綱手の兄貴は転生者   作:ポルポル

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赤い血潮

「アカリの奴、なにやってんのかね」

「もう、一年くらいかしら……?」

「あと、もう少しでな」

 

 畳間の向かいに座るイナが、寂しげにそういった。

 畳間は手に取った串団子を弄ぶと、その一番上の団子を乱暴に食いちぎった。

 

 うちはアカリが里から姿を消して、すでに一年が過ぎようとしている。

 兄・うちはカガミが任務中に二代目水影と交戦し殉職してから、少しして、うちはアカリは誰にも告げず、里を発った。

 畳間がそれを知ったのは、アカリが里を去って少しした後のことである。任務から戻った際、アカリが可愛がっていたうちはの少年フガクから、アカリの住む屋敷がもぬけの殻になっていると聴いた畳間は、すぐにうちは一族の居住地へ向かったが、先のカガミ殉職にあたっての情報錯綜の弊害か、うちは一族の敷地内に入れて貰えることは無かった。

 

 その後、三代目火影・猿飛ヒルゼンにアカリの行方について尋ねたところ、答えられない、との答えであったため、畳間はひとまず、安心した。

 答えられないということは、知っていても教えられない理由があるということだ。そして三代目が何かしら知っているということは、里を抜けたわけでないということでもある。もしもアカリが里を抜けたとすれば、アカリを確実に抹殺出来る者―――すなわち、アカリの性格や戦闘スタイルを熟知している畳間とサクモに、追忍としての任務を課すだろう。三代目が情けゆえに渋ったとしても、側近である志村ダンゾウは、写輪眼という特異な血継限界を野放しにすることを許さず、断行するだろう。未だ沙汰がないのも、上層部がアカリの動向を把握しているがためだろう。

 

 とはいえ畳間には、アカリが極秘任務に就いているのか、あるいは傷心を癒すために長期休暇を取っているのかは定かではない。

 

 アカリが消えた木ノ葉隠れの里。

 里には、少しの変化が訪れていた。

 忍者養成施設は”アカデミー”と名を変え、よりよい教育を行うための、校舎の大改築が行われた。アカデミーに入学した畳間の弟・縄樹は優秀な成績を収め、当時の畳間と違い、麒麟児と褒めたたえられている。

 綱手、自来也、大蛇丸は晴れて中忍へと昇格し、猿飛ヒルゼンの庇護を離れ、各地で任務に就き始めた。兄としては心配することも多く、畳間は綱手に幾度か小言を漏らしたことがある。だが綱手からすれば、畳間の経歴の方が心配の連続であったため、お前が言うなと突っぱねた。

 

 畳間は、妹を守り抜いて命を落としたカガミに、火の意志の本質を見た。忍びの生きざまは、死にざまで決まる。ならばカガミは正しく、火の意志を受け継ぎ、そして後に続く者に託したのだろう。

 少なくとも、カガミの教え子であるはたけサクモは正しくそれを継いだ。サクモは今、”最前線に立ち”、仲間を守る任務に就いている。

 

「なんか、サクモに悪い気がするわね」

「まあ、タイミングが悪かったと思うしかないな」

 

 ―――うちはカガミが殉職してから半年。

 木ノ葉隠れが霧隠れへ報復を行わなかったことから、砂隠れは、木ノ葉隠れの里が千手柱間の時代から今に流れ弱体化したと認識し、火の国の傘下にある小国への侵攻を開始した。

 火の国は風の国へ抗議を行ったが、風の国は自身の領土の生産性の低さを根拠とした『公平なる利権拡大』を理由に、武力行使を止めることは無かった。火の国は同盟国からの救援要請を受け、木ノ葉隠れの里から手練れの忍を小国に派遣するように命令。その精鋭として、はたけサクモが名乗りを上げたのである。

 

 イナは現在、三代目火影の下で情報班として働いており、戦闘が含まれる里外任務を受けることは無いと言っていい。畳間もまた、三代目火影直轄として動いており―――はっきりいえば、他国の小競り合いに出す人材ではない。サクモは二代目火影の時代から白い牙と名を馳せており、他国を納得させる先遣隊として、これ以上ないほどの物件だった。三代目―――というよりは、ダンゾウは火影勅命にしてでもサクモを行かせるつもりだったが、元々サクモは出向するつもりだったのである。

 

「畳間。あたしは、サクモにも、もちろんあんたにも、そんな任務を受けてほしくなかったけど……。二人とも行くんだろうなとも、思ってた。だから実を言うと、意外なの。サクモが名乗りをあげたとき、あんたも行くと思ってたから」

「ああ、そのことか」

 

 イナが湯のみに満ちる透き通った茶を見つめる。その雰囲気には、幼馴染が本格的な戦いに出向したことの不安が、現れていた。

 

「オレには、別でやることがあるからな」

「じゃあ、いつかは……?」

「イナ、そう不安になるな。らしくない」

「らしくないってあんた。友達が大変なのに……ッ!」

「サクモなら大丈夫だって。それに、木ノ葉の忍は強い。砂の忍を追い返して、それで終わりだよ」

「だといいけど……」

「それに、三代目からのお達しで、サクモに一時帰還命令が出た」

 

 木ノ葉の里の者のほとんどが、そう思っているだろう。

 

 木ノ葉は強い。大丈夫だと。

 

 だが、イナを安心させるために口ではそう言っても、畳間は胸中に渦巻く、一抹の不安をぬぐえずにいた。

 

 ―――サクモたちの部隊と交戦した砂隠れの者が使った、未知の忍術。

 

 サクモから届いた巻物には、砂隠れの忍が操る、未知の忍術について記されていた。

 

 ―――交戦中、砂の忍の間合いに入り込み、その胴体を蹴りつけた木ノ葉においては手練れと言える体術使いが、次の瞬間には足を斬り飛ばされ、地面に転がっていた。蹴り飛ばされたはずの砂の忍はすぐさま戦闘を再開させ、ダメージを負った様子も見られなかった。

 

 影分身よりもはるかに高度な耐久力を持つ、実体を持った分身か、あるいは幻術か……。少なくとも、砂が新たな忍術を開発したか、既存の術の新たな利用法を発見したことは確かだろう。

 

 サクモが呼び戻されたのは、その情報を詳しく上層部へ伝え、対策を練るためである。

 だが、それをイナに伝えることは無い。イナは上忍だが、極秘事項を伝えられる立場ではない。幼馴染に秘密を打ち明けられないもどかしさの中に、心を閉じることに”慣れてきた”自分を見つけ、畳間は内心で笑った。

 

「サクモ、帰ってくるの?!」

「ああ。秋道一族の……イナは山中だから、知っているだろう? トリフさんが小隊を率いて、前線に派遣された。交代でサクモが木ノ葉に戻ってくる。三代目への戦況報告と、休暇だ。戦いばかりでサクモも疲れただろうし、幼馴染組で、旅行にでも行こうか」

「それ、すごくいい! はぁーん、久しぶりの旅行ね」

 

 イナの表情に花が咲く。

 

 畳間が思いついたのは、過去に任務で何度か赴いた、湯隠れの里。あの里は砂隠れから遠く、争いとは無縁の場所だ。息抜きをするには、丁度いい。

 

 

 

「いやぁ、畳の兄さん、悪いですなぁ。ワシらもご一緒させてもらって」

「……」

「しかも今回の旅行費は畳の兄さんがお持ちくださるとは……。なんという太っ腹! ワシも見習いたいものですなぁ」

「自来也……」

「なんですかのォ?」

「黙ってろ」

「はい」

 

 ―――少し前。

 イナとの逢瀬から数日後、帰還したサクモとイナに加え、中忍昇進の祝いを改めて行うために誘われた綱手を含めた畳間ご一行は、昼過ぎに”あ”、”ん”の門で待ち合わせする手はずとなっていた。残念なことに、縄樹はアカデミーがあって予定がかみ合わず、留守番となった。むくれる弟に、畳間はお土産を山ほど持って帰ると約束し、旅行の前日は縄樹の気が済むまで、綱手、畳間ともに腕白な縄樹の遊び相手となって過ごした。

 

 ―――少女から女性へと成長しつつある綱手。彼女の薄い金の髪は艶やかな色を称え、慎ましやかであった胸部は、母性溢れるものへと成長しつつある。

 そんな綱手と、隣を歩く畳間は、里の者からすれば絶好の好機の対象である。仲睦まじい兄妹として周知されているがゆえに、暇を持て余した者たちの格好の餌である。

 遂に報われぬ愛に生きるための逃避行か―――そんな噂話が聞こえて来た日には、綱手は顔を真っ赤にして通行人に襲い掛かろうとし、畳間に襟首を掴まれ制止された。

 

 そんなこんなで”あ””ん”の門まで来てみれば、サクモとイナに加えて、もう二人―――白髪の青年と、黒髪の青年が、たいそう大きな旅行鞄を抱えて、傍に立っている。

 

 畳間は思わず自分の目を疑った。二人―――自来也と大蛇丸がそこにいる意味が分からなかったし、何を思って自来也がどや顔をしているのかも、畳間には分からなかった。

 

 混乱する畳間をよそに、肩を竦めて笑っているイナは歓迎ムードであったし、サクモは気にした様子もなく本を読んでいる。はっとして、畳間は綱手を見た。綱手は冷や汗を浮かべて目を泳がせていた。

 

「綱、お前……」

「あ、あはは……。お兄様、ごめん」

 

 まさかの人物の、まさかの造反であった。

 

 綱手は、中忍昇格の祝いを場を遅まきながらも設けてくれるという兄の言葉に、当然、班員である大蛇丸と自来也も含めたものだと、思ったのである。翌日には意気揚々と二人に告げ―――どうも違うらしいと感じ始めたときには、後に引けなくなっていた。よって、イナに相談し―――結果、綱手を襲った危機は、畳間にだけ内緒の悪戯へと変化したのである。

 

 兄を欺く強かさを身に着けた妹に、畳間は兄として思うところがないわけではなかったが、綱手が中忍になれたのは、大蛇丸と自来也の存在も大きい。同じく中忍となった彼らを、畳間は祝ってやろうと内心で思った。普段は冷然でノリの悪い大蛇丸も、今日に限っては乗り気であるようで中々愛らしかったし、それに、可愛がっている後輩たちでもある。甘えられて嬉しくないわけではなかった。よって

 

 ―――が、道中の自来也の絡み方が地味に煩わしかったので、畳間は少し不機嫌になった。

 

「自来也、やめときなさいよ。お兄様はそういう絡みは嫌いなのよ」

「むぅ、つまらん男になってしまったのォ……」

「黒暗行の術」

「ぬぁあああ?! 急に真っ暗に!? 耳も聞こえん!! 綱手、大蛇丸! どこだ!? 敵襲か?!」

 

 はしゃぐ自来也と、それに構う綱手。畳間は二代目火影から受け継いだ幻術の奥義を自来也に仕掛け、素知らぬ顔で道を進んで行く。

 

「もう、綱手ちゃん取られたからって、妬かないの」

「別に、あの二人は付き合っているわけじゃない。ちょっと仲がいいだけだ。取られたなんて、思ってはいない」

 

 すたすたと進んで行く畳間の横に並んだイナが、畳間の顔を覗き込み、その不機嫌そうな表情を見て、吹き出すように笑う。

 畳間は不快そうに眉を寄せ、イナを軽く睨んだ。イナが怯えたふりをして可愛らしい悲鳴を短くあげる。

 

「もう、怖い顔しないの」

 

 畳間の頬をつつき、イナが畳間の腕を組む。畳間はイナの気遣いに肩の力を抜き、自来也にかけていた黒暗行を解除する。

 

「恐ろしい。なんちゅー術を持っとるんだ、畳の兄さんは……」

「まあ、あれで”あの”二代目の弟子だから」

 

 後方で呟いた自来也の肩を軽く叩いたサクモの言葉に、自来也は生唾を飲み込んだ。

 

「けれど……よかったのですか? 私たちもご一緒させてもらって……」

「ああ、気にしなくていいぞ、大蛇丸。資金はどうってことないし、お前たちの中忍昇格を祝っているのは嘘じゃない。むしろ、遅くなってしまったな」

 

 年を重ね、畳間たちに敬語を使い始めた大蛇丸。ゆったりとした着物に身を包んだ彼は、無表情の言葉の中に、罪悪感を見せる。そう敬われると逆にいたたまれなくなる畳間は、大蛇丸に笑いかける。

 

「恐縮です」

 

 軽く頭を下げた大蛇丸に、畳間はもう一度気にするなと笑う。

 

 それを見ていた自来也は、自分の扱いとあまりに違う畳間の大蛇丸への態度にふて腐れるが、綱手から話を振られたことで鼻の下を伸ばした自来也は、すぐにそれを忘れた。

 

 

「アカリも、一緒だったらよかったんだが」

「そうだなぁ」

 

 湯隠れの里に到着し、イナと綱手の女性組、大蛇丸、畳間、サクモの男性組、そして一人でどこかへ向かった自来也の三組に分かれ、歓楽街を散策することになった。サクモと畳間は任務で再三訪れたこの場所の旅行に、アカリも連れて来たかったと、内心を吐露し合う。大蛇丸は、『白い牙』、『昇り龍』と謳われるに至ったサクモと畳間二人の先輩に、以前から忍術について聴きたかったことがあるらしく、普段からは考えられないくらいの饒舌さを見せ、二人の苦笑を誘った。

 

「この髪飾り……」

「なんだ、イナへのプレゼントか?」

「いや、そうじゃないが」

「では、綱手へ?」

 

 露天商を回っていた畳間が、一つの髪飾りに目を向けた。

 サクモはイナを、大蛇丸は綱手を、それぞれが身近に感じる畳間と親しい女性の名を告げる。けれども畳間はどちらの名にも首を振り、黄色の髪飾りを手に取った。

 

「ちょうど良さそうだな。おやじ、これをくれるか」

「ええ……、新しい女か?」

「さすがにそれは……」

 

 小さな紙袋に入れられた髪飾りを懐へ収め、満足げに笑う畳間に、サクモと大蛇丸がひそひそと言葉を交わす。

 

「聴こえてるぞ、お前たち。オレをなんだと思ってる」

 

 呆れたような表情を浮かべて畳間が言えば、気恥ずかしそうに二人が笑った。

 

 ―――少しして、歓楽街が本来の姿を取り戻す。昼とは打って変わった夜の妖艶な賑わい。入り乱れる男女の声をを聞きながら、畳間たちは宿泊先の露天風呂の中、温もりと安らぎを味わっていた。

 

 女風呂では、イナと綱手が美肌効果があるという湯に顔の半分まで沈め、互いの姿を見て笑いあう。イナがゆっくりと、綱手に近づいていく。綱手はイナから感じる不穏な気配に若干引き気味な表情を浮かべる。肩が触れ合うほど近くに、綱手とイナが並ぶ。

 

「なんですか、イナさん」

「んー、大きくなったなって思って」 

「ど、どういう意味ですか!!」

 

 イナの視線の先にあるものに気づき、綱手が頬を染めて声を荒らげる。イナは悪戯っ子のように笑う。

 

「ちょっと前まで、小さかったのにねぇ」

「婆臭いこと言わないで下さい」

「ば、ばばッ……!?」

 

 綱手の言葉にショックを受けたイナが目を見開き、怒りに表情を染める。

 

「そんなこという子は……こうよ!!」

「ちょッ……、あ、いや、やめてください! どこを触って……ああ……!!」

 

 ―――一方、男風呂。

 

「あいつら、何やってんだよ……」

「はしゃいでるね」

 

 畳間とサクモが顔を見合わせ、呆れたように笑いあう。大蛇丸は目を閉じて、湯を堪能している。果たして染まった頬は、湯の温もりが故かどうかは、本人にしか分からない。そして自来也はと言えば―――

 

「ぬほォオオオ!! この壁の向こうに楽園がある!! 生きててよかった!!」

 

 目を見開き鼻の下を伸ばして、湯船から勢いよく立ち上がった。自来也が立ち上がった拍子に飛び跳ねた水しぶきが畳間を襲い、不快そうに眉を寄せる。さらに言えば目の前で揺れるものが不愉快さを加速させていた。

 

「おい、自来也。大人しく風呂につかってろ」

 

 畳間の言葉に、自来也は信じられないことを聞いたと、愕然とした表情を浮かべた。

 

「畳の兄さん、正気ですかのォ……?」

「オレはお前の正気を疑っている」

「馬鹿なことを!! この壁の向こうに神秘が待っとるんです! 男として、男としてッ、見たいとは思わんのですかッ!!」

「そうは言われてもなぁ……綱手はガキの頃から、忙しい両親に代わって風呂に入れてやってたし、見慣れてると言えば見慣れてる。そもそも妹の裸を見たいとは思わんだろ。イナもまぁ、なんというか」

「―――サクモさん……!!」

「オレは結婚を約束した人がいるし、馬鹿な真似はできないよ」

「え……。サクモ、初耳なんだが。凄く驚きの事実なんだが」

「あれ、言ってなかったかな」

「アカリー! 帰って来てくれー!!」

「大丈夫、結婚式には畳間も、もちろんアカリも呼ぶ」

「そうじゃねぇよ!!」

 

 畳間が信じられないと、驚愕に表情を浮かべ、サクモに詰め寄って詰問する。裸の男同士が見つめ合う姿は精神的によろしくないが、自来也からすれば、妹を守る兄(たたみま)を釘付けに出来て好都合であった。

 

 自来也は素早い動きで湯船から上がり、壁に向かっていく。その素早い動きの根拠は、昼間、自来也は一人で行動していた際に、のぞきスポットを探っていたからである。自来也はスケベのためならば努力を惜しまない、欲望に忠実な男であった。

 

 自来也は昼間、壁に開けておいた小さな穴に、細めた目を重ねる。しかしその瞬間―――のぼせ上っていた自来也の脳は瞬間的に冷却され、蕩けていた瞳には、絶望が過った。

 

「―――はぁい、自来也。元気かしら」

 

 穴の向こうには、体にタオルを巻いた綱手が、壮絶な笑みを浮かべて手を振っている。

 

「げ、元気と言えば、元気だのォ……」

 

 目を逸らし口の端を引きつらせた自来也は、背中を走る寒気を感じた。

 

「そう。元気なら嬉しいわ。じゃあ、さようなら」

「まて、つな―――ッ!!」

 

 瞬間―――凄まじい轟音が風呂場に届いた。男湯と女湯を区切っていた壁は粉々に吹き飛ばされ、瓦礫は男湯に降り注ぐ。素早く印を結んだ畳間が水遁を発動し、降り注ぐ瓦礫から、裸の大蛇丸とサクモを守る。

 

「じ、自来也ァアアーーー!!」

 

 畳間が叫ぶ。

 畳間は見た。崩壊する壁の中を凄まじいまでの力強さで突き抜けた拳が、自来也の体を殴り抜けた瞬間を。殴り飛ばされた自来也の体は凄まじい勢いで風呂場を離れ、吹き飛んでいった。露天風呂だったことが幸か不幸か、吹き飛んだ自来也の体はそのまま外へ放り出され、露天部から見えていた渓谷の闇へと飲み込まれていく。

 

「綱、やりすぎだ!!」

 

 畳間が半裸の綱手を叱責する。さすがにここまでやるつもりは無かった綱手は、事の重大さに狼狽えて、青ざめた表情をしている。もとはと言えば自来也の所業が原因の、いわば因果応報であるが、そもそも綱手の怪力は仲間に向けるものではない。そのことは、畳間が口を酸っぱくして言い聞かせてきたことである。 

 

「イナ、掌仙術の準備をしておいてくれ。オレは自来也の救出に向かう」

「畳間、オレも行こう」

「は、はい!」

「大蛇丸、旅館の被害は千手が保証すると、女将に伝えてくれ」

 

 崩壊した壁の向こうで、体にタオルを巻きつけたイナが、呆然と惨状を見つめていた。畳間はイナに声をかけると、背中を向けて走り出し、サクモもそれに追従する。頼もしい二人の背中は、しかし腰布一枚の半裸男たちのものである。

 畳間の背中を見送って、イナが行動を起こす。

 

「綱手ちゃん、大丈夫よ。こんなときのために、あたしは掌仙術を修めたんだもの。綱手ちゃんも、自分を責めなくていいの。要は、あたしたちが自来也くんを治せばいいんだから。壊して治す。何も問題ないでしょ?」 

 

 イナの言葉に、問題ありまくりだろうと大蛇丸は思ったが、混乱した綱手には効果覿面だったらしく、綱手は力強く頷くと、イナと連れ立って脱衣所へと向かう。

 一人残された大蛇丸は、このメンツでは決して避けられぬ騒動に、一つため息を吐いた。

 

 ―――その後、救出された自来也は半死半生の本格的に危険な状況であったが、その場に居合わせたイナと綱手が、里で上から数えた方が早いほどの医療忍者だったこともあり、九死に一生を得た。しかしその重症具合からしばらく安静にする必要があり、畳間は一人、飛雷神の術を使い里へ急遽帰還し、三代目火影に対し、猿飛班の長期休暇を申請。

 

 旅行に言っていたはずの畳間が一人、飛雷神の術で帰還した際は何事かと荒らげたヒルゼンも、事の顛末を聞いて力なく椅子に背を預け、呆れたように笑うしかなかった。瀕死の重傷という危機的状況も、原因が原因では真剣に受け止めきれないのも無理はない。

 

 

 ―――木ノ葉隠れの里を、俯いて歩いていた。

 

 髪の色を笑われた。火影になりたいという夢を、笑われた。

 髪の色が真っ赤で、少しふっくらしてるから、まるでトマトのようだと―――馬鹿にされた。

 

 赤い髪の少女は、木ノ葉隠れの里の生まれではなかった。

 木ノ葉隠れの里と、少女の生まれ故郷―――渦隠れの里の友好のために、木ノ葉隠れの里へ引っ越してきた、いわゆるよそ者である。ある意味で外交の人柱とも言える―――少女は、自分がそんな微妙な立場であることは、幼いながらも自覚していた。

 だが、少女は木ノ葉隠れの里を好きになりたかった。第二の故郷として、渦隠れの里と同じように、愛したかった。そして、木ノ葉隠れの里の皆と仲良くなりたかったから、少女は己の夢を、アカデミーの生徒たちの前で、勇気を出して告げたのだ。

 だが少女の想いは、心無い言葉と嘲りに踏みにじられた。

 

 ただただ悔しくてたまらなかった。自分の容姿を思えば、自分でも納得してしまえるトマトという仇名に、少し腹が立った。自分の髪の色は大嫌いになったし、火影だって嫌いになった。

 

 ―――ふと、少女は顔をあげた。

 

「あ……」

 

 視線の先には、よそ者の少女を受け入れてくれる、たった一人の男性の背中。男性は、少女に気づいていない。少女は先ほどまでの鬱屈した気持ちを忘れ、まるで迷子の子供が親を見つけて歓喜したかのような勢いで、男に向かって走り出した。

 

「畳間さん!!」

 

 いてもたってもいられず、走りながら、男の名を―――千手畳間の名を呼んだ。

 畳間が振り返る。木ノ葉隠れの里にあって、少女と同じうずまき一族の血を受け継ぐ男であり、少女が唯一味方だと信じられる人。彼がいたから、少女は火影を、自分の赤い髪すら嫌いになっても、里を憎むことだけは、しなかった。

 

「―――ん?」

 

 呼び声に、畳間はすぐに振り返った。

 赤い髪を振り乱して畳間に向かって走る、赤い髪の少女。嬉しそうな笑みを浮かべて、どこか必死で走る姿は、畳間には愛らしいものに見えた。

 

「畳間さん!」

 

 少女は走る勢いのまま、畳間の腰に抱き着いた。

 畳間は数々の戦いを経て、数少ない木ノ葉の上忍でも、トップクラスの実力を誇るに至っている。畳間は少女の突進などでバランスを崩すことは無かったが、けれども少女が飛びついた衝撃で、その小さな体にダメージを負わないように、体を少し揺らすことで突進の衝撃を散開させた。

 少女は畳間の私服―――袴に顔をうずめ、うーうーと唸っている。畳間は苦笑する。けれども、少女の心が乱れていることを感じて、落ち着いてほしいと頭を撫でた。

 

「うー」

「おいおい、どうしたんだ? ―――クシナ」

 

 赤い髪の少女―――うずまきクシナは、畳間に名を呼ばれ、喜びに顔を綻ばせた顔で、はじけるように畳間を見上げた。

 

「会いたかったってばね!!」

「ほう。会いたいときに会えるってことは、オレたちは縁があるみたいだな。オレは言葉通りに飛び回ってるから、なかなか会えるものじゃない」

 

 長身の畳間は、小さなクシナに目線を合わせるために、しゃがみ込む。クシナの赤い髪を優しくなで、笑いかける。少し、髪が痛んでいる。慣れない環境ゆえのストレスか、髪の手入れをするための化粧品を、贈ってやるかと、イナにも滅多にしない気遣いを畳間は考える。

 

 髪を撫でられたクシナは頬を赤らめて、口の端を緩ませた。

 

「それで、どうしたんだ? クシナ。何かあったのか?」

「畳間さん、私、悔しいってばね!! みんな、私のこと、トマトトマトって、馬鹿にして……」

「トマト……? オレは、この赤い髪は嫌いじゃないがな……。トマトも好きだし」

「た、畳間さん……」

 

 畳間は、頬を赤く染めるクシナの赤い髪を指で掬った。

 

 畳間は胸中で、畳間が幼少のころの祖母―――うずまきミトの髪色を思い出した。

 今は白く染まったうずまきミトの髪も、畳間がまだ忍になる前は、艶やかな赤色だった。はっきり言えば見慣れているので、特に違和感を感じなかったのである。

 だが、お婆さんと同じ髪だから特に思うところはないと言われて、喜ぶ女はいないだろう。さすがに察した畳間は、後半を口にすることは無かった。

 

 畳間はクシナの頭から手を放す。クシナは少し名残惜し気に、離れていく畳間の手を眺め、その後、畳間の顔を見つめた。

 

「畳間さん。トマトが好きってことは、私の髪も好きってこと!?」

「え?」

 

 何故そうなるのかと畳間は思ったが、うるうると瞳を揺らすクシナを見て、言葉を飲み込んだ。乙女心は複雑であるし、不安定な心に、畳間の言葉で安心を得たいのかもしれない。

 

「そうだな」

「畳間さん!!」

 

 クシナははじけたように、畳間に抱き着いた。

 畳間は優しく抱き留めると、いさめるようにクシナの後頭部を優しくなでる。

 

「クシナ。お前の後見人は、元々はうずまきの姫であったオレの祖母、ミトだ。もしも本当に辛いことがあれば……『千手』の名を出しなさい。里の者は、それで大方、黙るだろう」

 

 畳間の言葉に、クシナは思案気に顔を伏せた。

 少し悩んだ後、毅然とした表情を、畳間に見せる。

 

「私は……、私は自分の力で、みんなを認めさせたいんだってばね」

「そうか……余計なことを言った。強い子だな、クシナは」

「そ、そうかな?」

 

 照れたように笑うクシナに、畳間もまた笑う。

 

 新しい妹が出来たようで、畳間は嬉しく思った。

 うずまき一族の血は、畳間にも流れている。クシナは、畳間にとって遠い親戚にあたる。少し男勝りで快活な性格も、どこか幼いころの綱手を彷彿とさせた。

 

「そうだ。ちょうどよかった。よく頑張っているクシナに、プレゼントがあるんだ。さあ、手を出して」

 

 抱き着いていたクシナを優しく放し、畳間は懐から小さな紙袋を取り出した。 言われたとおりに両手を出しているクシナの手のひらに、畳間はそれを優しく置いた。

 

「うれしいってばね!! 開けてもいい!?」

 

 笑って頷いた畳間を見て、クシナは花のような笑みを浮かべる。壊れ物を扱うかのような慎重さで、クシナは紙袋を開ける。

 

「わぁ……」

 

 中に入っていたのは、黄色の髪留め。温泉街の露天商で買った、あの髪留めである。

 クシナは畳間の顔と髪留めを、驚いたように見比べる。

 

「クシナの髪色に、合うんじゃないかと思ってな」

「……つ、つけてもいい?」

「そうしてくれると、オレも嬉しい」

 

 クシナは頬を染め、嬉しそうにはにかむ。すぐに前髪を手でかき上げると、手早く髪留めで赤い髪を飾った。

 

「どう?!」

「似合っている。クシナは美人さんだな」

 

 クシナは誇らしげに笑い、髪を強調するように、上目遣いで畳間を見る。

 

 畳間は少し乱れたクシナの髪を優しくすいて、笑みを返した。喜んでいるクシナを見て、畳間もまた嬉しく思う。

 

「……ん?」

 

 畳間は少し離れたところから、畳間を―――というよりは、クシナへ向けられている視線を感じ取った。

 畳間は気づかれないように、意識を気配を感じる方向へ割いた。

 

 畳間は感知タイプではないため、この場から詳しい分析をすることこそ叶わないものの、気配の主の未熟な隠密術からして、忍である可能性は低いだろう。

 畳間は自然な動作で気配の方向へ視線を向ける。

 

 ―――金色の髪が、物陰に隠れる姿を捉えた。

 

 かすかに見えたのは、畳間の弟、縄樹と同年代であろう少年だった。

 畳間は内心で朗らかに笑う。クシナの話からして、クシナの周りは悪ガキばかりの孤立無援な状態なのだと、畳間は思っていた。だがなかなかどうして、クシナも隅に置けないようである。

 

「クシナ。その髪留めはお守りだ。無くすなよ?」

「無くすわけないってばね!!」

 

 畳間の言葉に、クシナが怒ったように眉根を寄せる。人から貰った大切なものを無くすような人間だと思われたのが、嫌だったのだろう。

 

「すまんすまん。気に入ってくれてオレも嬉しい。お詫びに、今度、何か御馳走しよう」

「えー、今じゃないってばね……?」

「悪いが、今は忙しくてな……」

 

 綱手と自来也のケアをするため、湯隠れの里へ戻らなければならない。自来也はまだ意識を取り戻さず、綱手はそれを気に病んでいる。

 自来也に関しては笑ってしまうくらいの自業自得なのだが、綱手からすれば、覗きの制裁とはいえ、仲間を危篤まで追い込んだ自分を責めざるを得ないだろう。

 

「後日、必ず御馳走するから。そうだな、今度アカデミーが休みの日に、迎えに行こう」

「ほんとう?! 約束だってばね!!

「ああ、約束だ」

「私、私、塩ラーメンが食べたいってばね!!」

「ああ、構わんぞ。里一番の塩ラーメン屋を探しておこう」

 

 畳間は立ち上がり、少しだけクシナの話に付き合うために、並んで歩きだした。

 明るく笑うクシナの進む道が、光差すものであると願って。


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