薄暗い森の中、畳間は太い木の幹を蹴りつけて、木から木へと飛び駆ける。空を走り抜ける畳間の死角から、木製のクナイが迫りくる。空中で反転した畳間は握りしめた木刀でクナイを弾き飛ばしたものの、体勢を崩し、地面へと落下していく。しかし―――地面に叩きつけられる直前で体勢を立て直した畳間は、危なげなく着地し、素早く木の根の隙間へと身を隠した。
「やはり武器術と感知力ではサクモが上のままか」
ふぅ、と一息ついて、畳間は再び駆け出した。
現在畳間たちは、森全体を使った模擬戦を繰り広げている。各自、戦いの準備をするために散開し、一定時間が過ぎればスタートを切り、捕縛されるか降参するか、あるいは戦闘不能になれば負けというルールである。
戦いが始まって早々、畳間はサクモの襲撃を受けた。今回は上手に隠れられたと自負していた畳間は、驚きに取り乱し反撃のチャンスを失ってしまい、逃げの一手を決め込んでいた。隠れても隠れても、逃げても逃げても、サクモは執拗に畳間を狙った。
千手畳間は膨大なチャクラを持つ『うずまき』という一族の血を引いている。また、名実ともに忍界最強となった『千手』の直系であるから、その潜在チャクラ量は計り知れない。同年代において、畳間のチャクラ量を超える者など存在せず、5つある忍び里で最強と謳われる木の葉の里の全忍においても、畳間のチャクラ量を越える者はそう多くはない。だからこそ、『感知タイプ』と呼ばれる、チャクラを察知・探索することに長けている者――すなわちはたけサクモには、畳間の位置は丸わかりであった。
イナは漁夫の利を得ようと木陰にじっと潜み、他2人を感知している。隠遁に徹したイナを探知・発見することは、畳間はもちろん、サクモであっても不可能である。
もともと『山中』という一族が『感知』と『隠遁』を得意としている一族だと言うこともあり、技術的に成熟するであろう未来でならばいざしらず、現在の未熟なサクモ少年では、いくら才能があろうとも、イナの消息を辿ることはできなかった。
また、山中の血統に伝わる秘伝忍術の習得と運用において、『感知』と『隠遁』は必要不可欠な要素である。山中一族の子供は何よりもまずそれらを徹底的に叩き込まれるのだ。血筋ゆえの才能に依るだけでなく、努力を伴った技術―――『感知』と『隠遁』におけるイナの技量は、他二人の遥か先にある。
だからこそ―――サクモは畳間を先に始末することを選んだ。
イナは確かに他2人に比べて圧倒的なまでに隠遁が優れているが、反面、その修行の偏りにより、他の要素―――とりわけ体術における実力は、術に重きを置いている畳間はともかくとして、サクモには数段劣る。
イナとサクモが肉弾戦になれば確実にサクモに軍配が上がり、それは忍術合戦においても同じことである。サクモにとって唯一警戒すべき点は山中の秘伝忍術『心転身の術』だ。他者の精神を制御し肉体を乗っ取るというその術は、感知タイプであれば見破るのが比較的容易い『幻術』や『変化の術』よりも余程タチが悪い、かなり凶悪なものであると、サクモは認識している。少なくとも敵に回したい術ではない。しかし山中の秘伝忍術はその効果の有用さ故なのか、術の発動までに少し時間がかかる。また、失敗した際の隙がとてつもなく大きいという弱点がある。
いくら隠遁が上手いイナと言えども、忍術を使うときにまで隠遁を続けることは不可能である。術を発動しようとすれば確実にサクモの感知に引っかかる。そして、事前に察知することが可能ならば、モーションの大きい心転身の術を避けることなど、サクモにとって容易いことだ。つまり、感知タイプであるサクモにとって、イナは隠れるのが上手な少女でしかない。よほどの隙を見せなければ、対イナ戦において、サクモに負けはないのである。
元々、敵の動きを縛る秘伝忍術を持つ『奈良一族』との連携を持って繁栄してきた一族であるから、個人戦に不向きな術であることは否めない。
一方―――単刀直入に言えば、畳間にとっては最も危険視するべきはイナである。
サクモが相手ならば、そのチャクラ量と粘り強さを武器に怒涛の攻撃を仕掛ければいい。サクモと畳間がぶつかれば、最終的には肉弾戦に移行することは必然であり、畳間はどれだけ早く忍術の攻撃範囲にサクモを入れられるか、サクモはそうなる前にどれだけ畳間のスタミナを削れるかという勝負である。最近はサクモに負け越してはいるが、畳間の無尽蔵と言えるほど莫大なチャクラが切れるということは早々無いことであり、畳間に若干の分がある。
つまり―――その莫大なチャクラ量がゆえに、他人を感知するという細かい芸当が苦手な畳間にとってしてみれば、イナの隠遁こそが恐ろしい。その技術を駆使した遠距離からの秘伝忍術は、感知タイプではない畳間には躱すすべがない。サクモに勝った隙を突かれたのは一度や二度ではなく、しかしイナを警戒するとサクモにしてやられるという悪循環である。これが属性変化を伴うものならば空気の流れ、臭い、音など察知できるのでその限りではないのだが―――と、畳間はイナに負けるたびに歯噛みする。
畳間は相性で負けるイナを眠らせたく、サクモは敗北の可能性が大きい畳間を始末したく、イナは畳間とサクモをぶつけて消耗させたい。
「仕方ない、これじゃジリ貧だ。とっておき、見せるか」
見事な三竦みは、しかし、昨日までだ。数多の敗北を経た畳間は、この三竦みを終わらせるに足る決定的な武器を手に入れたのだ。だからこそ満を持して2人をこの森に誘ったのだから。
「水遁、水陣壁!」
走る畳間はその最中に印を結ぶと飛び上がりながら振り返り、水遁の術を発動した。
窄めた畳間の口から吐き出された凝縮された水は、地面に当たると重力を無視して上空へ勢いよく駆け登る。畳間はそのまま首を回し、周囲に水の壁が作り出された。出来上がった水の壁は畳間の背後から迫っていたサクモのクナイを弾き飛ばし、身を隠しながら様子を伺っているイナ、サクモの視界から、畳間の姿が一瞬、消えた。畳間はその隙に素早く印を結ぶ。
亥、戌、酉、申―――。
★
薄れゆく意識の中で、サクモは驚愕に染まっていた。なにが起きたのか、サクモには分からなかった。狩る者と狩られる者という立場が逆転していたということが信じられない。いつのまに感知タイプとしての能力を開花させたのか―――クナイを放った直後にその場を離れ身を隠し、術をぶつける機会を狙っていたサクモを、畳間は呆気なく見つけてしまった。いや、サクモには本当に畳間に発見されたのかも分からない。何時も通り鬼ごっこに痺れを切らし、チャクラ量にものを言わせて水遁の術をそこかしこに放ち始めたときは、やっとかと思っただけだった。 結局のところ、このような千日手になった場合、感知を苦手とする畳間は、現状で己の才能をもっとも生かせる戦術を取るしかないのだから。それはつまり、影分身による物量作戦である。
上手くサクモを飲み込むときがあれば、隙を突かれて畳間が負けることもあった。
しかし連戦を経てその物量作戦対策を身に着けたサクモは、三人の中でもっとも勝ち越している。今回も、サクモは勝つつもりで臨んでいたし、勝てるとも思っていた。
油断した。畳間が手当たり次第といったふうに、全く別の方向へ術を放っている中、突如現れた実体を持つ複数の分身―――すなわち影分身がサクモ目掛けて巨大な水龍を差し向けたのだ。いつのまにか、サクモの逃走ルートには土遁による障壁が建てられ、障壁がない場所には複数の畳間が待ち構えていたのである。
悔しくないと言えば嘘になるが、サクモは新しい戦術を開発してきた友にワクワクとした気持ちを隠しきれない。
―――なんで場所が分かったのかとか、教えてくれるかな……。
次への戦いに思いを馳せながら、サクモの意識は闇へ沈んだ。
★
水龍弾の術に飲み込まれたサクモを視認しながら、イナは不味いなと思った。今までと同じであったならば、この時点でイナの勝ちは決まったようなものである。幻術、分身を駆使して誘導し、秘伝・心転身の術で体を乗っ取れば良かったのだから。確かに、今もその手法を駆使すれば、イナは畳間を下せるだろうが、しかし、より一層慎重にならざるを得ない。
「やっぱり、そうじゃないかと思ってたのよね。負けず嫌いのアンタが、今までのままで終わるわけないって」
最初こそ、その圧倒的物量で文字通り他2人を圧倒していた畳間は、イナが隠遁を、サクモが策を身に着け始めてからは、負け越すことが多くなっていた。大叔父であり、火影の相談役・千手扉間に正式に弟子入りし、火影直轄の護衛隊に所属する猿飛ヒルゼンの弟弟子となったことをイナは知っていたが、確実に勝てるようになるまで、これほどの『鋭さ』を持つ術を隠していられるほど器用だとは思っていなかった。
今までの畳間は、土遁・土流の術、水遁・水陣の術、火遁・火球の術など基礎的な術ながらも、チャクラ量にものを言わせた桁違いの攻撃範囲を誇る技を繰り出していたのだ。しかし今、指向性を持ったキレのある術を使いこなしている。これほど急激な速度で多くの技を覚え、強くなるなどあるだろうか―――となれば、師・扉間のアドバイスを受けて、ずっと隠していたのだろうとイナは考えた。
しかしこれは―――と、のびているサクモの方へイナは視線を向ける。畳間は優しい少年だ。火影の孫でありながら威張らず、イナ本人ですら辟易している己の涙脆さを個性と慮っている。己の悪いところを優しく指摘しつつたまに鋭いことを言うサクモの優しさとはまた違った、畳間の大らかな優しさがイナは好きだった。しかし―――
「じ、実は相当溜まってたのかしら……」
はっきり言って、土流壁による障壁と、影分身による包囲網を完成させた時点で、サクモに勝機はなかった。降参を促すなど、本来の畳間ならば取っていたであろう処置をせず、徹底的に叩きのめしたところに、日頃の連敗により積み重なっていた鬱憤の程度が見て取れる。
「わたしも『ああ』なるのかな」
それはちょっと―――と、水溜りで白目を向いて倒れている水浸しのサクモを見て、口の端が引きつるイナである。
そして影分身を大量に生み出して森を埋め尽くそうとしている畳間を見て、イナは両手をあげて投降することを決めるのだった。
★
「これ大丈夫なの? 白目向いてるわよ」
「いや……、どうかな」
降参、と間延びした声で現れたイナを迎え入れた畳間は、白目を向いているサクモの回収に向かった。依然、泥まみれで転がっているサクモを哀れそうに見つめるイナに対し、畳間は冷汗を流す。勢い余った己のやり過ぎを自覚していたのである。
濡れているサクモが風邪をひかない様にと、火遁の術で火を付けた焚火の傍にサクモを横たえた2人は、泥にまみれたサクモの哀れな姿をまじまじと見つめていた。
「ま、いいわ」
んぐんぐと水筒の水を飲み干したイナが、ぷはっと一息ついた後、興味なさげにサクモから視線を外す。なにがいいのだろうかと、畳間はリンゴをかじりながら思った。
「ね、畳間。アンタ、いつの間にこんなたくさんの術を覚えたのよ」
「ああ、最近だ」
「最近? 嘘、だって何回も演習してるけど、こんなにたくさんの術、使わなかったじゃない?」
「秘密だ、秘密。忍者は秘密が多いからね」
「そう。でも、あたしに秘密にしてもあんまり意味ないわよね。ね、誰にも言わないから、教えてよ。じゃないと~!」
「やめろって! 分かったから!」
山中一族は人の精神に作用する術を得意とする。人の心を盗み見る類の術もあると、畳間は知っていた。イナは仲間にそんなことをするような子供ではないが、畳間に限って言えば違う。祖父に甘やかされて愛と余裕に溢れ、また、転生者としての精神の熟成度のせいで、畳間は子供を甘やかす癖がある。それは大人としての寛容さであるが、同年代の子供たちの目には、計り知れない器として映るのだ。
よって畳間はイナを甘やかし、イナもまた許される範囲で甘える傾向があり、度が過ぎるとサクモがお叱りをするという構図が出来上がっていた。結局、そのタネを吐くことになってしまった。
「あとさ、サクモの場所を探知したタネ、あれ、口寄せ動物でしょ?」
畳間の心臓が跳ね上がる。しばらくはばれない様にして、戦術の幅を増やそうと思っていたからだ。こうもあっけなくバレるとは、山中の感知術恐るべしと畳間は唸った。
「大丈夫、サクモには黙っとくわよ」
笑うイナに、畳間はため息を降ろした。
「なんで―――」
「自然エネルギー、っていうのかな。動物的というか、チャクラの種類が増えたからさ。口寄せの術は知ってたし」
なんで分かったのか―――そう尋ねるようとして、言葉を被せられた。肩すかしを喰らった畳間は、所在無さげにもごもごと口を動かす。気恥ずかしげに口をもごもごさせる畳間を指さして、イナは笑う。
顔を赤くした畳間はさっと立ち上がった。
「あのなぁ!」
「え―――?」
「え!?」
恥ずかしげに怒る畳間に、突如として顔色を悪くしたイナ。その眼球がせわしなく揺れる。恐怖に耐えるようなその姿に、畳間は焦りを覚えた。
「すま――」
「違うの。これは……嘘……」
「どうした、イナ」
謝ろうとする畳間を遮って、イナは肩を震わせた。尋常でないイナの様子に、畳間は心配になり、イナの肩を抱くように腕を回した。畳間の瞳を、震えるイナの瞳が射抜く。
「―――敵、だと思うよ。それも、かなり強い」
「サクモ、いつから……」
気絶していたサクモが起き上がっている。頭を数度揺らすと、自分の頭を掌で軽く叩く。
「たった今だよ。不気味なチャクラがかなりの速さでこちらを目指しているみたい」
「逃げなきゃ! この感じ、私たちよりずっと強い」
イナは叫ぶが、サクモは首を振る。
「3人で逃げてちゃ間に合わないよ。分かるでしょ。かなり近くまで来てたみたいだ―――戦うしかない」
「あ……」
諦めたような表情のサクモに、怯えを隠しきれていないイナ。感知できずとも、自分たちが危険な状況にあるということを畳間はなんとなく理解した。
「本当に敵なんだな?」
「だと思う。単なる迷子にしては動きが規則正しすぎる。間違いなく忍者だよ」
「しかも、殺気丸出しのおっかない奴よ」
「そうか、わかった。何とかする。2人はこの場から離れて」
畳間は立ち上がった。
近づいてくる化物染みたチャクラを肌で感じている2人と違い、感知タイプではない畳間は実際のところ、今の危機を正しく理解しているとは言い難い。仮に理解していたとして恐怖を抱いたとしても―――それでも、友が怯えているのなら、畳間のすることは決まっている。
「でも……」
「イナは隠遁で撤退して増援を呼んできてくれ。サクモはイナの守りだ」
「畳間も一緒に行きましょう!」
「俺がいるとすぐに場所がばれるだろ?」
おかしなことを言う、と笑う畳間にイナは黙り込む。
「それに敵じゃないかもしれないだろ? 猟師とかな」
「そんなわけっ」
「それに俺は―――千手柱間の孫だ」
「―――分かった、行くよ。敵は6人、気を付けて」
「うぅ……絶対、大人を連れてくるわ」
「遅刻は無しだぜ」
畳間の表情を見て、サクモは沈痛な表情で立ち上がった。喚こうとするイナを威圧で押さえつけ、サクモはこの場から急いで離れ去る。
3人では逃げきれない―――そうサクモは言った。ならば1人が囮となれば逃げ切れるということか。サクモがあそこまで恐れるとは、よほどの手練れがこちらを目指しているのだろう。
1人、しんとした世界で、ふいに木の葉が揺れる。
「火影かと思って来てみれば、まだ子供ではないか」
―――来た。
特徴のある、鼻にかかったような低い声―――長身の男だった。黒と灰色を基調とした装束に身を包み、顔の半分をマスクで隠している。見るからに怪しい。しかし何者か―――など、すぐに分かった。
「その額当て、滝隠れの忍か」
「そういうお前は……火影の縁者かね。チャクラが似ているものだから、間違えてしまったようだな」
申し訳ないと、部下らしき男が口にする。構わんともと、長身の男が答えた。
「俺は千手柱間の直系だ」
「ほう。ならば火影に会わせてくれるかな? 木の葉を観光したいのだよ」
「6人小隊まで組んで、こんな森の中から木の葉をひそひそと観光か? 今、増援を呼んでいる。木の葉の大人たちの前で、もう一度その言葉を言うんだな」
最後の言葉に、男の雰囲気が変わる。畳間は巨大なチャクラの圧力に一歩後ずさった。
「角都様、今派手に動くわけには!」
男―――角都の気配の変化を察して、木の上から忍が下りて来た。ざわっと、未だ隠れている4人の忍の気配が動く。畳間に察することはできないが、隠れている4人の忍は今、角都を止めようとした男を案じていたのである。
彼に不幸があるとすれば、若かったということだ。若くして実力があり、今回の任務に抜擢された。まだ若いながら、万全の状態であれば猿飛ヒルゼンの足止めくらいは出来ただろう。だからこそ、初めて一緒に任務を共にする角都のことを見誤った。キレ易いと言っても、まさか仲間を殺すことは無いだろう、と。それは全く持って正論であり、ゆえに先達の言葉を聞かなかった若さこそが彼の不幸であり『底』であったのだ。
肉片が飛び散り、真っ赤な花火は戦いの始まりを示した。
申し訳程度の転生者要素