綱手の兄貴は転生者   作:ポルポル

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知らぬ間に

 今回の中忍選抜試験は、三人一組(スリーマンセル)ごとに、受験票に記されている日時に、指定の場所へ向かい、受付を行う。

 アカリたちが指定された日時は、本日の午前10時。

 場所は懐かしき学び舎、忍者養成施設であった。

 

 

「あ……」

 

 綱手たちは忍者養成施設を囲う塀に添うように、施設の入り口である、正門へと向かっていた。正門の柱が見え始めたころ、その付近に佇む金髪の女性に気づいて、綱手は驚いたように息を漏らした。

 

 大蛇丸は良い。だが、ほとんど面識のなかったうちはアカリとの移動時間は、綱手にとって胃に悪い時間であった。

 イナの姿が救いの女神のように映ったのも無理はない。綱手は知らず、駆け足になっていた。

 

 困ったのが大蛇丸である。

 上手く影に徹し、綱手にアカリを押し付けていたのに、去られてはたまらない。

 けれども大蛇丸の不安は杞憂だったようで、綱手の後を追って、アカリもまた足早にイナの方へと向かった。

 

「イナさん! ……どうしたんですか、その格好」

 

 綱手はその立ち姿に、奇妙な違和感を抱く。

 イナは肌の露出が高い服装を好む女性であると、綱手は認識している。もちろん綱手は、イナのそれが、自身の肌やスタイルに自信があるが故のファッションであることを理解している。決して、露出すること自体を好む、妙な性的嗜好を持っている女だとは思っていない。

 

 今、イナが身に着けているのは、緑色のベストである。

 綱手はそれを知っていた。木ノ葉隠れの里の中忍以上の忍びにのみ配られる忍者服―――いうなればそれは、木ノ葉隠れの里の正装と言っても良いものだ。

 プライベートでしか会う機会が無い綱手にとって、イナの正装姿は新鮮な光景である。

 

「イナ、なんだその格好は」

 

 まじまじと、アカリが舐めるようにイナの体に視線を這わせている。アカリにとっても、イナの正装姿は新鮮なものであったようだ。

 

「さあねー」

「む……」

 

 気の無い返事を返したイナに、アカリは少し気分を害したようである。

 ぴくりと、片眉を動かした。

 

「い、イナさんはどうしてここに?」

 

 アカリの不機嫌そうな様子に、綱手が慌てたように声を挟む。

 敬愛する姉貴分であるイナと、兄に匹敵する……うちはアカリがぶつかるところなど、恐ろしくて見たいとも想わない。

 

「んー。そうね、この服を着なきゃいけないようなことしてるからよ」

「はっきりせんなぁ」

「ふふ、ならアカリ、当ててみて」

「焦らすような真似はよせというに」

 

 二人の関係をいまいち把握しきれず、綱手は不思議そうに小首を傾げた。

 先程の二人の空気は、綱手から見ると、一触即発、といった様子だった。けれども目の前の光景を見れば、そうではないということは明らかである。

 

「……んん?」

 

 悩まし気に唸っている綱手の隣で、大蛇丸がイナを見定めた。

 イナが小脇に挟んでいるクリップボードに目を向ける。

 

「―――試験官か」

「あら、察しが良いわね」

 

 アカリとの会話を切り上げたイナが、大蛇丸に微笑みを向ける。

 よくできましたとでも言い出しそうな保護者然とした雰囲気に、大蛇丸は不愉快そうに鼻を鳴らした。

 

「ふん、こんなところに任務服を着ている上忍がいて、その理由に思い当たらない方がおか―――」

 

 イナの言葉を冷たく斬り捨てようとした大蛇丸に、アカリと綱手の鋭い眼光が突き刺さる。片や姉貴分への無礼を咎め、片や言外に人を馬鹿にする言葉に怒りが乗せられていた。

 大蛇丸は言葉に詰まり、不愉快そうに舌打ちをして視線を逸らす。

 

「それであんたたち、ここに来たってことは中忍試験、受けるのよね?」

「無論だ。そのためにこの一カ月、お前にも修行の手伝いをしてもらったんじゃないか」

「そうだったわね……」

「……?」

 

 イナの言葉に、アカリが揚々と頷いた。一方、イナは沈んだ表情を浮かべている。

 アカリは、内心で首を傾げる。

 アカリが中忍試験を受けるとイナに相談したときから、イナはずっとアカリにひっついて修行を手伝い、応援してくれていた。この試験当日であっても、イナが変わらず激励の言葉を贈ってくれると想っていたアカリは、イナの態度が腑に落ちない。

 

「ねぇ、アカリ。悪いことは言わないから、今回は止めておいた方が―――」

「―――山中上忍、”失格者”です! 緊急手当てをお願いします!」

「分かりました! ごめんね、三人とも。ちょっと待ってて」

 

 校舎から聞こえて来た呼び声に返事をしたイナは、申し訳なさそうに手を合わせると、三人に背を向けて、校舎へ向けて駆けだした。イナの姿が、門の向こう側に消えていく。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……」

 

 イナが向かった方角、塀の向こう側から、まるで地獄の底から響いてくるかのような、低いうめき声が聞こえてくる。

 

「なんだ……?」

 

 恐る恐るといったふうに門から顔を覗かせた綱手が見たものは、担架に乗せられ、運び出されて来たらしい三名の人影。綱手の位置からでは里のマークは分からなかったが、三人とも額当てを付けている。どこかの里の、忍びであるらしい。

 三人が乗せられた担架はゆっくりと地面に降ろされ、その傍に駆け寄ったイナが伸ばした掌が光った。医療忍術の一つ、掌仙術である。どうやら怪我をしているのようだ。

 

 ここが試験の受付会場であるということと、先程聞こえた”失格者”と言う言葉からして、彼らは中忍試験に失格した者である可能性が高い。

 まさか試験は既に始まっていたのかと、綱手が少し焦りを抱き―――視界に映った光景に絶句する。

 

 イナが術を掛けている男には―――いや、担架に乗せられている者たちの体は皆一様に赤く染まり、”四肢の一部が”欠けていた。 

 

 

「―――待たせちゃってごめんね」

 

 掌仙術による手当を終わらせたイナが、綱手たちの下へと戻って来た。その手や頬には血痕らしく赤い液体が付着しており、生々しい色を晒している。

 

「イナさん、あの人たちは……?」

「見ちゃったんだ……。一応、止血はしたから死にはしないと思うけど……あたしは”引きちぎられた”腕を生やすような術は持ってないから、残念だけどあのまま―――」

「そうじゃなくて! なんで学校からあんな重傷者が出てくるんですか!」

 

 綱手の切実な叫びは、大蛇丸とアカリも抱いていた疑問である。かつての学び舎であり、これから試験を受ける場所から、四肢を欠損した血濡れの忍びが担架で運ばれて来れば、声も荒くなる。

 綱手の問いただすような口調に、イナは申し訳なさそうに目を伏せた。

 

「さっき、言いかけたことなんだけど……。”今回の試験は受けない方がいい”、っていうのね。さっきのことが、理由なの」

「……だから、どういう意味なんだ」

 

 顰め面で腕を組んでいたアカリが、しびれを切らしたように口を挟んだ。その言葉の端には、荒々しさが滲む。

 イナは一瞬ためらったように口ごもらせたが、観念したように、ぽつりと呟いた。

 

「今回の中忍試験……失格になった参加者は、四肢の一部を失うことになるの」

 

 先着順ですでに始まっていた、中忍試験。綱手たちより前にエントリーしていた他里の下忍たちが病院へ搬送されていく姿を、もう何組も見送った―――そう語るイナの声にはため息が混ざり、疲れた声は震えている。

 

「なんで、そんな物騒な……今までもそうだったんですか?」

「いや……」

 

綱手の疑問に、アカリが静かに首を振り、否定する。

 

「だとすれば、私は今ここにはいない。今までの中忍試験と違うことがあるとすれば……。イナ、まさかとは想うが、これは……」

「そう、畳間よ」

 

 イナは語る。

 この一年の間、多くの忍から命を狙われる日々を過ごしてきた畳間は、他里の戦力というものを実際に噛みしめることになった。大成した強力な忍びたちとの過酷な戦いの中で、畳間は考え付いてしまったのだ。敵戦力を、若いうちに潰すことを。

 そして中忍試験という絶好の機会を手に入れた畳間は、第一試験の内容を改竄し、より難しく鬼畜な問題へと変更。失格のペナルティとして、体の一部を奪い取った。腕だろうが脚だろうが、そうなってしまえば、忍びとして生きていくことは難しい。

 だが……。

 

「さすがに木ノ葉の下忍を手に掛けるようなことはしてないし、簡単な試験を割り当てているみたいだけど……。こんなこと、他里の影たちが許すはずがない。露見すれば、良くても、試験に参加した木ノ葉の下忍が同じように……。特にあんたの”写輪眼”は、格好の的よ、アカリ。だから、今回は……」 

 

 言って、イナは静かに目を伏せた。

 

「そんな……兄様が……」

 

 敬愛する兄の所業に、綱手は言葉を失い、唇を震わせた。

 大蛇丸でさえ生唾を呑み、成り行きを見守っている。

 

「……そうか、分かった。では、試験の登録をしてくれるか」

 

 アカリの平坦な声。

 弾かれたように、イナ、綱手、大蛇丸の視線が、アカリの下へ集中した。けれどもアカリは気にした様子も見せず、淡々とした調子で試験票を取り出すと、イナへと突きつけて見せる。

 

「アカリ、話聞いてたの?!」

「聞いていたが……私は中忍に為るためにここに来たんだ。今更引き返すつもりはないよ」

「あんた……。あたしはあんたのことを想って止めてるのにっ! どうしてあんたはいつもそう、話を―――」

「―――イナ。千手畳間は、道を誤ったんだ」

 

 イナの悲痛な叫びを、アカリの諭すような声が遮った。そのあまりに落ち着いた声音に呑まれ、イナは言葉を呑みこんでしまう。

 

「あいつがどれほど過酷な一年を過ごして来たか、私には分からない。何だかんだと言って、私は”本当の戦地”に立った経験がない。だから……口だけの女だと言われては、言い返しようがない。だがな、イナ……これだけは言わせてもらうぞ。今の畳間は間違っている」

 

 アカリは少しだけ寂しそうに瞳を空へと流し、すぐ後にイナの瞳を見つめる。動揺に揺れるイナの瞳を射抜いたのは、これまでに無いほど真っ直ぐで、真摯な瞳。

 

「イナ、お前ほどの女が、どうして今の畳間を止めないのか……私には知る由も無い。お前は上忍で、奴は火影の片腕。お前は山中一族の傍系で、奴は千手の直系。なにかしら、事情があるのだろう。だから―――」

 

 ―――少しの間。

 

 見つめ合うイナとアカリの隣で、綱手はアカリの横顔を覗きこんだ。

 綱手が持つ”うちはアカリ”という忍びへの印象は、一年前に見た、鬼のような憤怒の姿が根本にある。そしてそこに”氷の女”という噂が混ざった結果、綱手の中でうちはアカリという人間の人物像は、”キレやすく冷酷無慈悲な蛇のような女”として形成された。

 

 けれども―――と、綱手は想う。今、目の前にいる女の雰囲気は、決して噂のように冷え切った魔性のものではない。

 その澄んだ瞳はこれ以上ないほどに、慈しみに溢れている。その温かな雰囲気に、綱手はいつのまにか惹きつけられていた。

 

「(―――イナ、辛いだろう……)」

 

 眉を震わせ、瞳を揺らがせるイナの姿に、アカリは苦しみを感じた。

 畳間とイナは、アカリが畳間に出会うよりも前からの仲だと、アカリは聞いている。

 もしも畳間が歪んでしまったというのなら、そのことに一番胸を痛めているのは、アカリでもサクモでもない。この目の前にいる優しい女だと、アカリは確信している。

 

 だがイナは何かしらの事情で、畳間を諌めることができない状況に在るようだった。だからせめてもと、アカリを止めたのだろう。最悪の場合、イナの犠牲だけで終わらせることができるように。

 だから―――。

 

「―――だから……安心してほしい。何があっても、あの馬鹿野郎(たたみま)は私が止める」

 

 力強い言葉を、アカリはその頬に優しい微笑みを湛え、イナへと贈る。

 

「あ、アカリ……」

 

 イナはアカリの微笑みを受けて、気まずげに目を逸らした。

 

「(かつて、サクモは己が命を投げ打って、道を外れようとした私を止めた。ならば、サクモの友である私もまた、友のために命を賭ける)」

 

 ―――千手だとか、うちはだとか。そういったことは、今のアカリにとって重要なことでは無い。

 例え自分が嫌われようとも、間違っていることを間違っていると言ってやれる者こそが仲間であると、今のアカリは信じている。そしてそれは、”忍びの道”も同じだ、と。

 

「綱手、大蛇丸、お前たちはどうする? こうなった以上、私は例え受験できなくても構わないが」

 

 中忍試験は、三人一組(スリーマンセル)が基本。大蛇丸か綱手のどちらかが首を横に振れば、そこで試験は流れてしまうのである。

 

 けれども今のアカリは、試験を受ける受けない、中忍になるならないは、どうでもよくなっていた。

 いや―――本当は相当に未練があり、断じてどうでもいいわけではない。けれども、もしも今、嫌がる綱手たちを無理やり参加せてしまっては、これまで落ちて来た試験と変わらない。仲間を尊重しない選択をした時点で、アカリの中では失格だ。

 そして同時に、友を放って置くと言う選択肢も無い。

 

「わたしは……」

 

 綱手の悩まし気な言葉に、アカリは黙って答えを待った。

 この話を聞いてしまった以上、綱手たちが参加することはないだろうと、アカリは想っている。何の情報も無い始めての中忍試験で、何が悲しくて人生を賭けなければならないのか。普通なら、イナが勧める通りに今回の試験を降りて、次の機会を待つだろう。

 

「(さよなら私の中忍試験……)」

 

 心の中でさめざめと泣いたアカリは、この鬱憤を畳間にぶつけてやろうと、心に決めた。

 

 一方で、綱手が力強く拳を握る。

 

「―――私は千手畳間の妹として、兄様を……馬鹿兄貴をぶん殴る!! こんなの、お爺様にも、二代目様にも顔向けできないもの! いくわよ、大蛇丸!!」

「えっ?」

 

 大蛇丸の腕を掴んだ綱手が、その自慢の怪力を以て大蛇丸を引きずりながら、校舎へと向かっていく。

 綱手の背中を見送ったアカリは、一瞬呆気にとられたように目をまん丸にして、その後、嬉しそうに口の端を緩めた。

 

「イナ、そういうことだ。登録、たのんだぞ」

 

 呆然と立ちすくむイナの横を、アカリは静かに過ぎ去っていく。

 間際、アカリはそっと、イナの肩に手を触れる。安心しろ、後は任せろ―――そう言わんばかりの温もりに、イナは不覚にも頬を染めた。

 

「……もう。誰よ、あんた……」

 

 長い黒髪を揺らすアカリの背中を見送って、イナが気恥ずかし気に呟いた。

 

「もー!」

 

 湧き上る感情を抑えきれないとばかりに溢れたイナの声は、気恥ずかしそうに弾んでいる。

 苦笑を浮かべながらもどこか嬉しそうな雰囲気を纏い、イナは後ろに手を組んで、恥ずかしそうにくるりと回る。

 どこか子供っぽさを感じさせる仕草は、アカリの成長を素直に喜びきれない保護者(ともだち)の、ちょっとした寂しさを孕んでいるようだった。

 

「―――でも、おめでとう。次も(・・)がんばってね」

 

 イナは切なげな微笑みを浮かべ、そしてその次には優し気な微笑みを浮かべ、校舎へと消えたアカリのことを想う。

 イナの呟きが、木ノ葉の空に溶けていく。

 

 

 アカリたちが案内されたのは、広い体育館だった。雨天の際に組手を行ったその場所は校舎よりも頑丈に設計されており、少なくとも学生同士の戦いで壊れるようなそれではなかった。当時はまだ壁も床も真新しかったが、今は少し古びた印象を感じさせる。

 けれどもアカリはかつての憧憬に思いを馳せるよりも先に、体育館中央に刻まれた、円状の術式に気を奪われた。

 

「口寄せの術式か?」

 

 アカリの呟きに、試験官が語る。

 

 受験生はこれからおよそ半日間、この”逆口寄せ”の術式によって、木ノ葉隠れの里から遠く離れた土地へと転送されることになる。その半日と言う制限時間内に、どこかに隠された巻物を見つけ出し、無事帰還することができれば合格。半日を過ぎれば口寄せの効果が切れて強制的にこの場所へ戻ることになるため、巻物を持っていなければ失格ということである。

 

 説明を受け、アカリたち三人は術式の中央に立ち並んだ。

 遂にこの時が来た―――少し身構える彼らは、次の瞬間には、体育館から姿を消していた。

 

 

「静かな場所ね」

 

 綱手の独白に、アカリは静かに首肯する。

 気が付けば、アカリは見知らぬ森の中にいた。かつてカガミ班として中忍試験を受けた時に送り込まれた”死の森”とは、どうやら違うようである。

 またあの場所でサバイバルかと身構えていたアカリは、どうやら杞憂だったことを感じ取り、ひとまず胸を撫で下ろした。あの場所は獣と死の匂いが充満し、空気が肌を刺すようなうすら寒ささえ覚えたものだ。可能ならもう二度と行きたくない場所である。

 

 比べてこの場所は小鳥のさえずりさえ聞こえてきそうなほどに、穏やかな雰囲気を感じさせた。空気は澄み渡り、命の温かさが広がっているようだった。

 

「静かな場所、か。気を抜くな綱手……あたりに気配を向けろ」

 

 大蛇丸が不機嫌そうに言って、苦無を手に取った。

 

「え?」

「ここから少し離れた樹に、折れた枝が見える。そしてすぐそこの踏みにじられた草……獣のものではない。近くにいるぞ」

 

 大蛇丸の言葉を受けて、綱手が弾かれたように周囲を見渡した。そして気づいた現状に、やっと自分たちが”何に臨んでいるのか”を理解して、綱手は自分の甘さを恥じ入った。

 

 同時に、綱手の気の抜けた言葉に同意してしまったアカリもまた、二人にばれない様に、ばつの悪そうな表情を浮かべる。

 

 汚名返上とばかりに、アカリは写輪眼を発現し、周囲の様子を探った。

 見えたチャクラの数は三つ。少し離れた木陰に集まっている。

 

「見えた。数は三つ、一か所に固まっている。だが、動く気配はない。待ち伏せでは無いようだが……」

 

 写輪眼はチャクラの色と流れを見る瞳術である。日向一族に伝わる白眼のように、遠方にいる対象の動きや様子を完全に察知できるわけではない。

 

「私たちより先に試験を始めた者たちか……。休息でも取っているところに、私たちが偶然、送り込まれたのかもしれない」

「―――戦うか?」

「え、でも……罠だったらどうするの?」

 

 大蛇丸の提案に、綱手が消極的な声を溢す。アカリは一瞬瞑目すると、鋭い視線を、三つのチャクラへと流した。

 

「写輪眼で探ってみたが、罠の気配も無いし、奴らが動く気配も無い。奴らが私たちの出現に気づいていないのなら、奇襲は容易に成功するだろう。仮に気づいていたとしても、私を相手に隠遁を成功させようという浅はかな考えを持っているなら―――大した敵でもない」

「―――決まりだな」

「りょーかい」

 

 多数決により、大蛇丸とアカリの好戦的な意見が通され、綱手はそれに賛同の言葉を返した。

 先程の消極的な声は、戦うことが嫌だったというわけではない。単に情報が少ない状況で無暗に交戦するのはどうかと想っただけである。

 ”あの”アカリが言うのなら問題ないだろう―――綱手はそう考えた。

 

 茂みに潜み、アカリたちは対象が潜んでいる場所へ静かに近づいて行く。息を殺し、まるで獲物を狙う虎のような隠遁である。

 

「(止まれ)」

 

 アカリはハンドシグナルを使い、大蛇丸と綱手にメッセージを送る。大蛇丸と綱手が静止したのを確認すると、アカリは静かに対象の観察を始める。

 

「(やはり忍びか。額当てからして……岩か?)」 

 

 アカリは、そこにいた忍びの姿に、内心で少し驚きを抱いた。対象の正確な年齢は分からないが、見た目だけで言えば、アカリよりも年上のように見える。下には下がいることに、密かに安心を覚える。

 

「(負傷しているようだが……)」

 

 木陰に身を寄せている、下忍たちは全員が男であり、そのうちの二人は負傷しているようだ。一方は額から血を流しぐったりと幹に背を預けており、他方は血の滲んだ包帯を足に巻いている。

 

「(すでに交戦したようだな……。ならば、これはかつての試験と同じ、巻物の奪い合い―――サバイバルということか)」

 

 アカリは瞳を細め、舌先で歯の裏をなぞった。かつての試験では畳間の過失(・・・・・)により不利な戦いを強いられ、アカリの写輪眼によって(・・・・・・・)、窮地を脱し、突破口を得た。当時ですらぶっちぎり(・・・・・)で勝利を収めたのだから、さらに強くなった今、下忍相手に負けるはずがない。 

 

「(―――勝ったな)」

 

 己の勝利を確信し、アカリは舌なめずりをしたのである。

 

 ―――ざわり。と、風が流れる。唯一健常の忍びが鼻をひくつかせ、弾かれたように立ち上がった。

 

「(―――気づかれた!)」

 

 アカリは瞬時にハンドシグナルを送り、襲撃の合図を二人に示す。草陰から大蛇丸が飛び出し、少し遅れて綱手が駆ける。その二人の背を守るように、アカリもまた地面を蹴りつけた。

 

「―――待ってくれ! こちらに戦闘の意志はない!」

 

 叫ぶ下忍に構わず、大蛇丸が苦無を振るう。下忍は引き抜いた苦無でそれを辛うじて弾くと、大蛇丸の腹に向けて蹴りを放った。大蛇丸はそれを膝で受けとめる。しかし下忍の脚力が想ったより強かったのか、大蛇丸の体が後方へはじき返された。

 

 二撃目―――綱手の振るった拳が、突如として現れた土の壁に遮られた。脚を負傷していた忍びが、仲間の危機に壁を作り上げたのだ。

 けれども綱手の本領はその怪力である。土の拳は綱手の拳を一瞬だけ受け止めて、次の瞬間には粉々に粉砕された。

 綱手の拳が下忍の腹に突き刺さる。

 

「うわあああああああああああああああ!!」

 

 足を負傷している下忍の、悲痛な叫び声。

 土の壁を突き破るほどの拳を腹にねじ込まれた仲間を目の当たりにして、顔面は蒼白である。

 

「て、手加減はちゃんとしてるわよ。死にゃあしないわ」

 

 綱手は乱暴に言い放った。化物を見るような目で見られたことに、少なからず苛立ちと、若干のダメージを心に負ったようである。

 

「お前たち、”新顔”だろう! 後悔することにな―――」

 

 足を負傷していた下忍が、鬼気迫る表情で綱手に食って掛かったが、けれども次の瞬間にはがくんと首を落とし、動きが止まる。

 

「あっけなかったな」

 

 振り向けば、写輪眼を解除したアカリと、埃を落としたいのか、服を叩いている大蛇丸が立っていた。

 

 下忍の急な変化は、アカリが幻術に落として黙らせたのだろうと察した綱手は、改めて、うちは一族の瞳術の凄まじさに舌を巻いた。そして同時に、アカリ相手に互角の戦いを見せる兄への尊敬の念を抱く。

 

「後悔する……とは、気になるな」

「そうね」

 

 大蛇丸の独白に、綱手が頷いた。

 怪我をし、身を潜めていた下忍。アカリたちの襲撃に対して、説得を試みたことといい、確かに妙である。

 襲撃は早計だったかと考え始めていたアカリだが、けれどもしてしまったものは仕方がないと、気持ちを切り替える。

 

 ―――アカリはやはり、どこかしら詰めが甘かった。

 

「分かった。写輪眼で幻術を重ね掛けして、口を割らせ―――」

「―――その必要はない」

 

 アカリの言葉を遮ったのは、聴きなれない男の声。

 それに瞬時に反応した大蛇丸は、声を上げる間もなくその男に殴り飛ばされて、茂みの中に呑みこまれた。

 

「大蛇丸!!」

 

 綱手の叫び声が鼓膜を揺らしたとき、アカリはようやく現状を理解した。

 

「(襲撃!!)」

 

 瞬間、アカリは目にチャクラ込めて写輪眼を発現しようとして―――視界が真っ暗(・・・)に染まった。アカリはその現象に、以前にも陥ったことがある。

 

「黒暗行か!?」

 

 触感さえも奪われ、空を墜ちるような不快感の中、アカリは取り乱して声を荒らげる。頭が混乱し、思考が纏まらない。

 それは実戦において、明確な急所となった。

 

「―――五行封印」

 

 動揺するアカリの腹部へ、凄まじい勢いで五本の指が突き刺さる。そのうちの一本がアカリの鳩尾を的確に押し潰し、凄まじい苦しみがアカリの体を貫いた。

 

「―――かッハ」

 

 余りの衝撃に、アカリは苦悶の叫びすらあげることができない。ただ肺の中の空気を唾と共に吐き出すと、苦しさのあまりに目を零れんばかりに見開き、膝から崩れ落ちる。

 地面に膝を着いたアカリは鈍痛が続く腹部を抑え、必死に空気を肺に取り込もうと、大きく肩を上下させた。

 

「(なんだ、こいつは……。今の一瞬で私に封印術を掛け、決して弱いわけでは無い綱手を幻術で黙らせた……)」

 

 アカリは今、写輪眼を発現させようとチャクラを練り上げている。けれども瞳は黒いまま、変化の兆候を見せない。

 気づけば、綱手はアカリのすぐ隣に倒れ伏している。目を開けたままで微動だにしないその姿に、アカリは一瞬、綱手が殺されたかと焦りを抱く。だが、すぐに微弱な呼吸音に気づき、幻術に掛けられて意識を飛ばされたのだと理解した。

 

 

「(チャクラを……写輪眼を封じられるとは……。なんという不覚……ッ)」

 

 苦しみの中、アカリは唇を噛む。

 うちはの象徴である写輪眼を封じられるなど、屈辱以外の何物でもなかった。

 

「な……何者だ……」

 

 アカリが苦しげに、喘ぐような声で問いを投げる。感覚が戻って来たアカリは、憎しみを込めて襲撃者を睨みつけ―――その瞳の色に、愕然とする。

 

「写輪眼、だと……。貴様、うちはの者か……」

 

 襲撃者の瞳は赤く染まり、三つ巴が泳いでいる。それはまさしくうちは一族に伝わる瞳術、写輪眼に他ならない。だがしかし、その襲撃者の顔を、アカリは知らない。

 

「―――今のうちはの若者は、俺を知らないか」

 

 アカリの言葉に、襲撃者は平坦な声音で答えた。

 

 アカリは襲撃者を見極めようとしたが、やはり全くと言っていいほど心当たりがない。

 後頭部で跳ねている、短めに整えられた髪。整った目鼻立ち。その中でも一際目を惹く切れ長の瞳は、冷ややかにアカリを見下していた。

 

 ―――男の唇が動く。

 

 アカリはまるで世界がスローモーションになったかのような錯覚の中、男の唇の動きを追っていた。そして理解したその言葉の意味に、絶句した。

 

 次の瞬間、爆発音とともに、アカリの目の前が真っ白になる。

 

 ―――大蛇丸が機転を利かせ、煙球を爆発させたのだ。

 アカリがそれを理解したのは、気を失った綱手と共に大蛇丸に抱えられ、その場から離れた後のことだった。

 少しして、呆然とした状態から気を取り戻したアカリは大蛇丸に礼を告げ、己の足で枝を蹴り、木々の間を飛び越える。

 

「(先ほどの言葉が本当だとすれば……何とかしなければ……)」

 

 先の一瞬の攻防で、相手の実力を理解したアカリは、「万全の状態でも勝てるかどうか分からない相手である」と、判断を下している。だというのに、アカリは今、封印術によりチャクラを封じられ、戦力を大幅に削ぎ落とされた。

 

 焦りが、アカリの中に芽生える。

 だがそれは、自分自身の命が危機に晒されている恐怖から生まれた焦りでは無い。

 

「(―――畳間が危ない)」

 

 アカリの予想が正しければ、狙われるのはまず間違いなく、今もなお気を失っている綱手と、アカリの親友の一人―――千手畳間である。

 

「(―――何故、今になって、この場所に……)」

 

 アカリは奥歯を食いしばる。

 襲撃者が告げた最後の言葉が、アカリの脳内で反芻される。

 

 ―――俺の名はうちはイズナ。先の時代の亡霊だ。

 

 旧時代の怪物が、木ノ葉隠れに牙を向く―――。

 アカリは知らず、汗の滲んだ拳を握りしめていた。


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