綱手の兄貴は転生者   作:ポルポル

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青年編
涙と甘さと汗と


 ”最初にして最悪の世代”と呼ばれる第一回合同中忍選抜試験の終了から数日。木の葉隠れの里は未だお祭り騒ぎの余韻冷めやらぬ様子である。人が行きかう商店街はたくさんの賑わいに溢れ、人々は中忍選抜試験に関する話に花を咲かしていた。

 

 昼下がりの木の葉食堂。テーブルに座る畳間は湯気の立ち上るうどんを啜りながら、呆れたように目じりを細めて目の前の”つむじ”を見つめた。重ねた腕に顔を突っ込んだ体勢で食卓に突っ伏しているアカリは顔をあげる様子もなく、ときたま痙攣するように肩を揺らしては鼻を啜る音だけを響かせるだけである。

 畳間は咀嚼したうどんを呑みこんだ。器に張られた湯気が立ち上るつゆの中から新しい麺を箸で絡めとると、大きく開けた口へ運んだ。音を立ててうどんを吸い上げていく。

 うどんを啜る音とアカリが鼻を啜る音が重なり、畳間は口から麺を数本放り出したまますすりあげるのをやめた。くちびるの甘噛みで滑り落ちないように留めている麺とアカリのつむじを交互に見比べて、音を立てないように静かに麺を吸い上げる。

 理由はともかく、なんとなく、食欲が失せた。そっと箸を器の上に置いた。

 

 ちらと隣を見る。我関せずといった無関心と言うよりは関わりたくないと言う雰囲気を醸し出したサクモは、ただただ己の食前を見下ろしていた。まるで通夜のように静まり返った木の葉食堂は現在、亭主の好意で貸し切りである。

 閉められた店内に反して外の賑わいは明るい。隙間風のように入り込んでくる喧騒は、先の試験の話が中心である様子。畳間やサクモの話題で盛り上がる楽しげな声が聞こえるたびに、アカリの肩は大きく揺れた。

 

(気まずい・・・)

 

 妙に喉が渇き、畳間はごくりとぬるい茶で喉を潤した。食卓の上に湯のみを置く無機質な音が2つ重なった。サクモも畳間も無言のまま、お互いに視線を合わせようとしない。異様な雰囲気を醸し出すアカリに自身の存在を印象付けたくなかったからだ。静寂に響く風鈴の音色がやけに間抜けなもののように聞こえる。畳間はただただじっとこの時を耐えていた。

 一分かはたまた十分かと時の流れが曖昧になるこの空間で過ごすことしばらく、遂に救いの手が畳間に差しのべられた。闇の気配を漂わせるアカリの実兄にして、畳間たちの先生であるうちはカガミが定食屋の戸を滑らせたのである。開かれた戸から差し込む外の光はまるで後光のようにカガミを照らし出している。

 実妹は食卓に突っ伏して微動だせず、生徒たちは暗い雰囲気を纏って己の食膳を見つめるばかり。彼らの先生であるカガミにとってその理由は察するに易いものであったが、しかし異様な光景に一瞬たじろぐことを止めることは出来なかった。

 

 中忍選抜最終試験・超次元忍者蹴鞠において、山中イナが静かな大活躍を見せたことは記憶に新しい。一般客の評判はさしたるものではないが、木の葉の上役たちは満場一致を以て、彼女の中忍昇格を認めている。

 途中退場と言う不名誉な結果であったにも関わらず、千手畳間もまた中忍昇格を認められている。率先して忍びたちを率いた指揮官としての才が、評価された項目の一つである。付け足すならば、己をも駒として扱い敵の英傑を道連れにしたその采配が大きく取り上げられている。畳間がそのような考えを持ち合わせていなかったことは存じの通りである。複雑な気分であった。

 サクモは敗戦したがゆえに自身の中忍昇格が見送られると思い込んでいた。しかし先の試験で求められたのはチームの勝敗では無い。試験官たちは競技の中で輝く個人の才能を見極めていたのである。アカリがイナによって封じられたのちにすぐさま建て直しを計った指揮能力と、下忍の範疇に納まらないその類稀な才能を買われ、サクモは中忍昇格を認められた。 

 山中イナ、千手畳間、はたけサクモ、以上三名が、今回の中忍試験において、中忍への昇格を認められた木の葉の下忍の全容である。ゆえに木の葉食堂での会食は、畳間とサクモの中忍昇格を祝うための席であった。カガミが遅れたのは諸事情であり、先に食べていて欲しいと言う言伝も受けていた。

 

 畳間とサクモは顔を見合わせて、近寄るカガミを仰ぎ見た。「あんたの妹だろう。なんとかしろ」と言うことだ。とはいえカガミは器用な男では無い。突っ伏したままの妹に掛けた言葉は「次がある」という安直なものであった。

 勢いよく体を起こしたアカリはその剣呑な視線を畳間に向けた。

 畳間の視線を最も引き付けたのはアカリの赤く腫れた瞳、ではなく、ずっと突っ伏していたことで付いた額の”跡”だった。赤く染まった額には腕に巻いた包帯の跡がくっきりと浮かび上がっており、妙な愛嬌を漂わせている。

 

 アカリががうがうと唐突に突っかかってきたので、畳間は「オレかよ」と口角を引きつらせた。

 ちょっと面倒くさくなってきたカガミが、静かに写輪眼へと瞳を変化させる。カガミに呼びかけられたアカリはカガミにも噛みつこうとして、次の瞬間にはこてっと食卓に顔をぶつけた。写輪眼による催眠幻術である。

 ふっと笑い、カガミは畳間とサクモに視線を向ける。

 

「このことはアカリには黙っててくれ」

「分かりましたから、写輪眼を向けるのはやめてください」

 

 写輪眼のまま笑うカガミに、サクモが引きつった笑みを返した。これは失敬と写輪眼を戻したカガミに、こんなんでいいのかと畳間は頭痛を抑えるように頭を抱える。

 

「私だって写輪眼を持っているのに、どうして・・・」

 

 突然、今度はしみじみと泣き出したアカリに、カガミが驚きを見せる。カガミは「破られるとは思わなかった」と呟いた。

 

「そりゃまあ、そんなに活躍もしないままイナに封じられたわけだし。評価しようがない」

「あ゛・・・?」

 

 サクモのごもっともな意見である。しかしイナに負けたと言われた瞳には2つ巴が浮かび上がり、ドスの聞いた声がアカリの喉を震わせた。焦ったサクモはなんとかしてくれと畳間の脇を肘で小突き、畳間はなんでオレがと内心でため息を吐く。

 

「アカリ、あれは相手が悪い」

 

 無防備な精神を直接封印術で縛るというイナの新術、心封身。あれは当たりさえすれば、実力の差を覆す可能性を秘めた破格の術だ。うずまき式の封印術と言うのは、それほどまでの性能を持つ。

 ”うずまき”は畳間たち”千手”の遠縁にあたる一族だ。六道仙人の時代から仙人の体と血継限界・木遁を受け継いで来た千手一族に対して、うずまき一族は様々な封印術を受け継いできた。うずまき一族に伝わると言う封印術は尾獣の封印すらも可能とし、一説によると死神すらも使役すると言われている。そんな化物染みた術式で精神を直に縛られたとあっては、それこそ五影クラスでないと抜け出すことは出来ないだろう。肉体を乗っ取り精神を野放しにしていた既存の心転身とはわけが違う。

 ゆえにアカリがどうのと言うわけではない、アカリは十分強かったと染み入る様な口調で語り掛け、「だから写輪眼でオレを睨むのは止めてくれ」と懇願する。口を尖らせて不機嫌さを強調するアカリは、しかし畳間に褒められて嬉しかったらしい。しぶしぶと言った様子で写輪眼を引っ込める。

 

 畳間は着物の裾をごそごそと探り出した。今日は和を主体にした渋めの格好で、大きく空いた袖は小物を入れておくための袋が縫い付けられていた。裾から出した手には巾着袋が握られていて、なんだろうとアカリが興味深げな表情を浮かべる。

 

「ほら、飴ちゃんだ。食うか?」

「きさまッ、子ども扱いするな!」

 

 開いた巾着袋の中には、種類豊富な飴玉が詰め込まれている。その中の1つを取り出した畳間がアカリに差し出したのだ。畳間からの露骨な子ども扱いに、アカリは目の端を吊り上げて憤る。

 

「いらんのか」

「いらんとはいっとらんだろう、馬鹿者め!」

 

 元来、お菓子、とりわけ甘いものが好きなアカリは、畳間が飴を片づけようとして黙っていられる女でもなかった。子供じゃねーかと残る三人の心が1つになるが、口に出してややこしくする輩はこの中にはいなかった。

 

「馬鹿かお前は。はなせ」

ふふはい(うるさい)

 

 畳間がほれと差し出した飴を目掛けて身を乗り出したアカリが、指ごと飴玉を咥え込んだのである。粘液の温もり、舌とくちびるの柔らかい質感が畳間の指を覆う。子供のような甘え方に、畳間は内心で笑った。ただずっとこのままと言うわけにもいかないので、畳間は甘噛みをして指を離そうとしないアカリの額に、指で輪っかを作ったもう片方の手を近づける。でこピンだ。

 その意味に気づいたアカリは飴だけ舌で奪い取り、素知らぬ顔で座りなおした。

 

「縄樹みてぇなことしやがって」

 

 手拭きでアカリの唾液を拭い、畳間は呆れた様子でアカリを睨みつけた。

 縄樹―――畳間の幼い弟の名だ。何でもかんでも口に入れようとする年頃である。畳間も指を持って行かれたことがある。

 

「そういえば縄樹くん元気?」

「ああ。よく乳を飲むっておふくろも喜んでるよ。綱も縄樹縄樹ってずっと引っ付いてて離れねぇ」

「構ってくれなくなって寂しい、と」

「無くはねえかもな。とはいえ、オレにとっても弟だ。可愛いもんさ」

「そうか。ボクは1人っ子だから少し羨ましいよ」

「たまに来て、遊んでやればいい。まだ何も知らない赤子だ。仲良くしてれば、サクモ兄ちゃんと呼んでもらえるかもしれんぜ」

 

 畳間は自分はそうやってヒルゼンのことを兄と呼ぶようになったと、軽快に笑う。舌で飴を転ばせているアカリは話に混ざりたそうにしているが、飴が邪魔で口を開くことが出来ないようである。

 

「そうだ、イナのお姉さんのところにもお子さん生まれたらしいよ」

「やつも晴れてお”ば”さんか」 

 

 飴を呑みこんだらしいアカリが”ば”をやけに強調して鼻を鳴らす。

 「贈り物は何がいいかな」とぽろっと溢したところから、イナとは悪友のようなポジションで落ち着いたらしい。

 

「別にイナの子供じゃないんだから、そこまでたいしたものじゃなくていいんじゃない? お姉さんと仲良いなら別だけど」

「それもそうか」

 

 話がひと段落し、丁度いいタイミングでカガミの膳が運ばれて来る。中忍昇格を達成した2人へ、カガミが賛辞を送るとともに乾杯の音頭を取った。畳間とサクモが礼を返し、アカリがまた泣き出した。 

 

 

 

 中忍選抜試験を終え、その後処理に追われている扉間の下を訪れた1つの影。

 

「良かったのか、2代目」

「うずまきの老公か」

 

 「立ち話もなんだ」と近場の椅子をてのひらで示し、腰を落ち着けることを促す。

 しわが深く刻まれた老齢の男は、うずまき一族が暮らす渦の里において絶大な影響力を持つご意見番の一人である。柱間の妻ミトの縁者であり、畳間にとっても遠縁である。ゆえにその影響力は、他里たる木の葉であっても無視することは出来ない。

 

「最終試験であやつが見せたのは土遁などではないだろう。あれは・・・」

「兄者と同じ、木遁だ」 

「やはりそうか・・・」

 

 隠すことなく言い切った扉間に、老公はううむと唸る。

 

「中忍にするには、まだ早かったのではないか」

 

 中忍に昇格し、”千手を継ぐ”という未来が確かな形を見せて来た今、畳間はその命を狙われることが増えていくだろう。さらに最終試験において、畳間は木遁を使用してしまった。下忍を超越した才能を見せつけたはたけサクモの活躍の裏に隠れ、あるいは土遁として処理されてはいるものの、確実に真実に気づいた者がいるはずだ。それを、老公は懸念している。上忍の下で守った方が良いのではないか、と。

 

「あれはもう一人前の忍びとなった」

 

 扉間はかつて畳間を限界まで追い詰めたことがある。やり過ぎと言えるほど過酷な、実戦形式の組手に次ぐ組手。畳間は疲労で意識を飛ばし、ただ目の前の憎き扉間を殺さんとチャクラを爆発させた。扉間は畳間から溢れ出るそのチャクラの性質を知っており、それは決して看過できるものではなかった。以降、扉間は畳間をも危険因子とし、ある程度の警戒を持っていたのである。

 

 試験後、扉間は「なぜ言いつけを破り、八門を開いたのか」と畳間に問うた。再び病院送りになった畳間は「己の忍道を貫くためだ」と返し、己の忍道を語った。

 

『里を―――仲間を守る千の手で在ること』

 

 一族の垣根を越えて里の同胞を守る。かつて柱間の愛した里を守ると語っていた畳間は、いつの間にか己の確固たる道を歩み始めていた。扉間はその言葉を以て、畳間を真の意味で弟子として迎え入れた。それはすなわち、伝授を遅らせていたすべての術を畳間に叩き込むと言うこと。畳間は”その時期”であり、”その資格”があり、”その器”であると、扉間は語った。

 

「では・・・」

「うむ。飛雷神と穢土転生を含め、ワシのすべてを伝授する」

 

 穢土転生はいらないんじゃないかなとは、老公であっても言えるものでは無かった。

 

 

 

 

「しぬ! しぬ!! しぬ!!!」

「昇天する前にワシの禁術で魂を引きずり戻す。安心して死ね」

「いっそ殺してください」

 

 「まだまだ元気ではないか」と、扉間は畳間にかける重圧を強くする。

 畳間は久方ぶりに扉間に拉致されて、木の葉隠れの里から離れた千手一族に伝わる修練場を訪れている。中忍になったからと言って扉間に勝てるはずも無く、決死の反抗はものの数秒で叩きのめされた。

 

 理由の説明も無く行われたのは、鬼畜の所業。

 両腕を塞がれた畳間は体中に重りを取り付けられた。その重りは八門遁甲を現状の最高位まで開いた上で、畳間がギリギリ立ち上がれるほどの重量である。

 頭部に取り付けられた棒の先には、苦無と兵糧丸がぶら下げられており、眼前でふらふらと揺れている。ニンジンを吊るされて走り回る馬か豚のような扱いに、畳間は不快感を禁じ得ない。

 

「降りるもよし、登るもよし。好きにしろ」

「う、うそ」

「嘘では無い。良いか、畳間。意識しろ。そして、飛ぶのだ」

 

 再び飛ばされた先は、断崖絶壁の谷の中腹。

 畳間は転落死したくないと言う一心から足の裏にチャクラを満たし、壁へと張り付いた。言い放った扉間の意図が分からず、畳間は待ってと懇願するが、扉間はいつも通り飛雷神で帰ってしまう。

 崖登りの業を駆使してへばり付いてはいるものの、それが精いっぱいという状況であり、満足に動くことも出来ない。しかし気を抜けば転落死する高さであり、じっとこの苦行を耐えるしかないのである。

 降りる方が楽そうではあるのだが、底なしの谷は終わりがいつになるか分からない。ならばまだてっぺんが見えている方がいいと登り始め―――数時間たっても、数えるほどしか進んでいなかった。

 

 なぜこんなことになったのかと考える余裕さえない。今までとはケタ違いの厳しさを含んだ、死と隣り合わせの修行であるのに、その目的が全く分からない。八門遁甲の開門を進めるための修行という可能性もあるが、次に畳間が開くのは第三・生門であり、それにしてはこの修行はあまりに厳しすぎた。

 滝のように流れ出る汗を留めることは出来ず、体力はみるみる削られていく。手段を選んでなどいられない。このままでは死ぬ―――本格的に畜生の真似事をする必要が出て来た。

 すなわちそれは、眼前を揺れる兵糧丸を何とかして口に入れること。

 ごくりと喉をならし、畳間は体を揺さぶった。

 

 

 一方、綱手から畳間が扉間に拉致されたという連絡を受けた2人―――久しぶりに遊ぶ予定だったイナとサクモ―――は、仕方ないと2人で楽しくランチを進めていた。

 

「ずいぶん前の話なんだけど、畳間の奴、勘違いしてたみたいなんだよ」

「なにを?」

 

 食後の甘味をつついているイナが、興味深げに顔をあげた。

 

「イナが子供を身籠ってたって」

「はぁ? なにがどうなったらそうなるのよ」

 

 女と言う生き物は器用なもので、「産もうと思えば産める歳だけれども」と内心で生々しいことを考えていながらも、イナはサクモを前に露程も表情に出しはしなかった。

 

「イナの姉さんの子供を、イナの子供だと勘違いしてたってこと」

 

 言い方が悪かったのもあるんだけどと笑うサクモに、「考えれば分かるでしょうに」とイナは頭を抱える。

 

「イノイチと言えば、アカリが姉さんにすごい贈り物をくれたのよ」

 

 びっくりしちゃったわと呆れ半分のイナは、内心で悪友の気遣いに感謝している様子である。

 一応、助言はしたんだけどねと言うサクモは、そうなることを察していたらしく、たいした反応は見せていない。

 

「でもねー。久しぶりの休みだってのに、畳間もいそがしいわね」

「畳間が忙しいと言うより、二代目様がせわしないんじゃないかな」

「言えてる」

 

 軽快に笑って最後の一口を放り込んだイナは、舌の上を転がして甘みを堪能しているようである。

 

「ま、いないなら仕方ないし・・・。サクモ、これ全部持ってっていいわよ」

 

 どすんとテーブルの上に置かれたのは、菓子折りがいくつか入った大きめの紙袋。なにこれとサクモが聞けば、出産祝いの贈答品だとイナが答える。

 山中一族は木の葉の名家であり、その本家に男児が生まれたと言えば大騒ぎにもなる。猿飛一族をはじめ、友好関係にある一族からの贈り物が山ほど届いていた。千手の男児たる縄樹は、畳間と言う兄がいるということで、名家にしては比較的大人しめである。

 

「それは良いのか・・・? でも貰えるものは貰っておくよ。ありがとう」

「構わないわよ。食べきれるものじゃないし」

 

 「ところで」とイナが思い出したように、サクモへ流し目を送った。

 妙な雰囲気を醸し出すイナを訝しげに一瞥したサクモに、イナは首の動きで後ろを指し示す。サクモがそろそろと振り返ると、道を挟んだ向こう側の隅にアカリがぽつんと佇んでいる。

 

「あの子、さっきからずっとあそこにいるけど、サクモ、あんた何か知ってる?」

「いや、なにも」

 

 ふーんと相槌を打ったイナの視線が、アカリの視線と重なり合った。以前のしこりも見せない微笑みを浮かべてひらひらと手を振ったイナに、アカリはぷいと首を逸らした。

 たまたま通りかかり、そこに見知った顔があったから気になったが、自分から進んで話しかける勇気はないと言ったところだろうか。

 

「あの子、結構可愛いわよね。気難しそうで実はわかりやすいし」

「まあ、君よりは」

 

 「どういう意味よ」とサクモの頭に軽い手刀を入れて堪らず笑いだしたイナとサクモを、アカリはちらちらと気にしているようである。

 

「呼んであげたら?」

「君はアカリのことをあまりよく思ってないと思ってた」

 

 意外そうなサクモの言葉を受けて、イナは「まさか」と肩を竦める。

 アカリの意地っ張りなところや背伸びをしているところなど、長い時間をかけて畳間のそれを解して来た自負を持つイナからすれば、手に取るように分かることである。畳間と似ていると言ってもサクモは信じないだろうが、こればかりは女のカンであるから仕方がない。

 アカリとて、その器量に釣り合う男が現れれば、素直な自分をさらけ出すことに躊躇いを持たなくなるだろう。アカリに対しては、それが”あいつ”でなければ良いという程度の考えしか持ち合わせていない。

 

「でもほんと、あの子って美人よねぇ。羨ましいわ」

「君は自分が美人だと思ってるんだと思ってた」

「こら。人をナルシストみたいに言うな」

 

 とはいえ、イナとて化粧を覚え、おしゃれを嗜む年頃の女。山中一族の特徴である白い肌と淡い金髪、碧色の瞳には自信を持っているし、磨き上げている肢体に自信が無いとも言わない。際どい格好を好んでいるのもそのためであるし、人に晒して恥ずかしいものは持っていないと自負している。

 しかし、それを踏まえてうちは一族は並では無い。切れ長の二重に、吸い込まれるように艶やかな黒、きめ細やかな肌は吸い付きたくなるようなそれであるし、なにより足が長い。イナもスタイルの良さでは負けていないし、並の女では敵わないそれを持っているものの、うちは一族のそれは反則であると、アカリと会うたびにイナは思うのである。

 イナが活発な印象の中に色気を潜ませる女の雰囲気であるならば、アカリが醸し出すのは、人を寄せ付けない冷たい美貌の中に人を引き付ける無垢なものを覗かせる、反則的にアンバランスな色気。無垢なそれについては、主にツインテールが原因だと思われる。タイプが違うと言えばそれまでだが、隣の芝生は青く見えるものなのである。

 

 サクモとしても一緒にいて慣れてはいるが、ときたまその美貌に感心することはある。とはいえサクモは外見では無く内面を見る男であるから、だからどうと言うことは一切ない。はっきり言ってしまえば、同じ班にならなければ関わりたいとも思わないタイプであった。

 

「でもあれじゃ、変なのにも絡まれそう」

「まあ、アカリとは結構一緒にいるし、それについて否定はしないけど」

 

 行く先々で声を掛けられるアカリは、つい最近の中忍選抜試験において、遂に他里の忍びまでも引寄せた。基本的に土木作業であったとはいえ、他に任務を請け負っていなかったわけでは無い。任務先で男性に声を掛けられることはそれなりにあった。それに加え、最近では女らしさにも磨きがかかり始めている。

 そうこうしているうちに、案の定と言ったところか、アカリは妙な男たちに絡まれていた。背負う”うちは”の家紋が見えないのだろう。もしも知っていれば、恐れ多くて声を掛けるなどできないはずだ。アカリもそれを見せればいいのに、不愉快そうに眉根を寄せて手間取っているようである。こういった問題ではだいたい畳間が間に入るので、アカリは一人であしらうには経験が足りなかった。

 

「ちょっと行ってくるわね」

 

 騒ぎが大きくなりそうで、見ていられないとばかりに、イナが席を立った。

 首肯してイナの背を見送ったサクモは、配給係に声を掛けて追加の注文を伝える。店員が店の奥に消えたころ、外の喧騒が一層強まった。名も知らぬ男たちに、内心で合掌を送る。

 

「お待たせー」

「サクモ、そなたはなぜ来なかったのか」

 

 何もなかったように席に着いたイナの隣に、着いてきたアカリがすっと腰を下ろす。「男では無いのか、友ではないのか」と口を尖らせるアカリの仕草は、やはり外見と釣り合っているようには思えない。

 

 常々、サクモが思っていたことであるが、アカリは男女の役割と言うのか、男らしさ、女らしさというものを気に掛ける傾向があるようだ。

 アカリはその言動の割に、身に付けた装飾品や端々の仕草は女性らしさを強調したものを好んでおり、他人に”それ”を求めるに足るくらいには説得力を持っている。サクモが思うことはそれが良い悪いと言う話ではなく、その雰囲気の相違である。男女間で差を付けることを厭う勝ち気そうな雰囲気をしている割に、簡単に纏めれば”夢見がちな乙女思想”を匂わせるアカリは、いまいちちぐはぐな印象のままである。

 

 サクモの酷評は続く。 

 

 さらに言えば中忍試験以降、ことさら友達、仲間と言う言葉を強調するようになった。その普段の傍若無人な言動に反して、アカリの本質が”仲間想いの情に厚い女”だと知っているサクモからすれば、それ自体はどうとも思わないのだが―――第6班結成時のことを思い返せば、同一人物なのかともたまに思う。

 ことあるごとに「千手が悪い千手が悪い」と噛みついて、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとサクモにも敵意を振りまいていた頃からすれば雲泥の差である。

 

 当時から、カガミとの演習で真っ先に脱落するのはアカリであり、そのフォローに走っていたのは畳間であった。任務中に失敗したときも畳間は率先してアカリのフォローに走っていたような気もする。

 

 それはうちはであるアカリに恩を売っていた―――と言うことも無くはなかったかもしれないが、基本的にお節介な畳間に、裏表は無かったはずだ。お節介が過ぎて嫌われる、あるいは煙たがられることも忍者養成施設時代では少なくなかったが、善意を向け続けてくる相手に対して敵意を向け続けるというのはなかなか難しいことである。もともと千手であると言う以外に畳間を嫌う理由が無かったアカリは、そんな日々を過ごしているうちに、簡単に言えば畳間に懐いた。

 

 そこで素直になれるなら、それは”うちはアカリ”ではないとサクモとて思う。

 とはいえ、途中から明らかに構って欲しそうな雰囲気を醸し出し始めたアカリと、逆に、疲れたのか綱手を相手にするような”素”で対応し始めた畳間のやり取りは見ていてやきもきしたので、サクモは仲裁に入ることを辞めたのである。勝手にやってくれと言うものだ。

 

 はははと乾いた笑いをサクモが溢した頃、注文の品が届いた。

 好物である柏餅にアカリの視線は釘付けで、代金は持つと伝えれば、サクモが助けに向かわなかったことへの不機嫌さはすぐさま鳴りを潜めたようである。畳間から伝授された、アカリの操作法の1つであった。色々な意味で”蔑ろにしているわけではない”と言うことを分かってほしいとサクモがイナに視線を送れば、イナは分かっているのか分かっていないのか、「あたしのは?」とにこやかにほほ笑んだ。

 がっくりとうなだれて、サクモは1つ、追加の注文を頼んだ。

 

 お洒落な茶屋に集まり、甘いものを摘まみながら、きゃっきゃうふふと青春を謳歌する彼女たち。

 一方で、独り断崖絶壁に張り付いている男がいる。

 噴き出す汗に濡れる畳間はチャクラの使い過ぎによる危険な状態に陥っており、兵糧丸を齧ろうと必死な足掻きを見せていた。

 

 ―――あと一歩。

 

 かはっ、かはっと呼吸も不規則なものに変わり、目の焦点がぶれ始めている。

 もはや理性など無く、ただ眼前にぶら下がった兵糧丸を求めていた。

 

 ―――あと少し。

 

 舌を伸ばしてツンツンと触れても、巻き込める距離では無い。舌の先に触れる兵糧丸から接種できる微量なエネルギーが畳間を延命させ、極限の地獄を長引かせる。

 

 ―――届け。

 

 口の中が塩っ辛い。それが汗なのか涙なのかも判別することが出来ない。助けは来ないことは分かっている。畳間のなにかを、扉間は待っているのだろうが、それが畳間には分からない。

 両腕は縛られて術を封じられた。唯一、印を結ばなくても発動できる”水遁・天泣”では、兵糧丸を吊るす糸を切断することは出来なかった。

 八門遁甲・第二”休門”はすでに開いており、第三”生門”は開けたら危ないという次元では無く、今の畳間ではそもそも開けることが出来ない。

 打つ手なし。どうあがいても、取れない。

 

 ―――飛べ。

 

 意識が飛んだ。

 

 ★

 

 重力に従って渓谷の闇へと消えていく重りたちを、扉間は静かに見送った。後で回収に向かわなければならない。

 扉間の腕の中では、深呼吸を繰り返している畳間が眠っている。体中に引っ付いていた重りは消えており、身に纏うのは汗が染み込んだ着物のみである。

 

「どうでしたか?」

「時間はかかったが、成功だ」

 

 準備万端で待ち構えていたミトの下へ飛雷神で飛んだ扉間は、用意されていた寝台の上に畳間を横たえた。

 駆け寄ったミトはすぐさま医療忍術を発動させて、畳間の体へ己のチャクラを流し込む。

 畳間にチャクラを送り込んでいるミトを横目に、扉間は薬液が並々と注がれている器を眠る畳間の口元へ当て、少しずつ傾けていく。こくりこくりと畳間が喉を鳴らし、器の薬液が減っていく。チャクラの回復を促進する特別な薬だ。まずは大丈夫である。

 

 扉間のやりたかったことは、畳間にある忍術の”コツ”を掴ませること。

 

 その術とはすなわち時空間忍術の極みの一つとも言える、”飛雷神の術”。

 多量なチャクラと時空間忍術に対しての適正を要求されるこの術は、失敗すればどこへ飛ばされるかも分からず、腕や足と言った体の一部だけが欠損する危険性すらも秘めている。

 生半可な修行で到達できる頂では無い。

 

 畳間が課されていた拷問にも匹敵する修練は、不必要なチャクラを削り取るため。

 付属させた兵糧丸は、前へ進もうと、”飛ぼう”とする意志を極限まで高めるため。

 

 畳間の性格上、万全の状態で飛雷神を使おうとすると必ず油断と慢心が生まれるとふんだ扉間は、ゆえに畳間の体を勝手に弄って、飛雷神の術式を刻み込んだ。そして畳間の頭に吊るした苦無には、畳間に刻んだ飛雷神の術式とチャクラに対応した術式が彫り込まれていたのである。

 

「さすがに時間がかかったが・・・」

 

 一度や二度で目の前の苦無に”飛ぶ”段階に、畳間が至れるとは思っていなかった扉間は、感心を込めて弟子の寝顔を眺めた。とはいえ、やっと飛雷神の術の”触り”を見たに過ぎない。次からは意識して”飛ぶ”ことが出来るように、さらなる極地へ突き落す。真の修行はここから始まるのだ。

 

 さて、それを知った畳間はどんな顔をするだろうか―――扉間は静かにその笑みを深めた。


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