綱手の兄貴は転生者   作:ポルポル

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本当の自分

 火力を増したアカリの拳は、木人の腕を真正面から受け止めて、爆散させた。

 畳間は爆散する木片から腕で顔を庇い、アカリは周りの木片のすべてを体に纏う炎で燃やしながら突貫を続けた。アカリの拳が畳間を捉えた瞬間、畳間の姿が消える。

 同時に―――滝が、唸る。いつの間に印を結んでいたのか、重力に逆らい逆流する滝の水が龍の姿を象り、アカリを呑み込もうと駆け上った。

 アカリは水龍へ向けて火龍を放ち、周囲にスサノオを展開した。火と水がぶつかり、蒸気が立ち上る中、アカリのスサノオを木人の拳が殴りつけた。鐘が鳴るようにスサノオが揺れ、アカリは対岸へと戻される。

 

「木遁―――秘術・樹海降誕」

 

「これはっ」

 

 アカリの周囲の地面を突き破り現れた、無数の巨大な幹。その一つ一つが意思を持つ生き物のように、アカリを圧殺、あるいは締め上げようと蠢き襲い掛かった。

 上、下、左右、あらゆる方角から鞭のように襲い来る幹を避け、アカリは駆ける。四方から、アカリを押し潰さんと、幹が叩きつけられる。アカリは飛び上がりそれを避ける。

 瞬時に、それが罠だったと気づく。

 アカリの周囲を覆い隠すように、分厚い長方形の壁が地面から飛び出した。蟻一匹這い出る隙の無い棺桶のような檻。その逃げ場は空以外に無く、アカリはスサノオを足場に空高く飛び上がった。

 

 アカリが飛び出した瞬間、待ち構えていた数百本の挿木が一斉に発射される。アカリはスサノオを展開し己が身を守るが、突如として凄まじい衝撃に押され、吹き飛ばされる。水の龍に呑み込まれたと気づいたのは、輪墓の世界から抜け出した後だった。

 

 現実世界から、輪墓の世界を見ることは出来ない。しかし輪墓の側からは、現実世界の様子を確認できる。畳間からは、アカリが現実世界へ帰還したことは筒抜けだ。待ち伏せも容易だろう。下手に戻ることは出来なくなったが、しかし畳間の言葉が本当なら、畳間は輪墓から抜け出す何らかの術を持っている。二代目水影戦であった、アカリの万華鏡を突き破るようにして出て来たあれのことを言っているのなら、このまま畳間の姿を視認しないままでいるのは危険すぎる。アカリに、輪墓へ戻らないという選択肢は無かった。

 少しでも距離を取ろうと、アカリは森の中へ駆け込み、スサノオを展開し炎のチャクラを纏ったうえで輪墓へと入り込み―――スサノオは激流に呑み込まれた。畳間が滝の水を使い、森を薙ぎ払ったのである。

 アカリは勢いよく飛び上がり、スサノオを捨て、激流の中から抜け出し―――凄まじい勢いで迫りくる土砂の壁を視認した。 

 アカリは土砂に呑み込まれる勢いで輪墓から脱出したが、その勢いはそのままに、叩きつけられるようにして地面へと転がった。泥だらけの体をすぐさま立て直し、駆けだした。

 現実世界側の柱間の石像のもとへと走り、アカリは石像の上から滝つぼへと飛び落ちる。その落下の勢いのまま、アカリは輪墓へと戻った。

 待ち受けていたのは、闇だった。闇の中で壁にぶつかり、それが幹の檻なのだと気づいた。咄嗟に展開したスサノオが、締め上げられて悲鳴を上げる。

 

 畳間の戦術からは、アカリに接近戦を挑む気がまるで無いことが伺える。

 徹底して身を潜め遠距離戦を貫き、隙を見て飛雷神で翻弄し、集中力と精神力を削り取るその戦術―――ここに来て、畳間は二代目火影の教えを忠実に守っている。

 膨大なチャクラに裏打ちされた、遠距離からの物理的な圧殺に、飛雷神による間隙の奇襲。

 

 忍界最速と謳われ、その速さを駆使した接近戦を得意とした、二代目火影。畳間は今、これまで無意識に行っていた師の猿真似を捨てた。徹底した合理主義を貫いた扉間が、弟子のために考え、叩き込んだ戦闘スタイルとその基礎を、畳間はこれまで、心のどこかに残っていた反発心によって守ろうとしてこなかった。だが、憎しみに呑まれたゆえに強さを求め、それを徹底して守ったとき―――畳間は真の実力を発揮する。

 それがこれほど厄介なものだとは、計算外だった。アカリはもっと早くやれと文句の一つでも言ってやりたい気持ちだった。

 

 ふっと呼吸を整える。アカリは拳にチャクラを注ぎ込み、爆発力を高め、勢いよく足元を殴り抜いた。爆発音にも似た音と共に、アカリの体が落下し、目の前に光が広がる。

 

「……は」

 

 ―――スサノオを纏った木の巨人。その肩の上に乗る畳間が、冷めた表情でアカリを見下げていた。

 

「装威・須佐能乎。アカリ……お前はこれをどう破る?」

 

「……」

 

「言葉も無いか……無理もない。これが、森羅万象の力―――その片鱗だ」

 

 返事をしないアカリに、畳間は退屈そうに目を細める。

 

「千手とうちは……2つの相反する力を手に入れた者が、森羅万象を得て、輪廻転生へ至る。石碑に記された碑文だ。”うちは直系”の万華鏡と、憎しみに染まり精神を安定させた千手直系の肉体は、不完全だった木遁の力を完全なものとし、初代火影に迫る力を俺に与えた。もはや二代目水影など、敵にもならんだろう……。尤も……俺の知る千手柱間と言う男は、これでもなお届かぬ、文字通り、桁違いの化け物だったがな」 

 

「ほら、そうやってすぐ調子に乗るじゃないか」

 

 畳間の言葉を、アカリは切って捨てる。

 森羅万象、輪廻転生。アカリにはまるで理解できない言葉だった。

 難しい言葉を並べ立て、己の強さ、特異さをアピールする畳間の姿は―――必死に背伸びをする子供のようで。

 そうか、とアカリは気づいた。

 親との関係が上手くいかなかった畳間にとって、イナはきっと、自分のことを深く理解し、母親の様な慈愛を与えてくれる存在だったのだ。だから今、畳間はその縋る場所を最悪な形で失ったと思い、分かり易い最強と言う名に固執した。

 いつからそうなってしまったのか。

 二代目火影を失ったときか、あるいは里の最高戦力の一角などと持て囃され始めたときからか。

 初代火影の遺志を秘め、託された夢を目指し、己の”やりたいこと”を根差し、アカリと手を取り合うことを望んでいた幼い頃の畳間の方が、今よりもよほど自立し、”道”を見据えていたというのに。

 そう思えば―――

 

「畳間、私は今、哀しくてたまらない」

 

「哀しい? 何を言うかと思えば……」

 

 アカリは体を起こしながら、言葉を紡ぐ。畳間の鋭い眼光も、唸るような声も、叩きつけられる殺気も、アカリは恐ろしいとは思わなかった。

 

「―――過去、戦乱により多くの命と血筋が失われた。あるいは……何か一つでも綻べば、我らが生まれることすら出来なかった未来とてあったはずだ。しかし私たちはこの世に生まれ落ち、生きている。それは何故か―――多くの先人たちが、私たちと言う”未来”を、命を賭して守ってくれたからだ! 連綿と続く命の連鎖……それを知っているから、我らの師は、里の未来に命を賭けた!!お前はそれを、身を持って理解しているはずだろうが……ッ」

 

 アカリが言っているのは、二代目火影・扉間の殉職のこと。彼は里の未来となる若き火の意志を守るため、己の命のすべてを賭して、理不尽を相手に戦い抜いた。

 しかし畳間の脳裏を過ったのは、初代火影・千手柱間の最期。

 畳間の敬愛した祖父は、大戦が終わり平和へと進もうとする忍界において、畳間という新たな可能性を守るため、世界の未来に命を捧げた。深い憎しみと深い愛を併せ持った少年がいつの日か、その憎しみを乗り越え大成し、”夢の先”へ進むことを夢見て―――。

 しかしそれは決して科された義務じゃない。義務だからしょうがなくやりました、なんて言われて、柱間が喜ぶわけがない。

 偉大な背に憧れたから、自分の意志で、”やりたい”のだと、そう強く思ったから。「なら任せるよ」と、その思いを受け取った。

 それはアカリも同じだった。畳間が立ち向かい、なお夢破れたのならば、それはそれで仕方ない、そう思っている。だから。

 

「辛くなれば、投げ出したって良い。立ち止まってもいい。誰かに泣きついて、もうダメだって逃げたって別に良いんだ。だが―――子供のように誤魔化すな。お前はまだ、何も始めてすらいない。スタートラインにすら立っていないだろう。掲げた夢が思ったよりも大きかったことにへたれ、腰が抜けたことを誤魔化している、ただの子供だ」

 

「黙れ……」

 

「お前が罵ったらしい三代目火影が、今どんな状況なのか、考えたことがあるか? 本来は温和で、弟子と一緒に女湯でも覗いてるのがお似合いなエロ親父の、あの疲れ切った顔を、お前は見たか?」

 

 火影になったのは、火影を目指したのは、戦争をするためではなかった。死地に仲間を送るためではなかったはずだ。本来なら自分が真っ先に戦地へ向かいたいのに、その気持ちを押し殺して、三代目火影という業務に徹している。それがどん詰まりの中で取れる唯一の手だからだ。遠のいた夢を、託され叶えたいと思う願いを、再び取り戻すために、三代目火影ヒルゼンは今、耐え忍んでいる。闇に落ちようとしている弟が、再び戻ってきてくれることを信じて。

 

「あの人が立っていられるのは、ただ託されたからじゃない。すべき義務だからじゃない。いつか―――同じ夢を見た誰かに、託したいと思うからだ。今が苦しくても、先が見えなくても、忍び耐えた先に、平和という夢があると信じて。己の代でそれを見ることが叶わなくとも、いつか子供たちが、それを受け継いでくれるのだと信じている。だから―――人は大人になって、耐え忍んだ先にある夢を見る。―――畳間、お前はいつまで子供でいるつもりだ? 自分のためだけに生きることを許された時間(とき)は―――私たちが子供でいて良い時間は、もう終わったんだよ、畳間」

 

「―――黙れッ!! お前が、お前にッ……何がっ……!!」

 

 畳間の表情が悲痛に歪む。

 しかし言葉が続かないのは、先人が畳間に託した思いが、意思が、愛が、歪む前の畳間の―――本当の畳間の心の奥に、根付いているからだ。アカリはそれを信じている。

 畳間の苦しみが分かる。哀しみが分かる。自分がかつて、そうだったから。アカリが闇へ堕ち切らなかった理由は、兄が、友が、アカリを支えてくれたから。

 だからアカリは、今がその時(・・・)だと、畳間の心を引きずり出すべく、嵐のように言葉を紡ぐ。

 

「私を見ろ!! 今の私が、かつてのお前だ!! 思い出せお前の名を! うちはでも千手でもない、その(ゆめ)を叫べ!! 木の葉隠れの里の、誰よりも偉大な2人の忍(初代火影・二代目火影)からッ!! 貴様は何を受け取った!!!」

 

 かつての中忍試験、畳間が語った夢の先を、アカリは見てみたいと思っていた。畳間が単なる千手のお坊ちゃんじゃなく、道を見据えた忍なのだと感じられたあのとき、アカリは畳間を尊敬すべき友だと思った。しかし同時に、畳間が調子に乗りやすく、転びやすい馬鹿でもあるとも知って、傍で支えたいと思った。

 独りぼっちだと思っているなら、それは違うと伝えてやる。アカリが、サクモが、綱手が―――木の葉のすべてが、畳間の家族なのだと言うことを。

 

「忍者とはすなわち!! 痛みも悲しみも憎しみも―――あらゆる闇を耐え忍び、”本当の夢”へ進むもののことを指す!! その”夢”は!! 私たちが進むべき道は!! お前が誰よりも知っているはずだ! そうだろう畳間!! あのときの言葉を、私はずっと信じてる! お前が言った夢の先を―――私は今も信じてる!! だから私は、今のお前を止めるんだ!! 現れろォっ!! 猿猴王・猿魔ァ!!」

 

 ぼふんと煙が立ち込めると、アカリの隣に猿魔が姿を現した。

 

「―――はぁ!? なんだこりゃ!? マダラ、いや、初代……でもねぇのか……? どういう状況だ、アカリ」 

 

「説明は後だ! 猿魔、”あの術”を使う」

 

「あれをか? ありゃ下手すりゃ死ぬ……」

 

「わかってる。今が、そのとき(・・・・)だ」

 

 アカリは、狼狽する猿魔を言葉少なく宥めた。

 猿魔は制止の言葉を掛けようとして、口ごもる。

 アカリの力強い瞳に輝く黄金を見て、言っても聞かないと察したからだ。猿魔は一つため息を吐いた。

 

「……どうなっても知らんぞ。―――変化、金剛圏(こんごうけん)!」

 

 猿魔が煙と共にとその姿を変える。

 黄金の輝きを放つ細い輪が宙に浮き―――ゆっくりとアカリの頭に装着されると、アカリは掌を静かに合わせ、瞑目した。

 

「それは……ッ!」

 

 畳間が何かを感じ取ったように目を見開くと、木人の腕が振り上げられ、その拳が放たれる。

 アカリに拳が激突するその寸前―――巨大な青白く透けた掌が、その拳を受け止めた。

 青白く透けた掌が、木人の拳を押し戻しながら―――掌を、腕を、肘を、肩を、首を上躰を、下肢を、その全身を現していく。

 

「仙法・須佐能乎。―――秘術・対数うちは」

 

 片手には半透明なチャクラの棍を握り、背中には等間隔に数え切れぬほどの火の玉を宿す火車を背負い、アカリの須佐能乎が立ち上がる。これまで上躰のみであった体には下肢が生え、より巨大に、より人に近しい容貌となって、畳間の木人に対峙する。

 

 アカリの須佐能乎が棍を振りかぶり、畳間の巨人、その横っ面を殴り抜ける。重い衝撃とともに岸壁に叩きつけられる。

 

「アカリいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」

 

 天を突くような怒声とともに、畳間がスサノオのチャクラの槍を出現させ、襲い掛かった。アカリの棍と畳間の槍が激突する。数十に渡る攻防の末、得物の扱いに一日の長があるアカリが、畳間の槍を弾き飛ばす。しかしアカリの須佐能乎の横っ面を、木人の拳で殴り抜いた。同時に、樹海降誕による幹がアカリの須佐能乎の棍を絡めとり、封じ込める。

 畳間の巨人がアカリを殴ろうと距離を詰めるが、アカリの背中に揺らめく無数の炎が発射され、畳間は押し戻される。それでも食い下がり、巨人同士の戦いは、原始的な殴り合いという泥仕合へと発展する。

 チャクラとチャクラがぶつかり合う。互いのチャクラが互いの中に流れ込んでいた。体はなお殴り合い続けている。スサノオの装甲は互いに剥がれ、衝撃が皮膚を割いた。互いに血に濡れ、汗に濡れる中、二人の魂は、静かな精神世界の中で向き合った。

 

「くそがくそがくそがくそがっ!! 仙術……仙術だとっ!? チャクラの高ぶりが激しいうちは一族に、仙術など扱えるはずがっ」

 

「―――真の愛は、穏やかに凪ぐ」

 

 飲み込まれそうなほどの雰囲気に、畳間が息をのんだ。

 

「畳間、お前は馬鹿で、情けない男だ。本当にどうしようもなく―――弱い」

 

「黙れっ……。俺は強い! 俺は初代火影の孫、二代目火影の弟子、木の葉の昇り龍、千手一族当代―――っ! 俺は初代火影を継ぐ者なんだ! 最強と信じた()ですら敗れた忍を、俺は越えなければならない! その俺が弱くていいはずがない! 負けていいはずがない!!」

 

 畳間はその言葉に目じりを釣り上げて、言葉を並べ立てる。しかしそれは強く在らねばならぬ理由であって、アカリの言葉を否定するものではなかった。

 アカリは静かに首を振り、続けた。

 

「お前は弱い。力ではない。心がだ。何故、お前の印象操作が執拗に行われていたのか―――お前なら搦め手で落とせると、見抜かれていたからだ」

 

「それはっ……」

 

「お前は弱いのに強いふりをして、周囲の期待に応えようと、いつからか”凄い忍”を演じるようになった。”凄い忍”を演じるのは疲れただろう。お前は元々、考えなしの猪突猛進な馬鹿だからな。そりゃ、らしくないことをすれば失敗もする」

 

「だが、俺は、里の最高戦力の一角で……」

 

「まだ言うか? お前は、お前のままでいい。……千手柱間にも、千手扉間にもならなくていい。お前の中の憎しみも、弱さも―――私はもう、知っているんだ。だから……戻ってこい。ばか」

 

「俺が……弱い……」

 

「まさかとは思うが。お前、ここまで馬鹿なことをしておいて、まだ自分は強いというつもりか? 私を見ろ。精神世界なのに、こんなにボロボロだ。仙術チャクラだって扱うのはすごく大変だし、この輪っかはつけるとすごく痛いんだ。お前のせいだぞ。可哀想だとは思わんのか」

 

「それは……。いや、そうか……」

 

「そうだ。お前は私がいないと……。いや……誰かに助けて貰わないと、何もできん大馬鹿だ。子供のころから、そう思っていたんだ、私は。でもそれは、私もいっしょのこと……」

 

「……」

 

「さあ、言ってみろ。お前の本当の気持ちを」

 

 ふと、息を吐くように短く笑った畳間の表情から、険しさが抜け落ちたのを、アカリは見た。

 抜けたか、と感じた。張り詰めた糸の様な気配も、付け入る隙も無いほどに張り巡らされていた殺気も、綺麗に消えていた。

 かつてのような穏やかな雰囲気が、今の畳間にはあった。しかし、その眼には未だ万華鏡が浮かんでいる。畳間が顔を伏せ、ぽつりと言った。

 

「―――憎い。憎い憎い憎い。祖父が、叔父貴が、里が、世界が―――俺自身が、憎い。憎くてたまらない」

 

 アカリは静かに耳を傾ける。

 

「聞かせてくれ。お前はどうした。死してなお残る、この巨大などす黒い炎を」

 

「ただ、考えたんだ。もしも初代火影が憎しみに呑まれ、我らうちはと敵対したままだったなら、と。きっと里はなく、お前と私もまた、敵として相対していた。友として、出会うことはなく……あの楽しかった日々もない」

 

 初めての任務、中忍試験。

 ともに学び、遊び、戦って、いつの間にか大人になった。辛いこともたくさんあったけど、それでも、楽しかった日々だった。みんながいたから、楽しかった。

 

 アカリは静かに瞳を閉じた。

 亡き兄との思い出は、今もなお瞼の裏に浮かんでいる。憎しみもある。悲しみもある。脆くて今にも折れそうな意思が、それでもなお立っているのは―――この優しい気持ちを、暖かかった思い出を、いつか誰かに託したいからだった。

 うちはカガミという大好きな大好きな、やさしいお兄ちゃんがいた。あの悲しい別れを、無駄なものになんてしたくない。一人ぼっちの屋敷。何度泣いたかもわからない。それでも、大好きな兄はいたのだ。一緒に笑いあったお兄ちゃんはいたのだ。もう二度と会うことは叶わなくとも、言葉を交わすことが出来なくても、その魂を守り抜くことが出来たなら、きっとずっと、傍にいてくれるから。

 

「気づいたんだ。我らの生きた黄金のようなあの日々は、初代火影をはじめとした、多くの先人が憎しみを耐え忍んだ末に叶った、夢の先にあるものだったのだと。だとすれば、その我らが憎しみに染まることは……そのすべてを否定することになる。あの日々を、この胸が震えるほどの温もりを、私は否定したくない。この大切な思い出を、ずっと抱きしめていたいから、だから私は決めたんだ。―――火の意志は決して絶やさない。独りぼっちの冷たいだれか(わたし)が、いつか温もり(あなた)に、出会えるように」

 

「アカリ……」

 

 柔らかく微笑んだアカリのほほを、静かに伝う雫。

 静かに畳間がつぶやいた。ダイレクトに、アカリの気持ちが伝わってくる。あるいはアカリの仙術による洗脳なのかもしれない。そんなわけがないことはわかっていたが、それでもいいと思えるほど、心が穏やかだった。

 変わらなければならない時が来ている。長い戦国時代が終わって、数十年。まだ混乱の時代は続いているが、だからこそ。最も過酷な戦場を、深い憎しみを知っている己だからこそ、できることがあるのだと。そう思った。痛みを知るからこそ、分かり合えることがある。それが、千手柱間の背に見た、千手畳間の、原初の願い。

 

「そうだ。俺は……ただ、里を……。オレはただ……オレを愛してくれた爺ちゃんを……里を、家族を、ただ守りたかった……。そうだ、それで……それを守るために必要なものが”(へいわ)”だったから……オレは目指そうと思ったんだ。爺ちゃんの夢―――”里”の、その先を。そうだ、そうだ。そうだった。たくさん、本当にたくさんのものをもらったから。そのお返しを……したかったんだ」

 

 ―――同じうちはで、こうも違うか。

 畳間の意識の中で、■■■の部分が思う。

 あのとき。もしも過去の自分が、今のアカリほどの視野があれば。千手と手を取るか否か、迷っている兄の背を押すことができていれば―――それはありえざるifだ。だが―――もしもと、そう考えてしまう。考えてしまった。

 今、この身は後悔を知った。憎しみに囚われていなければどうだっただろうと、考えてしまったのだ。

 それは、憎しみの中にいては、決して浮かばぬ思考だったから。

 

「まだ憎しみがあふれるというなら―――私にぶつけろ。苛々するなら八つ当たりでもいいぞ。辛ければそう言え。弱音も聞かせろ。それぐらい受け止めてやる。むしろそういうの言ってくれると嬉しい。お前は1人で抱えすぎなんだ。それは逆を言えば、私たちをまるで当てにしてないってことだ。もっと頼れ。一人で背負わなくていい。どうせ一人じゃできやしないんだ。だから人は、同じ夢を見るんだよ」

 

「アカリ……。お前はどうして、そこまでオレを……」

 

「なんだ貴様。まだ、気づいてなかったのか? 私はな、畳間―――」

 

 ―――あなたを、愛している。

 

 優しく微笑んだアカリ。

 畳間は呆然と、アカリを見つめた。好意を向けられていることは気づいていた。しかし、ここまで深い想いを届けられるとは、思っていなかった。いや、見て見ぬふりをしていたというべきか。いつの間にか、うちはアカリという意地っ張りでポンコツな少女は、その根っこをそのままに、酸いも甘いも噛みしめた、大人の女に成長していた。変わっていなかったのは、自分だけだった。だがそれに気づいたところで、もはやこの憎しみは、一人で乗り越えるにはあまりに大きく膨れ上がってしまっていて―――。それを見通すかのように、私を頼れと、アカリは言う。いや、事実、見通しているのだろう。

 

(ああ、そうか……)

 

やっと、腑に落ちた。千手柱間が、なぜ家族を殺され続けてなお、我らうちは一族と手を結ぶことを望み続けたのか。圧倒的な、文字通り最強の力を持っていてなお、なぜ覇を以て忍界を統べようとしなかったのか。―――すべての答えはそこにあったのだ。

 人は一人では生きられず、できることも限られる。だから千手柱間とうちはマダラは、一人ずつでは叶えられぬ、見果てぬ夢のために手を取った。それでもなお超えられぬ壁を前に、彼らは”里”を興した。同じ夢をみる者たちを“家族”とし、立ちはだかる障害を皆の手で打ち壊すために。それが、里の始まりだった。

 

(俺なら何でもできる。怖いものなんて何もない―――。ああ、そうか。調子に乗っていたのか、オレは。ずっと……長い間)

 

そんな当たり前のことにも気づかなかった。気づいていなかった。

がくりと肩の力を抜いた畳間は、俯いて、ただ一つだけ、ずっと言えなかった言葉を溢した。

 

「―――助けてくれ、アカリ」

 

「任せろ。そのためにいっぱい修業した」

 

 ふんすと鼻息荒いアカリに、畳間は力が抜けるような感覚の中―――精神世界が光に覆われ、互いの姿が掻き消えて。意識が、現実世界へと戻ってくる。

 再び顔をあげた畳間は――いや、うちはイズナは、その表情を憎悪に染めていた。その体を中心にチャクラの暴風が吹き荒れる。

 抱え込んだすべての憎しみを、誰にも見せたことの無い、情けない、けれども本当の己を曝け出すことを、彼らは選んだ。それは、本当の強さへの第一歩。

 

「ここが、正念場だ。猿魔……わが命、預けたぞ」

 

 そこからは、術も技もない、ただ体力が続く限り続く、壮絶で泥臭い殴り合いだった。互いに巨大な創造物を操り、防御をすることもなく、互いを受け入れあうように、ただただ互いを殴り続けた。それは子供の癇癪のようで、事実そうだったのだろう。それは畳間にとって、子供から大人になるために必要な、自分を曝け出し受け入れるための儀式だった。

 

「ああああああああああああ!!」

 

「おおおおおおおおおおおおお!!」

 

互いに獣のような雄たけびをあげ、互いを受け入れるように殴り合った。最初で最後の、壮絶に規模の大きな―――しょうもない喧嘩だったのだ。畳間に必要だったのは、きっと、そういうことなのだ。

やがて、互いに木人も、須佐能乎も維持できなくなって、互いに互いの拳が届くようになって―――畳間の拳に頬を打たれ、踏ん張る力も失ったアカリが、背中から倒れこんだ。

 

―――まだだ、とアカリが震える膝を叱咤する。

立ち上がって、しかし膝は崩れ落ちた。服はボロボロで、血に塗れていた。維持できなくなった口寄せは解除され、閻魔はすでに傍にない。

 

「まだだ……。まだ……っ、畳間を、助けるんだ……っ。止めるんだ……っ」

 

ゆっくりと近づいてくる畳間を歪んだ視界に収めたアカリは、ふらつきながら、また立ち上がる。頬は腫れ、目は腫れ、その美貌は見る影もない。

それでもと、振りかぶった拳は畳間の顔の、すぐ隣を通り過ぎ、アカリは前のめりに倒れ込んで―――。

 

「―――もう、大丈夫だ。アカリ」

 

畳間に抱き留められた。その優しい声音に、アカリは顔を畳間の肩に乗せながら、辛うじて開く片目を丸くし、嬉しそうに細めた。

 

「遅いぞ……。すごく、すごく痛い。痛かった」

 

 子猫が親猫に甘えるように、アカリは畳間の首筋に己の頬を摺り寄せる。

 畳間はそのぼろぼろに傷ついた体を優しく抱きしめて―――

 

「すまな―――おご」

 

 

 鳩尾に感じた鈍く重い痛みに、情けない声を漏らし涎を流した。

 

「おま……」

 

 抗議しようとしたところで、アカリが穏やかな寝息を立てていることに気づき、小さくため息をつき、その背を労わるように撫でた。

 本当は、ずいぶん前に憎しみは薄れていた。あるいは精神世界でアカリと触れ合った時からで、こんな喧嘩もしなくてよかったのかもしれない。だが、畳間は甘えた。アカリの思いやりに甘えたのだ。自分のために一生懸命になってくれるのが、嬉しくて。

 周りを見れば、いつの間にか、輪墓の世界から抜け出していた。最後の鳩尾への攻撃の時に、残った力を使って、万華鏡写輪眼を発動させたのだろう。そして、最後のチャクラを失ったことで、アカリは意識を失った。

 畳間はまるで慈しむような所作でアカリを横抱きにして、その寝顔を穏やかに見つめた。

 

「……オレの名は、畳間だ。アカリ、オレは……」

 

 その先は、口にしなかった。口にすれば、陳腐なものになってしまいそうだったから。だから、その先の誓いは、胸にしまっておくことにした。ただ一つ言えることは、もしもこの先、戦乱の中、アカリさえ失ってしまうことがあろうとも、今、この瞬間の温もりを―――決して否定しない、ということだ。

 たくさんの大切なものを失って、何度も道を誤った。取り戻せないものも多く、また同じ過ちを繰り返すかもしれない。その恐怖はある。憎しみも、まだ。それでも、オレは生きていく。千手畳間として生きていく。

 

 ―――ずいぶんと長い間、アカリと喧嘩をしていたようだった。日の出だ。夜が、明けようとしている。眩しくて―――静かに、目を細めた。

 

ああ、そうだ。

 

「―――この瞳は(あかり)が、よく見える」

 


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