰めて、書類の束を睨みつけていた。仕事に忙殺されて満足に睡眠もとれていないのか、マダラの目の下には隈が浮かんでいる。

 初代火影―――その名は、マダラが背負うこととなった。

 うちはの者も含め、里創立の立役者は、最後の弟―――千手扉間を抗争で亡くしてなお和平を望み続けた柱間の方であり、初代火影は柱間の方が相応しいと誰もが思っていた。本来の世界に置いて、火影は推薦と多数決によって選ばれるものである。であれば、『立役者』であり人々の人望も厚い柱間がそうなるはずであるし、正史では千手扉間の諫言もあり、そう(・・)なった。

 

 しかしこの限定月読の世界においては、柱間自身がマダラを強く火影に推したこと、そしてそれを掟の下(・・・)に諫める者がいなかったために、柱間に従う者達(・・・・・・・)が忖度し、マダラへと票を入れたのである。

 基本的に自尊心の高いうちは一族や、兄を敬愛し千手を厭うイズナがその思惑に乗らないはずもなく、初代火影は、うちはマダラが襲名することとなった。

 そしてマダラは今、火影としての業務に従事している。

 

「マダラ……」

 

「柱間か……」

 

 そんな中扉を開けて室内へ入って来たのは、柱間だった。柱間の眼の下にも、同じく色濃い隈が刻まれている。

 柱間は疲れ果てた様子で、その手に持った書類をマダラへと突き出した。

 マダラは絶望したように目から光を無くしたが、柱間はマダラの前にどんと書類の山を置いた。

 

「火の国大名からの書状だ」

 

「またか……」

 

「まただ」

 

 もう何日も満足に眠れていない。次から次へと湧いて出る書類の波に、押し流される日々である。

 柱間に学がそれほど無いということと、下が育っていない(・・・・・・・・)ことで、マダラにほとんどの書類仕事が回って来るのである。最初は忍び一族間の集落という形だった木ノ葉隠れの里を、火の国という国家と対等の立場へ押し上げるための手続きや、大名への手回しが、あまりうまくいっていなかった。

 イズナは貫徹に耐えられず体調を崩し、マダラの強権発動により、現在自宅療養中である。

 

「それと……雲でも、『里』が興ったそうだ」

 

「……」

 

「……あまり喜ばんな」

 

 里とは、一族間の血で血を洗う争いを止めるためのシステムである。それが他里でも起こったとなれば、それは柱間とマダラの思想が広がり、『夢』へ一歩近づいたことを意味する。

 しかしマダラは、柱間の言葉を聞いてなお表情が暗いままだ。

 柱間が訝し気に尋ねた。

 マダラは深いため息を吐いて、柱間を見た。 

 

「喜ばしいことなら、お前はもっとはしゃぐだろ」

 

「……まあ、な」

 

 他国における里は、確かに一族間を纏め、不要な争いを避け、子供の死を減らすという根本はあるものの―――その前提として、『火の国』への対抗手段としての意味合いが大きかった。

 巨大な力(木ノ葉)には、巨大な力()を、ということである。平和のための『里』が、争いの道具となる予兆。無垢に喜ぶには、他国から火の国へ掛けられる圧は大きかった。既に里が興っている砂から、強気な外圧が火の国に掛けられていることも要因の一つである。

 火の国は木ノ葉を、風の国は砂を、戦争の札としてチラつかせ、牽制し、恫喝し合っている。このままでは木ノ葉隠れの里の在り方が、『火の国の兵器』となってしまう。それは、柱間やマダラの想定していた『里』でなければ、『夢』でもない。

 よって二人は疲労困憊でなお、政務を続けているのである。

 

「柱間。養成施設の進捗はどうだ……?」

 

「あまり、上手くいっていない」

 

 次代を担う忍者を育てる施設―――木ノ葉内であっても、利権が大きく絡む。

 何を教えるか、誰が教鞭を執るか。どのようなシステムを構築するか。

 愚かな者を教師に据えれば、未来は暗くなる。下手に権力欲の強い者が教師となれば、生徒たちは柱間とマダラの『火の意志』を芽吹かせることなく、ただの忍者(忍術を扱う者)となる。

 

 外交と内政を担う、冷静かつ聡明な人材の欠如。

 火の意志を抱きながら、しかし時に卑劣とすら揶揄されるほどの現実的かつ堅実な一手を打てる、外交官の欠如。

 肉親(里の家族へ)の情・感情に囚われず、厳格で優秀で、しかし決して裏切らない―――信頼の置ける内政官の欠如。

 

 里の内外―――問題は尽きなかった。

 

 しかし、一定の満足感、幸福感が、マダラの中にはあった。

 

「マダラ。少しだけ、休もう。イズナのことも、心配だろう。様子を見てきたらどうだ」

 

 柱間がマダラへと声を掛けた。

 

「……柱間」

 

 マダラは複雑そうに、表情に影を浮かべた。

 柱間にはもう、兄弟がいない。最後の弟である扉間が命を落としたのは―――うちは兄弟に(・・・・・・)、決定的な要因がある。

 憎しみも怒りもあるだろう。

 しかし柱間はイズナを思いやり、そしてマダラの心を憂い、気遣いの言葉を掛けた。

 それにより、マダラの心に、また一つ、異物(・・)が流入する。

 

「マダラ。そんな顔をするな。……致し方なかったのだ。オレは例え……友であろうと我が子であろうと……兄弟であろうと……。それらを切り捨ててでも……叶えたい願いがあった」

 

「柱間……」

 

「……忍者とはすなわち、耐え忍ぶ者のことだ。この痛みが、これから続く子らの幸せのためとなるならば……、オレは、耐えられる」

 

 柱間は悲痛な笑みを浮かべた。強く握った拳は震えていたが、しかし柱間は笑って見せた。

 

「イズナは、お前の最後の兄弟だ。大事にしてやれ」

 

 オレ達の分まで―――そんな思いが、籠ったような重い言葉だった。

 そして柱間は続ける。

 

「それにな、マダラ。オレにはもう、兄弟はいないが……オレはこの里の者達皆を、家族だと思っている。マダラ。お前のこともぞ。お前の弟なら……オレにとっても、大切だ」

 

「柱間……」 

 

 大器。

 あまりに大きな―――大樹が如き器には、マダラをして息を呑まされる慈愛と、悲哀が眠っている。

 

「それに、お前はオレより体力無いんだから、あまり根を詰めると倒れるぞ!」

 

「誰がお前より虚弱だコラ!!」

 

 柱間の軽口にマダラは大げさに怒って乗って見せ、二人は楽し気に笑い合った。

 ふう、とマダラは息を吐いて、立ち上がる。

 火影装束が揺らめく。

 マダラは火影の傘を手に取って頭に被る。

 

「柱間。少し、里を見て回ろう」

 

「……それがいい。皆の笑顔こそ、我らの活力ぞ」

 

 マダラの提案に、柱間は嬉し気に乗った。

 二人は火影邸を出て、里を散策する。今だ規模を増し続ける里は、少し見ないうちに、様変わりするのだ。

 建築中の建物が完成し、新しい店が出来て居たり、新しい住民が増えて居たりする。当然、火影としてそういった申請書には目を通しているし、存在自体は認知しているが、直接目にすれば新鮮であるし、気分転換にもなる。

 

 途中、花屋の小さな看板娘が、柱間とマダラへちょこちょこと近づいてきて、小さな花を差し出した。マダラは困ったように柱間を見て、柱間は嬉しそうに笑い、その花を受け取った。  

 柱間は花屋の小さな看板娘の頭を撫でて、マダラにもお礼の言葉を促した。

 マダラは直接お礼の言葉を口にすることは無かったが―――突然火影の傘を手に取ると、指を突き刺して、穴をあけた。

 

 驚く小さな看板娘を他所に、マダラは受け取った花を、火影の傘に空けた穴に挿し、それを被り直す。

 厳めしい顔。傘で出来た影が強面感を増加させる。だが、その頭で揺れる一輪の花は、とても愛らしかった。

 小さな看板娘は、マダラの不器用な返礼を見て目を瞬かせると、パァと、花のような笑みを浮かべた。嬉しそうに、頬を赤く染めている。

 

「はは! マダラ、似合っておるぞ!」

 

 柱間の茶化しに、マダラはふんと鼻を鳴らした。

 それからのマダラの頭には、常に一輪の花が揺れていた。萎れてくると、どこからともなく花屋の看板娘が現れて、新しい花を手渡した。

 季節の花、花言葉に意味のあるもの、時にはたくさんの花が手渡され、マダラはそれを無言で受け取り、律義に傘に挿した。

 そのうち、マダラは傘を新調し、花を挿すための場所が最初からある傘を被るようになった。

 

 ―――木ノ葉隠れの里の初代火影は、花が好き。

 

 あの強面でか?

 

 そんな話が広まるのは速く―――強面で近づきがたいとされていた初代火影は、いつの間にか小さな子供たちから興味本位で近づかれるようになった。そしていつしか、子供たちからたくさんの花を贈られる人望厚い―――里を背負う影となった。

 

 ―――そして、第一次忍界大戦が勃発した。

 

 激しい戦いの末、和平へと辿り着いた木ノ葉隠れの里。

 マダラが初代火影として参加した五影会談は、当初の予定より剣呑な有様で、互いの利益のために牽制をし合う―――決して友好的な会談だったとは言えないものであったが、しかし忍界には、平和の時代が訪れた。

 それがいつまで続くかは分からない。だが今は、久方ぶりの平和の時を噛みしめようと、マダラと柱間は戦争が終わり活気が戻りつつある里の中を、マダラの顔岩の上から見下ろした。

 

「いい加減、花を寄越すのは止めて欲しいものだ」

 

 マダラの頭には、未だ花が揺れている。

 あの時マダラに花を送った少女は大人の女性となったが、未だ律義にマダラへと花を送り続けている。

 美女となってなおマダラへ花を送り続ける女性に、柱間は「気があるのでは?」と茶化していたが、女性はいつしか猿飛一族の青年と恋仲になっていたため、それは無い。

 僅かに寂しさを覚えるマダラであった。

 

「本意では無かろうに……。マダラ。何故お前は昔から、そう素直じゃないんだ。本気にされるぞ」

 

 火影の執務室は、常に花に埋もれている。

 たいして花が好きという訳でもないのに、マダラは贈られる花を全て受け取り、律義に執務室に飾っていた。

 里を見渡すうち、花屋を目にしたマダラはそれを思い出して嘯いたが、柱間はマダラの本心を見抜いており、揶揄うように笑った。

 

「黙れ」

 

 マダラが端的に言うと、柱間は少し寂しそうに笑った。

 黙れ、と口癖のように柱間に言っていた人のことを、思い出したのかもしれない。

 

「……」

 

「……」

 

 静かな時間が過ぎる。

 

「マダラ」

 

「……」

 

 柱間の呼びかけに、マダラは黙したまま、視線だけを柱間に向け、返答とした。

 柱間が続ける。

 

「たくさんの痛みがあったが……。オレは、『今』を宝と思う。たくさんの子供たちが、無為に命を落とすことなく、酒の味を知る歳となった。そんな世界を見ることが出来た。今までの(・・・・)ことは……オレ達の努力は、決して無駄では無かったのだ……」

 

 柱間の瞳には涙が滲んでいる。

 夢の先を見届けられた喜びと―――傍に居ない大切な人を偲ぶ、哀しみの涙だった。

 それを見て、マダラは沈痛に眉を寄せる。

 

「……」

 

「それもすべて、あの時……お前が『耐え忍ぶ道』を選んでくれたからだ。あの時、オレの手を取ってくれたこと……本当に、感謝する。お前がいたから、オレは……オレ達は、届いた(・・・)……」

 

 柱間の言葉に、マダラは力なく首を振った。

 

「……よせ、柱間。あの時のオレは、愚かだった。和平を結びたければ、はらわたを見せろと―――お前に、痛みを強要した。強いてしまった。本当の意味で忍び耐え、あの『地獄』から『今』へと繋げたのは……お前だ、柱間」

 

 そしてマダラは空を見上げ、己の行いを後悔するように、唇を震わせる。

 

「うちは一族には、代々伝わる石碑が存在する。そこには、こう記されてる。『一つの神が安定を求め陰と陽に分極した。相反する二つは作用しあい、森羅万象を得る』。つまり、相反する二つの力が協力することで本当の幸せがあると謳っているんだ。オレとお前……。うちはと千手……。敵対する二つの一族が協力すれば、本当の幸せが得られる……。ガキの頃……お前とここで話した、『夢』……。アレはただの『夢』の話だと思ってた。掴もうとすれば出来ないことは無かったってのに……オレは……。オレ達(・・・)は……」

 

 マダラが、後悔を口にする。

 オレ達(・・・)と言ったのは、柱間とマダラのことではない。マダラと―――その家族たちのこと。

 

 柱間はマダラの言葉を聞いて、静かに首を振った。

 

「そうしなければ、お前たちはオレ達を信用できなかった。千手とうちはには……それだけの溝があった。それだけ長き時を、争い合って生きてきてしまった……。ただ、それだけのことぞ……」

 

 なおも耐え忍び続ける柱間は、きっと生涯、その痛みと共に生きていくのだろう。すべての兄弟を奪ったうちは一族を赦し、痛みを耐え忍び、『本当の幸せ』という『現実(・・)』を、生きていく。

 柱間の子が、孫が。

 マダラの子が、孫が。

 そして子孫たちが生きていく世界を守るため、末永く続けるために―――柱間はなお、痛みを耐え続けて、生きていくのだ。

 マダラはかつて別の己(・・・)が出来なかった道を、歯を喰いしばって歩いていく柱間を、心の底から尊敬し、讃え、告げた。

 

「柱間。オレは、この世界を守りたい。初代火影として―――この平和を……この幸福を、守りたい」

 

「マダラ……」

 

 柱間は感極まった様子でマダラの名を呼ぶ。

 マダラは穏やかに、優しい笑みを湛え―――告げた。

 

「柱間。お前と兄弟(・・)であることを、オレは……誇りに思う」

 

 

 ―――そして、時が止まった。

 

「……うちはマダラ」

 

「……シスイ、と言ったか」

 

 白い平地と化した世界に一人立つマダラの傍に、いつの間にか、青年が一人立っていた。

 千手止水。マダラをこの世界へと閉じ込めた者である。

 『達成の時』を迎えたことで、マダラの精神状態の確認のために、マダラの前に現れたのである。

 

「……長い、長い……。本当に長い……夢を見ていたようだ……」

 

 マダラが儚げに目を伏せる。

 己の現実での行いを後悔しているのか、その表情には影が差している。

 

「……罪は、償うつもりだ。どうすべきか……今すぐに答えは出ないが……。皆がオレの首を取りたいというのなら、甘んじて受け入れよう。だが……もしも許されるなら、この世界のために、生きたい。かつてオレが諦め……しかし柱間が繋いでくれた夢の先を……見てみたい。もしも……許されるなら……」

 

 マダラが力なく言う。

 シスイは不用意に(・・・・)マダラへと近づき、その肩に優しく手を乗せた。

 

 ―――一瞬の緊張。

 

 もしもこれが演技だとすれば、シスイは殺されるだろう。当然、この身は分身だが、そうなれば『やり直し』だ。シスイ自身、この幻術の維持には疲労する。であれば、もう更生は望めず―――殺さなければならない。

 

 しかし―――マダラは動かなかった。

 

「オレも、出来るだけのことはします」

 

「すまない……本当に……」

 

 ―――瞳術・輪廻眼 限定月読。

 

 その最強クラスの洗脳効果は、本来、カウンセリングに用いられるものである。

 忍者が傷つくのは、戦争だけではない。日常的であっても、人は傷つき、心に痛みを抱える。この幻術は、それを取り払い、より豊かな日々を生きるための、支援忍術。争いのために使うのではなく、人々の幸福を少しばかり手助けする。痛みを耐え忍び、這い上がろうとする人たちの心を癒し、支える―――そのために生まれた幻術だ。

 少なくとも、シスイはそう認識している。

 

 マダラは大きな過ちを犯した。それはきっと、生涯をかけてなお、償いきれるものでは無いのだろう。それでも、マダラもまた、時代の犠牲者であるならば―――きっと、この術で正しさを取り戻すことが出来ると信じていた。

 マダラが最初から闇の世界の人間だったのだとすれば、意味はないリフレッシュ(・・・・・・)は、しかし確かに為し遂げられた。

 であればマダラもまた、『忍界の闇』の犠牲者であったということだ。

 

「シスイ。お前は……柱間に似ている。父を、兄弟を殺されてなお、痛みを、怒りを耐え忍び……『夢の先』を目指している。柱間も、素晴らしい後継者を持った。それに比べて、オレは……」

 

「……」

 

 改心し、優しさを取り戻したマダラはきっと、心の底から悔い、苦しんでいる。

 であれば、気休めの言葉はかけられない。シスイは静かに、マダラの言葉を受け止めた。

 

 そして、シスイはこの分身を解除し、本体にて、マダラの前に姿を現した。

 マダラが驚いたように瞬きし、その意図を悟り、納得したように少しだけ微笑んだ。

 

「行きましょう」

 

 そして、シスイはマダラに背を向ける(・・・・・)

 

 ―――再び、一瞬の緊張。

 

 もしも演技だとすれば、今、シスイは攻撃されていただろう。

 だが、マダラは何もせず、シスイの後に一歩続いただけだった。

 シスイは僅かに安堵し、そして、幻術を解除する。

 

 ―――世界に、色が戻る。

 

 そしてシスイは背を向けたまま、その場にしゃがみ込んだ。足元には―――君麻呂の遺品。

 

 ―――再び、シスイに緊張が走る。

 

 敢えての、誘い。背を向け、兄弟の遺品を拾うという無防備な姿をマダラに見せた。

 もしもマダラが演技をしているとすれば、シスイは攻撃される。そうなれば、シスイはすぐさま幻術を展開し、マダラを再び異世界へと突き落とし、今度こそ殺す。

 

 だが、マダラは何もしなかった。背中から感じる雰囲気には、己の行動を悔いるかのような、罪悪感と悲哀が滲んでいる。チャクラも、穏やかに凪いでいるようだ。

 

 ―――幻術は、成功した。うちはマダラは、世界の敵から、世界の守り手となった。

 

 シスイはやっと、安堵した。

 そしてシスイはこれからのことを話そうと、マダラへと振り返った。

 

「マダ―――」

 

「―――お前は柱間に似ているが……。奴以上に(愚か)すぎる」

 

 振り返った瞬間―――シスイの胸に、鋭い何かが飛来する。

 それは皮を裂き、肉を抉り、骨を砕き、血を吹き出させ―――シスイの身体を貫いた。

 

「お前は……人を殺したことが無いな? でなければ、とうにオレを殺しているはずだ。例えお前が柱間であったとしてもな。―――お前は……他人に夢を見過ぎ(・・・・・)だ」

 

 こふり、とシスイの口から大量の血が吐き出された。

 まさか、と驚愕と戸惑いに揺れるシスイの瞳が視たものは―――己の身体に突き刺さるマダラの手刀。そしてシスイを見下すように笑う、マダラの暗い瞳だった。

 

 ―――チャクラが練れない。点穴を突かれた。

 

 何故だ、とシスイの考えを見抜くように、マダラが愉快そうに笑う。

 

 万華鏡写輪眼には、術を保持する力がある。

 かつて柱間に殺されたマダラは、時間を経てその現実を掻き消すという術―――イザナギだ―――が発動するように、万華鏡写輪眼にインプットしていた。

 それを今、使用したのである。己自身を瞳術によって深く眠らせ、シスイの望むうちはマダラを構成し、それを鎧として本来の精神を守り、そして今、呼び戻した。

 その条件は―――うちはシスイのチャクラの安堵(・・・・・・・)

 幻術の解除や、殺せる隙を見せた時ではない。シスイのチャクラ(精神)そのものが、マダラへの警戒を解いた(・・・・・・・・・・・)とき、うちはマダラは目を覚ます。

 

 しかし、その答え合わせを、マダラはしない。

 マダラは、シスイを警戒している。ゆえにこのまま殺す。

 

 シスイは瞬時に腕を動かした。

 マダラはくだらない反抗だと断じ、シスイの胸を貫く手を更に奥へと押し込んだ。

 

 シスイの腕が振るわれた。

 

 ―――凄まじい量の血が、噴水のように噴き出した。

 

「―――なんだと?」

 

 マダラが、驚愕の言葉を零す。

 シスイの手刀は、マダラへの攻撃ではなく―――

 

「こいつ、自分の眼を……」

 

 ―――シスイ自身の眼を潰すために放たれたのだ。

 

 シスイの瞳術は、あまりに強い。

 悪用されれば、どうなるか分からない。それを扱う者が、最悪レベルの危険思想を持つマダラであれば、なおさらだ。

 ゆえに死を悟ったシスイは己の眼を潰した。その眼が、邪悪に渡ることが無いように。

 

「何、故……」

 

 眼が潰れ、血まみれのシスイが、マダラへと問いかける。

 

「あの曽祖父を見て……、なにも、思わなかったのか……」

 

 マダラと同等かそれ以上の痛みを耐え忍び、平和という夢のために生きようとしていた柱間を見て、マダラは何も思わなかったのか。

 少しでも、悔い改めようと思わなかったのか。

 シスイをして、悲痛さに胸を抑えた千手柱間の痛みと、耐え忍ばんとする姿勢に、マダラの心は何も感じなかったのか。

 シスイの問いかけに、マダラは冷めきった色を瞳に浮かべて、冷たく言った。

 

「論ずる必要すら無い。オレの『夢』には……、あのような痛みすら存在しない」

 

(ああ……)

 

 そうして、シスイは己の愚かさを悟った。

 マダラが上手だった、ということもあるが―――そもそも、性根が甘すぎた。畳間であっても、きっと殺していただろうマダラを、シスイは救わんとしてしまった。それが、医療忍者として人々の幸福の実現と支援を目指すシスイにとっての当たり前(・・・・)だったからだ。

 

 うちはマダラは、狂い切っている。正確には、己の『ゆめ』を盲信し、心酔し切っている。このマダラの思想を変えられるとするならば、それはその『ゆめ』が崩れ去った時だけだ。

 マダラはシスイを柱間以上に甘く愚かで、そして戦闘経験値があまりに少ない小僧と言った。

 

 ―――その通りだった。

 

 平和の時代を生きて、人とは善き生き物だと信じ切っていた。

 今の時代の人間は、確かにそうかもしれない。

 だが、うちはマダラは過去を生きた人間だ。現在の価値観は通用しない。今の時代を生きる人間の大多数が持つ共通無意識―――忍び耐え、今の忍界の平和を維持していく―――を、持たないのだ。

 

 人とは真に忍び耐えることは出来ず、和平とは静かな争いでしかなく、『(しのび)の闇』を孕む平和に、価値は無い。

 

 うちはマダラとは、そういった思想の持ち主で―――であれば、シスイの幻術は、マダラにとっては、どこまで言っても『余興』でしかない。

 『痛みを耐え忍ぶ』というその一点が、既にマダラの許容範囲を超えている。人が『痛み』を抱いた時点で、それはもはやマダラの目指す『夢の先』ではない。

 

 ―――全人類の救済。まさに、論ずる価値も無いほどに、マダラの思想は、ズレていた。

 

 幻術の中、柱間の見せたあの『火の意志』こそが、マダラの嫌悪する『痛み』。『忍の闇』そのものである。であれば、あの幻術にまるで効果が無いのは、道理だ。人々が、あの柱間や、自分の様に、大切な人を失う痛みや、それを耐え忍ぶなどという苦行・地獄から解放された世界こそが、うちはマダラの目指す『夢の先』なのだから。

 

「あ……」

 

 シスイの身体から、チャクラが抜けていく。

 吸い取られているのだ。

 

「ほう……。力そのものは大したことは無いが……。このチャクラは……」

 

 マダラの中に、シスイからチャクラが流れ込む。六道仙人のギフト―――祖たる仙人のチャクラ。

 マダラの中にある、インドラのチャクラは、六道仙人のチャクラを二つに分けたもの。マダラ(インドラ)のチャクラの、さらに大本の力が、マダラの中に流れ込む。

 

「お、お……」

 

 マダラの中に、熱い何かが込み上げてくる。

 瞳に、熱が宿る。

 マダラは思わず目を閉じた。

 

「ふ、はは―――」

 

 マダラの中に溢れだす力、沸き上がる高揚感。

 マダラは耐え切れぬといったふうに壮絶な笑みを浮かべ―――。

 

「この眼は闇が、よく見える」

 

 そして開かれたマダラの輪廻眼には―――無数の勾玉が、浮かびあがっていた。


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