「アカリ、下がってろ。オレが前に出る」
「おい、千手! 貴様私に命令を―――」
言い終わらぬうちに、畳間がアカリの前に飛び出して、懐から短刀を引き抜いた。
鍔迫りの音―――鞘から覗くわずかな銀色の刃が、敵の一閃を防いだ。間一髪。アカリは息を呑む。
瞬身の術。
チャクラを足に集め、一瞬の移動において術者の限界を超え、スピードを飛躍的に増加させる体術の基礎だ。その能力ゆえに継続して使うことは難しいが、奇襲や逃走においては最適の術の1つ。原理は違うが、極めた瞬身の術は近接戦において、2代目火影・扉間の
敵の一撃を受け止めた刃を鞘から一気に引き抜いて、畳間は敵の刀を弾き飛ばした。
雲の下忍は畳間の動きに合わせて後方へ飛び、距離を取る。
間髪置かず、畳間が駆ける。地を縫うような動きで敵の苦無から逃れつつ、その疾風の如きの速さを存分に発揮する。
「ふざけんな!!」
零れ落ちた汚い言葉には、アカリの悔しさが込められている。
畳間が走り出す直前、話すのも惜しいと言わんばかりに向けられたアカリへの一瞥が、アカリの誇りを傷つけた。
―――私を足手まといとでも言うつもりかッ!!
巻物をポーチから引っ張り出し、アカリは空中で引きちぎるようにそれを広げた。巻物に記されたのは、武器口寄せの術式だ。
ぼふんと煙を焚いて、巻物は地面に落ちる。煙の中から現れたのは、手裏剣と呼ぶにはあまりにも大きな投擲武器。アカリの上半身を覆ってしまいそうなほど大きさを誇るそれを、アカリは引っ手繰る様に掴み取る。振りかぶった腕を振り下ろす直線上―――敵と切り結んでいる畳間の背に向けて、手裏剣を投げ飛ばした。
敵を追いかけた畳間は首を狙い、逆手に持った短刀を横なぎに振るった。
雲の下忍は逆手に持った短刀の剣先で、畳間の短刀の腹を器用に弾き上げる。さらには畳間を目の前にして、空いた片手で印を結んだ。
本来は両手で印を結ぶことで、忍術は発動する。しかし稀にだが、片手だけの印で術を発動することが出来る者がいる。この雲隠れの下忍もその類ということだろう。
蛙のように膨らんだ口、首を反らせたその仕草が、術の発動モーションなのだと畳間は理解する。今のままでは”色んな意味で”直撃する―――畳間は伸ばした腕を素早く戻し、自分で自分に足払いを掛けて体勢を崩し、それを回避行動とした。
「溶遁・
雲の下忍の口から放たれる護謨の弾丸が、無理やり体勢を崩した畳間の頭髪を掠め取っていく。毛が引きちぎれる痛みに耐え、畳間は両手を地面について、倒れる体を支えた。
「なんだとッ!?」
雲の下忍が驚愕に声を荒げる。
目前に現れた巨大な手裏剣―――畳間の背後から迫っていたアカリの風魔手裏剣だ。
間一髪の反応で背をのけ反らせた雲の下忍は、眼前を巨大な手裏剣が通り過ぎていく様子に肝を冷やすも、その腹に護謨弾を撃ち込んだ。
「オラァ!」
手裏剣が上空を舞い、注意が引き付けられる。
ならばと、畳間は雲の下忍に足払いを放った。足元への攻撃に間一髪反応し、雲の下忍は蹴り倒される寸前、
しかしそれで終わりでは無い。
「まだまだァ!!」
「こいつらッ!!」
アカリの咆哮―――弾き飛ばされたはずの手裏剣が、振り下ろされた両手の動きに合わせて空路を変える。垂直に急降下する手裏剣が、雲の下忍の剥き出しの腹を狙う。
飛んだ瞬間を狙われ、回避することも出来ない雲の下忍は怨嗟を叫ぶ。しかし、これはチーム戦である。
「水遁・水弾の術!」
離れていた霧の忍びが放った、水遁・水弾の術。
かつて畳間も得意とした水遁の基礎忍術である。口から水の塊を飛ばすこの術は、術者のチャクラ量によって、水の塊の大きさが変化する。
霧の下忍のチャクラ量はそう多くはない―――水球の大きさからそう断じた畳間が、四つん這いの畳間は腕の力で飛び上がる。上腕三頭筋が隆起し、上腕二頭筋に血管が浮かび上がった。
「よし弾いた!」
「それはどうかな?」
「なんだと、まさか!!」
相棒を守った達成感に浸る霧の下忍を、アカリが嗤った。
弾き飛ばしたはずの手裏剣が、未だ雲の下忍を狙っている。もう一度水遁を使うには、手裏剣は雲の下忍に近すぎた。
「風魔手裏剣―――影風車。うちはに伝わる手裏剣術を見よ!」
なんてことはない。巨大な手裏剣の影に、手裏剣をもう1枚潜ませておくという単純な隠蔽術である。しかし単純だからこそ効果は絶大だ。さらに、アカリは手裏剣に己のチャクラを流し込むことで、ある程度の遠隔操作を可能にしている。水弾が直撃する寸前に影に潜む手裏剣のスピードを緩め、先行する一枚を犠牲にすることで、もう1枚を生かしたのだ。
「取ったァ!!」
「変わり身か・・・」
叫ぶアカリ。冷静に呟く畳間。
結果―――手裏剣が突き刺さった瞬間、雲の忍びは煙をあげて丸太に変わる。
畳間が周囲を探り、木の葉の擦れる音に耳を反応させた。音の発生源はそう遠くはないが、すぐさま詰められる距離でもない。
畳間の目の端に写ったのは、驚きに動きを止めた霧の下忍だ。先ほどから観察していたが、雲の下忍に比べてその力は一段劣る。条件反射の速さで取捨択一の判断を行った畳間は、霧の下忍へ一本の手裏剣を投擲した。
たかが一本と笑う霧の下忍は、次の瞬間驚愕に目を見開くこととなる。
「忍法―――手裏剣影分身の術」
1つの手裏剣を何十倍もの数に影分身させるこの術は、その性能と高い応用性に比べ、必要なチャクラの量が少ない。また、失う忍具も手裏剣1枚だけで済むため、チャクラだけでなく財布にも優しい、畳間お気に入り忍術の1つである。
無数の手裏剣の弾幕は、もはや逃げられるものではない。霧の下忍が怯えた表情を浮かべ、腕で顔面を庇った。
「溶遁・護謨壁!」
「すまない、助かった!」
駆けつけた雲の下忍が作り出した護謨の壁に、無数の手裏剣が突き刺さる。
ほっと一息ついた霧の下忍と、術を発動したばかりの雲の下忍―――その隙を見逃す畳間では無い。
「瞬身斬り!!」
手裏剣の弾幕の影に潜んでいた畳間が、側面に回り込んで瞬身を発動する。凄まじい速さで迫る畳間だが、雲の下忍は遅れながらもこれに反応を示した。
このタイミングで反撃に転じられるとは思わず、油断した畳間はカウンターに反応することが出来ない。剣閃がすれ違い、血しぶきが舞った。
頭部を握り締めるように抑えられた左目―――指の間からは噴き出るような血液の奔流。
「千手・・・」
アカリの傍に戻った畳間には頬から肩に掛けて、一筋の赤い剣線が刻まれていた。一瞬早く肩を竦めることで首を守ることが出来た畳間だが、危うく頸動脈を切断されていたところである。
激痛に歪む畳間の表情―――パックリと割れた頬の裂傷は骨にまで及んでいるのか、血液が瀑布の如く流れ落ちている。さらにその傷は肩にまで及び、畳間は血に濡れた腕をだらんとぶら下げている。
片や目を失い、片や片腕を奪われた。視界の半分を奪われた雲の下忍と、術を抑えられた畳間―――不利な状況に、アカリは驚きを隠せないでいる。
千手畳間はうちはアカリが今まで幾度挑んでも届かなかった、憎くも目指すべき頂である。
一度術を失い落ちこぼれながらも、この2年を経て木の葉の下忍における最高戦力の一角に舞い戻った畳間の努力を、アカリは知っていた。強い対抗心を燃やし続けて来たアカリは、認めたくないものの、畳間に対して少なからず尊敬の念を抱いてもいたのだ。
その実力は折り紙付きで、きっとずっと、馬鹿騒ぎな日々はこれからも続き、畳間はその腹の立つ馬鹿面を晒し続けるのだと―――
「アカリ、ボケっとするな!!」
畳間の怒声、金属同士がぶつかる不協和音がアカリの意識を呼び戻す。再び狙われたアカリを庇い、前に出た畳間は、ここぞとばかりに両手で短刀を振るう雲の下忍に押されている。刀のリーチで勝るものの、片手と両手では力の配分が違う。
「す、すぐに援護を―――貴様、邪魔をッ!!」
「させないよ。役立たずのうちはさん」
「ほう・・・ほざいたな、下郎。うちはを舐めるなァッ!!」
目の前を過ぎ去った水の弾丸に、駆けだそうとしたアカリは踏鞴を踏んで飛び下がった。
自分たちの優勢を感じた霧の下忍がにやりと笑い、アカリの神経を逆なでする。激突する木の葉と霧―――杖を瞬時に振りかぶり、撲殺してやると言わんばかりの勢いで、霧の下忍へ振り下ろした。
霧の下忍は両手の苦無で十字を作りその一撃を受け取ると、二刀流を以てアカリの杖術に立ち向かう。
見事に釣られたアカリを横目で見た畳間は、仕方ないと内心でため息を吐く。血に濡れた顔のまま、にやりと慣れない演技がかったいやらしい笑みを浮かべる。
気でも狂ったかと訝しげな表情を浮かべた雲の下忍に、畳間は気軽に話を振った。
「お前、強いな。名を、聞かせてくれないか」
「なるほど・・・。風に聞く千手畳間に名を求められるとは、オレも捨てたものじゃないな」
この血生臭い忍びの世界において、力を認めた敵に対して名の交換を求める者は少なくない。いつ死ぬかも分からぬ身ゆえに、お互いの名を語り継ぐことに喜びを見出す、いわゆる戦闘狂のような者たちだ。
雲隠れは情に厚く、熱い性格の忍びが多い。雲の下忍は、畳間をそういった類の男だと”勘違い”した。
「オレの名はドダイ。雲の―――貴様ァッ!!」
雲の下忍―――ドダイが口上を述べ終わらないうちから攻勢に転じた畳間に、ドダイが憤怒の声を荒げた。
畳間は竹串ほどの大きさをした、先の尖った鋭く細い枝を、口から吐き飛ばしたのである。小さく細いと侮るなかれ、その小さな槍は人の皮膚を容易に貫く。油断を突き、避け切れない距離で顔面を狙った攻撃を以て、畳間は己の勝利を確信した。
しかしドダイも並の男では無い。瞬時に頭を”前に”下げ、その着弾点を変えた。槍は額当ての金属板で弾き飛ばされる。
必殺を躱され焦った畳間は、その動揺を突かれ横腹に膝蹴りを撃ち込まれた。吹き飛んでいく畳間の手から刀が零れ落ちる。
”見せた”からには殺しておきたいところだが、そう上手くもいかない。仕込み千本だと思ってくれれば御の字といったところだろう。
「貴様から名を聞いておいてそれを隙とするか! 卑劣な男が!!」
怒り狂うドダイの咆哮が、畳間に叩きつけられる。
軋むような肋骨の痛みに耐えて立ち上がり、「自分でもそう思う」と畳間は笑った。
「溶遁・護謨連弾!!」
「しまッ・・・」
無数に生み出される護謨の弾丸が、畳間の体を打ち抜こうと放たれる。畳間は疾風の如く地を駆け、木から木へと飛び移る。出血多量の状況で今の動きを続ければ、遠からず倒れるだろう。
「千手、一度こちらへ戻れ! くッ! 性質の相性がッ・・・!!」
火遁で援護しようにも、霧の下忍の水遁によってアカリはそれを邪魔をされる。ばかりか、相性で負ける火遁は打ち砕かれ、水遁の衝撃を幾度かその身に受けていた。
うちはの火遁がこの程度の奴にッ!―――全体的な能力はアカリが上であっても、こればかりは術の相性の問題だ。アカリが100の火遁を出しても、敵は10の水遁でそれを打ち消すことができてしまう。忍術・性質変化における相性とはそれほどのもの。火遁しか使えず、写輪眼を開眼していないアカリでは、霧の下忍との忍術戦は消耗戦となる。
仕方なく、アカリは再び肉弾戦に移行する。杖を構えて突き、払い、凪ぐ。
霧の忍びは突きと払いを避け、凪ぎを籠手で受け止める。
これもダメかと、アカリが苦々しげに表情を顰めた。
杖を止めたことで丸出しになったアカリの横腹を目掛け、霧の下忍が蹴りを回し打つ。
膝を曲げることで咄嗟に腹を守ったアカリは、受け止められた杖を、敵の籠手に沿うように滑らせる。加速する杖に込められた力は重く、上手く行けば無防備な霧の下忍の横腹に重い一撃を入れられるだろう。
アカリの杖は鋼の如き強度を持ち、アカリ自身の金剛力も軽んじられるものでは無い。
焦る霧の下忍は受け止められた”蹴り足”を引き戻し、素早くアカリの膝を蹴りつけた。それは攻撃と言うよりも、回避行動の一手である。霧の下忍は後方へ飛び退り、アカリは衝撃に体勢を崩す。
振り抜かれた杖は霧の下忍の服を掠り取りるだけで終わり、アカリは舌打ちをする。杖を支えに体勢を持ち直し、アカリは霧の下忍と向かい合い、膠着状態が続く。
「千手畳間ァ!!」
「うるせぇッ!!」
護謨弾を誘導に使い、ドダイは再び畳間に肉薄した。入り身からの短刀による一撃を、畳間に振り下ろす。ドダイが狙うのは、畳間のもう一方の肩である。
振り下ろされる刀の腹を平手で弾き、畳間は刀の軌道を体の内側へ弾き入れた。剥き出しの肩や鎖骨を袈裟斬りにされれば、次は完全に攻撃手段を失う。ならば多少危険が大きくなるとしても、鎧で守った胴体で受けようと考えたのである。
傷を負った腕を、畳間は激痛を堪えて動かした。腰のポーチから苦無を取り出し―――畳間とドダイの影が交差した。
「―――さすがは、”森の千手”と言ったところか」
「よく言うぜ。割に合わねぇよ」
ぶらんと片手をだらしなく下げながら、ドダイが畳間を讃える。畳間は皮肉げに笑った。
ドダイの一撃は畳間の鎧を容易に切り裂き、その裂傷は肉にまで達した。裂かれる肉の激痛を押し殺した畳間はこれをぐっと堪え抜いた。己の肉を切らせれば、次は敵の骨を断つ。
瞬身の術の要領でチャクラを足に流し込み、畳間は一気に飛び上がった。凄まじい勢いを帯びた飛翔は鋭く研ぎ澄まされた膝蹴りとなり、ドダイの腕を直撃―――骨を砕いたのである。
咄嗟に片腕を避けて畳間のカウンターによる損傷を減らしたドダイを褒めるべきだろうか。あるいはドダイの片腕を損傷させ、結果的に片目分のアドバンテージを得た畳間を褒めるべきか。
それは―――崩れ落ちた畳間を見れば分かることだ。じわりじわりと広がっていく、血液の海。
畳間が崩れ落ちるのを見て、ドダイが膝をついた。その太ももは血に染まり、畳間の苦無が突き刺さっていた。
「千手ッ! 嘘だ!! 嘘だ!!!」
「アカリ・・・喚くな。忍びらしく・・・しろ」
アカリの悲鳴が森に響く。駆け寄りたくとも、霧の下忍が邪魔をする。
畳間はか細い声で、感情をむき出しにするアカリを窘めた。畳間がゆっくりと手を差し出すと、ぼふんと煙をあげて現れる、両掌サイズの可愛らしい蛞蝓。
「カツマル、頼む」
「いえっさ!!」
畳間の体をうねうねと這い回るその蛞蝓は、かつて畳間が口寄せしたカツイの分裂体。系列的にはカツユの弟にあたる。カツイを口寄せできなくなった畳間が新たに契約した新生蛞蝓である。
まず大丈夫だ―――ふら付きながら立ち上がり、畳間が笑顔を見せる。
なにが大丈夫だと言うのか―――カツマルがまだ幼く、ゆえにその治癒力が並の医療忍者に劣るということを、アカリは知っているのに。
「口寄せ動物・・・。まずいな」
畳間の浅い傷が塞がっていく様を見て、ドダイが苦々しく顔を顰める。回復手段の有無は、持久戦においてアドバンテージの差となって大きく現れる。
「溶遁・護謨壁の術」
ドダイの窄められた口から吐き出されたのは、どろどろの液体。折れた腕を覆ったそれは見る間に乾燥し、矯正ギプスへと変貌した。
「ぐッ―――」
お互いに動けない体だが、今のままではドダイに分がある。畳間はドダイから距離を取るために、木上に飛び上がった。しかしそれだけの動作で、呼吸は荒く乱れ、足元も覚束ない。
「千手! 無茶をするな!! くッ―――貴様、どけぇ!!」
駆け寄ろうとするアカリを霧の下忍が邪魔をする。米神に青筋を浮かべ、アカリが力任せに、しかし最速の一撃で霧の下忍を薙ぎ払った。
防御されても構わない―――そのまま一気に吹き飛ばす!!
目をぎらつかせ、渾身の力を込めて振り抜いた渾身の一撃は、その意気込みの通り、霧の下忍を防御の上から吹き飛ばすに足る威力を持っていた。
「これは・・・」
アカリの周囲を、薄らと霧が包んで行く。
忍法・霧隠れの術―――霧隠れの里に伝わる水遁系忍術であり、周囲一帯に霧を発生させ、視界を塞ぐ高等忍術である。チャクラを宿した霧は、写輪眼を開眼していないアカリには突破困難な質量の無い防壁だ。
霧に視界を覆われ、アカリは悔しげに声を張りあげる。
「戻れ千手! 私たちを分断するつもりだ!!」
他里の下忍と、もはや舐めることは出来ない。霧と雲の2人は即席であるというのに、一部に限っては畳間とアカリのチームワークを上回っていた。
しかもうち一方は、
「アカリ、逃げろ」
―――勝てない。
霧の中から聞こえてきた畳間の声に、アカリは目の前が真っ暗になる。
千手畳間が―――死ぬ。
フラッシュバックする父と母。湧き上る生前の想い出と、温もりの記憶。重なる”3つの”笑顔には、見慣れた憎らしいアホ面が含まれている。
―――また、失うのか。
あああ・・・と、形の良い唇から、らしくなく震える声が漏れる。
『オレは千手畳間。よろしく!』
憎き千手と同じチームになった憤りと、あまりにも気安い畳間に心底苛立った。
『やるよ』
『わあ、ありがとう』
うちはの家紋、薔薇は豪火の色だった。素直に受け取ってしまったのは、花を貰ったのが、人生で初めてだったから。
『ふははははは!』
幼少期の周囲の反応とは違う、嫌味の無い畳間との張り合いの日々は、本当のところ、悪い気はしなかった。
『なぜ私のところに来ない!』
サクモを尾行したとき、本当は楽しかった。―――友達みたいで、本当に嬉しかったのだ。
1つ、分かったことがあった。アカリがずっと畳間を邪険に扱っていた理由である。
もしも畳間を泣かせることが出来たなら、己の心は癒される―――そんな気がして、そんなふうに思い込んでいた。
かつて顔岩の上、柱間の隣に立っていた畳間は、アカリが心の支えにし、仮にではあっても苦しみから救った”あの”『千手』は、額当てを胸に抱き、そっと―――泣いていたから。
アカリの心は子供のころからずっと止まったままだった。母と父の死の一件から目を背け、ずっと心の成長を止めていた。
だから今日、畳間に容姿を褒められたとき、アカリは動揺を隠せなかった。男と女―――いつまでも子供のままではないのだと、人は成長していくのだと、思い知らされたから。
不安定な心の意味など少し考えればわかりそうなものだが、アカリはそれを怒りとすることで思考の渦から逃げ出した。そうすれば、またいつもの日常が待っていると思ったからだ。
しかし、その畳間は今、殺されようとしている。今動かねばその日常は再び失われてしまう。
幼少期以来ずっと封じられていたものが鼓動し、アカリの仮面を内側から叩き割る。凍らせていた心の
★
「はやく、片づけねぇと・・・」
荒れる呼吸。カツマルの治癒は進んでいるものの、毒が塗られていたらしく、畳間の動きを弛緩させる。カツマルを口寄せしてしなければ今頃死んでいただろう。
「遅いか速いかの違いだろうがなァ」
ずり落ちるように腰を落せば、もはや立つことは出来そうにない。どこをどう間違えたのか。決して、勝てない相手では無かったはずだった。
霧が畳間の足元まで広がっている。
イナがいれば、サクモがいればと弱音を吐く畳間は、未だ己の”異変”に気付いてはいない。
「このあたりか?」
「ああ、この木の上にいる」
「―――来やがったか」
畳間のいる木の根元から、話声が聞こえる。ドダイと霧の下忍だ。霧に探知能力があるのか、あるいは霧の下忍が感知タイプだったのかは定かでは無いが、場所を知られたらしい。体を動かそうとするが、びりびりと痺れたように緩慢な動きしかできない。巻物を持って行かれるだけなら良いが、誇りを傷つけられたドダイの怒り具合からして、殺される可能性の方が高いだろう。
こんなところで―――奥歯をぐっと噛みしめる。
「おい、千手! どこにいるんだ!!」
「あ、あの馬鹿・・・」
なぜ逃げない―――近くから聞こえるアカリの声に、畳間は苦々しげに吐き捨てた。あれでは見つけてくださいと言っているようなものだ。逃げろと言おうにも、喉が震えて上手く言葉にならない。
霧の中を彷徨っているらしいアカリの声は、偶然か必然か、畳間のいる方角へ着々と近づいてきているようだ。
生来の感知タイプではなく、気配を察知する能力も低いアカリが敵のいるの霧の中を彷徨えば、それはすなわち死を意味する。
「放っておけ。先に卑劣な千手を始末する」
「ああ―――ドダイ、右後方!」
霧の下忍が自分の周囲の霧を薄め、ドダイの視界を確保する。短刀を構えて振り返ったドダイの目の前に、巨大な手裏剣が迫っていた。
「これはうちはのッ」
鉄のぶつかる不協和音―――最初の風魔手裏剣を避け、続く2枚目の風魔手裏剣をドダイが弾き飛ばした。後方で、ぼふんと煙がはじける音がする。
畳間がなにかしたかと振り返ったドダイたちだが、濃霧によって視認することは出来ない。霧の下忍も曖昧な場所を把握できても、細部までは知ることが出来ない。ならばもう殺してしまえと、2人で一斉に畳間のいる場所へ苦無を投げる。
「逃げられたか・・・」
苦無が木に突き刺さる乾いた音が響き、畳間を取り逃がしたことを理解する。霧の下忍が感知すれば、畳間のチャクラの傍にアカリが寄り添っている。
いつの間にと舌打ちをして、後を追いかけた。
★
「生きてるか、千手」
「アカリ、お前、どうやって・・・」
アカリに抱えられた畳間は、情けなさで自己嫌悪に陥っている。たどたどしい喋りをする畳間を情けないと鼻で笑い、アカリは木から木へと飛び移る。
「風魔手裏剣・影風車の1枚に変化し、接近した。奴らは2枚目を警戒し過ぎて1枚目が私の変化だと言うことに気づかなかったのだ」
先ほどドダイたちの後ろで鳴った”ぼふん”という音は、アカリが変化を解いた音だったのである。してやったりとアカリが嗤う。
「いや、そういうことじゃない。なんでオレの場所が分かったんだ。お前は感知タイプじゃないだろ」
畳間の問いに、アカリは無言を通した。霧を抜け、さらに先に逃げるまで、アカリは畳間に顔を見せようとはしなかった。
「うげェッ」
地面に降り立ち、アカリは抱えていた畳間を地面に放り投げた。余りの痛みに声にならない悲鳴を上げる。あんまりな扱いに抗議しようとする畳間を跨ぐ様に、アカリは膝をついてしゃがみ込んだ。
「アカリ・・・?」
覆いかぶさるように畳間に体を近づけ、アカリは畳間と視線を絡み合わせる。吐息がこそばゆいほどの距離に戸惑う畳間の頬に、アカリが己の頬を近づける。耳元でくすぐるように、アカリがそっと囁いた。
「実のところ・・・私はな、千手。ずっと、貴様をこうしたいと思っていた」
「アカリ・・・ぷげッ」
一気に体を起こしたアカリが、戸惑う畳間の頬を平手打ちで叩き抜ける。
弱り切った畳間は、往復ビンタの嵐が過ぎ去るのをただ待つ以外にない。1発、2発、3発―――ひでえと涙を浮かべる畳間に、アカリがつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「ふはははは! うむ、まったく楽しくない!! そうだとも。私はずっと貴様をこうしたいと思っていた。だが・・・それは今の貴様にでは無い。貴様、何を焦っていた? 2代目火影すらも襲撃できる貴様が、今更、何を怯えている?」
嘘偽りは許さないと言いたげな絶対零度の視線―――仮にも対等以上と認めた男が見せる情けない姿を、その怯えた背中を、アカリは決して許さない。
畳間はアカリの言葉で、ようやく己の異変に気付いた。チームワークを大切にするはずの畳間が、アカリに何の相談もせず、個人プレイに走り過ぎていたのだ。
この森に入ったまでは、良かった。イナとサクモと別れ、アカリと行動し、敵と出会い、傷を負った―――。傷を―――。
「そうか・・・」
3年前。もう3年と言うべきか、あるいはまだ3年と言うべきか。
簡単に言えば、畳間はビビっていた。サクモもイナもいないまま、”一人”強敵に立ち向かわなければならない状況に、畳間はへたれ、焦った。かつて畳間を殺した男の幻影がこの森の中にいるようで、はやく抜け出さなければと、ブルっていたのである。そしてそのうえで、自惚れていた。自分一人で何とかなるはずだと。
なんと情けない話だろう。アカリに言われるまで気づかず、結果、負わなくとも良い重傷を負った。アカリにも迷惑を掛けた。迷惑どころではない。本当に死ぬかもしれなかったのだ。
千手の直系が聞いて呆れる。火の意志が聞いて呆れる。3年前のように言い訳が出来る要素も、同情され得るものもない。畳間は真実、己の弱さと傲慢に呑まれ、完全なる敗北を喫した。
だからこそ、今ここにいるのがアカリでよかったと思う。
サクモならば、きっと全てを知ってなお、気づかないふりをしただろう。サクモは友のためならば、全てを背負って有り余る力を持つ忍びだ。
イナならば、「あんたって元々そういうダメ男だから、ゆっくり直してけばいいわよ」と、畳間のすべてを受け入れて、その尻を蹴り飛ばしただろう。イナは在りのままを受け入れられる包容力を持つ女だ。
ダイならば短所も長所になりえると、畳間の悩みを己の悩みの如く相談に乗り、共に立ち上がろうとしたはずだ。ダイは友に対して、誰よりも親身になれる男だ。
だが、それではだめだ。今の畳間に必要なのは優しさでは無い。知らぬ間に高くなっていた鼻をへし折る、容赦の無い厳しさだ。
2度と同じ過ちは犯さない。1人でやれることには限りがあることを忘れていた。少し強くなったくらいで自惚れていた。未だ角都にすら届かぬ実力で、何を大物ぶっていたのだろう。畳間の目指す先は、遥か遠くにあると言うのに。情けなさと可笑しさに笑いが込み上げてくる。
「は、ははははは」
気持ち悪ぅ―――アカリは顔を引きつらせて飛びのいた。
「アカリ、ごめん。オレが間違ってた。助けてくれて、ありがとう」
「え、あ、いや、その、う、うむ。苦しゅうないぞ。これだから千手は・・・。怖いなら怖いとそう言えばよいのだ、ヘタレめ」
座りなおして胡坐をかいて、畳間は地に拳を付けて頭を下げる。突然の言葉に戸惑ったのか、赤く染まる頬が畳間の目に映らない様に、アカリはぷいとそっぽを向いた。
「こんなに苦戦してるのは千手、貴様が悪いのだぞ。分かっておるのか、聞いておるのか、本当に。私がおらぬと、何も出来んのだから・・・」
「おまえ・・・」
ふっと安心したように、アカリが優しく微笑んだ。
その暖かな微笑みに引き寄せられるように、畳間がふら付きながら立ち上がる。
カラン―――と、苦無がアカリの足元に転がった。
「無事か、千手」
畳間は助かったと首肯する。機動力を失った畳間を狙い放たれた苦無を、アカリが叩き落したのだ。
畳間の返事を見て、アカリは転がった苦無を爪先でちょんちょんと突き、勢いよく蹴り飛ばした。
「はッ」
アカリの艶やかな唇から喜びの吐息が漏れる。
―――反応した。反応できた!
そのあまりの喜びに、アカリの体は小刻みに”フルフル”と震え、ニィと深い笑みを湛えた。
「いきなり怪我人から狙うとは・・・優雅とは言えんなァ、貴様ら。尤も、弱い方から潰すというのは―――そうだな。戦いの定石では・・・ある。ふふふ」
「”うちは”には、2対1で丁度いい。卑怯とは言ってくれるな」
抑揚の抑えきれていないアカリの声は濡れており、雰囲気はいつになく妖艶さを増している。アカリが艶美な視線を向けた先には、2人の下忍。
アカリに視線を向けられた雲隠れの男は、苦々しげに視線を逸らした。
「おい、アカリ? お、お前、まさか―――」
アカリの異変。精神の高揚に、戦闘能力の上昇。そして先ほどの、霧の中で畳間を見つけた感知能力。心当たりがあるとすれば、それは―――。
畳間が言い終わらぬうちに、場面は変わる。アカリが倒れる畳間の前に飛び出して、腰のポーチから苦無を引き抜いた。鍔迫りの音―――ドダイの短刀を、アカリが苦無で受け止めた。アカリが回し蹴りを放ち、ドダイの折れた腕を蹴り潰そうとする。
ドダイは舌打ちし、瞬時に身を引いてアカリから距離を取った。
「そう易々とは殺らせてはくれんか。しかしまさか先の戦い、あの名門・千手を囮にし、こちらの戦力を探っていたとは・・・。最強と言われるうちは一族、その高名に偽り無しといったところか。大した奴だ・・・」
「ふはははは! うちはの力の前にひれ伏せ!!」
アカリは手の中で苦無を遊ばせて放り上げ、その場でくるっと回転―――パシッと逆手で苦無を握り取る。髪が舞い踊り、満足げな笑みを浮かべた。
肩越しに振り返るアカリに、「お前それ」と言葉を無くした畳間は、ただただ目を丸くする。
「千手、貴様は下がれ。前に出るのは貴様では無い。この―――私だ」
躍るは2つの巴。赤く染りしその瞳。
うちは一族が最強と呼ばれた所以が、今ここに示される。数多の忍びに恐れられた伝説の瞳術。
六道仙人の時代より続く最強の血継限界。その名は―――