綱手の兄貴は転生者   作:ポルポル

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いつの日にか

 木の葉隠れの里の、ある広場。空には月が昇り、人の気配はない。

 長椅子に座っていた畳間は松葉杖を支えに、ゆっくりと立ち上がった。先の戦いの負傷は未だ完治しておらず、畳間の体中、至る所に包帯が巻きつけられている。畳間は痛む足を庇いつつ、覚束ない足取りで歩きだした。

 

「二代目様の葬儀、終わったよ……」

「そうか……」

 

 暗がりの中、突然背後から掛けられた声に、畳間は振り返ることなく答えた。振り返らずとも分かる。その透き通るような声は、山中イナのもの。久方ぶりの再会からずっと、二人の間には、別れの時のような甘い雰囲気はない。

 畳間はずっと、遠い空を見つめている。黒い礼服に身を包んだイナは、自分の胸の前に手を重ねると、哀しそうに瞳を伏せた。畳間がじっと見つめる先にあるものが何なのかを、気づいてしまったからだ。

 

「三代目には、ヒルゼンさんが就任することになるって」

「当然だな。今の木ノ葉に、あの人以上の忍びはいない」

 

 イナの言葉に、畳間は名残惜しげな雰囲気で振り返る。

 畳間は扉間の亡骸を発見し連れ帰った功績を、猿飛ヒルゼンに譲った。畳間にとってその功績は何の意味も無いものであったし、畳間の帰還を察知して、いち早く現れたミトから里内の現状の報告をされたからである。この功績を以て反対派を黙らせたダンゾウとヒルゼンは、三代目火影の就任を内定させた。つまり、ヒルゼンが存命のうちは、畳間が火影になることは無くなったということだ。

 

 畳間は未だ火影と言うものに憧れているが、かつてのように渇望しているわけでは無い。ヒルゼンの三代目就任は扉間が下した最後の命令であったし、畳間本人も、ヒルゼン以上の忍びはいないと考えていた。だから火影という座に関しては、畳間は思うところは特にない。ただ―――。

 

「一つ、顔岩が増えるな」 

 

 初代火影・千手柱間と、二代目火影・千手扉間の顔岩を再び見つめた畳間の言葉は、独白のようだった。答えを求めていない、確認作業。

 顔岩が一つ増えるということは、一つの時代が終わったということだ。初代火影・千手柱間がそうであったように、二代目火影千手扉間もまた、過去の存在へと移り変わっていく。それはとても■しいことではないか。

 

 ―――今の子供は、千手柱間を知らない。

 

 少なくとも畳間の弟である千手縄樹は、柱間との面識はない。畳間が焦がれた最高の英雄も、いつか、人の記憶から忘れられる時が来る。

 畳間が弟である縄樹に、柱間の英雄伝を執拗に読み聞かせていたのは、柱間と言う英雄がいたことを、忘れさせないためだったのかもしれない。けれどもどれだけ抗おうとも、人は時の流れに打ち勝つことは出来ない。どれだけ強くなろうとも、どれだけ死に抗おうとも、いずれ歴史に呑まれ、消えていく。

 

 だというのに、人は人を憎しみ、殺し合い、ただでさえ短い人生を奪い合う。千手柱間はそんな人の性質に真っ向から立ち向かった男。だからこそ人は彼を慕う。千手柱間と言う英雄を信じた人々は、彼が夢を託した千手畳間という後継者を信じるだろう。

 けれど、千手畳間と言う人間の本質は、千手柱間が戦った『憎しみ』そのもの。仇敵を殺したいという願いを、時代を越えてまで叶えようとした憎悪の塊こそが、千手畳間の起源である。

 

 己の器が憎しみで作られたものだと認めることが出来る者などいるものか。仲間を守る千の手とは笑わせる。その仲間を殺すために生まれて来たのが、この身であると言うのに―――自嘲した畳間は、だからイズナの心を無かったことにし、封印した。己の心を切り取った畳間の苦悩は、想像を絶する辛苦の中に在った。

 

 ―――人の生は苦しみしかない、無意味なものだ。

 

 囮役に名乗りをあげたのも、高尚な理由からでは無い。生き地獄の中をこのまま進むより、英雄たちを守った男として死ぬことが、畳間にとって救いだったからだ。格好良く死ぬことで歴史に名を残し、己の因縁を断ち切ろうとした。

 だがそれは、思い通りにならないことに悲観した子供の癇癪でしかなかったことを、畳間は知る。

 

 ―――里を慕い、貴様を信じる者を守れ。そして育てるのだ。次代を託すことの出来る者を。

 

 扉間の言葉が、畳間の心を震わせた。

 それが死を目前にした忍びの言葉だと、誰が信じるだろう。その言葉のどこに、恨み、苦しみ、憎しみがあるというのだろう。

 その言葉に宿るのは、己が去った後の子供たちの未来を案じ、己の跡を進む者たちを慈しむ、温かな心。

 

 その意志は畳間を照らし、また一つ、木の葉が芽吹く―――。

 

 目指すべき頂は遠く、果てしない。待ち受ける苦難は想像を絶するものだろう。だというのに、畳間に根差す憎しみと言う本質は決して、この先も変わることは無い。畳間はどす黒い炎の揺らめきに晒され続け、道を踏み外すかもしれない”いつかのとき”に怯え続けることになる。いっそ逃げ出したとしても、その苦難を想えば、誰も責めることは出来まい。

 

 だが、畳間は決めた。その生き様を受け継ぎたいと願った。

 千手柱間が畳間に遺した愛を、千手扉間が遺した絆を―――連綿と受け継がれてきた意志を、決して絶やさない。

 

 きっと、不出来な弟子を助けに来たのだろう。致命傷を負ったその身でなおも、彼は”里の未来”を守ろうとした。壮絶な最期を遂げた千手扉間の亡骸を目にしたとき、やはり畳間の中には激しい憎悪が湧き上った。そのぼろぼろの肉体のまま引き返し、雲隠れを襲撃しようかという考えも過ぎった。

 

 だが―――死してなお忍の道を貫いた扉間の生き様を、畳間は理解している。扉間が守ろうとしたものは、畳間たちが生きる、”未来”そのもの。酒の味を覚え、女を知り、子供を儲け、そして次代を託す―――かつて多くの忍びたちが得られなかった、人としての営みだ。

 畳間が戦うべき相手は、うちはイズナの憎しみでは無い。残酷な醜い現実でもない。憎しみに取りつかれ、己を捨てようとした、自分自身の弱い心。

 

 畳間は、心配そうにこちらを伺うイナを見た。

 畳間は思う。この可憐な少女にも、たくさんの苦労を掛けて来た。気づかなかったが、あの泣き虫だった少女が、いつのまにか、女らしくなっていた。その気持ちに応えることは吝かではないが、今はまだ―――。

 

「ねぇ、お葬式でなくても良かったの……?」

「ああ……。別れはもう、済ませてある」

 

『―――畳間。そこは―――”おっちゃん”で良い』

 

 あの森で交わした言葉には、二人の想いのすべてが籠っていた。二人の間に、あれ以上の言葉は必要ない。

 

「次に”会う”ときは、俺の役目を終えたときだ」

 

 転生という超常の業を経ても、死後の世界というものがあるかはわからない。もしかすると今も尚、扉間は畳間を見守っているかもしれない。けれども畳間は今、扉間に合わせる顔は無いと思っている。

 いつか本当の意味で大人になって、火の意志を次代に託す者になってから、ゆっくりと会いに行きたい。柱間や扉間、偉大な先人を越えられる日が来るかはわからない。けれども胸を張って、あの大きな背に並べるような、大きな男になった、そのときに―――。

 

「ふふ……それなら、施設からやり直したほうがいいんじゃない? 木ノ葉の掟、あんた全部言えるの?」

「……お前はどうなんだ」

「そりゃ、言えるに決まってるでしょ。あんたまさか……」

 

 おどけたように言うイナに、畳間はむすっとした顔つきで答える。自分が座学を不得手としていることは自覚しているが、掟ほどの基礎的なことまで覚えていないと思われるのは心外である。

 

「俺だって言えるに決まってるだろ」

「もう、冗談よ。でも……そうね。これから、寂しくなるわね……」

 

 ―――寂しい。

 

 心臓が大きく跳ねた。その言葉は、師を失い、心に空いた大きな穴の中に、すっぽりと入り込んでしまった。まるで閉ざされていた鍵が開いたかのように、数々の想い出が湯水のごとく溢れ出し、そして走馬灯のように流れゆく。

 畳間は俯いて、イナから顔を隠した。

 

「し……」

 

 畳間の唇がわななく。やはり忍びの道の頂は、まだまだ遠そうである。

 

 かつて、畳間は柱間と共に脱走し、扉間に厳しく叱りつけられたことがあった。拳骨を落とされたこともある。そのときの鬼のような形相は忘れることが出来ない。修行と言う名の拷問漬けの日々は、一生消えないトラウマだ。何度死に掛けたかも分からない。突如として現れる扉間を警戒して、いつも逃げようとしては、捕まった。なにもかもが騒がしい、振り回される毎日だった。

 

 扉間と共に、遊んだことがあった。厳しい修行の後には温泉へ連れて行ってもらい、旨い飯を食わせて貰ったこともある。ここの魚が旨いのだと、木ノ葉隠れに在る清い河川で取れた魚を肴に、焚火を囲んだことがあった。秘密の場所だと笑った扉間の笑みは、やっぱり若干怖かったような気がする。けれども二人で新鮮な焼き魚を頬張った時の想い出を、畳間は決して忘れない。

 

「―――忍の掟、第二十五項! 忍びはどのような状況においても感情を表に出すべからず! な、なにご、なにごとにも! 涙を見せぬ心を持つべし!」

「畳間……」

 

 厳格怜悧と謳われた二代目火影が定めた、木ノ葉隠れの里における、忍びの掟。

 木ノ葉隠れの忍びはこの掟を遵守することを義務付けられており、破った者は厳罰を科せられた。それは畳間とて例外では無かった。

 扉間は厳格で知られ、掟の体現者とも言うべき男。畳間は弟子として、忍び掟のすべてを叩き込まれて来た。先ほどイナに返した言葉に嘘は無く、座学が苦手な畳間も、忍びの掟だけは諳んじることが出来る。それは扉間が、術や体術よりも、その心構えを重要視していたからだ。裏切りや殺し合いが平然と行われる世界であるからこそ、唯一定められた掟だけは、命に代えても守らねばならない。

 故に―――忍びの世界において、掟を守らない者は屑呼ばわりされる。扉間は努めて、畳間にそれを言い聞かせて来たのである。

 

 苦しいことがたくさんあった。辛いことも数えきれないほどあった。けれどもあの騒がしい日々はそれ以上に―――。

 

 ―――最後まであなたの教えを守れなかった不出来な弟子を、どうか赦して欲しい。

 

「雨、降って来たね……」

 

 目頭を押さえ、必死に息を殺しながら肩を震わせる畳間に、イナはそっと、背を向けた。

 

 

 木ノ葉隠れの里の、とある病院。松葉杖を頼りに、ぎこちない動作で、畳間は人気のない廊下を歩いていた。立ち止まり、壁に掛かる名札を見る。見慣れた名に、畳間は一度ノックをすると、扉を開いた。

 

「よお、調子はどうだ、ダイ」

 

 部屋に入ると、包帯でぐるぐる巻きにされている男が、ベッドに横たわっている。畳間はぎこちない動作で松葉杖を壁に立てかけて近場の椅子に座ると、ダイに笑いかけた。

 マイト・ダイは、畳間が意識を取り戻したとき、なぜか畳間並の重傷を負って、扉間の亡骸の傍で横たわっていた。扉間の最後について知っているかもしれないと期待を抱いた畳間だったが、当の本人であるダイはと言えば―――。

 

「それが、まだ何も思い出せんのだ。とてつもなく恐ろしいモノと戦ったような、戦ってないような……」

 

 ダイは目線だけを畳間に向けて申し訳なさそうに答えた。首はギプスで固定され、動かすことが出来ないからだ。

 意識を取り戻したダイは、当時の記憶を失っていた。

 八門遁甲は禁術に指定されており、実際に使用者の体を蝕む危険な術である。記憶を失うという副作用やダメージを発生させることも、あるのかもしれない。畳間は扉間の最後を人伝でも知ることが出来ればと思ったのだが、そう上手くはいかないようだ。少しばかりの落胆を隠しつつ、畳間は一つの可能性を提示する。

 

「その恐ろしいものと言うのは、角都ではないのか? 俺があいつを仕留めきれず、お前が代わりに止めを刺した、とか」

「とはいわれても、角都というのが誰かも分からんからな」

「そうだな……簡単に言えば、黒い触手を操る忍びだ」

「……だめだ、わからん。思い出せん。二代目様がいたような、いなかったような。むーん」

「お前の体は自壊による損傷が多い。八門遁甲を使ったのは間違いなさそうだが……八門の後遺症なのかもしれないな。ダイ、俺は専門の医師に診て貰った方がいいと思うが……」

「そ、それは困る! 我が家の経済を圧迫させるわけにはいかん!」

「こういう言い方はあまり好きではないが、千手の名があれば、たいていのことは出来る。俺が面倒を見てもいい」

「友にそんなことを頼むわけにはいかん! この入院代も、退院した暁には働いて返すつもりだ!」

 

 鼻息荒いダイに、畳間は肩を竦める。

 

(筋を通す熱い男だと思っていたが、これほどとはな……これ以上の節介は、ダイの矜持に触れる、か)

 

「分かったよ、ダイ。しかし、八門遁甲。危険な技なのは承知だったが、まさか記憶の欠落とはな……。ダイ、俺が伝えた技だが、あまり使ってくれるなよ」

「大丈夫だ。俺は俺の忍道を命掛けで守るとき以外に、八門遁甲は使わない。自分ルールだ」

「自分ルールか……。そこまで徹底せずとも良いと思うが……。まあ使うにしても、開門程度に抑えておいた方が無難だろう」

 

 第一・開門。スタミナの消費が激しいものの、身体機能の向上を術者に与える肉体強化である。それは肉体の傷や怪我の回復にも効果があり、畳間は意識を取り戻したあと、八門遁甲に於ける第一の門を開きっぱなしで放置し、肉体の回復と再生にチャクラを集中し続けた。

 結果―――千手一族とうずまき一族の血筋は伊達ではなかったようで、体中の損傷は回復の兆しを見せており、手足の骨折は動かせば激痛が走るものの、歩けないほどではない。ぎこちなくも立ち上がれるようになったとき、畳間はダイと扉間の亡骸を連れて、飛雷神の術を用い、木ノ葉隠れの里へ帰還した。飛んだ先は千手邸。いたのは、祖母ミトである。

 畳間の帰還を喜んだミトは、同時に二代目代行としての責務を果たした。ヒルゼンを呼び出し、二代目扉間の亡骸を渡すと、その功績を持って三代目火影に成れと、強く言い放った。ヒルゼンは戸惑いながらもその命を受け、三代目火影・猿飛ヒルゼンが決定する。

 一方、病み中の体で飛雷神という超高等忍術を使った反動から再び意識を失った畳間は、ミトの手によって木ノ葉の大病院へと入院させられた。そのついでという形で、マイト・ダイもまた、入院する運びとなったのである。

 しかし、畳間が歩ける程度には回復していたのに対して、ダイは未だ意識の戻らない重体。一般病棟に寝かしつけられた畳間と違い、ダイは緊急病棟に叩き込まれ、最近になってようやく、面会が可能となったのである。

 

「まあ、なんだ。綱に、見舞いに来るように言っておく。あいつは俺と違って医療忍術に詳しい。下忍の身だが、あいつの術は並の医師を遥かに超える。回復の役に立つはずだ」

「綱手ちゃんか! 久しぶりに会うな!」

 

 畳間は医療忍術に関してはからっきしである。一度、ミトの指導のもとに魚の死体を利用した適正実験をしたことがあるが、一瞬で魚をユッケに変貌させている。人間の体に置き換えて想像すると恐ろしいことこのうえなく、畳間の掌仙術の修行は、満場一致で見送られることになった。もしもダイの体に畳間が掌仙術をかけた場合、ダイの体ははじけ飛ぶかもしれない。

 

「さて、そろそろ、俺は戻るよ」

「おお、もうそんな時間か! 是非また来て欲しい!」

「もちろんだ。大事にな」

 

 話に没頭することしばらく。畳間は壁に立てかけていた松葉杖を抱え、席を立った。

 ダイは体を動かせない分、言葉で熱意を伝えようとしているらしい。いつもより喧しいが、それはそれで愉快な奴だと、畳間は思う。

 

 ダイの病室を出てしばらく。畳間は己の病室に戻る最中、窓の外に、見知った女の姿を目撃する。畳間がいるのは二階。病院を囲う塀の周りをぐるぐると回っている様子のその女は、畳間に存在に気づく様子はない。

 

「アカリか……。相変わらずわけのわからんことをしているな」

 

 病院の外をうろうろしているのは、うちはアカリである。ワンピースなどを着て、珍しい格好である。一見では深窓の令嬢といった格好だが、動作に気品が見られない。

 病院に入りたければ入ればいいのに、なにをしているのかと、畳間は訝しげな顔をした。畳間がしばらく見ていると、アカリは気落ちしたように肩を落とし、とぼとぼと病院から離れて行こうとしている。用があったのではないのかと、畳間は首を傾げる。

 そのすぐあと、帰ろうとしているアカリの前に、さらに見知った女が現れる。金の髪を揺らすのは、山中イナだ。涼しげな格好をしているが、いつもよりは大人しめな服装である。バスケットを腕に下げたイナは、通しませんとばかりに、アカリの前に仁王立ちをした。

 

「何をしているんだ、あいつらは……」

 

 呆れたような口調の畳間は、訝しげに眉根を寄せる。

 イナは人差し指を立てて、こんこんと何かを語っているようだ。言葉は聞こえないが、その様子はまるで、問題児にお説教する教師である。バスケットを持っていることから、誰かしらの見舞いに来ているのだろうが、二人がいるのは通り道である。

 案の定と言ったところで、イナは後ろから来た人に気づかず、全くの他人を通せんぼしてしまう形となった。それに気づいたイナは慌てた様子で振り向くと、ぺこぺこと頭を下げる。通りがかった人は最初こそ不機嫌そうな様子だったが、イナのあまりに腰の低い態度に雰囲気を和らげて、最後には困ったように笑い、去って行った。

 通りすがりの人が去った後、イナはふうとため息を吐いた様子で、額の汗を腕で拭った。そんなイナを指さして、アカリが腹を抱えた。イナの失態を笑っているのだろうか。相変わらず命知らずな奴だ。

 かちんと来たのか、イナがアカリの頭を叩く。聞こえはしないが、良い音がしたのだろうなと思うほど、スナップが聞いた動きだった。アカリは震えながら頭を押さえている。

 イナは少しやり過ぎたかと心配になったのか、屈んでアカリに話しかけているようだが、アカリは突然イナの頬に一発のビンタを喰らわせた。イナは一瞬呆けたように目線をぼやけさせたがすぐに回復し、アカリの頬を叩き返す。

 アカリがイナの頬をつまみ、イナがアカリの頬をつまむ。お互いに綺麗な笑みを浮かべ、けれども互いにつまみあった頬から、手を離そうとしない。まるで互いに頬を引っ張って、顔に取り返しのつかないダメージを受けないように、けん制し合っているかのようだ。

 

「見なかったことにするか」

 

 喧嘩するほど仲が良いと言うが、あの二人の距離感を、畳間はいまいち把握できていない。さわらぬ神に祟り無しとも言う。畳間は視線を背け、己の病室へと戻って行った。

 

 

 病室へ戻ってしばらく、見慣れた女が二人、病室を訪れた。うちはアカリと山中イナである。先ほどの光景を思い出さないようにしつつ、畳間は二人を自室へと招き入れた。イナとは数度会っているが、木ノ葉に帰還して後、アカリと会うのは初めてのことである。

 畳間が無事を報告し、アカリが瞳を潤わせて、どれほど心配したかを畳間にぶつける。畳間は素直にそれを謝罪し、ここぞとばかりに責め立てるイナにも、畳間は平に頭を下げた。

 特にイナからすれば、畳間が囮として残り戦った相手があの宿敵・角都だと聞いては、気が気では無かっただろう。かつて一度、畳間を殺した相手なのだから。

 一通りの話を終えて、三人は再会の感動を分かち合った。サクモがいないのが畳間としては残念だが、サクモとは別の時間に、サクモの病室で再会を果たしている。

 

 あるいは増えているようにも見えたが、そんなはずもあるまい―――治りきっていない傷に、畳間は改めて頭を下げた。サクモはその謝罪を受け取ると同時に、そこまで気にすることでは無いと畳間を落ち着かせた。実際、畳間がこさえた傷はだいたい治っており、サクモが今も入院している原因は、アカリのあれである。そんなことを知る由も無い畳間は、サクモに謝るしかない。サクモとしても、アカリの名誉のために真相を話す気はなく、ずれた二人の謝罪会はしばらく続いたのだ。

 

 それに比べれば、アカリとイナとの面会は、いつも通りと言えばいつも通りのやり取りである。アカリはやっと自分の眼で畳間の安全を認識できたことに深い安堵の息を漏らしているが、畳間は先ほど、奇妙な動きをするアカリを見てしまっているから、あまり感慨が沸かなかった。ただ少し奇妙だなとおもったのは―――。

 

「二人とも、どうした、それ」

 

 なぜか先ほど見かけたときには付けていなかった、マスクをつけているということである。

 

(あ、こりゃあ、やりあった(・・・・・)な)

 

 畳間が内心で事情を察するも、知らないふりをする。なんとなく面白そうだと思ったし、触れなければ触れないで不自然かと思ったからだ。

 

「風邪ひいちゃってさ。あんたに移しても悪いしね」

「私は風邪などと言う軟弱なものは引いていない。風邪をうつされないための予防だ」

 

 案の定と言ったところか、二人の反応は正反対。ともあれアカリは相変わらずアカリであることが分かってホッとする。

 

「―――馬鹿は風邪ひかないって言うものね」

 

 一つ、おやと思ったのは、イナが挑発に乗ったことだ。今までは少しの距離を見せていたが、真っ向勝負に応えるとは思わなかった。いったい自分がいない間に何があったのだと、畳間は少しばかりの疎外感を感じた。

 

「あれは風邪を引いても気づかないと言う意味だ。頭のいい奴は体調管理を怠らない故、風邪をひくことはない。私のように」

「は?」

「お?」

「おいおい、勘弁してくれよ」

「あ、あはは。すみません」

「申し訳ない」

 

 額を寄せ合って睨みあう二人は、その表情さえ見なければ、美しい少女の睦み合いのように見えなくもない。とはいえ畳間にそういった趣味は無いし、病室で騒がれても迷惑だ。冷めた様子で釘をさすと、二人とも気恥ずかしそうに距離を取り、頭に手をやった。

 おやと、畳間は思う。アカリが何の勿体ぶりも無く、謝罪してきたからだ。畳間の記憶では、アカリは謝ることが苦手な子供じみたところがあったはずだが、今のアカリに、その様子は見られない。

 とはいえ、別に問題があるわけでもなく、むしろ良い傾向だ。畳間はそれを流しつつ、世間話に花を咲かせた。しばらく話してふと思い出したことを、畳間は口にする。

 

「しかしサクモの奴、あんなに重傷だったとはな……」

 

 びくりと、アカリの体が跳ねる。イナが気まずげに目を泳がした。

 畳間はアカリとサクモが喧嘩したことを知らない。単に、自分が雲隠れへ出発する前に与えてしまった傷がそんなに酷いものだったのかと、自責の念に駆られているだけである。

 けれどもアカリとイナからすれば、気が気では無い。けれども、黙っていようと、いつかはばれることである。しばらくの沈黙の後、アカリは恐る恐るといったふうに口を開いた。

 

「その、だな。あれだ、友達ならよくあることというか……仕方がない、ことはないが、その……」

 

 要領を得ないアカリの様子に、畳間はアカリが何かしたのだとすぐに感づいた。分かりやすい女だと内心で笑いつつ、アカリの言い辛さを理解し、ならばそれ以上を聞こうとは思わなかった。畳間は手をかざしてアカリの言葉を遮る。

 

「言い辛いのなら言わなくていい。変なこと言って、すまなかったな」

 

 畳間の言葉に、アカリが口を歪める。畳間の所作に、自分のことを察したのだと理解したからである。けれども言葉を遮られたアカリは何となく負けた気になり、ふんと鼻を鳴らした。そして所在無さげに視線を泳がしながら、ぽつりと口を開く。

 

「サクモと喧嘩をした」

「そうか」

「それだけか?」

「それだけかって……二人が喧嘩して、仲直りしたってだけの話だろ? 俺とサクモもガキの頃はよくやった」

 

 アカリが驚いたように、畳間を見る。畳間に怒られるか、呆れられると思ったのだろう。けれども畳間は特に態度を変えることなく、アカリに笑いかけていた。そんな畳間を、イナは観察するように見つめている。

 

「仲直りしたって、なんで分かったの?」

 

 イナが口を挟む。畳間はイナが自分に探りをいれていることに気が付いたうえで、その言葉を口にする。

 

「サクモから憎しみを感じなかったからだ」

「そう……。畳間、あなたやっぱり……」

 

 イナが呟いた言葉を、畳間は聞き逃さなかった。そして同時に、確信する。やはり山中イナは、千手畳間を知っていたのだと。千手柱間が死んだとき、山中イナは千手畳間の心の中に入り込み、その深層心理を見た。

 

 ―――燃え上がる天の炎と、広がる大樹林。うちはの業火と、千手の愛。イナがあのとき見た三つの椅子は、一つは本体である畳間。もう一つはチャクラを注ぎ込んだ柱間のもの。そうしたら、もう一つは一体何か―――。頭の良いイナならば、少し考えれば分かっただろう。そして畳間の考えは、間違ったものでは無かった。

 

 山中イナは千手畳間の中に、別の何かが住み着いていることに気が付いていた。それがなにかは分からなかったし、気づけたのは偶然だったが、気づいてしまったからには、無視することが出来る女では無い。ずっと心配はしていたが―――畳間の言葉を聞いて、イナは畳間がその何かを乗り越えたのだということを理解する。

 

 決して作り物とは感じなかったし、畳間らしいと言えば畳間らしいのだが、以前の畳間は、年齢の割には幼すぎたように、イナは思っている。もともと悪戯好きだったが、いくらなんでも今の歳になってあれは無いと、実はずっと思っていたイナである。

 普段の無邪気さでは無く、時折見せる落ち着いた様子こそが千手畳間の本質であるとイナは信じていたが、ずっと、その確証を持つことは出来なかった。イナはそれが不安だった。けれども今、畳間の落ち着いた様子を見るに、自分の考えが間違いではなかったとイナは確信出来た。ほっと胸を撫で下ろしたイナの視線からは、探る様な色は消えていた。

 

 一方の畳間は己が人に恵まれていると改めて感じ、しみじみとその幸福を噛みしめた。イナもまた、畳間の本質を知って尚、信じ続けてくれた女であったのである。

 

「畳間……」

 

 畳間とイナの心の機微を知る由も無く、アカリが感動したように声を上ずらせた。

 

「では、畳間も私と喧嘩しようではないか!」

「えぇ゛?」

 

 心底嫌そうな表情だが、畳間はアカリの言いたいことを何となく察している。

 恐らくアカリは、はたけサクモと千手畳間の絆に憧れている。畳間と絆を強めたいアカリは、サクモと同じことをすればいいのだと考え付いた。そのための、喧嘩。

 だが気づいていないのか―――畳間とアカリが喧嘩した回数は、畳間とサクモが喧嘩した回数を遥かに超える。本人が今までのあれこれを喧嘩と認識していないのは、子供が親に甘えているような感覚だったからだろうが――― さすがに友達いない歴20年の女は格が違った。

 

「あ、でも、その前に……。畳間、今までごめんなさい」

 

 突然、マスクを外し、ぺこりと頭を下げたアカリに、畳間の脳はフリーズした。

 理解が追い付かない。思えば、再会してからずっと、アカリは畳間を名前で呼んでいた。変化の兆しはあったのだろう。ちらりと見れば、イナが可笑しそうに笑っている。アカリの雰囲気が変わった理由を知っているからだ。

 

「な、なにがだ?」

 

 恐る恐るといったふうに訊ねた畳間に、アカリは悪戯っぽく笑い、内緒だと笑った。

 今まで見たことの無い無邪気な笑顔。畳間の心臓が一つ、大きく跳ねた。

 

 

 

 ―――少年たちは痛みを知りながら、大人への階段を昇る。

 そして時は流れ、彼らはまた一つ年を重ねた。ひと時の平穏と安らぎは、彼らに温もりを宿した。けれどもそれは、忍びとして研ぎ澄まされた心を緩ませる甘い毒でしかないのか―――。

 過酷な歴史の波は、突如として、とある少女に牙をむく。

 そして訪れるのは……。

 

「アカリ、今回の中忍試験、俺が試験官をすることになったから」

「……え?」


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