病んだり病む暇もなかったりで非公開にしていた。後悔も反省もしている
待ってくれている人がいるなら、また気長に付き合ってほしい
目の前で爆風が吹きすさぶ様子を、灰色の世界から、アカリは俯瞰していた。
今出て行けば、爆風と熱気に体を晒すことになる。一時的に蒸気暴威が消え、二代目水影を打ち取る絶好の機会に、手をこまねいていなければならないことの口惜しさに歯噛みする。
「おう、アカリ。どうするつもりだ。ありゃ、一筋縄じゃいかねぇぞ」
アカリの抱える棍棒が声を出した。アカリの目線と同程度の高さに、一つ目が浮かび、ぎょろりとアカリを見つめた。
アカリは少し驚いたように肩を揺らした。
「いい加減に慣れろよ……」
「怖いものは怖いだろ」
棍棒が呆れたように言えば、アカリが恥ずかし気に口を尖らせた。
「ったく……」
ぼふんと煙が立ち上がり―――煙が晴れたとき、棍棒は無くなり、その場に入れ替わるように立っていた、巨大な猿だった。木の葉の額当てを付けたその巨大な猿の名は、猿猴王・猿魔。アカリの口寄せ動物であるが、もともと三代目火影・猿飛ヒルゼンの口寄せ動物であった。それが何故アカリと共にいるのかと言えば、アカリが猿飛の門を叩き、その秘術の一端を修めたからに他ならない。
うちはカガミの死後、己の力の無さを嘆いたアカリは、三代目火影・猿飛ヒルゼンの下を訪れた。アカリの弟子にしてほしいという熱意に折れたヒルゼンにより、アカリは猿魔の居住地である秘境の山へと送り込まれ、以後、厳しい修行の中に身を置いてきたのである。
杖術を得意とするアカリと、金剛如意という棍に変化する術を持つ猿魔との相性は良く、アカリと猿魔は紆余曲折を経て、ヒルゼンと猿魔の関係に勝るとも劣らない関係を築き上げていた。
「せめて大蛤を始末できれば接近戦もやり易いが……。幻術と水蒸気を利用して、絶えず居場所を変え続けている。毎度見つけるところからやり直すのは、さすがに骨が折れるな」
「スサノオを使って何とかならねェのか」
「しらみつぶしに探せと? あんなものを展開して動き回れるか。結構痛いんだぞ、あれは」
「……そんなこと言ってる場合じゃないだろ」
呆れたように目を細める猿魔にアカリは困ったように口を尖らせる。
「あれは使わねぇのか?」
「策としては考えている。ただ、最後の最後まで隠しておきたい」
「悪いがな、早めに決めてくれ。この空間は、口寄せ動物にはちときついぜ」
「そうだったな……。すぐにでも出たいが……、策を考えねばなるまい。猿魔は一度、戻ってくれ」
「すまねぇな。何かあればすぐにでも呼んでくれ」
輪墓の世界は、動物には人間以上に負荷のかかる場所らしく、猿魔は長居したくないらしい。冗談でなく辛そうに表情を顰めている猿魔の様子に、アカリは一度口寄せの術を解いた。
ぼふんと、猿魔の姿が煙の向こう側に消える。
さて、とアカリは思考する。
控えめに言って、アカリと二代目水影の相性は悪い。火と水、と言うだけの理由ではない。これはサクモにも言えることだが、第七班に置けるアカリの役割とは、中距離および近距離戦を得意とする忍を、その圧倒的な速さ、あるいは文字通りの火力を持って捻じ伏せることである。遠距離戦、あるいは搦め手を得意とする忍を遠距離から表に引きずり出して正面から対峙させるのは、畳間の得意分野である。
もしも―――アカリが到着するまで畳間が無事であったなら、恐らく、
相手は霧の”影”を負う者。隠し玉の一つや二つ用意していて当然と考えねばならない。木の葉における二代目火影、あるいは三代目火影を相手に交戦することと同義である―――そう意識しなければならないのだ。
仮にヒルゼンや二代目が畳間と同じ状況になっていたとすれば、必ず簡易な分身を先行させ、様子を見ただろうことは言うに及ばない。
畳間の行動は、浅慮が過ぎると言わざるを得ない。だが、ともアカリは思う。
畳間は確かに、思慮深いように見えて実は直情的という性格をしている。それが原因で危機に陥ったこともまれでなく、実際、カガミからも弱点としてその指摘は受けていた。
しかし二代目火影の死後、畳間はその後継者に相応しい忍に成らんとしていた。アカリが里を出る前までは、確かにそう在ろうとしていたはずなのに。なぜ今さらそのような初歩的なミスを犯したのか。
―――やはり師が言ったことは本当だったか。
アカリは先に起きうる最悪の可能性を思い、瞑目した。
だが、今考えることはそれではない。アカリは一つ息を吐き、思考を切り替える。目の前の敵は、二代目水影。兄を殺した男。油断や慢心が燻っていて、勝てる相手ではないのだから。
★
「来やがったか!!」
二代目水影がはしゃぐような叫びをあげたとき、空中からは無数の火の雨が降り注ぐ。二代目水影はそのすべてを水鉄砲で撃ち落としながら、火の雨を縫うようにして蒸気暴威を走らせる。
空気中でかき消された無数の水鉄砲と火の雨は、超高温の蒸気へと変貌し、それを取り込んだ蒸気暴威は瞬く間に膨れ上がり、空中で大爆発を引き起こした。再び周囲は霧に呑み込まれる。
それから数時間、アカリと水影の泥沼の戦いは続いた。
アカリの攻撃を徹底的に受け流す二代目水影と、万華鏡写輪眼を駆使しヒットアンドアウェイを繰り返すアカリ。互いに有効打を飛ばせないまま、戦いは長期戦へともつれこんでいた。
戦いの間隙。輪墓へと逃れ、アカリは小さく舌打ちをする。
アカリは火遁を極めたくノ一であるが、逆を言えば、それ以外は苦手ということでもある。同ランクの水遁ならば真向から打ち破る威力を誇るアカリの火遁だが、しかし蒸気暴威の前には、まさに火に注ぐ油。周囲の気温をあげ、蒸気暴威の火力をあげてしまう羽目になる。
万華鏡写輪眼の発動に使用するチャクラ量は多く、このまま戦い続ければ、先に根をあげることになるのは、アカリの方だった。
無数の経験に裏打ちされた隙の無い敵。二代目水影は、真実、アカリが出会った中で最強の敵だった。
「これ以上、戦いを長引かせることは出来ない……賭けに出るか? いや、しくじれば死ぬ。それだけならまだ良い……最悪なのは、私の万華鏡を他里に奪われること。無茶が許される身ではない」
類まれな才に恵まれた一族に生まれし者が、最も忌避しなければならないこと。それは己の死後、その体が敵の手に渡ることである。
「悔しいが……やむをえん」
スサノオを纏ったアカリが痛みを堪えながら、輪墓から踏み出し、現実世界へ帰還する。
二代目水影がすぐさまアカリに気づき、声を張り上げた。
「なあ娘っ子! 名は、アカリ、だったよなぁ!」
「……そうだが?」
「ここまで熱くなったのは久しぶりだ。カガミの野郎も相当な手練れだったが……お前、強ぇぜ」
「……その兄を殺した者に言われても、さほど嬉しくはないな」
「そういうなって。ところで、お前どうやって俺を倒すつもりなんだ?」
―――分かっているだろう。このままではお前は負ける。あるんだろう。奥の手が。
期待に満ちた二代目水影の表情。言外に含まれた意味を読み取り、アカリは不愉快そうに眉根を寄せた。
「教えるはずがないだろう」
「千手の小僧は期待外れだったからな、もっと楽しませてくれよ!!」
その言葉に、アカリがぴくりと眉をあげる。
「―――二代目水影。これだけは先に言っておく。畳間は私よりも強い」
「はぁ……?」
アカリの言葉に、二代目水影が何を言っているのかと、困惑に目を瞬かせた。
畳間は二代目水影を侮り、その奥の手の前に敗北を喫している。その畳間よりも弱い忍が、二代目水影に勝てる道理などあるはずがないというのに。
しかしアカリの表情は真剣そのもので、酔狂で言っているわけではない。二代目水影は、少し考えてその真意に気づき、獰猛な笑みを浮かべると、すぐに小さく噴き出して、次いで呆れたように肩を竦めた。
「なるほどな……。お前が俺に勝てば、
「―――無論。いくぞ水影。持てる我がすべてを尽くし、貴様にこの一撃を届かせる。おおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」
滾る思いが燃え上がる。
アカリの雄たけびに呼応するように、アカリを覆うスサノオが蜃気楼のように揺らぎだした。
その色は、青く、青く―――。
スサノオが空気に溶け込み一体化していくかのような光景は、苛烈でいて、けれどもどこか穏やかな光景だった。
やがて青い炎と化したスサノオはアカリを中心に逆巻いて、炎の柱へと変化する。
炎の柱は天を割り、天への
そして現れたのは―――。
「青い太陽……」
神々しいまでの青き光を放つ火炎の球体が、大空に出現した。
二代目水影が呆然とそれを見つめた。
だが、アカリの術はこれで終わらない。太陽はゆっくりと形を変えていく。
火の玉の下方から3本脚の鉤爪が突き出し、背部からは伸びた灼熱の翼が羽ばたき、そして空を割った。丸い太陽は縦に伸び、纏う熱気を揺らめかせ、周囲の空間を歪ませながら、さらにその姿を変えていった。頂点が鳥の
「青い鳥……。こいつぁ、とんでもねェ……! 金の卵が、羽化しやがった!!」
二代目水影が、豪快に、そして獰猛に笑った。
圧倒的な力を前にしたことへの恐れも、あるいは敗北し命を落とすことへの不安さえも、そこにはない。あるのはアカリへの称賛と、強敵を前にしたことに対する喜びだ。
炎の鳥が残る水分を焼き尽くし、蜃気楼は存在を許されない。曝け出された大蛤は、蒸し焼きにされる前に、口寄せを解除されたのか、煙の中にその姿を消した。
「いいぜ! 俺もありったけをくれてやる!! 奴の炎すらも呑み込んで、最高の爆破を見せやがれ!!」
蒸気暴威が、周囲の水分とチャクラを吸い尽くし、そしてアカリの熱気を受けてこれまでにないほどに大きく成長していく。
天に羽ばたくは炎の烏。
相対するは水の巨人。
「すべてを吹き飛ばせ! ―――
「喰らい、穿ち抜け!!
巨大化した蒸気暴威と、アカリの青い烏。その激突に周囲は一瞬で強烈な光と熱気に呑み込まれ、吹き荒れる蒸気の暴風が地上を押しつぶした。
―――爆風。
すべてを燃やし尽くし、薙ぎ払う強烈な熱風は、人々が暮らした家屋のことごとくを瓦礫へと変貌させていた。
―――肌に張り付くような湿気と暑さの中、肩を荒げるアカリの周囲から、チャクラの鎧が溶けるように崩れ落ちた。
同時にその瞳からは万華鏡が失われ、三つ巴へとその紋様を変える。
少し離れた場所で、大きな音を立てて、瓦礫の山が崩れ落ちた。
アカリは舌打ちをする。チャクラを酷使し、腕が満足に上がらなかった。それでもアカリは闘志の揺るがぬ鋭い視線でそちらを睨みつけ、その拳に小さく炎を纏わせた。
「形態変化と、性質変化の同時発動……。印もねぇのか」
瓦礫を押しのけて現れたのは、纏った大業な衣服の端々が破れ、泥と血に塗れた肌を露わにした、二代目水影だった。
二代目水影がアカリを見て小さく呟いて、嬉し気に笑った。大した才能だと、敵里の若者であっても、その大いなる才能の芽吹きに、二代目水影は喜びを禁じ得なかった。
しかし”鬼灯幻月”は、霧隠れの二代目影を背負うもの。戦争の中に合って、敵への情けは無い。彼は静かに人差し指を伸ばして、アカリに向ける。
「この距離は俺の間合いだ。じゃあな」
強敵よ、せめて苦しまぬように。
楽しかったぜ。そう笑い、二代目水影がアカリの眉間目がけて水鉄砲を放ち―――しかしそれは空中で見えない壁にぶつかって霧散し、また同時に二代目水影は何かに押しつぶされるようにして膝をついたことによって、その命を永らえた。
「ぐ、あ……」
アカリが苦し気に呻き、首が後ろへと反っていく。
アカリの右目から赤色と黒い巴が失われ、同時に左目が万華鏡の紋様を取り戻す。
左目に走る激痛に、アカリの意識が遠くへと誘われ―――空間が歪んだ。
アカリの瞳から、半透明の腕が飛び出した。同時に、アカリの体が痙攣したように震える。
腕が伸び、胴体が、頭が、もう一方の腕が―――そして、血に濡れた偉丈夫が這い出してくる。
偉丈夫―――畳間が地に足を付けると同時に、アカリの体から力が抜け、地面に倒れ込む。
「馬鹿な……っ。てめぇ……イズ、ナ……」
まだ幻月が影を背負う前、若造のころに見たある忍者。忍界最強のうちは一族を率いる、二枚看板の片割れ―――その力。
アカリは途切れそうになる意識を無理矢理に繋ぎ止める中、その言葉を確かに聞き取った。
「な、ん……」
アカリの苦し気な声。しかし畳間は、深い漆黒に染まり冷え切った万華鏡を、地に膝をつく二代目水影に向けるのみ。
畳間が静かに、人差し指を二代目水影に向けた。畳間の指が鋭利な枝へと変貌し、それは凄まじい勢いで二代目水影へ向かって飛び立った。
死ね。簡潔な殺意を乗せられた挿木が二代目水影に突き刺さらんとした瞬間、二代目水影を蹴り飛ばし、名も無き霧の忍がその身代わりとなった。己が里の長を守らんとする名もなき忍は、その霧の忍の体を突き破り顕れた無数の挿木によって、断末魔の叫びとともに、血の霧に沈む。
しかし畳間は蹴り飛ばされた二代目水影にのみにその意識を向け、再び指先を向けた。アカリと水影の激突が終わったがゆえに集まって来た幾人もの霧の忍たちに、畳間は目も暮れず、ただ水影のみに視線を向けている。
霧の忍たちはそれぞれが各々の手段で畳間とアカリへ攻撃を仕掛けた。しかしそのすべては畳間に届くことなく、展開していたスサノオによってはじき返される。畳間はただスサノオの腕の一振りで、忍たちを物言わぬ肉塊へと変貌させた。
幻月へ、「お逃げください」と一人の忍が言った。その忍も、次の瞬間には骸になり果てた。辺りは血と肉の海へと変貌し、アカリは敵とはいえ、あまりにも無惨な光景に息を呑む。
それは一方的な虐殺だった。
二代目水影は死んでいく部下を守らんと、地獄の鬼のような形相を浮かべて立ち上がろうとしている。しかし、凄まじいまでの重圧が、彼の体を怒りごと押しつぶした。体は動かず、声すら出すことが出来ないようだった。水化の術で抜け出そうにも、水に変化した箇所は押しつぶされて薄く引き伸ばされるのみ。
畳間はその一筋の光も無い深淵の空洞が如き瞳で、じっと二代目水影を見つめている。明らかに普通ではない畳間の様子。
「た、たたみ、ま」
空気を震わせる雄たけびが、周囲に響く。瓦礫の山を押しのけて、側面より山のように巨大な蛞蝓が近づいてくる。
「まさか、尾獣……?」
アカリが膝に手を付いて、やっとのことで立ち上がる。
声が震えることを禁じえなかった。恐怖からではない。しかし、驚愕はあった。
今のアカリに尾獣を相手取る力は残っていない。畳間は、尾獣の存在に気づいていないのか、二代目水影を見つめ続けている。
尾獣が畳間とアカリに向けて、口を開き、巨大なチャクラの球体を生成し始める。そのときになって、畳間が始めて尾獣の方角へ意識を向ける。
「畳間!!」
アカリの叫びが、尾獣の咆哮に掻き消える。
背中を抱きしめるように、アカリが畳間に飛びかかる。
凄まじい爆風と光の中へ、アカリと畳間の姿が消える―――。
★
木の葉隠れの里の病室。
ベッドに横になったアカリは、窓の外から里の景色を眺めていた。
人の気配を感じ、入り口の方を見れば、果物が入った籠を持ったサクモが顔を覗かせている。
サクモが手に持った籠を台の上に置いて、近くの椅子を手前に引き寄せ、腰を下ろす。
「とりあえず、おかえり」
「……ただいま」
ふいと視線を逸らすアカリ。昔から変わらぬ素直ではない仕草にサクモは軽く肩を竦めた。
渦隠れの戦いから一カ月。
あのとき、ある方法で失ったチャクラを取り戻し、万華鏡写輪眼を再発動させたアカリの手によって、畳間とアカリは再び輪墓の中へと逃げ込んだ。我を失ったようすの畳間を気絶させたアカリは、その弱った体で輪墓の中を駆け抜けて、木の葉の国境へと逃げ込んだ。その後国境を守護する木の葉の忍によってアカリ達は発見され、意識の無いまま2人は里へと帰還。緊急入院となり、つい先日意識を取り戻したのである。
里の上層部や一族を除けば、面会謝絶解除後、サクモが最初の面会者となった。
食べるかと、サクモは持ち込んだ籠から手ごろな果実を取り出した。手慣れた手つきで皮を剥き始めたサクモを見て、アカリが哀愁を表情に浮かべ、サクモは不思議そうな表情を浮かべる。
「どうしたんだ?」
「お前の、その……」
「……皮むき?」
「そう。それを見ていたら、なんというか、父親なんだなって思った。聞いてはいたが……なんというか……」
「そうか」
サクモは皮を剥き、切り分け終わった果実を皿に乗せて差し出す。食べさせようかとふざけた様子で聞いたサクモにアカリは嫌そうに顔を顰めて、ひったくるように皿を受け取った。
「三代目から聞いた。大変だったな。その後のことは、聞いてるか?」
「ああ。渦は……滅んだと」
鎮痛な面持ちで顔を伏せるアカリ。
サクモは何も言わなかった。
「一族の者は口を揃えて言う。ドジを踏んで死にかけた千手を助け、二代目水影を倒し霧の前線を追い返した大手柄者だとな」
「その話は聞いてる。里はその噂で持ちきりだ。時代は千手じゃなくて、うちはだと。畳間は相当貶められている」
「違う。私は奴に一歩及ばなかった。生きて帰れたのは、畳間がいたからだ。そもそも私は、三代目火影以外に事の顛末を口にした覚えはない。なぜあの場にいた人間にしか流せないような噂が流れている? サクモお前、止められんのか」
「難しいだろうね。三代目も苦慮されている。……あまり大きな声では言えないが、三代目は内通者をお考えらしい。噂の内容からして目的は恐らく、千手とうちはの軋轢を深めること。本命は、畳間だろう」
「霧の仕業だと言いたいのか? 渦で畳間に似たやつが暴れていたという話は聞いたが、なぜ畳間だけが執拗に狙われるんだ」
「それは分からない。それに、これ以上はここで話すことじゃない」
「……畳間は大丈夫なのか?」
アカリは、あのときの畳間の姿を思い出す。異常なのは明らかだった。我を失ったような様子。それに、写輪眼。滲み出ていた闇に濡れたチャクラ。それは、アカリもよく知る、うちは一族の色。
三代目火影から聞いた、畳間の近況とその行動の変化。アカリの予想が正しければ、恐らく畳間は―――。
「自宅療養ってことになってる。縄樹が言うには、やはり落ち込んでいるようだけど、一昨日は久しぶりに元気だったそうだ。まあ一昨日は縄樹の誕生日だったっていうのも―――」
「縄樹? 縄樹か。そうか……元気にしているのか?」
「ああ、一昨日、縄樹の誕生日でね。綱手が縄樹にプレゼントを贈ったんだ。初代様の首飾り。それで、縄樹は畳間には額当てをねだったらしいんだけど、まだだめだって言われたって拗ねてたよ。そのとき笑ってたって」
「ほう」
「それで、縄樹が初代様の額当てを賭けて畳間に戦いを挑んだらしいんだけど……、花札で決着をつけたとかなんとか。つまるところ、縄樹が自分の誕生日を畳間の気晴らしに使ったらしい」
「それで元気になったと。ま、あいつブラコンシスコンだからな。綱手と縄樹がいれば、あいつは大丈夫か……。それにしても懐かしいな。久しぶりに会いたいものだ」
「それはしばらく難しいかもしれないな。今日から、縄樹も戦場に出る。後方支援だけどね」
「縄樹が戦場に……? どこにだ?」
「砂との戦線だ。補給部隊として参戦することになった」
「……大丈夫なのか?」
「後方支援だから、交戦することは無い。それにあそこには傍系だけど猪鹿蝶がいるからね」
「傍系の猪鹿蝶? イナのことか? そうか。あいつがいるなら大丈夫か……」
「そうだね。それに俺も少ししたら、砂の戦線に参戦することになる。今までカカシの育児のために暇を貰っていたけど、雲の猛攻が激しすぎて、余裕も無いみたいだ。まあ、うちのカカシは成長が早くて、一人にしても大丈夫なのかもしれないけどさ、実はもう家事なんかも出来そうなくらいでね、俺の子供時代よりよっぽどできた子供なんだが、これが誰に似たのか妙に面倒くさがりな節があって、少し心配なところではあるんだが、忍者としての才能はたいしたものがあるようで、チャクラなんかも無意識に練ってるみたいで、将来が楽しみなんだけどね。そういえばカカシはオレに似てるってよく言われるんだけど、どちらかというと母親似じゃないかとオレは思ってるわけで―――」
「分かった、黙れ」
「……とにかく、戦力を雲へ終結させて防衛線を強化し、砂は少数精鋭で一気に叩く―――といったお考えらしい」
「しかし縄樹も既に忍か……時が経つのは早いな」
下忍時代、アカリは縄樹を実の弟のように可愛がっていた。
里を長らく開けていたため久しく会っていないが、また昔のように遊んでやろうとアカリは柔らかく笑った。アカリの中では縄樹はまだ兄に構ってもらえず寂しがっていた、小さなアカデミー生のままだった。
「確かに。子供の成長は本当に早い」
「……お前のは、何かこう、私のとニュアンスが違う」
「ははっ」
★
畳間には、二代目水影との交戦中に意識を失って以降の記憶は無い。
三代目火影に己の知る限りを伝え、持ち前の回復力で退院を許されて屋敷へ戻ったとき、畳間は己の噂が里に蔓延していることに気づいた。
二代目水影に後れを取ったうえ、任務に失敗したという、忍失格の烙印―――。
「柱間様ならば、扉間様ならば―――」
初代火影の時代を知る老いた者から言い放たれた言葉は、畳間の心深くを傷つけた。
千手柱間に到底及ばない。
確かにその通りだろう。今の畳間と同じ年のころ、柱間と扉間は忍界最強の一族を率いる者として、恐らくは完成された強さをすでに身に付けていた。
うちはイズナの魂を持ち、写輪眼すら持つ畳間は、しかしその領域には遠く及ばない。一度だけその領域に届いた雲隠れ撤退戦における角都戦―――あの力を呼び覚ますことが、畳間には出来ていなかった。
あのときの力は、確かに千手柱間の残り香を起爆剤にして生み出されたものだったが、しかしその基盤にあるものは、扉間が畳間に叩き込んできたあらゆるものの集大成であり、己を受け入れたゆえに引きずり出せた眠る畳間自身の力であった。
なぜあのときの力を引き出せないのか―――そんな焦りは、確かに畳間の中にあった。
しかし、今は届かなくても、いつかきっとあの背に並ぶ―――そんな強い思いを持っていたがゆえにこれまではまるで響きもしなかった心無い言葉は、しかし二代目水影に敗北したことで生まれた心の揺らぎに、するりと入り込んだ。
―――成長できない自分への焦燥。夢を叶えられないことへの不安。
惨めだった。
渦隠れを滅亡に追いやった二代目水影を討伐したのが、増援として駆け付けたうちはアカリだという噂に、うちは一族はおおいに沸き立っている。
第一次忍界大戦および第二次忍界大戦の両戦争において、守りの要として前線に立ち続ける千手一族はその数を全盛期より大きく減らしている。一方、里の治安維持を専門とするうちは一族は戦死者が少なく、両一族の人口差は広がっていた。
そんな中、千手一族は、当主の任務失敗というスキャンダルを出した。
うちは一族は、アカリの台頭により影クラスの忍を輩出したことを知らしめた。
両一族の力関係は逆転し―――畳間の当主としての器を疑問視させる。
三代目火影は事態にいち早く気づき噂の箝口令を敷いたが、しかし勢いづいたうちは一族は止まらない。
端的に言えば、千手畳間は舐められた。
当代の千手にならば勝てる。うちは一族はそう判断したのだろう。
争いは起こさず、しかし千手の発言力は削り取る。かつての忍界最強の地位を取り戻すという野望のため、うちは一族は三代目火影に、任務を失敗した畳間に対する罰を要求した。
しかしヒルゼンは、雲隠れ撤退戦における
畳間はヒルゼンの配慮に感謝し、怪我が癒えるまでは自宅療養をすることを受け入れ―――やがて縄樹が戦場へ向かった。
―――その二週間後、ある報告が届き、畳間の心はどす黒く染まった。
畳間はすぐさまヒルゼンの下へ走り、事実確認をして、直後、目の前が真っ白になった。
”砂へ向かう”と喚く畳間を、ヒルゼンは「ならん」と叱りつけた。錯乱する畳間は数人がかりで取り押さえられ、飛来神の術を封じるために封印術まで施され、本当の意味で謹慎処分を言い渡された。この不祥事にうちは一族は速やかに付け込み、畳間は里における肩書を取り上げられ、ただの上忍となった。
惨めだった。負けなければ。勝てていれば。殺せていれば。殺していれば。
頭が割れるように痛い。湧き上がるどす黒い吐き気が胸を焦がした。吐き気が。吐き気がする。吐き気がする。呼吸も荒い。目の奥がねじ切れるような熱さを持った。背筋が悪寒に震えた。思考が纏まらず、宙に浮きぐるぐると回っているような不快感の中にいる。
―――た■け■くれ。
突然、”それ”は現れた。
影のような男。
いや、男と断じてしまって良いものか、畳間には分からない。それどころか、人と言って良いのかすら定かではない。
何者だ、と畳間が言った。
「黒ゼツ」と名乗った不気味な黒いヒトガタは、手のひらに乗せた二つの球体を畳間に差し出して、こう言った。
―――うちはの石碑を読め。