綱手の兄貴は転生者   作:ポルポル

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最初の戦い

 中忍選抜試験終了後ほどなくして病死した、サクモの師である猿飛サスケ。彼は生前、サクモの実力について、「中忍で納まる器では無い」と称賛の言葉を残している。猿飛サスケの死後、その跡を継いだ猿飛ヒルゼンは、父の遺言であるとばかりに、はたけサクモの上忍推薦の意志を表明した。加えて、サクモの担当上忍であるうちはカガミ、並びに、ヒルゼンと友好関係にあった水戸門ホムラは、サクモの上忍推薦について、「その実力上忍に不足無し」と賛同の意を示す。

 

 中忍選抜試験より半年の後にあった、静かな変化。

 もとより扉間は、内弟子である千手畳間と、才覚は有れど名門の出自ではないはたけサクモのうち、どちらを先に上忍に昇格させるべきかを思い悩んでいた。畳間とサクモは、ただの忍びでは無い。畳間とサクモには、名誉ある肩書がある。扉間の忍者養成施設という政策の、第一期生であるという肩書だ。そこから輩出される初めての上忍、それが意味することとは―――すなわち、扉間政権における象徴の完成である。

 

 初代火影千手柱間が抱いた、子供を死なせない、という原初の願い。里の興りとは元来そういうものであった。そして柱間の死後、二代目を継いだ扉間が率先して行った政策もまた、子供が死に難い里作りである。若い命ほど失われやすい忍びの世において、後進の育成とは何よりも優先されるべきもの。初代の意志を継ぐと言う意味も含めて、”忍者養成施設”という政策は、二代目火影千手扉間の治世において、(かなめ)と言っても過言では無い案件である。ゆえにその象徴となる最初の上忍の選抜は慎重になって然るべき。なぜなら新たな上忍の評価は、扉間の評価に直結することになるからだ。

 

 畳間を御旗とすれば政権は盤石と成ろうが、一族と言う垣根を越えた”里の結束”に到達する時期は遅くなる。

 サクモを御旗とすれば、古き風習が一変される。里という組織が「一族を越えて手を取り合うものである」という認識の最後の一手となる。けれども、名門と言われる一族からの反感が生まれる可能性もある。一長一短である。そういう意味で、中途半端な立場であるイナは候補から除かれていた。

 

 千手畳間。千手直系の血、木遁という才覚、若くして超高等忍術を複数習得している英傑である。血筋、才能、実力、三拍子揃った畳間は、御旗としてならば完成された素材である。しかしその出自がために、内外ともから要らぬ憶測を呼びかねない。やはり千手か、と。扉間存命中であれば問題ないが、死後、畳間の時代になって、後顧の憂いとなる可能性は否めなかった。

 

 そしてそこに飛び込んできたのが、はたけサクモの存在である。忍者養成施設第一期生であり、畳間と同等かそれ以上の実力を持つ麒麟児。

 

 ―――血統か、新たな風か。

 

 そのしばらく後、最後の一押しとばかりに、サクモの上忍昇格を推した忍びがいる。暗部・情報機関の一員として、扉間の下で修練に励んでいた、志村ダンゾウである。

 普段は口に出さぬものの、扉間が「後継者候補」と見込んでいる男たちからの推薦だ。無碍にすることは出来ないだろう。これをきっかけとして、二代目火影扉間は、サクモの上忍昇格へと踏み切ったのである。

 

 さて、サクモが上忍と為って半年の後、イナが上忍へと昇格した。中忍選抜試験から一年後のことである。元々実力は申し分ないくノ一であったし、山中一族の次女と言う立場は、サクモの傍に置く緩衝材としても申し分ない。それ以外で最も評価されたのは、新術―――心封身の開発である。秘伝忍術がゆえに外部に伝えることは出来ないが、”新たな術の開発”は讃えられるべき偉業である。加えて、それが精神と魂に関するものであったことが、扉間の琴線を振るわせた。開発者としての側面を刺激されたのである。この件を経て、扉間は穢土転生とは別に、以前より温めていた”魂に関する術”の開発を実行に移し、完成させた。

 還暦を迎えてしばらく。後進の育成に力を注ぎ、半ば諦め掛けていた”最後の術”の完成に、扉間は喜んだ。

 

 後に、畳間に伝えるべき術の一つとして扉間に数えられたそれは、当然のように禁術指定の代物であった。人の魂に関する術であるから、当然である。果たして、若干の安定を見せていた畳間の毎日に、新たな修行と言う素晴らしい刺激が追加された瞬間であり、上忍昇格が遠のいた決定打でもあった。畳間の凶報を聞き、イナはあまりの申し訳の無さに、しばらく畳間と顔を合わせられなかったという。臨時教師の件から然程日が経っていない頃であったため、イナを襲った罪悪感は一入であったという。

 けれどもそもそもの前提として、畳間がしばらくの間、「木の葉隠れの里から姿を消していた」という背景が存在することを忘れてはならない。会おうにも会えなかったのである。

 それはサクモとの談笑中のこと。畳間は厠へ行くためにと席を立ち、戻ってこなかった。まるで、神隠しのように。そのしばらく後、厠から畳間に変わって現れたのは、ふさふさの毛皮を首に巻いた、銀髪の大男。サクモはそのとき、畳間の不運を知った。

 余談であるが、それを聞いたアカリは爆笑し、イナに無言で頭を叩かれている。

 

 

「あれ、お兄様?」

 

 久方ぶりに里の演習場へ足を踏み入れた畳間を迎え入れたのは、綱手のぽかんとした表情だった。勝ち気で男勝りな表情を常とする綱手の、間の抜けた表情は珍しい。

 綱手の稀な表情を楽しむ余裕も無く、傍に在った自来也もまた、似たような表情で畳間を迎え入れた。

 一方で、丸太に寄りかかったまま、畳間を見つめている少年がいる。華奢で色白な美少年の名は、大蛇丸。綱手、自来也と共に下忍となり、猿飛ヒルゼンの下で鍛錬に励む若者である。

 

 畳間は朗らかに笑うと、こいこいと三人に手招きをする。綱手と自来也が訝しげな表情で近づいて行くが、大蛇丸はと言えば、怪訝な表情で畳間を見つめるのみ。はて、と首を傾げる畳間は、大蛇丸に避けられていることを雰囲気から察したが、その理由が思い当らなかった。

 大蛇丸の警戒は、大蛇丸があの事件の被害者であるがゆえのものだ。畳間が忍者養成施設でやらかした二年前の件を、大蛇丸は覚えていた。けれどもやはり畳間には心当たりがなく、首を傾げるのみ。やった方は忘れるのが通例だ。無理も無い。

 仕方なしに、畳間は己がここに居る理由を、その場で語り出した。

 

「ええぇ、畳の兄さんが?」

「おう」

 

 

 畳間が今になって演習場を訪れたのは、他でもない、綱手ら三人の面倒を見るためだ。火影直轄の急用にて、ヒルゼンが本日の稽古を指導できなくなったがゆえの代理である。

 今朝方、休暇中に火影邸に呼び出された畳間は、そう告げられた。呼び出しを受けたときには、すわ地獄の再開かと心拍数が上昇するほどの絶望感に打ちひしがれたものだが、そういうことならと畳間は頷いた。とてもほっとした。

 表情を引きつらせる自来也は、すわ地獄の再開だと心拍数が急上昇するほどの絶望感に打ちひしがれていた。自来也は、かつての被害者筆頭の一人。幻覚か、肛門がじくじくと痛みだした。声を荒げて拒否しないのは、畳間の顔を立ててのことだった。

 

 同じく、畳間の来訪に喜々としていたはずの綱手は、その言葉を受けて瞬時に顔から表情を削ぎ落した。無言のまま数歩後ずさり、天を仰いだ。こんな日に限って、対抗馬になりえそうな、畳間と綱手の顔見知りであるマイト・ダイの姿が見られない。居ればいるでより悲惨なことになりそうだが、今の綱手にそこまで考える余裕は無かった。運が良ければ、あるいは組手が見たいと二人を焚きつけて、戦わせることも出来たかもしれない。

 

 では始めようかと、畳間の死刑宣告。

 畳間の瞳が異様な光を放ち出し、その笑みが禍々しく歪み始めた、ように、綱手と自来也には見える。ここまでか、綱手と自来也は揃って顔を伏せた。

 

 

「畳間先輩、オレと、手合せしてください」

 

 打ちひしがれる二人を庇うように、大蛇丸が前に出た。はっとしたように、綱手と自来也が顔をあげる。華奢な大蛇丸の背が、二人にはいつもより大きく見えた。

 畳間は、大蛇丸をまじまじとみた。体つきは華奢で、見た目で言えば自来也の方が基礎が出来ていそうである。色白な肌は綱手よりも女らしいと言えば、女らしい。けれども畳間は見た目で実力を判断する男でもない。ふむと大げさに頷いて、圏界(けんかい)を発動する。

 その感覚を知っている綱手は、自来也の襟を引っ張って、領域外へと飛びのいた。

 

 圏界とは、己の体を中心として球状にチャクラを放出し、己の感知領域とする業だ。感知タイプとしての才能に恵まれなかった畳間が、扉間の奇襲に対抗するために生み出した苦肉の策。常にチャクラを体から放出し、それを球状に維持する圏界は、形態変化の奥義の一つである。とはいえ、チャクラを放出し続けると言う性質上、千手やうずまきなど、莫大な量のチャクラを有する者でなければ、すぐにチャクラが枯渇してしまうという欠点がある。

 

「耐えてみろ」

 

 畳間の一言。空間が重くなる。

 圏界にすっぽりと取り込まれた大蛇丸の体が、びくりと震えた。膝が笑い、滲み出た脂汗が着物を濡らし、大蛇丸の呼吸が乱れ始めた。

 大蛇丸を襲ったのは、重力が何倍にもなったかのような暴力的な圧迫感。空間の中で荒れ狂うチャクラの奔流が大蛇丸の体に纏わりついた。

 

 

 圏界のもう一つの使い方とはすなわち、チャクラによる他者への威圧。チャクラが充満し、畳間の領域と化した空間に、更なるチャクラを叩き込む。

 その業の名を、天威と言った。

  

 桁外れのチャクラが生み出す威圧感、叩き込まれる恐怖は戦意を喪失させ、精神的な自由すら奪う。そして莫大なチャクラから生み出される圧力は物理的な影響さえ伴って、圏界に入り込んだ物体の動きを固定し、最後には捻り潰すのだ。

 

 この術の利点は、チャクラ量にものを言わせた純粋な暴力が、実力の上下に関係なく、ただチャクラ量の差によってのみ覆されるという一点。これは下忍程度の実力しか無い者であっても、上忍レベルの相手を制圧をすることが出来るという画期的な術である―――というのは机上の空論だ。現実には、上忍を上回るほどのチャクラ量を内包する下忍など滅多に存在しない。下忍の貧弱なチャクラではそよ風のように受け流されるのが関の山であるし、仮に上忍を越えるチャクラ量を誇る天才児でも、並を上回る程度ならばスタミナ切れで倒れるだけだ。圏界の時点で凄まじいチャクラを消費するのだから、さもありなん。よってこの業は、九尾の人柱力たるうずまきミトをして「尾獣並のチャクラ量を内包している」と言わしめた畳間にのみ使えるオリジナル忍術である。

 

 圏界・天威。それは、己が領域に入り込んだ敵を捕縛する、”待ち”の業。スピードで勝る(扉間)を相手取るために畳間が作り出した、必死の迎撃法。

 幼少期から扉間の威圧に晒されて来た畳間は、威圧と言うものが十分戦術として利用できるものだと知っていた。チャクラの圧力が生み出す効果を知っていた。本質的には、扉間が普段シラフでやっていることを、術・業に昇華しただけに過ぎない。

 そう。天威とはすなわち、畳間が幼いころより晒されて来た恐怖の結晶である。それを畳間が気づいてるか否かは定かでは無い。扉間がワシのおかげだと、ワシのおかげで生み出された術だと思っているかどうかも、定かでは無い。

 

 今、畳間が大蛇丸に天威を使ったのは、特に他意は無い。強いて言うならば、畳間がいつもそうされていたからである。

 始まってしまったと震える綱手と自来也に、大蛇丸は涙を流しながら声を絞り出す。

 

「逃げろ」

「大蛇丸・・・」

「あんた・・・」

 

 

 自来也と綱手が感極まった様子で呟いた。大蛇丸は震える体、委縮した心を鼓舞し、ただただ耐えていた。逃げろと、大蛇丸は言い続ける。自分が倒れてしまえば、次は自来也か綱手の番になってしまうのだと。

 畳間は、綱手が妹だからと手を抜く男では無いだろう。そもそも、自分がしていることの意味を理解していない。かつて止めてくれたイナは居らず、綱手にはどうすることも出来ない。これで畳間は義理堅い男であるから、ヒルゼンから請け負った「稽古の監督」という仕事をほっぽり出したりはしないだろう。綱手も自来也も、”ヤられ”る。

 けれども、置いて逃げることは出来ないと、綱手は涙目で首を振る。

 盛り上がっている大蛇丸と綱手であるが、畳間は軽く稽古を付けてやろうと言うだけで、全く他意はない。

 

 

「行けェーーー!!」

 

 大蛇丸が吼えた。もう持たないと、自分はもう終わりだと、それでも綱手たちには無事であってほしいと、悲痛の思いが込められている。このまま綱手と自来也がいなくなれば、畳間は後を追うだろう。だが、大蛇丸のこの気迫。大蛇丸は畳間の追撃を許さず、畳間の前に立ちふさがるはずだ。綱手たちが逃げる時間を稼ぐために。

 綱手は、大蛇丸のことを見誤っていたと、評価を変える。もっと淡泊で、冷淡な男だと思っていた。しかし今の姿は、確かに仲間を守ろうとする木の葉隠れの忍びの一人。綱手は瞳に滲んだ滴を腕で拭い去り、決意を込めた表情で、大蛇丸に背を向けた。それは仲間を見捨てて逃走する臆病者の顔では無い。仲間を救う為の一時的な撤退だ。すなわち、イナを連れてくる。サクモでも良い。だれか、畳間を止められる人間を連れてくるのだ。

 

 では、こいつはどうするつもりだろうか。

 綱手は、自来也の方を見た。

 

 

「自来也ァーーーーッ!!」 

 

 鬼のような形相を浮かべた綱手が吼え、一目散に駆けだした。自来也がいた場所には、「へのへのもへじ」と書かれた紙が貼り付いた、丸太だけが残っていたのである。

 

「野郎、仲間を置いて逃げやがった!」

 

 走りながら、綱手が毒づいた。

 

「お、おい! 綱手、自来也! どこに行くんだ?! まだ言ってないことがあったんだが・・・」

 

 草をかき分け、森の中へ走って行く綱手の背を見て唖然とし、畳間は圏界を解いた。追い縋るように手を伸ばした畳間の前に、大蛇丸が立ち塞がる。

 

「行かせない」

「えぇ・・・?」

 

 困惑した表情の畳間。

 決死の表情を浮かべる大蛇丸。

 

 少し考えて、畳間は勝手に納得した。

 確かに、畳間も修行としてやらされていたことである。全員が捕まるまでそれは続けられるが、日没まで逃げ切れば勝ち。捕まった仲間を助けることも出来るし、勝利した者には豪華な晩飯が進呈される、カガミ式鬼ごっこ。大蛇丸を軸に散開し、その後、綱手か自来也を誘導に、残ったどちらかが大蛇丸を救出する。そこから三人で逃げ切ると言う作戦だろうと、畳間は当たりを付けた。

 

 カガミ曰く、ドロケイ、ケイドロという庶民の遊びを訓練に昇華した画期的な方法である。

 

 

「なんだ、乗り気じゃないか」

 

 乗り気な―――ように見えるだけだ。子供たちは決死の想いを抱いている。というのに畳間は「自分も真剣にやらねば」と気合を入れ直し、よし、と腕を回した。

 大蛇丸は何故かこれまで以上に気合を入れ始めた畳間を前にして絶望感に打ちひしがれたが、忍具を引き抜いて、畳間に襲い掛かった。

 

 

「大蛇丸、無事でいて」

 

 隠遁を駆使して畳間から猛烈な速度で離れていく綱手は、後ろ髪を引かれるような思いである。友である大蛇丸を残して来たのだから、無理も無い。しかしそれ以上に、簡単に仲間を見捨てて飛び出していった自来也への怒りが強かった。

 

 街、山中花店を目指し、綱手は疾走する。感知タイプでは無い綱手は、大蛇丸がどうなったのか、察知することは出来ない。無事でいてくれと願うことしか出来ない非力さに、綱手は唇をかんだ。

 人混みに紛れ、綱手は街を駆け抜ける。屋根の上を走った方が速いだろうが、それでは発見される可能性が高くなるからだ。追われる者としての焦燥が、友を置いてきたと言う負い目が綱手を追い立て、心を乱す。

 

 

 もっと、急がなければならない。こうしている間にも、大蛇丸は―――。

 

 必ず、救出に向かわねば。なれば冷静になれ。でなければ、活路は見いだせない。

 湿滑林の蛞蝓を口寄せし、綱手たちを追うと言うのなら、もはや綱手に打つ手はない。しかし、さすがにそこまでの所業は行わないだろう。綱手は信じているが、さて。

 綱手の兄である前に、扉間の弟子であるあの男なら、やりかねない。妹である綱手をして、空気が読めないと思わされる時がままあるから恐ろしい。

 

 

「やった!」 

 

 万感の思いを抱いて、綱手は山中花店の看板を仰いだ。

 さっそく、イナに掛け合って、畳間を止めて貰おう。綱手は敷居を跨ごうとして、暗い表情を携えた自来也と鉢合わせした。

 

「自来也ァ」

 

 声荒く自来也の名を口にして、その胸元を手繰った。仲間を見捨てた裏切り者がと、口汚くののしった。

 そうじゃない、と自来也は慌てて首を振る。大蛇丸の覚悟を知ったからこそ、それを救う為にイナを呼びに来たのだと。

 綱手も結局は大蛇丸を置いてきたという点では同じである。自来也は口にしなかったが、綱手は悪いと呟いて、己の浅慮を恥じた。

 

「それで、イナさんは?」

「それが、任務で出かけてるって。サクモの兄さんも」

 

 綱手の表情に、暗い影が差す。イナだけでなく、サクモまで留守だとするならば、止められる者がいない。普段ならば扉間の横やりでも入れさせれば立場は逆転するが、今回の一件は扉間主導によるものである。どうしようも無い現実に、二人は打ちひしがれる。

 

「オレは、戻るぜ」

 

 自来也が、透き通るような瞳で真っ直ぐに、綱手を見つめていた。

 助けが来ないなら、もはやこれまで。ならばせめて仲間のために散った(大蛇丸)の傍で、同じように散りたい。自分一人で逃げ惑うことはしない。

 

 綱手は、悲しそうに目を伏せた。綱手は決心がつかない。仲間として自来也と共に逝くか、大蛇丸の願い通り逃げ延びるか。

 

「お前は、逃げ延びろよ」

 

 寂しげに笑った自来也の背、揺れる袖を、綱手はそっと掴んだ。去っていく恋人を繋ぎとめるかのような仕草は、綱手の迷いの証。

 自来也は落ち着いた声音で、綱手の名を呼んだ。自来也に、逃げ延びるという選択肢はない。友一人見捨てて逃げるより、友を救うために戦って逝きたい。振り返った自来也は綱手の肩に手を置いて、強く握り締めた。

 綱手の華奢な肩、自来也の無骨な拳。震えているのは、どちらだろうか。

 

 山中花店の元・看板娘たるイナの姉が、なにやってるのかしらと、店の中から怪訝な表情で二人を見つめている。抱かれた幼子、山中イノイチが楽しそうに笑っている。とりあえず、見せない方がいいかしらと、イノイチを抱えて店の奥に引っ込んでいった。

 

 

「待って。まだ、一人いる」

「どういうことだ?」

 

 俯いていた綱手が、力強い瞳を携えて、自来也の瞳を射抜いた。

 自来也は綱手の肩を揺さぶって、それに応える。

 

「”白い牙”はたけサクモ、”蛞蝓王子”千手畳間。そして、もう一人」

「まさか、あの人を探すつもりか?」

「そのまさかよ。わたしら千手と双璧を為す、うちは一族の女性。”写輪眼”うちは、アカリ」

 

 その名を口にした後の、二人の行動は迅速だった。すぐさま踵を返し、うちはの居住区へと駆けだしたのである。

 自来也は、綱手の前を率先して走る。二人一組(ツーマンセル)として、自来也は前方を、綱手は左右を警戒し、目的地へ向かっていた。

 畳間が今どこにいるかも分からないが、時間が経ち過ぎた。大蛇丸は、もう―――。しかし、諦めることは出来ない。自来也は奮起した。

 

「自来也、急いで!!」

 

 綱手の声。身を引き裂かれるような、痛烈な悲鳴のようだ。自来也はその意味を悟り、振り返らずに走る速度だけを上げた。畳間が、追いついたのだ。綱手はやられたか、殿(しんがり)として残ったのだろう。

 

 惚れた女を捨てて、自来也は駆ける。振り返り、綱手の下へ駆け出したい。けれども大蛇丸が託し、綱手に託された自来也は、それが許されなかった。見つかったからには、隠れている必要も無い。自来也は屋根の上に飛び乗った。悔しさにくちびるを噛みしめて、自来也はうちはアカリの下を目指した。

 

 

 しかし自来也は焦るあまり、屋根瓦を踏み外した。流れていく景色が、やけにゆっくりと聞こえる。

 こんなところで終わってたまるかと、自来也は、空中で体勢を立て直した。着地した時、また走り出せるように。

 

 うちはの居住地はまだ、遠い。だから、自来也は思いもよらなかった。そこは、人の気配が少ない場所だったから。人がいるとは、思わなかった。探し人がいるなんて、思わなかった。落ちていく先に、うちはアカリが、いるなんて。

 

 

 ”写輪眼”うちはアカリ。千手畳間、はたけサクモと同じ班に所属する、紅一点。未だ下忍なれどその実力は中忍をゆうに超え、若くして写輪眼を開眼している天才である。忍びとしての実力はもちろんのこと、鋭く研ぎ澄まされた怜悧な美貌は、冷たさをも伴って、男たちを魅了する。佇む姿は一枚の絵画のようであり、風に髪を揺らす仕草は、天女のそれ。男だけでなく、女からも一定以上の支持を集めている、里が誇る美貌。

 

 自来也は、うちはアカリとの直接の面識はない。遠目から、綺麗なひとだなァと眺めたことはあれど、それくらいである。話には聞いていたが、その程度。アカリと言う人物像を、ほとんど知らないと言ってもいい。ゆえに―――。

 

「あ、あ、あぁぁ」

 

 落ちて来た自来也に巻き込まれ、体勢を崩したアカリ。彼女が何故に喉を震わせて、たどたどしく哀しげに、嗚咽のような言葉を溢しているのか。自来也には、その理由がまったく分かっていなかった。誰が思うだろう。怜悧な美貌を誇るアカリのその本質が、単純なアホであると。

 

 一瞬戸惑ったものの、自来也は背負う者である。アカリに事情を説明し、畳間を止めて貰わねばならない。だからこそ一歩前に出て、足元の奇妙な感触に首を傾げた。

 

 アカリは地面にしゃがみこんで、潤んだ瞳で一点を見つめていた。見知らぬ少年の足の下から溢れでる、白く濁った液状の物体。そこかしこに散らばった、粉々の茶色い欠片。それは今しがた買ったばかりの、ものだった。先ほどまで、それは確かにアカリの手の中に在ったはずだ。

 

 今頃はそのとろけるような冷たさを、淡い甘い味わいを、楽しんでいたはずだった。自分の評判は知っている。だから、少し恥ずかしいから、人目につかないようにと、ゆっくりと堪能するつもりで。久しぶりだったから。久しぶりだったのに。楽しみにしてたのに。ひどいよ―――。

 ぶちまけられた白のように、アカリの思考回路が染められていく。

 

 呆然、口をだらしなく開けて、硬直した。

 悲哀、硬直した瞳の端から、一筋のしずくが流れ落ちた。

 絶望、もう戻らない夏。

 そして、憤怒。

 

「貴様ァーーーー!!」

 

 チャクラの奔流。圧倒的な激情。踏みにじられた宝物(ソフトクリーム)の無念を怒りに変えて、アカリの咆哮が轟く。立ち上る殺気、零れそうなほど見開かれた瞳は赤く、二つ巴が浮かんでいる。

 

「う、あ、あ」

 

 自来也が声にならない悲鳴を上げて、一歩、二歩と下がった。畳間の威圧とは種類が違う。殺気丸出しの鬼の形相。

 自来也は、アカリが杖を引き抜いて、凄まじい速さで組み立てたのを、黙って見ていることしか出来なかった。ただでさえ冷たい美貌と謳われるアカリの、般若の形相は、恐ろしすぎた。蛇を前にした蛙のように脂汗を流し、ただただ震えるしかない。

 振り上げられた杖は、自来也の脳天をかち割るだろう。噴水のように噴き出す光景を、自来也は幻視した。腰が抜けて、座り込む。過去の想い出が次々と浮かんでは消える。終わった、とただそれだけを想った。

 杖が、振り下ろされた―――。

 

 ぎゅっと目を瞑った自来也は、来るべき衝撃に体を縮こまらせている。しかし、しばらく待っても、衝撃は来ない。恐る恐る片目を開けば、目の前には杖の影。悲鳴を上げて、自来也は後ろへ飛びのくように後ずさった。

 

「おいおい、あぶねぇって」

「だ、だだびばざん」

 

 少し離れたところから見た全体像。振り下ろされた杖を、畳間が握って止めていた。

 自来也は緊張の糸が切れたのか、顔の穴と言う穴から液体を垂れ流し、畳間の名を呼んだ。濁った言葉は何を言っているのか分からなかったが、万感の思いが込められていることだけは確かである。

 

「どけェ千手! そいつ●せないだろうが!」

「おちつけって。新しいの買ってやるから」

 

 畳間は慣れた様子で、どうどうとアカリを鎮めていく。新しいのを買って貰えるのならばと、アカリもとりあえず肩の怒りを落ち着かせる。

 

 遅れてやって来た綱手に肩を借り、自来也は立ち上がった。畳間は綱手と交戦している最中に凄まじい速さで駆け出して、綱手を置いていったのだと言う。その速さ、比では無かったと、綱手は言った。

 それなりに手加減されていたことを知るが、自来也の心は晴れない。それどころか、股間の違和感に気づいてしまい、「なぜにこんな目に」と泣き言を溢した。それは確かに正論で、畳間が余計なことをしでかさねば、今頃は演習場で仲良く鍛錬をしていたはずだった。そう思えば、助けられた感謝も吹っ飛ぶと言うものだ。

 

 

 

 

 演習場に戻った一行は、地面に寝かされている大蛇丸を視認した。綱手と自来也は、大蛇丸の下に走りよっていく。

 大蛇丸の隣で佇んでいたもう一人の畳間は、一行を視認すると頷いて、煙と共に姿を消した。

 駆け寄った綱手はしゃがみ、労わるように大蛇丸の体を抱き上げた。膝の上に大蛇丸の頭を乗せて、そっとその額を撫でる。激闘だったのだろう。汗ばんだ額には髪がぺたりとくっ付いていた。

 突然の膝枕を見た自来也は、眠る大蛇丸に向けて羨望を贈った。今ならば畳間に立ち向かえる気がすると言うのだから、現金なものである。

 

 たいしたものだ、とアカリが言った。アカリは、畳間の実力と馬鹿さ加減を十分にしっている。そんな畳間に片や挑み、片や逃げ果せていたというのだから、アカリは素直に称賛の声を掛けたのである。

 美人で有名な先輩に褒められて、自来也はでれでれと表情を緩ませた。綱手はと言えば、畳間やイナからの話であまり良い印象は持っていないため、複雑な内心を隠せない。それに、アカリはまだ下忍だ。

 

 うちはアカリは千手畳間、はたけサクモに一歩劣るもののの、下忍に納まらないほどの実力者であることは間違いない。そもそも写輪眼を開眼している時点で、下忍の枠にはめることが無茶であるとも言える。それがなぜ下忍のままなのかと言えば、ひとえにそのチームワークの悪さにあった。

 

 中忍試験とは基本的に三人一組(スリーマンセル)での参加が前提条件とされている。けれどもアカリは同班員であるサクモ、畳間がすでに中忍試験を合格しているため、正規の班員で参加することが出来ない。ゆえにアカリは、同じく班員が足りていない班に編成され、出場することになる。

 

 しかしこのうちはアカリ。サクモ、畳間以外の忍びとは組みたくないと言い放っている。駄々を捏ねていると言ってもいい。兄であるカガミが気を利かせて班員を紹介したとしても、チームワークを見る試験において脱落してしまう。

 畳間やサクモがそれを窘めると、アカリはこの世の終わりのような表情で落ち込んでしまう。それはそれは哀しそうに。下手に二人が口出しをすると、余計ややこしくなる。

 カガミ曰く、うちはの悪い癖という話であるが、どうしたものかと言ったところ。

 

 大蛇丸が目を覚ました頃。畳間が、待ってましたとばかりに一枚の書状を取り出した。言ってないことがあったと、綱手に笑いかけたのだ。畳間が意気揚々と書状を読むにつれて、綱手と自来也のテンションが上がっていく。なるほど、それで畳間は妙にテンションが高かったのかと、三人の少年少女は納得に頷いた。

 一方、アカリは顔を伏せ、ふるふると震えている。

 

「―――以上の功績から、千手畳間を上忍へ昇格することとする。二代目火影、千手扉間」

 

 念願叶った、畳間の上忍昇格。読み終わった畳間は、本当に嬉しそうに微笑んだ。畳間がはしゃいでいたのは、上忍昇格の報を受けて、昂っていたからというわけである。

 自来也も綱手も、先ほどまでとは打って変わって畳間をやいのやいのと持ち上げている。大蛇丸でさえ、感心したような雰囲気で畳間を見上げていた。

 

「はははははは! 照れるな」

 

 三人に持ち上げられ、畳間は嬉しそうに笑う。

 ―――その、隣。長い髪をぶらんと垂れ下げた、年若い女がいる。髪に隠れた表情は察することは出来ないが、危険な雰囲気を纏っていることは間違いない。

 

 それに気づいた自来也がそろりそろりと後ずさった。それはつい先ほど見たばかりの光景だったからである。自来也はまだ足腰が立たない大蛇丸を抱え、その場から飛びのいた。綱手もそれに続き、畳間から距離を取る。

 気づかない畳間は、はははと笑いながら、アカリの肩をもみしだいた。お前もはやく中忍に成れよと、激励を込めて。

 

「ぽげらっしゃ」

 

 反転。畳間の世界がひっくり返った。ゆっくりと伝わって来る頬の痛みに、顔面に伝播する衝撃。畳間は笑顔のまま、宙を舞っていた。

 

「なにすんだよー、やめろよー」

 

 間延びした声で、畳間が笑っている。上忍になったことでご機嫌なのだろう。上忍になったからには、下忍の乱暴など受け流すべしという心構えがあるのかもしれない。

 

「いたいいたいいたい」

 

 アカリはそんな畳間に遠慮する様子も無く、ただただ無言でその頬を殴っていく。汝、左の頬を殴れば、すぐさま右の頬を殴るべし。やめてくれアカリと歪な笑顔を浮かべる畳間を、さらにもう一発とばかりに殴りつけていく。

 

「おいおい、やめろってー」

 

 アカリが素早く印を結び始め、寅で終結させた。火遁、豪火球の術。

 爆音とともに畳間が吹き飛んで、どさりと地面に墜落する。受け身も取らずに危ない落ち方をした畳間であるが、次の瞬間にはのそりと起き上がり、ぱんぱんと着物から土埃を払った。

 

 

「―――いてェっつってんだろうがァ!!」

 

 顔をあげた畳間は鬼の形相。畳間の声に呼応するように、畳間の周辺、演習場の地面から、もりもりもりと樹木の群れが顔を出す。

 木遁・樹林降誕。

 先代の木遁使い、千手柱間が用いた秘術・樹界降誕が、それこそ辺り一面を森に変化させる天変地異の所業あった。比べてこの術は小規模の林を作り出す程度である。

 木々に囲まれるアカリは、悲しそうにぽつりと呟いた。

 

 

「畳間、わたしたちは、こうなる運命だったようだ」

 

 およそ二年ぶりに畳間の名を呼んだと思えば、このタイミングである。照れ隠しにしてもはた迷惑すぎる。そもそも、こうなる運命とは一体何か。自分ひとり下忍に取り残された雪辱、羞恥、悲哀を、八つ当たり全快で畳間にぶつけ、甘えているだけにすぎないと言うのに。

 伏せていた目をあげたアカリは、赤い瞳で畳間をじっと見つめた。透き通った赤は美しくも恐ろしい。

 アカリは静かに印を結んだ。それは、畳間の知らぬ印。印を結び終わると、術が発動する。アカリの手が、足が、炎に包まれている。アカリが杖を携えると、アカリの拳に宿る炎が杖に伝播していく。触れたらやけど、程度では済まないだろう。なにしろ、色が青い。それはもう青々としている。

 

 それは火遁の術。しかし、その炎はじっと燃え揺らぎ、消える様子はない。

 

 チャクラを火の性質に変化させる性質変化。

 チャクラの形状を変えて維持する形態変化。

 

 二つを同時に発動するというのは、実は非常に難しい。天才のサクモをして、チャクラ刀という媒体を使わねば発動することは出来ない。扉間の英才教育を受けた畳間をして、反則的な異能、木遁でのみ使うことが出来る、超高等技術である。

 

 本気かと、畳間は狼狽する。にこりと微笑んだアカリの笑顔が青白く照らされており、物理的に眩しく映る。観念した畳間は近場の樹木に近寄ると、チャクラを注ぎ込んだ。細長い球状のものが、樹から絞り出されるように伸びていく。それはやがて人の形を取り、地に足を付けた。

 

「木遁分身の術」

 

 物質を介して、あるいは性質変化を伴った分身の術である。ただの分身の術と違い実体を持つが、その精度は影分身の術に比べると数段劣る。しかし、物質を介しての分身に限るが、性質変化を伴った分身は、影分身に比べて極端に少ないチャクラ量で発動することが可能であるため、一長一短と言ったところである。

 

 その中でも木遁分身は樹木を、生物を媒介として発動する異色の分身である。生物を用いているがゆえに影分身と同等の精度を誇り、物質を媒介としているがゆえに影分身よりもチャクラ量が少なくて済む。また、影分身と違い、数度の攻撃程度では消滅することが無い。

 一方で、分身を作り出すまでにタイムラグがあり、一瞬無防備になるという欠点もある。一瞬でチャクラが許す限りの分身体を作り出せる影分身との差異は、そこだ。また、木遁分身は、分身の持つ情報を術者に還元することが出来ない。状況によって使い分けることが出来る術であると言える。

 

 影分身では、アカリに触れた瞬間に消滅するだろう。ゆえの、木遁分身。

 

 さて、止められるか―――。

 アカリは今、闇の中にいる。一緒に持久走をゴールしようねと約束していたのに、言った本人がラストスパートを掛けて走り去ってしまい、ひとり置いて行かれたときのような絶望感。

 上忍・千手畳間としての最初の戦いが、今、始まる。


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