綱手の兄貴は転生者   作:ポルポル

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仲間のために

「ヒルゼン! 貴様がいながらどうしてそうなったのだ!!」

「護衛役だけがおめおめ生き残るだと? この恥知らずが!」

 

 ある上役が唾を飛ばす勢いで、二代目火影を”見捨てた”ヒルゼンへ、叱責の言葉を投げつける。

 

「二代目様だけでなく、”お孫様”までとは……。柱間様に顔向けが出来ん……!!」

 

 死して十数年、未だ初代火影たる千手柱間への畏敬は消えず。成長とともに柱間の面影を覗かせる畳間に、老人たちは柱間と言う神を見る。

 

―――雲隠れにてクーデター勃発。最中、二代目火影、並びに千手畳間失踪。

 

死地となった雲隠れより帰還した、猿飛ヒルゼンによりもたらされたこの情報は、雲隠れとの同盟成功の報を待ち望んでいた木ノ葉上層部に、凄まじい衝撃をもたらした。上役たちはすぐさま木ノ葉の名門一族の当主たちを緊急招集し、対策本部を設立する。けれども会議は難航し、やがてヒルゼンの責任問題へと移行。各一族の長の前で吊し上げられたヒルゼンは、それが初代、二代目火影の庇護を一身に受けていた猿飛一族の権威剥奪を狙ったものであろうと気づいていながらも、それらの中傷を甘んじて受け入れていた。それは自責の念がゆえである。二代目直属の護衛隊の隊長としてその任を全うできなかったどころか、若い弟弟子を一人死地に残し、おめおめと生き残ったという事実が、とてつもない重圧としてヒルゼンを苦しめていた。

 

 かつて、初代火影が夭折した際も、やはり同じく緊急招集が掛かり、壮絶な議論が行われた。柱間の死因と責任の所在を巡り、上役たちの怒号が飛び交っていた光景を、ヒルゼンは覚えている。荒れ果てた森、散乱した死体、柱間の亡骸に寄り添っていた三人の子供たち―――。

 

 戦いが終わったあのとき、畳間は柱間に蘇生されたばかりで、意識不明の重体。イナ、サクモは友が目の前で殺害されると言う悲劇を目の当たりにし、体力的にも精神的にもぼろぼろで、睡眠と言う休養が必要であった。柱間が死の間際、イナとサクモを問答無用で眠らせたのはそのためだ。もしもあのまま放置していたれば、二人の心には消えぬ傷が残っただろう。

 

 にもかかわらず、上役たちは眠る3人を目覚めさせてまで、事の真相を探ろうとした。か弱い子供たちにまで飛び火しかけた混乱を制し統率したのは、外交より急遽帰還した千手扉間である。

 彼はその後、三人の子供たちの自然な覚醒を待ちつつ、己が二代目火影を就任するための根回しを水面下で行っていた。そしてイナが起きると同時に行動を起こし、あらゆる反論や派閥をねじ伏せて、瞬く間に二代目火影に就任したのである。

 だが、それは扉間だから出来たこと。彼は初代火影の実弟であり、木の葉隠れの里を築き上げた始まりの英雄の一人。

 一方で猿飛ヒルゼンは猿飛一族の当主を引き継いだばかりで、まだ若い。扉間と同じことをすぐにこなせと言われて、出来るはずがない。

 

「―――これより、二代目火影より授かった、最後の勅命を伝える」

 

 負の流れを断ち切ったのは、顎に十字傷を持った青年―――志村ダンゾウ。彼は荒々しく扉を開くと、足音を大きく鳴らしながら、その会議場を堂々と突き進んだ。その慇懃無礼な態度にうちは一族の当主が眉根を顰め、上役たちが声を荒らげたが、ダンゾウは涼しげな顔で、ヒルゼンに並び立った。

 

「猿飛ヒルゼンを三代目火影とする―――」

 

 ざわりと、会議室が揺れる。ダンゾウは畳み掛けるように言葉を続けた。

 

「これは二代目火影が残した最後の言葉だ。これに逆らう者は二代目火影への反逆と見做し、掟に従って、俺が処理する」

 

 自分たちを守るために散った、二代目火影。ダンゾウが心酔した男が残した最後の言葉は、ダンゾウの中に強く根付いている。

 

「―――志村の若僧が、でしゃばったな」

「二代目の勅命、それはいい。だが即就任とはいかんぞ、ヒルゼン。火影は前任の指名制では無い。大名たちから了承を得る必要もある。先のことを考えるなら、それは悪手だ、ダンゾウ」

 

 けれどもダンゾウの態度は、木ノ葉の先達にとっては横柄なものでしかない。

 犬塚一族の長たる巨躯なる男がダンゾウに威圧を向ける。蓄えられた髭、塗りたくられた隈取は男の威圧感を増大させ、盛り上がった筋肉や戦いの傷痕が、歴戦の猛者としての風格を漂わせていた。

 続けて奈良一族の長たる高齢の忍びが、鋭い視線をダンゾウに向ける。

 

「二代目火影最後の勅命――――。響きは良いが、火影は任命制では無く選挙制だ。勘違いするなよ、志村のものよ」

 

 うちは一族の当主が言った。その言葉に含まれている意味は―――うちは一族とて、三代目火影に名乗りをあげる権利がある、といったところだろうか。それはダンゾウやヒルゼンへの不満と言うよりも、猿飛一族や志村一族への挑発のようにも見える。

 

 ―――あくまで、うちはが引くのは千手のみ。志村や猿飛など所詮は二番手よ……。

 

 と言ったところだろうか。

 現在のうちは一族やその当主は、千手一族を敵視してはいない。扉間が二代目火影に就任する際、それに反対したわけでもない。うちはにしては珍しく穏健派であるが……問題なのは、それが千手一族に対してだけであるという点である。

 マダラと言う大敵を生み出してしまったうちは一族―――それでも尚千手柱間は、木ノ葉の一員としてうちはを里に置いた。ゆえにうちはは、少なくとも当代のうちはの長は、千手一族に対して頭が上がらない。だが、それは扉間が死んだことで解消された。

 うちは一族からすれば、千手の腰巾着でしかない猿飛、志村一族に対しては引く理由が無いと言ったところだ。

 

「そら、”言った通り”だ」

 

 奈良一族の長が呆れたように言った言葉に、ダンゾウは眉をひそめる。やはり奈良一族は手ごわいと、内心で悪態を吐いた。

 とはいえ、奈良の長は、三代目火影ヒルゼンという体制を否定しているわけでは無い。この急を要する事態にあって、ダンゾウの言動は不要に相手の敵意を駆り立てる。ダンゾウが今のような態度を取り続ければ、三代目候補であるヒルゼンへの反対票も連座して増えるだろう。未だ意見を纏めかねている一族の長たちまでむやみやたらに敵に回す必要はないと、奈良の長はダンゾウを諌めているのである。

 

 案の定と言ったところか、未だ若い身のヒルゼンで大丈夫なのかと、不安の声が上がり出す。政治から遠ざけられたとはいえ、うちは一族の発言権は未だ大きい。最大派閥たる千手一族当主が不在となっている今、うちはに傾く者たちは少なくない―――。

 

「―――静まりなさい」

 

 突如、凛とした女性の声が響く。その透き通った声は波紋のように広がり、紛糾していた議論を一瞬のうちに鳴りやませる。

 開け放たれた扉。姿を見せたのは、豪華な着物に身を包んだ女。その威厳に、誰かが息を呑んだ。

 

「ミト様……」

 

 艶やかな赤い髪の中で、煌びやかな簪が、しゃらんと揺れた。

 だれかのつぶやきが、静けさに染み入る。

 女の名は、うずまきミト―――あるいは千手ミト―――初代火影・千手柱間が愛した女。どうしてここに、と誰かが呟いたとき、それを遮るように、奈良一族の長が声をあげる。

 

「みな、どうだろうか―――」

 

 静まり返った部屋の中。一手に集中を集めた奈良の長は、しっかりとミトを見据え、頷いた。ミトはそれを受けて瞑目することで、その全てを受け止めると言う意思を、奈良の長に示す。奈良の長は内心でその覚悟に舌を巻く。奈良一族の長は二代目火影が行方不明になったという情報を手にしたとき、確実に荒れる会談を予想し、うずまきミトに参加を願っていた。

 初代火影が死んでなお、その影響力は計り知れない。彼女はその性格から表舞台に出てくることは無いが、

その妻であったミトは、里の最終兵器である人柱力ということも相まって、ご意見番以上の影響力を持っている。

 ゆえに―――

 

「―――亡き柱間様の奥方であるミト様は、うずしおの姫であられた……。二代目の安否が判明するまでの間、ずっとこうして話し合っているわけにもいかん。三代目就任はひとまず保留として、二代目代行をミト様にお任せする、というのは」

「ミ、ミト様ならば不足はないだろう」

 

 うずまきミトは木ノ葉の母にして雲の上の存在。彼女を目の前にして反論などできるはずもない。それは千手一族を敵に回すことに他ならないからだ。くわえて、二代目火影も死んだと決まったわけでは無い。下手に逆らうよりも御輿として代行を任せる方が無難である。

 各一族の長は一様に頷いた。

 

「―――ヒルゼン、なんだ、あの”ザマ”は!」

「……」

 

 会議を終えて、人気のない廊下。ダンゾウは周りに人がいないことを確認し、ヒルゼンの胸倉を掴み上げる。

 

「なぜ言い返さない!」

「ダンゾウ……。俺は……俺が護衛隊長の任を果たせなかったことは事実だ……。柱間様から託された、畳間も戻らない。俺は……」

「いい加減にしろ、”三代目”! ”先代”からその名を託されたのは他ならぬお前だ! 俺でもなく、畳間でもなく、お前が!! お前が!!!」

 

 ヒルゼンの胸倉を掴んだまま、ダンゾウは叩きつけるように言う。胸倉を掴んだ拳は震え、ダンゾウはなにかに耐えるようにしかめた顔を伏せる。

 ダンゾウの慟哭のような叫びが、ヒルゼンの心に染み込んでくる。それは共に火影を目指した友の、精一杯の声だった。ヒルゼンは託されたものの意味を改めて噛みしめる。託された以上、逃げることは許されない。どれほどの苦悩が待ち受けていようとも、背負ったものを降ろすことは許されない。

 友と目指し、柱間に導かれ、扉間に託されたそれ―――火影とはすなわち、道なき道、険しき道の先を行く者のこと。誰よりも苦悩を背負い、里と言う家族のために、あらゆる苦難を忍び耐える者のことだ。

 里は今、”偉大な父”を無くした。これから里に訪れる苦難、その棘の道を切り開くのは―――

 

「―――猿飛ヒルゼン! お前がそんなんなら、俺が”火影”を奪う!!」

「ダンゾウ……」

 

 ダンゾウは顔をあげて、釣り上げた瞳をヒルゼンに向けた。

 ヒルゼンは瞠目し、幼馴染の名を呟く。

 

「お前だったから、畳間はあの場に残ったんだ。お前は兄弟子だろう。必ず帰ると、信じてやれ」

「……ありがとうダンゾウ。お前が親友で良かった―――いてっ」

 

 日輪のように笑ったヒルゼンを見て、ダンゾウは不愉快そうにヒルゼンを突き飛ばした。ヒルゼンは壁にぶつかり、痛そうに後頭部を摩る。

 

「そういうところが気に入らないんだ、お前は」

 

 ダンゾウは不愉快そうに眉根を寄せて、ヒルゼンから顔をそむけた。

 

 

 綱手がその凶報を耳にしたのは、自来也、大蛇丸との修行を終え、家に着いたばかりのときである。狐とも狸とも分からない奇妙な仮面を被った忍が、我が家を訪れていた。その仮面は身元を隠さねばならない火影直轄の暗殺戦術特殊部隊、通称・暗部の証である。

 手練れのみで構成されているはずの暗部が、綱手の存在に気づかない―――余程のことがあったのか、冷静さを欠いていた暗部の只ならぬ雰囲気は、綱手の女のカンを刺激したのである。それで、綱手は面白半分に屋敷の塀の傍に身を隠した。少しして、暗部の忍を祖母であるミトが出迎える。どんな話かと耳を欹てた綱手は、暗部が話し出した驚愕の事実に、血の気が引くほどの衝撃を味わったのである。

 それは兄の凶報だった。綱手は居てもたってもいられず、その場を駆け出した。どこかへ行こうという、明確な考えがあったのではない。ただそのとき綱手の脳裏を過ぎったのは、兄の親友である白い牙、はたけサクモの顔だった。彼ならば何とかしてくれるかもしれないと言う、不確かな希望に縋ったのかもしれない。九尾でも見たかのように取り乱した綱手を、何人もの人が見送った。

 

 そして―――綱手の齎した情報に、茶屋の雰囲気が一瞬にして変わった。

 焦燥、絶望、錯乱。

 サクモ、イナ、アカリ、三人が三人とも、綱手に(もたら)された情報の真偽を確かめるため、各々の方法で里のチャクラを感知した。うちは、油女、山中、秋道、奈良、犬塚―――木ノ葉の名だたる一族の長たちが、火影邸に集結している。これほどの大物が一堂に会するなど、余程の緊急事態でしかありえない。そして三人は綱手の泣き出しそうな表情に、真偽を確信する。

 

「兄様が、死んだかもしれないって……」

「―――綱手。その情報、ボクたち以外の人には……?」

「え……い、いや、誰にも……」

「そうか……。ならそのことはもう、誰にも言っちゃいけないよ。木ノ葉の暗部も馬鹿じゃない。綱手がその情報を知ったことも、すでに気づいてるだろう。すぐ、緘口令が敷かれるはずだ」

 

 はたけサクモは、三人の中で一番冷静だった。それは上忍として場数を踏み、精神的な成長を遂げていたこともあっただろう。サクモが綱手に釘を刺したのは、二代目火影の失踪という情報が、里に及ぼす影響を考えたからである。初代火影が死んだときとは状況が違う。あのときは千手扉間という卓越した忍が控えており、”火影の不在”という”不安”は無いに等しかった。里の者は純粋に柱間の死を悼む余裕があった。だが、二代目火影には、後継者がいない。それは後のサクモや畳間であったかもしれないが、今の段階では、すべてを任せられる忍は育ちきっていないのである。

 サクモは立ち上がると、火影邸のある方角へ視線を向ける。”御旗”として、少なくない発言権を扉間より与えられているがゆえに、そう遠くないうちに、自分の下にも招集指令が届くだろうとサクモはアタリを付けている。そのときは誰よりも早く、扉間・畳間捜索隊の結成を提案し、その先頭に立とうと決意していた。

 

「……」

 

 立ち上がったサクモの横顔を、イナは信じられないものを見るように見つめていた。

 

 イナの脳裏を過ぎったのは、かつて角都に殺され、血みどろになった畳間の亡骸。

 

 先日送り出した幼馴染の背中。

 

 何カ月もの間、病院で目を覚まさなかった死人のような畳間の顔。

 

 千手の名を背負い、背中越しに振り返った、幼馴染の嬉しそうな笑み。

 

 かつて畳間が殺されたときの絶望と焦燥が濁流のように押し寄せる。幸せな記憶と絶望の過去が交互にイナの心を襲っていた。

 

「にいさま……」

「あ……」

 

 ぐるぐると世界が回るような感覚の中に、弱弱しいつぶやきが入り込んできた。

 幼馴染の妹であり、イナにとっても大切な友達である綱手の声は、イナの心を叩きのめした。

 ぴしゃりと、イナは自分の頬を叩く。血の気が引いていた頬に赤みが差していく。イナはひとつため息を吐いた。

 兄を失うという不安に揺れている少女を前に、年上であり上忍である女が、腑抜けたままでいいはずが無い。女が廃るというものだ。

 機敏な動きで机の上の湯呑を手に取ったイナは、並々と残っていたお茶を、ごくごくと飲み干した。ぬるま湯が体をじんわりと温めていく感覚が心に沁みる。ぷはっと下品に息を吐き出して、にこりと微笑んだイナは、綱手の顔を包み込むようにして、そっと両頬に触れた。

 

「大丈夫よ、綱手ちゃん。あいつが死ぬわけないでしょ?」

「―――イナ」

「ええ、分かってるわ」

 

 サクモの呼びかけに、もう大丈夫だと、イナはしっかりと頷いた。

 さて最後の一人であるアカリはといえば、心ここにあらずと言った風に、聞き取れない言葉をぶつぶつと呟いて、小刻みに首を震わせている。

 

「アカリ……? ひぇっ」

 

 イナは心配そうな表情で、俯いたアカリの顔色を伺おうと屈み込んだ。けれども、ほぼ同時にアカリは凄まじい勢いで顔をあげて、その鬼気迫った表情を顕わにしたのである。

 イナは驚きに体を仰け反らせて、数歩後ずさった。

 

「アカリ、あんたそれ……」

「行かなければ……」

「ちょ、ちょっと!」

 

 乱暴に立ち上がった拍子に、アカリの椅子がひっくり返る。だがアカリはそれに見向きもせずにぐるんと首を回転させて、茶屋の出口へと足早に向かっていく。

 その尋常ではない様子に、イナは倒れた椅子を片付けながら慌てて声を掛けるも、アカリに反応は無かった。 

 

「アカリ、どこに行くつもりだ?」

 

 畳間を探しに、里を出るつもりか―――サクモはアカリの性格から推測した答えを胸に秘め、アカリの前に立ちふさがった。

 

「どけ、サクモ。畳間が私を呼んでいる」

「同じ班の上忍として、独断横行は許さないよ」

 

 やはりそうかと、サクモは目を細めた。

 

 仲間を想うことは悪いことでは無い。

 サクモとて、本当ならばすぐさま畳間を探しに行きたい。アカリの気持ちは痛いほどわかる。

 だが雲隠れの里がある雷の国は火の国と比べて遜色ないほどに広く、闇雲に探して見つけられるはずがない。時間を無駄にするどころか、今度はアカリやサクモが行方不明扱いとなり、捜索隊が組まれる可能性もある。それは結果的に畳間や二代目火影を捜索する人員が減らすことになり、生存の可能性を減らすことになりかねない。あるいはクーデターを起こした金角銀角なる忍たちと交戦する可能性もある。状況は知らないが、二代目が逃げの一手を打つしかなかった忍たちを相手に、アカリが勝てるとは思えない。

 

 けれどもそんなことは、アカリには関係ない。

 目の奥が煮えたぎるように熱く、映る世界は真っ赤に染まっている。世界がぐるぐると回っているような現実離れした感覚の中で、助けを求める畳間の声が反響し続けているのだ。今すぐにでも駆けつけてやりたいと言う衝動―――それが間違いだとは、アカリは思わない。

 だというのに、友であるサクモは、アカリの邪魔をする。アカリは己の中に、燃え盛る暗い炎を感じ取った。

 

「どけ、サクモ」

「……アカリ、なにも、行くなとは言ってない。カガミさんやヒルゼンさんに情報を貰ってからでも遅くないと言っているんだ」

「どけ、サクモ……殺すぞ」

「本気か、アカリ……」

 

 アカリの均整のとれた(かんばせ)に浮き上がった怒りの形相は、アカリの行動を阻害するサクモへと向けられたもの。眉根はこれ以上ないほどに寄せられて皺が浮き彫りになり、目じりは鋭く釣り上げられている。

 殺すぞと言う言葉は決して脅しの言葉ではなく―――アカリはゆらりと苦無を抜き取ると、サクモへとその切っ先を突きつけた。その瞳は真紅に染まり、”三つ”の巴が浮かび上がっている

 先ほど子供のように泣いていた、あの幼い雰囲気から打って変わり、年相応に研ぎ澄まされた忍びとしての表情は、サクモを以てしても恐怖を抱かざるをえない。背筋に冷えるものを感じつつ、それでもサクモはその場から動かなかった。だがそれは決して、意地や掟のためではなく―――無謀へ進もうとするアカリを想ってのこと。

 

「やめておけイナ。その術はもはや私には効かない。そなたを傷つけたくはない……やめておけ」

 

 心転身の術―――印を結び、アカリへ向けたイナは、背中越しに投げつけられた言葉に息を呑んだ。

 チャクラはまだ練り上げていない。完全な死角から印を向けただけで気づかれた。今術を発動すれば、アカリは容易に避けるだろう。そうなった場合、直線上にいるサクモに直撃することになる。そうすれば、暴走しようとしているアカリを止められる忍がいなくなる。

 イナは印を結んだまま、悔しげに表情を顰めた。

 

「そなたも同じだ、サクモ。最後にもう一度言う。そこをどけ」

 

 ―――狂ったか、アカリ。

 

 うちは一族は深い愛情の喪失と同時に性格が豹変することがあると、カガミから聞いたことがある。畳間をどれだけ想っていたか、それを知るサクモはアカリの豹変に納得するが、かといってそれを許すことは出来ない。班員として、男として、そして―――友として。病み上がりの体でどこまでやれるか分からないが、やるしかない。

 サクモは腰を落としたが―――

 

「くそ、閃光弾か!」

 

 突如、閃光が店内に溢れ出し、サクモは視覚を奪われる。予期せぬ衝撃に完全に不意を突かれ、サクモは身動きが取れなかった。光に覆われた世界の中、アカリからの攻撃に備えて、サクモは頭部を防御するが―――何もない。視覚が戻ったのち、その場にアカリの姿は忽然と消えていた。

 サクモは掌を見つめて、己の無傷を確認する。体内のチャクラを調べ、狂った箇所がないかどうかも確認した。幻術に掛けられているわけでもない、本当に何もない。これならばすぐに後を追うことが出来るだろう。サクモはある確信と共にチャクラを練り上げて、アカリを探知する。

 燃え上がる様に炎のように熱いチャクラは、すでに里を飛び出していた。サクモは知らないが、アカリは畳間との戦いの際に見せた肉体活性の術を発動している。それはサクモの探知に察知されることを引き換えに、凄まじいスピードをアカリに与えていた。

 

「大丈夫、サクモ!?」

「ああ、大丈夫。イナと綱手ちゃんは?」

「あたしたちも、大丈夫だけど……」

 

 遅れて視覚を取り戻したイナがサクモに駆け寄ってくる。心配そうなイナを手で制し、穏やかな表情で問いかける。ほっとしたように頷いたイナを見て、サクモはイナに背を向けた。

 

「なら、ここは任せるよ。ぼくはアカリを追う」

「ちょっと!」

 

 イナの制止も聞かず、サクモもまた、茶屋から飛び出すように駆けだした。

 結局、似た者班員たちかと、イナは思う。

 きっとここに居ればサクモと同じように飛び出していっただろう、もう一人の幼馴染を含めた彼ら三人の無事を祈り、イナはそっと目を伏せた。

 

 

 静けさの中に一つだけ響く滝の音。水は飛沫をあげて流れ落ち、途絶えることも無く。荒々しい自然の美しさは永遠であり、留まることなく流れゆく水は無常を抱かせる。

 

 終末の谷。

 かつて初代火影・千手柱間と、うちはマダラが最後に戦った場所。火の国の国境に位置するそこには、火の国を守るように立つ千手柱間の像と、相対するうちはマダラの像が祀られている。川を挟んで対峙する二対の像は、青い空の下で、かつてあった戦いの始まりと終わりを伝えていた。

 

「きっと、ここを通ると思っていた」

 

 うちはマダラの像の上で、銀色の髪が風に揺れる。

 

「やはりそなたは速いな、サクモ」

 

 千手柱間の像の上で、艶やかな黒髪が風に躍った。


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