綱手の兄貴は転生者   作:ポルポル

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宝物

 満月の夜。初代火影・千手柱間の顔岩の上に座った畳間は、立てた膝の上に腕を乗せて、眠りについた里を見下ろしていた。

 千手の家紋の入った羽織り。その下に着込んだ紫色の着物の肌蹴た襟からは、鍛えられた胸元が覗いていた。傷だらけの武骨な手のひらには、古ぼけた額あてが握られている。

 

 ―――中忍選抜試験と並行して行われた、金角討伐戦。下忍たちの命を掛け金としたこの任務は、畳間を始めとした忍びたちの奮戦を経て、”木ノ葉側”は、成功の下に幕を閉じた。

 

 だが―――岩隠れの両天秤のオオノキより、金角部隊の精鋭を討ち漏らしたという報告が届いた。その報告を畳間が聞かされたのは討伐戦から少したってからのこと。畳間はその報告を受けるや否や、主治医が止めるのも聞かず、すぐさま病院を抜け出して、火影の執務室へと駆け込んだ。

 

 畳間は岩隠れと手を切ることを、三代目火影に直訴した。

 岩隠れの忍びたちが”意図的に金角の部下を逃亡させた”という推測をもとにした、畳間の主張。それは岩隠れが木ノ葉と砂をぶつけたがっているという陰謀説。岩は多少の名声を犠牲にすることでまんまと木ノ葉の内情を知り、かつ、砂の敵意を木ノ葉へ向けることに成功した―――畳間はそう考えている。

 

 畳間の言葉に、果たして三代目火影は動かなかった。木ノ葉は岩の二代目・無による直々の謝罪を受け取っており、その件についての言及が許されない状況にあったのである。里を背負う二代目土影―――その謝罪を蔑ろにするならば、就任したばかりの三代目火影は他里だけでなく、火の国の大名からもその器を疑われる。

 

 だが、畳間が気に入らなかったのは岩隠れへの言及が難しかったからではない。三代目火影がかたくなに、岩隠れとの友好を主張したことだった。

 

 畳間は岩隠れとは手を切る方が良いと口にした。だが、三代目火影は畳間の主張が推測の域を出ていないことを理由に首を縦に振ることはなく、畳間にしばしの休息を言い渡した。それは岩隠れとの外交において、畳間を関わらせないという通告でもあった。

 

「爺さん、叔父貴……俺は、なにをすればいい?」

 

 月の下で、畳間は目を伏せた。

 三代目火影の考えが間違っているとは思わない。だが、自分の考えがおかしいとも思えない。

 

 夜の静寂が続く。初代火影も、二代目火影も死んだ。時代が流れ、世代は進む。足元の顔岩に語り掛けても、返事が戻ることはもはやない。畳間は額あてを握る手に力を込めた。

 

 ―――疑わなければ、のど元を食いちぎられる。

 

 その警戒は、二代目火影の最期を目の当たりにしたことによる、他里への不信。そして―――かつて裏切りと暗躍の時代を生き、結果としてうちはと千手の仲を引き裂いてしまったうちはイズナとしての思想。

 畳間はそれに気づいたからこそ、三代目火影の命令に従うことを選んだ。この決定は、長期任務を終了させたことによる休暇として、表向きには処理された。

 

 それに、岩隠れが本心から木ノ葉との友好を望んでいる可能性の方が高いことは事実。ならば、二代目土影直々の謝罪というのは、木ノ葉に見せる誠意として十分すぎるものである。どちらとも取れる岩隠れの姿勢に対して、結局のところ、木ノ葉側ができることは少ない。

 

「黄昏ているのか。お前らしくもない」

「―――サクモか」

 

 畳間の後ろからかけられた声。人の気配が、畳間の隣に腰を下ろした。畳間は振り返ることなく名を当ててみせる。

 少し首を動かして、男―――はたけサクモに視線を向けた。月光に優し気な目元を細め、白銀の髪が鈍く輝いている。

 

「三代目と、やりあったらしいな」

「やりやったわけじゃねぇよ。ただ―――」

「……ただ?」

 

 畳間はそれきり黙り込んでしまった。

 サクモは苦笑いを浮かべる。

 

「……」

 

 ことりと、畳間の前に陶器の瓶と小さな猪口が差し出される。

 目の前の猪口に液体が注がれていくのを、畳間はじっと見つめている。

 

「先代たちならどうするか―――。それが気になったんだろう?」

 

 畳間はサクモの言葉には答えない。

 サクモはそれが答えのような気がして、口元をほころばせた。

 

「わかるさ。”オレ”たちはずっと、友達だった」

 

 この一年で変わったのは、畳間だけではない。いつのまにか、僕からオレに一人称が変わっていたサクモ。そして、木ノ葉隠れの里もまた同じ。

 

 二代目の死後、戦国の世を生きた多くの忍びたちは次々に引退を決意した。千手兄弟と言う柱の喪失は、古き世代たちの心に、時代の移り変わりを鮮烈に印象つけたのである。木ノ葉は今、新たな世代へと移り変わろうとしている。三代目火影という、戦国時代の終結後に生まれ、平和を託された若き世代へと。

 

 サクモは瓶を置き、液体が並々と注がれたお猪口を両手に取ると、片方を畳間に差し出した。畳間をそれを受け取ると、揺らめく液体を覗き込んだ。鼻に付く匂いは、水ではありえない。

 畳間が猪口に映る己の顔を覗き込んでいるのを見て、サクモは畳間から視線を逸らし、月を見上げた。

 

「―――畳間。『お前はまだ若い。答えが出ずに苦しむときもあるだろう。答えがわかった気になって、間違えることもあるだろう。―――里を想え。これから何があろうとも、お前は火の意志と共にある』」 

「なんだ、それ」

「オレの師の―――猿飛サスケ様の言葉だ」

「三代目の親父さんの?」

「ああ。なあ、畳間、初代火影様の言葉を覚えているか?」

「爺さんの言葉……? なんだ、突然」

「まあ、いいから。ほら、オレたちがまだ施設にいたころ、初代様が二代目様と一緒に特別講師に来てくださったことがあっただろう」

「ああ、あのときか、覚えている」

 

 サクモの言葉に、畳間は幼いころのことを思い出す。

 

「『俺は里の者たち……皆を家族だと思っている。おぬしら皆が俺の子ぞ』。だったな」

 

 柱間はその日、扉間に止められるまで、子供たちに囲まれて時間を過ごしていた。無邪気な子供たちは人柄の良い柱間にすぐ懐き、火影の意味も知らないまま、柱間を遊び道具にはしゃぎまわっていた。無茶苦茶な言動に、担当教師が冷や汗を掻いていたが、柱間はそれを笑って許していた記憶がある。

 その後、他の子供たちに祖父を取られ拗ねた畳間は、祖父に甘えて構ってもらった。そんな恥ずかしい記憶までしっかりと、畳間は記憶している。

 

「最近、先人たちの想いを―――里というものを、考えるようになった。猿飛先生は里を想えと言った。初代様は里に住む者が家族だと言った。確かに、今の木ノ葉隠れの里は温もりにあふれ、子供たちは笑っている。オレたちの世代だってそうだった。だが……思うんだ。木ノ葉だって、最初からそう(・・)だったわけじゃないとな。戦国時代を終え、里が生まれ、平和になった―――子供たちは教科書でそう教えられる。綺麗に整った歴史だ。だが本当の里の始まりは、そんなきれいじゃなかったはずだ。里とは、かつて殺し合い憎しみ合った者たちの集合体。その間隙にはきっと―――、途方もない困難が横たわっていたはずだ」

 

 サクモは思いを込めて畳間に伝える。サクモの言葉の中に、先代たちが乗り越えてきた途方もない苦労の中に、畳間が求める答えがある。潜み眠る火の意志は、気づいてほしいと揺らめいていた。

 

「サクモ……それは……」

 

 サクモの言葉に込められた意味を察し、けれども答えにたどり着けないもどかしさに、畳間は眉をひそめた。

 

 確かに今の里は平和の象徴と言えるもの。

 けれども畳間は前世の記録から、一族同士がどれほど憎しみ合っていたかを知っている。当時、絶対に相いれないと、平和などありえないと、誰もが思っていたはずだ。

 だが、かつて憎しみ合っていた者たちは手を取り合い、木ノ葉隠れの里は興った。

 

 若い世代は、戦国を生きた者たちが、どうやって憎しみの連鎖を乗り越えて来たのか、その道のりを知らない。

 それは畳間も同じだった。憎しみは知っている。悲しみも知っている。だが、それを乗り越え、先へ進む方法を知らない。

 

 ―――畳間が眉根を寄せて考え込んでいる様子を、サクモは眺めている。畳間が、気づいてくれることを願って。

 

 初代火影の願った里とは、小さく纏まり、短い平和を守るためのものではない。

 子供たちが死なずに済む国を作るというのが、初代火影の夢だった。だが、その夢にはさらなる先がある。

 それはすべての忍びが手を取り合う世界という、見果てぬ夢。里とは、一つの夢の結晶。だがそれすらも、見果てぬ夢への通過点に過ぎない。

 夢とは、代が変わるごとに摩耗する。初代が掲げた偉大な志も、時が過ぎるごとに薄れゆく。それを失わないためには、知らなければならない。先代たちの”心”を。

 

 もしも三代目火影がそれを正しく継いだのだとすれば、戦争へつながる分子は取り除こうとするのは当然だろうとサクモは思う。だが同時に、畳間の主張が間違っているとは思っていない。むしろその可能性にたどり着き、警戒を持つことは良いことだとも思っている。今の段階では(・・・・・)

 

 ―――だが、それを表に出すかどうかは、また別の話だ。

 客観的に見て、畳間は里を想うあまりに感情的になりすぎている。

 畳間はもともと情が深く、思い入れの強い男だった。この一年、文字通り命を賭して里を守ってきたことで、畳間の中で木ノ葉隠れの里はもはや、祖父が愛した宝(・・・・・・)ではなくなっているのだろう。感情的になるのも、分からなくはない。

 

 だが、岩との関係が良好である今、それに異を唱える畳間をはじき出さなければ、無用の争いが生まれ得る。畳間に謹慎を指示した三代目の判断もまた、サクモから見れば真っ当なものであった。問題は、三代目が心底で岩隠れを信じているのかどうか、その点である。

 

 初代、二代目から託された三代目火影という世代。

 彼らの世代が担う役割は、一つでも多くの里と同盟を結ぶことにあるだろう。だが、それだけではない。託された者は、その瞬間からある義務を負う。先代たちから託されたものを、決して絶やさないこと。そして育てることだ。後に続いてくれる者を。

 

 後に続く者とはすなわち―――四代目火影。

 

 三代目の役割がうまくいけば、『四代目火影』となる世代の者たちが担う役割は、里を超えて心を結ぶことになるだろう。かつて一族を超え、『家族』という関係を作り上げた初代火影のように。一族同士の垣根を超えて手を結ぶことは、それこそ想像を絶する苦難があったはずだ。

 

 ―――だが、里という巨大なシステムを超えて結ぶ手は、同じかそれ以上の困難に阻まれるだろう。一族を結ぶに至るまでの困難よりも、遥かに険しい茨の道。

 それに気づいていたからこそ、初代火影は己の命を投げ打って次の世代へと思いを託し、二代目火影は自身が生きているうちに里というシステムを揺るがぬものとするために、己の情を投げ打った。

 

 先代たちがすべてを掛けた夢。

 畳間たち、あるいは次の世代に託される責務は、生半可なものではありえない。

 もしも三代目火影がそのことに気づいているのなら、畳間を謹慎に追いやったのは、何らかの意図があったはずだ。三代目火影がなぜ、千手畳間と言う木ノ葉の看板をあえて謹慎としたのか、その意図は―――。

 

 サクモはその答えに、自力でたどり着けたわけではない。生前の猿飛サスケから、次の世代のためにと託された心得があったからである。火の意志を支える者として、サクモの仲間を想う心に、猿飛サスケは未来を託した。だが、皆の先を進むには、その答えに自分の力で気づかなければならない。

 

 未来に何が待ち受けているかは分からない。だがサクモは、いつか同じ景色を畳間と見たいと思っている。

 

「畳間、お前はオレと違って名家の出だ。お前の苦しみの本質は、それこそ”心に同調する”か、”同じものを背負っている者”にしか、わからないだろう。オレはお前が答えを見つけ、それを受け入れるのを待つしかない……オレがお前のために出来ることなんてちっぽけなものだ。だから――」

 

 サクモはそう言って、自身のお猪口を軽く持ち上げる。

 

「―――今夜は呑もう。この酒を、一年踏ん張り抜いた、オレの友に捧げたい」

「サクモ、お前……」

「自分でいうのもなんだが。いい酒なんだ、これは」

 

 サクモの言葉を受け、畳間は感極まった様に唇を震わせる。心を落ち着けるように一つため息を吐くと、畳間は肩から力を抜いた。

 

「まいったな。俺はどうも、人に恵まれていたらしい」

 

 ―――乾杯。

 

 声が重なる。

 空に浮かぶ月に向けてお猪口をささげ、二人は中身を飲み干した。

 

 夜はまだ始まったばかり。

 

 

「お、アカリじゃねえか」

「ん……? 畳間ぁ!!」

 

 ふらふらと街を散策していた畳間の視界に、果物屋を覗いている黒いポニーテールが入り込む。思わず声をかけた畳間に、最初は呆けた表情を浮かべたアカリだが、声の主が畳間だと認識するや否やその表情は憤怒のそれに変わった。

 アカリは果物屋の前から一気に跳躍すると畳間の前に瞬時に着地し、唾を飛ばすほどの距離まで顔を近づける。その表情は写輪眼まで発言した鬼気迫るもので、あまりの勢いに畳間も冷や汗を掻く。

 

「貴様よくも私の前にのこのこと顔を出せたものだな!! ここであったが百年目!! ぶっころしてやる!!」

「えらく古い言葉を……。 って本気かよ!!」

 

 アカリの暴言に目を丸くした畳間は、突如として振り上げられたアカリの拳を腕で防ぎ、畳間は慌てた声を出す。

 そこまでされる理由に皆目見当も付かない―――わけではなかったが、それほどまでに怒りを蓄えていたとは、畳間も思っていなかった。

 

「お、おい!」

 

  畳間とアカリの周囲からは、すでに人がいなくなっていた。遠巻きに二人を見る人たちは、またあいつらかと迷惑そうな、それでいて面白いものを見るような視線を向けている。

 

「待てって、人の迷惑考えろ!!」

「どの口が!!」

 

 続くアカリの膝蹴りを回し受けの形で受け止める。さすがに本格的な戦いになりそうだったので、畳間の声に叱責の色が生まれた。けれどもそれはアカリにとっては逆効果で―――むしろ遠巻きに眺めている人たちからしても、これまでの畳間を考えると、アカリに同意したいところであった。

 

 アカリは腕を引くと放たれた矢のごとき速さで二撃目の拳を放つ。

 さすがにこれはまずいと、まともなことを考えられるようになった畳間は、アカリを止めるための方法を、瞬時に脳内で練り上げる。

 

「アイスと桜餅!!」

 

 畳間の顔に拳が直撃する直前、アカリの拳がぴたりと止まる。拳から生まれた風圧が畳間の髪を揺らす。

 

「紅茶もつけろ」

「はい」

 

 アカリの付け足された要求を素直に飲むと、畳間の眼前からアカリの拳が引き戻される。くるりと踵を返したアカリがくいと首を動かして、ついてくるように促す。

 どっと疲れを感じつつ、アカリの背に続いた畳間は、アカリの行きつけらしい菓子屋に案内された。適当な席に着き、アカリが好き勝手注文する姿を眺めつつ、財布の中身を思い出す。畳間はもともと忍具の調達のために出歩いていたのだが、どうも今日はその目的は果たせないようである。

 

「で、畳間。何か私に言いたいことはあるか?」

「往来で喧嘩売るな」

「そうではないだろう!!」

 

 怒りで顔を染めたアカリが、唾を飛ばす勢いで跳ねる。

 

「店の中で大声をあげるのをやめろ」

「殺すぞ」

 

 苛立ったように机をこつこつと指先で叩きながら、アカリは写輪眼で畳間を睨み付けた。

 

「お前の眼はきれいだな」

「ふざけるな!!」

 

 アカリの写輪眼は中々良い色をしている。かつてうちは最強の一角であり、現在も写輪眼を持つ者として、アカリの眼を改めて観察すると、これがどうして良い色をしている。畳間は素直に褒めた。

 それははっきりいえば、話を逸らそうと思っての言葉だった。アカリならば気恥ずかし気に吠えるだろうと考えていた。

 だが―――アカリの怒りは本物で、畳間を一喝して終わった。いつもと違うアカリに驚いた畳間は、目を瞬かせ息をのんだ。

 

「……釈明しろ」

「なにをだ?」

「いいかげんにしておけよ、千手(・・)。第一試験だ」

 

 やはりそれかと、畳間は考える。だが、畳間はどのような意図であの試験にしたのかはすらすらと述べることが出来るため、問題はない。畳間は第一試験の意図を、金角討伐戦を伏せ、丁寧にアカリに伝えた。そのうえで下忍であるアカリが異議を唱えることは、試験官の身として認めない。これは三代目火影にも通した案件であり、試験官への反論は、そのまま三代目火影の決定への反抗になる。

 

「―――というわけで、あの試験にはそういう意図があったわけだ。過酷だったのは自覚しているが、間違っていないと思っている」

「馬鹿が」

 

 これで伝わっただろうと思考に余裕を持った瞬間放たれたアカリの暴言に、畳間の思考が停止する。

 畳間が呆れたように眉根を寄せ、アカリの態度を咎めようとして―――。

 

「お前の卑劣な試験の意図など、どうでもいい。そんなことはイナから聞いた。脱落者が続出したのも、下忍たちを相応に育てられなかった各担当上忍の弟子育成能力が低かっただけの話だ。私が言っているのは、そんなところじゃない」

 

 意外なことに、アカリの言葉は畳間の試験を批判するものではなかった。畳間は思っていたことと違うアカリの言葉に、困惑した表情を浮かべる。

 アカリは不快そうに鼻を鳴らすと、苛立たし気に机を叩いていた指先をこつりと、止める。

 

「―――貴様、なぜうちはイズナを騙った」

 

 今度こそ、畳間が息をのむ。アカリは、やっとアカリの怒りの焦点に気づいたらしい畳間に鼻を鳴らし、続ける。

 

「うちはイズナは、うちは一族が誇る最大の英雄だ。裏切り者のマダラと違い、イズナは死の直前まで一族を想い、死してなおその写輪眼()を残し、一族を見守った。それが里に―――うちは一族が属する木ノ葉隠れの里に仇なすだと……? 彼の想いを愚弄することは決して許さん」

 

 アカリのまくしたてるような言葉に、畳間の表情が真剣なものに変わる。それはアカリの表情もまた、真剣だったからだ。自分ではなく、他者を侮辱されたことに怒りを感じている。

 

 畳間は己の内にその魂が宿るからこそ、うちはイズナを軽んじている。試験でイズナを選んだのも、イズナを熟知しているからこそ、有り得た可能性として利用した。

 だが、畳間はそれすらも考えなしの行動だったのだと、アカリの真剣な怒りを受けて、やっと理解した。自分が軽んじている、あるいは気にも留めていない存在であっても、それを想う者がいる。だとすれば、畳間の行いは、確かに批判されて然るべきものだった。

 

「―――お前の怒りを軽んじ、ふざけていたことを詫びる。確かに俺は、叱責されて然るべきことをしていた」

 

 畳間は己の過ちを、アカリの怒りを理解し、すぐさま頭を下げた。机に頭をこすりつけても、惜しくはないと思った。

 

 ―――仮に、千手柱間が命を賭して残した想いを愚弄されたとすれば、畳間はその者を地の果てまで追いかけて始末するだろうから。

 アカリのように怒りをこらえることが出来るとは到底思えなかった。仮にうちは一族がそれほどにうちはイズナを慕っているとすれば、絶交されてもおかしくはないことだった。

 だが―――。

 

「―――許す」

 

 アカリの穏やかな声音に、畳間が恐る恐る顔をあげる。未だ不承面の色は残っているが、確かに怒りの色は消えている。

 

「お前は千手だ。うちはの内情など知らなくて当然。知らぬことを責めても仕方がない。次は気をつけよ」

 

 アカリのあまりに寛大すぎる言葉に、畳間は度肝を抜かれた。アカリの精神的な成長、その器の成長に、背筋が震えるものを感じる。

 畳間は初めて、目の前の友人に尊敬の気持ちを持った。なんと寛大な女性なんだろうと感動し、これからはアカリさんと呼ばせてもらおうと心で思ったとき―――。

 

「ところでだな……うちはイズナというのは本当にすごい男だったのだ。お前もうちはイズナに変化したことから、千手視点ではあるだろうが、イズナのことを知っているのだろう?」

 

 流れが変わった。アカリの素直に照れるような表情は、らしくないもの。畳間は別の意味で背筋が震える思いをした。誰だこの女はと、思わざるを得なかった。

 

「うちはイズナという男はな、二代目火影と好敵手の関係で―――」

 

 アカリから語られるうちはイズナという英雄像(・・・)

 

 ―――こいつ、ミーハーだ。

 

 誰だそいつはと、畳間はまた別の意味で背筋が震える思いをした。

 

「彼がいたから、今の一族があるといっても過言ではない。あるいは里もまた、彼がいなければ―――」

 

 畳間は思う―――そもそも自分がそんな風に思われているなんて思わないじゃないか、と。今回のことは不運な事故のようなもので、アカリにあそこまで怒られる道理などないのではないか。そもそもイズナとはすなわち自分のことだ。それをどう使おうとも、他人から怒りをぶつけられるなど、おかしいことではないか?

 

「彼は里が生まれる前に世を去ったが、仲間のために命を賭けられる。それはまさに木ノ葉の忍ではないか。私もまた彼の―――」

 

 アカリの話を聞くにつれ、畳間に鬱憤が溜まっていく。先ほどの感動など、とうに吹き飛んでいた。だが、詫びを入れた手前、蒸し返すのは男が廃る。ゆえに、今度はもっとひどい目にあわせてやると、畳間は心に誓った。

 

 ―――だが。

 アカリの話を聞く自身の頬がどこか安心したように、嬉しそうに緩んでいたことを、畳間は気づいていない。

 

 

「始まりました中忍選抜最終試験決勝戦、内容はチーム戦。木ノ葉の三代目火影・猿飛ヒルゼン班vs岩の二代目(ムウ)の片腕、両天秤と異名をとるオオノキ班の戦いとなります。猿飛ヒルゼン班は第一試験で二名が脱落しており、残るはうちはアカリのみ。対してオオノキ班の下忍は三人全員が生き残っており、木ノ葉側の苦戦が予想されます」

 

 拡大された声が、会場に響く。かつて第一回中忍試験最終戦が行われた巨大な演習場のど真ん中に、うちはアカリは佇んでいた。ただ一人、岩の下忍三人と対峙するアカリに、しり込みする様子は見られない。劣勢の中、美しい立ちずまいを見せるアカリに、観客たちの声援が飛ぶ。

 

「アカリさん、猿飛班じゃないわよね」

「綱手も大蛇丸も落ちちまったからな。仕方ない」

「落としたのはお兄様じゃない!!」

 

 観客席の一角にて米菓子を頬張った畳間が、綱手からの叱責を受け、うるさそうに顔をしかめた。そのあんまりな態度に、綱手の頬が怒りで染まる。

 

「だが、短い間とはいえ、共に戦った仲。うちはアカリさんも、れっきとしたオレたちの仲間だろう」

 

 綱手の隣に座った大蛇丸が、兄妹喧嘩をいさめるように、口を挟む。綱手は口をもごもごと動かしながら、どこか不満げに怒りを抑えると、いつのまにか立ち上がっていたことに気づき、腰を下ろした。

 綱手は、「食うか?」と畳間から差し出された米菓子が入った紙の器をひったくると、自棄になったように菓子を口に流し込む。畳間は慌てたように菓子を取り返そうとするが、綱手は体で囲うように隠し、畳間の手から菓子を守った。畳間の隣に座るイナは、兄妹喧嘩を微笑まし気に眺めつつ、自分の焼き菓子を頬張っている。

 

「君たち、完全に観戦ムードなのね。もっとこう、応援しようとか、そういういう熱意はないのか?」

 

 呆れたように目を細めるサクモが、イナの隣から顔を出す。そう言うサクモの手には、最近購入した小説が握られており、続きが気になるのか、ちらちらと視線を向けている。

 

「こ、この人らは……。アカリさん、ちと可哀想だのォ……」

 

 アカリの友人たちのあまりな姿に、妙木山から一時帰宅した自来也が、憐れみを浮かべた目で、遠くに見えるアカリへと視線を送る。

 

 一人だけハブられた形となった自来也。妙木山から帰還した彼は、班員たちが自分を除いて中忍試験に参加したことを知った当初はさすがにショックで引きこもったが、しばらくすると持ち前のポジティブさで復帰した。

 

「どっちが勝つと思う?」

 

 イナの言葉。

 

「そりゃアカリだろ。あいつはもう下忍レベルじゃない」

「でも、三対一でしょう?」

 

 畳間の言葉に、綱手が心配そうに首をかしげる。

 畳間は席の近くを通りがかったお菓子の売り子に声をかけると新たな菓子を購入し、口に運ぶ。

 

「さすがにアカリも今さら下忍に遅れは取らんだろ」

「いや、あれは中々良いチームだと思う。岩の秘蔵っ子たちって感じだ」

 

 畳間の言葉に、サクモが言葉を挟む。

 一次試験は裏の意図があったとはいえ、相応の試練を下忍たちに与えていたし、二次試験も決して甘いものではなかった。誰一人欠けることなく三人全員で勝ち残ってきたというこということは、単なる運の良さだけでは証明できない。

 

「でも大丈夫じゃねぇかな。ほら、審判を見てみな」

 

 畳間の言葉に、会場の中心に立つ黒服の忍びへと皆の視線が向かう。背中にうちはの紋章を背負った男―――。

 

「カガミ先生?」

「そうだな。大好きな兄さんの前で、下手は打たんだろ」

 

 イナの言葉に、畳間が答える。サクモは畳間の言葉に呆れたように目を細める。

 

「それ、アカリが聞いたらむきになって反論するぞ」

「ばれてないと思ってるのアカリだけだろ。外っつらがあれだから、カガミ先生としては、さすがに傷つくときもあるみたいだが」

「この方たちはマイペースすぎる……」

 

 自来也はつぶやき、隣で菓子を食べている班員たちに目を向けた。

 

「お前たちもワシを除け者にして試験に参加することはないだろうに。仲間がいのない奴らだのォ」

「それについては謝ったじゃない。猿飛先生の命令みたいなものだったんだから、仕方ないでしょ」

「それにしてもこう……」

「何よ、変な口調で帰ってきたくせに」

「なっ!?」

 

 妙木山の住人はすべて蛙。その蛙たちは皆、独特な話し方をするので、自来也にもその口調が移ったようである。

 

「綱……」

 

 畳間が微妙な表情を浮かべた。畳間たち年上組があえて触れなかったところに踏み込んでいくのは、やはり同じ目線の仲間だからだろうか。

 言い合いをする妹と後輩は、楽し気に見える。畳間は目元を緩め、今の幸福に感謝した。

 

「始まるわよ」

 

 審判であるカガミが下忍たちから離れる―――舞台は整った。

 アカリは巨大な棍を口寄せし、後方へと陣を置く。岩の三人は一人を前に二人が拡散する形で後方へ陣を置き、各々、印を結ぶ。

 後方の岩の忍術が発動し、下忍たちの足元の地面が膨れ上がり、アカリへと襲い掛かる。アカリは棍を振るい攻撃を迎え入れ―――戦いが始まった。

 

 

「―――夢か」 

 

 アカリは少し冷えた体を震わせて、眠い体をのそのそと起こした。夢の中の自分は中忍選抜試験の決勝戦の舞台に立っており、それを見物に来ていた友人たちは応援するどころか内輪の話で盛り上げる始末。不愉快なことを畳間が言っていたような気もしたが、夢であるためその辺はあいまいだった。

 

 アカリは布団から這い出して台所へ向かうと、簡単な食事を用意し、もそもそと食べ始める。食後は食器を洗い場へ突っ込み、風呂場へと向かう。寝汗を流して風呂を出ると、体を布で覆い、歯を磨く。

 

 その後、無言(・・)で身支度を済ませたアカリは、やはり玄関の段差に腰を下ろし、改めて荷物の確認を行う。

 そこで、忍者薬のストックが減ってきていることを思い出し、任務帰りにでも買おうかと、メモ帳に書き込んで、荷物をポーチにしまい直した。アカリは包帯を巻きつけた細い脚をロングブーツに通し、小さく頷いて意識を変える。

 

 玄関をくぐる瞬間、アカリは靴箱の上に最近になって飾られた、一枚の写真に視線を送った。

 

 ―――畳間やサクモ、綱手や大蛇丸、多くの仲間たちに囲まれて中央に立つ、緑色のベスト(・・・・・)を着た黒髪の女性。

 

「行ってきます!!」

 

 写真の女性は嬉しそうな笑顔を湛え、今のアカリの声もまた、弾んだ色を帯びていた。

 


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